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2011年3月

2011年3月31日 (木)

上林片山城跡/有安城跡(京都府綾部市)

今回リポート掲載に及んだ片山城有安城の二城は同じ綾部市にあるが、前者は八津合町片山、後者は睦寄町高風呂にあって、二城共に砦規模の山城でもある。片山城の方は昨年に遡るが、西側に隣接した日置谷城のリポート掲載の際に、既に同時掲載を終えたつもりでいたのだが、ここに及んで肝心の現況報告を忘れていた事が発覚した。登城ルート図に位置だけは記していたので、既に訪れた方も居られるかとは思われるが、まだ未訪の方の為に情報鮮度は随分落ちてしまったが、後で訪れた有安城と同様に、忘れていた現況報告を今回させて頂く事になった。どちらも城史に関しての詳細は不明

まず片山城跡を訪れるには、日置谷城を起点とすればその位置はルート図を見れば直ぐお分かり頂けるとは思うが、直登開始地点は概念図に示した上林中学校の西側道路沿いで、ここから山上を目指せば5分もあれば主郭へは到達出来るだろう。現状(昨年三月)藪化は進行しているが、移動に難渋する事もなく見学可能な状態にあるので、単郭で成立した城跡を形成する全ての遺構は判別し易い状況となっており、主郭周囲に張り巡らされた低土塁北背後に施された堀切、土塁虎口などが見所遺構と呼べるものであり、充分目は楽しませてくれる筈である。ほぼ完存に近い形のこの城跡は、個人的には非常に値打ちのある城跡と感じられた事もあり、規模さえ問わなければ、山城ファンの方には充分お薦め出来る城跡と目には映ったのである。

1_4 登城ルート

4 進入経路

1_1 城跡概念図

10_shukaku_1

主郭の現状

11_shuui_dorui 土塁跡見所

11_haigo_dorui 主郭北土塁見所

12_horikiri_1 堀切見所

有安城跡の方は既にリポート掲載を終えた山内城、あるいは長野城を起点とすればその位置は分かり易いとは思われるが、標高290mの険峻な山頂に位置している。直登取り付き地点は公民館の南側にあるガレージ横からで、ここからひたすら山上を目指せば迷わず辿り着ける筈である。訪問結果としては狭小な山上主郭には腰郭が付随するだけで、狼煙台としての機能しか思い浮かんで来ないものでもあり、斜面上には唯一縦堀(判別し易いとは言えない)が施されていたが、これは険峻極まりない位置にある主郭を思えば、防備機能としては余り効果的とは思えないものである。現状地表風化も藪化も進行中にあり、山上は荒れ放題の様相を呈しており、概念図に示した数少ない遺構は何とか判別可能な状態にあるが、ここまで城跡を感じさせてくれない山城は珍しいとも言える。個人的にこの山城を評価すれば、山城賛歌の趣旨として訪れた以上現状を知って頂く為に現況報告はさせて頂いたが、興味を持たれた方だけが対象となる城跡の様な気がするのである、、、

1_1_2 有安城 登城ルート

5 直登取り付き口

Ar 城跡概念図

9_tatebori 縦堀跡

10_minami_obi 腰郭

12_shukaku 主郭の現状

2011年3月29日 (火)

弓月砦跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市八上上にあって、先にリポート掲載を終えた安明寺城と同様に、八上城を本城とした場合の出城と窺えるものであり、名が語る様に「弓月神社」東背後の丘陵先端に位置している。この砦跡に関しては国道沿いにあるコンビニ駐車場からは直ぐ目の前に見えている事で、何時でも寄れる安易な気持ちから今まで長きに渡って訪問を延ばしてきた。お陰で今回も安明寺城と同日訪問には至れなかったが、遅ればせながらも今回やっと現況報告出来る運びとなった。

