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2011年3月13日 (日)

粟賀高峰城跡(兵庫県神崎郡)

城跡は兵庫県神崎郡神河町粟賀(アワガ)にあって、「慈増寺」南西背後の丘陵上に位置している。この城跡は赤松氏一族の一人でもある伊豆孫四郎祐国の居城が伝わっており、この一帯の赤松氏の息のかかった城と同様に秀吉によって攻略されている。文献資料による違いはあるが本来は高峰城(粟賀城)と呼ばれており、今回は同じ郡内に同名の山城が存在する事もあり、区別する為に城跡呼称は地域名の入った「粟賀高峰城」とさせて頂いた。

この山城の本郭群だけに限れば、その形態はほぼ概念図に示したものに近いと思って頂ければ良いとは思われるが、シダの蔓延る現状、踏破した範囲の中で自身が判別確認出来た遺構だけを概念図に示した。蔓延るシダで郭壁あるいは斜面上は地表も見えない箇所も多々あるので、縦堀遺構に関してだけは、これだけに止まるものではないと思って頂きたい。

1_2 登城ルート

5 慈増寺(居館伝承地)

9_2 直登ルート

1_3 城跡概念図

この城跡の見所は判別し易い状態にある堀切、土塁跡、及び石垣跡で、縦堀に繋がる堀切は合計三本お目にかかることが出来る、他の縦堀に関しては必然性を含んだ明瞭なものだけを図中に記したが、それらしいものは他の斜面でも数本確認できる筈である。意外に思われたのは石積が残されていた事で、露見している場所は限られる(主郭西壁)が、郭壁となる土中を掘り起こせば、まだまだ眠っているものと思われたのである。現状(二月)斜面上はシダや低草木が相当蔓延ってはいるが、山上(植林地)においてはある程度見通しが利く事から、山城としては比較的見学し易い状況となっている。郭内部は荒れ放題の様相からも、相当地表風化は進んでいるが、城としての機能を失ってから現在に至るまでのほぼ手付かずの本郭群に関しては、ほぼ完存に近いものと見受けられた。よって状態は良いとは言えないが、遺構残存度は非常に高いものと目には映ったのである。

11_kitakaku_heki 北郭群の切岸

16_kita1_dorui 北郭土塁跡見所

22_horikiri_yori_zenbou 堀切から北郭の土塁見所

28_shukaku_dorui_1 主郭の土塁見所

30_sita_horikiri 南堀切を見下ろす見所

39_nanseu_isigaki_1 石垣跡見所

36_minamikaku_yori_shukakuheki 南郭大土塁見所

37_nantan_horikiri 南端の堀切見所

個人的に城跡を評価すれば、規模は小さいが見所満載でもあり、山城としての佇まいや遺構の醍醐味は間違いなく味わえるものと感じられた事から、この山城も是非お薦めしたい城跡の一に付け加えたいと思うのである。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた柏尾山城を起点とすればその位置関係は把握し易いとは思われるが、車を預ける事になる慈増寺(この一帯が居館伝承地)から見れば真西に聳える山が柏尾山にあたる。京阪神側から訪れるのであれば、まず国道312号へ進入する事が先決となるが、ルート図を参考に「慈増寺」を目指して進行すればよい。地元で事前に山道の有無を確認したところ、地元の方はもちろんの事、現在城跡を訪れる方は皆無に等しいと言うことでもあり、山全体に蔓延るシダを踏み分けての直登は余儀なくされるのが現状でもある。直登取り付き地点は概念図に示した「慈増寺」の南西背後にある小さな沢を渡った場所からで、ここから縦堀地形に沿いながら上れば(一番シダが少ない)、15分程度で山上へは辿り着ける筈である。

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