城跡を訪れるには、ルート図を見れば直ぐお分かり頂けるとは思われるが、国道372号沿いにあるコンビニ(ミニストップ)を目印として、その西側を丘陵に向いて針路変更、後はルート図の赤線を辿れば難なく神社までは辿り着けるだろう。車の駐車に関しては概念図に示した付近に、充分な空きスペースがあるので探すには及ばないとは思われる。ここから神社まで向かい、最奥にある獣避けフェンスを開閉して入山し、踏み跡に任せて上れば南端の堀切までは5分とかからず到達出来よう。

1route 登城ルート

7 入山口

3yumi 城跡概念図

この城跡は正しく砦規模の城跡であり、主郭に相当する小規模な削平地を中心として四方枝尾根に向いて郭が展開されている。現状(三月)城跡全体における地表風化は激しく、切岸などは非常に曖昧なものとなっており、その切岸ラインまでは何とか窺えるものの、切岸斜面自体はなだらかな傾斜地形と化しており、切り立つ切岸の醍醐味にはとても触れる事は出来ない状況にある。自身が判別確認に及んだ遺構は概念図に示した通りと思って頂ければよいが、郭跡を除けば南尾根を断つ堀切(片堀切)が唯一の分かり易い遺構と呼べるものであり、郭跡に佇んで臨場感を味わう程度の山城と思って頂いたらそれで良いのかもしれない。

9_horikiri_1 10_horikiri堀切見所

12_minami_kakugun 南郭の現状

16_shukaku_heki 主郭切岸ライン

14_shukaku_1 主郭の現状15_hokusei_gedan

北西郭

城跡を個人的に評価すれば、城跡自体にほとんど見応えは感じられないが、八上城砦群の一翼を担った砦としての存在感、訪城における圧倒的お手軽感も加味すれば、充分お薦め出来る城跡と言えようか、ただし残存遺構には最初から期待しない事が大前提とはなるが、、、

2011年3月27日 (日)

段ノ城砦群の一翼を担った山城 築ヶ鼻城跡(兵庫県多可郡)

城跡は兵庫県多可郡多可町中区門前にあって、既にリポート掲載を終えた標高480m地点に位置する段ノ城(高城山城)から更に遠く南へ派生する尾根の先端部(標高220m付近)に位置しており、自ずと段ノ城との関連性(出城か?)は窺われるものである。ただ段ノ城と共有する尾根にはあるが、砦の域は充分はみ出た規模、あるいは技巧の施されたその縄張りプランから考えれば、明らかに城としては独立した機能が窺えるものであり、当時は守将の異なる一城と見て良いのかも知れない。段ノ城が赤松氏一族の在田氏の居城を伝える事から、自ずと在田氏の拠った城と見てよいとは思われるが、、、(推察)

城跡を訪れるには、まず国道427号へ進入する事が先決となるが、段ノ城の登城口とした「瑞光寺」、あるいは貝ノ城を起点とすれば分かり易いだろう。直登入山口となるのは、ルート図あるいは概念図に示した瑞光寺の真西側の丘陵麓にある入山開閉フェンス(画像に注目)からで、ここからそのまま山上を目指して登れば、藪漕ぎもなく5分程度で便宜上の二ノ郭までは辿り着ける筈である。

1_1 登城ルート

6 入山口進入経路

1_2 城跡概念図

この城跡の形態は大空堀地形(鞍部)を挟んで主要二郭がほぼ独立した状態にあり、二郭共に側壁あるいは郭背後には土塁が施されており、帯郭あるいは小規模な小郭もそれに付随している。主郭の土塁背後には二連の堀切(縦堀に繋がる)が刻まれており、段ノ城と同様に垣跡も部分的に残ってはいるが、自然露岩を郭壁として取り込んだ様相、自然地形をそのまま取り込んだ空堀地形などは、要害堅固な山城を充分想像させるものであり、見学者の目は間違いなく楽しませてくれるものと見た。見所は「地形を活かした縄張りプラン及び山城としての佇まいも含めた全て!」と言えるものであり、現状(二月)における遺構の判別し易さ(遺構残存度が高い)、木々が少なく見通しが利く状態の良さ、機能の想像も含めた楽しめる部分、遺構(特に土塁と堀切)の醍醐味まで加味すれば、個人的には訪問して期待を裏切られるとはまず考えられない、推奨に値する城跡と目には映ったのである。

10_toutatu_isigaki_1 二ノ郭石垣跡見所

15_minamikaku_dorui_1 二ノ郭土塁跡見所

21_kita_anbu_kaku_3 櫓台背後の鞍部自然空堀地形

30_shukaku_2 主郭の現状

32_shukaku_daidorui 主郭大土塁見所

38_higasi_tatebori_2 大堀切見所

38_higasi_tatebori 縦土塁及び縦堀見所

42_hokutan_horikiri_1 北端堀切見所

個人的にこの山城に関しては、数年前の段ノ城訪城時に既に存在は認識していながら、段ノ城登山で体力を消耗し切ったせいもあって、同日訪問も出来ずに今日まで至ってしまった経緯があるが、既に貝ノ城、段ノ城ともに訪城し終えた方には、単独でも充分充実した見学が出来た事を理由に、まだ未訪の方には改めて単独訪問をお薦めしたいのである。尚、貝ノ城は車窓から山容を窺った処、山上の木々が取り払われて平坦地形が見て取れた事から、城跡は現状更に見学し易い状況になっているのかも知れない、、、、(個人的には再訪する事が出来なかったが、これから訪れる方の参考までに)

2011年3月25日 (金)

幡路城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市幡路(ハダチ)にあって、幡路集落の北側に聳える標高約370(比高120m)mの山頂にある。その築城された環境(細工所城の山塊から見れば南東尾根先端部)考えれば、自ずと細工所城の出城(砦)の様にも察せられるが推察の域は出ない。

城跡を訪れるには、国道173号を北上して既にリポート掲載を終えた仁木城の登山口でもある、如来寺傍を通過して向かう事になるが、貝田城を起点とすれば更に分かり易いとは思われる。その貝田城500m手前の道を右折針路変更して、幡路集落にある公民館を目指せばよいが、そこから城山は目の前に望めるので、位置は直ぐ確認する事が出来るだろう。直登取り付き地点はルート図に印した(画像に注目)民家横の竹林地で、ここからが一番上り易く分かり易いとは思われる。雑木の生い茂るかなりの急斜面を登る事にはなるが、冬季(一月)ともあって藪漕ぎまでには至っておらず、15分程度あれば山上主郭までは到達出来るだろう。

1_1 登城ルート

5 城跡遠望

9tozanguti 直登取り付き地点

城跡の形態としては、ほぼ単郭(50m規模)と見て良いとは思われるが、西側の一見大土塁の様にも窺われた土塁地形は、相当表土が流出して高さも失われており、その土塁との境界はなだらかな傾斜地と化しているので、見た限りでは土塁(自然地形か?)と断言し難いものでもある(推察)。堀切は北側の尾根を遮る形で一応備わってはいるが、薬研堀の様な見応えのあるものではなく、自然地形に近い鞍部の両サイドを土橋状に削っただけのものと目には映った。よって見応えからすれば程遠い山城と言う事にはなるが、まだ未訪で貝田城及び細工所城に興味を持たれていた方にとっては、訪れても決して無駄足には終わらないものとは思われる。

12_sanjyoukaku_higasi_1 主郭の現状

13_sanjyoukaku_nisi 主郭西側の土塁地形

16_horikiri_dobasi 土橋状の堀切

城跡に遺構の見応えなどを望んで訪城してはならないが、個人的には山城としての認識が既にありながら、その所在地が特定出来ていなかった、山城ファンの方だけに向けての現況報告となれば、取り合えず良しと言った処か、、、、

2011年3月23日 (水)

川辺城跡(兵庫県神崎郡)

城跡は兵庫県神崎郡市川町東川辺にあって、国土地理院地図には「城山」と載っているが、その標高323mの山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、この一帯は当時赤松氏の勢力の及んだ地域でもあり、自ずと一族の城あるいはその家臣の城と言えるのかも知れないが、推察の域は出ないものである。

城跡を訪れる為の最寄の中国自動車道乗降口は「福崎」ICとなるが、そこからまず国道312号で北上、県道34号の標識を確認すればそちらへ針路変更すればよい。この山城も多くの険峻な山城と同様に、山上まで上れそうな山道は存在しないものと思えた事から、事前に用意しておいた想定ルートから迷わず直登を敢行したが、画像に示した県道からも充分覗う事の出来る、六地蔵を目印とすれば良いだろう。この直ぐ奥の墓地横にある入山開閉フェンスよりスタートする事になるが、地形図でお分かり頂ける様に相当な激斜面の直登は余儀なくされる。幸い道中藪化には至っていないので上り易いとも言えるが、落ち葉で非常に滑り易い状況となっているので、下山には特に細心の注意が必要とされる。比高230mの急斜面を登る事になるので、山頂に辿り着くにはそれなりに時間はかかるが、30分程度と思って頂ければ良いだろう。

1_1_2 登城ルート

6 入山口

Kawa1 城跡概念図

城跡の形態はシンプルが故にほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、延々と東西に長く連なる主郭と、それに付随する帯郭を特徴とするものであり、防備としての空堀は虎口付近に備わる縦堀と、堀切として土塁を伴う横堀を確認出来た程度でもある。これだけでも縄張り妙味には余り期待出来ない大味な城跡と分かるが、見所が少ないのも確かな現実ではある。もちろん郭境とする切岸壁も高低差は余りないので、屹立する切岸の醍醐味に触れる事は出来ないが、帯郭から窺える比較的状態の良い切岸、主郭西側に唯一施された堀切も少ない遺構の中にあっては見所と言えるものであり、何とか目は楽しませてくれる筈である。藪化は現状(二月)当然進行中にあるが、冬季ともあって山上は意外にも見通しが利く状況にあり、動き回る事には難渋しない状況となっている。個人的には相当な藪城を覚悟して臨んだ事もあり、見学に差し支えるまでには至っていないこの状況は、非常に幸運とも言えるものであったが、夏季訪問においては少し厳しい事は予想されよう。

13_minami_kaku 直登到達地の南郭

22_nisi_horikiri_dorui_3 堀切、土塁見所

25_nagai_shukaku_2 主郭の一部

26_shukaku_minami_heki_1 主郭南切岸見所

28_koguti_shukakuheki 虎口跡から望む主郭見所

29_minami_obi 南帯郭

34_dankaku_yori_shukakuheki 北段郭より主郭壁

個人的に城跡を評価すれば、技巧を有する遺構が僅かな事も重なって、山城としての醍醐味を感じるまでには至れなかったが、播磨地方の山城あるいは赤松氏関連の城跡に興味のある山城ファンの方であれば、形態のユニークから覗いても決して無駄足に終わる山城とは思えなかったのである。個人的には充分に楽しめたが、遺構の醍醐味や山上までの所要時間、更に厳しい直登を考えれば、うかつに是非お薦めとは言い難いのが本音ではある。

2011年3月21日 (月)

スケールの大きい空堀が見所 播磨大山城跡(兵庫県神崎郡)

播磨地方では置塩城を本拠として絶大な勢力を誇った赤松氏の築いた山城が圧倒的な数を占めるが、この山城も赤松氏によって築かれた山城の中の一である。赤松氏の築いた山城の特徴としては「郭壁に石垣の多用」、「人馬も拒む険峻な地を選択した築城環境」の二点はまず挙げられようが、この山城も標高487m(比高約300m)の険峻極まりない山頂に築かれたもので、石垣は見る限り使用されていなかった。

比高300m近い山城は出来るだけ体力を温存する為に、入念な登山ルートの確認が必要となるが、流石に今回ばかりは何時ものような気ままな山城巡りとはいかず、前日から色んな直登ルートを想定しての訪城となった。結果的には自分の想像を遥かに上回る城跡遺構に巡り合える(砦規模の山城を想像していた)事になったが、30分以上にも及ぶこの激斜面との格闘は、体力も気力も相当消耗させられた。しかしこの現況リポートを機に訪れる方には、辛い思いをして山頂まで辿り着いたとしても、絶対に期待は裏切られない遺構と対面できると思われた事から、この山城も山城ファンの方に限っては是非訪問をお薦めしたいのである。

1_1 登城ルート

2z 現地案内板

1_2 城跡概念図

現状(二月)城跡は移動に難渋する事もなく、見学に差し支えるまでには至っていないと思って頂いても良いが、残存状態も比較的良いものであり、地表風化は進んではいるが山上は意外に見通しも利く状況(比較的木々が少ない)となっている。城跡の見所遺構としてまず最初に挙げられるは、北尾根を断つ大空堀(横堀)で、両翼は50m近くに及んでおり片側は縦堀まで繋がっている。深さは堆積物によって相当失われてはいるが、掘削幅も現状5m近いものであり見応えは抜群なものとなっている。この険峻な山上にこれだけの空堀が施されていること自体がとても信じられない思いでもあるが、主郭と二ノ郭間にも大堀切が備わっており、これも直立に近い薬研堀に近い形で未だ屹立した状態を保持している。この箇所の空堀見学が全てと言っても過言ではないものとも感じられたが、赤松氏によって険峻な山上に築かれた山城には、これからも決して期待を裏切られる様な事はないと再認識させられたのである。

9_kita_dorui 北大土塁見所

11_kita_daikarabori_1 11_kita_daikarabori_5 大空堀見所

16_kitakaku_doruiato_1 北郭の土塁跡見所

20_shukaku_kita_heki 主郭北切岸

27_horikiri_2 大堀切見所

30_higasikaku 状態の良い二ノ郭

29_horikiri_heki凄い! 堀切壁

城跡は兵庫県神崎郡神河町杉にあって、先にリポート掲載を終えた高峰城を起とすればその位置も分かり易いとは思われるが、ここから国道312号を走り約5km北上した地点にある「大山小学校」を目印とすれば良いだろう。校門に繋がる道路沿いには城址案内板が設置されているので、東に聳える城山は直ぐ確認出来る筈である。直登ルートはルート図に示した赤線を辿れば良いが、現状植林地となっているこの谷状地形を登るルートは、近年の間伐によって放置された木々あるいは倒木が多く、前が開けているので目標は定め易いが、相当足元に気を使わなければならない。個人的には北側から林道を利用して登り始めたが、こちらも同様に放置木々が多く、挙句に藪漕ぎも強いられたので、これから挑まれる方には、迷わず藪漕ぎのない前者のルートで上ることをお勧めしたいのである。ただどこから登っても激斜面の直登である事には変わりは無いので、事前に登山する覚悟とそれなりの準備が必要とは思われる。

2011年3月19日 (土)

遺構見学も登山も楽しめる 矢筈山城跡(兵庫県西脇市)

城跡は兵庫県西脇市高田井にあって、標高363mの矢筈山山頂部が主郭と見受けられたが、この地を含めた南北三峰を頂点として派生する、痩せ尾根上に郭が展開されたものであり、尾根上削平地も含めた城域は軽く500mには達しそうに思えた。

城跡を京阪神側から訪れる為の最寄の自動車道乗降口は「滝野社」ICで、そこから県道17号へ進入して北上すればよい。最終的に一般道346号へ針路変更する事になるが、高田井町に入ればルート図を参考にして、登山口手前にある「松岡神社」を目印として向かえば、駐車場までは難なく辿り着けるとは思われる。登山口には2008年に「矢筈の森公園」として整備された事を物語る案内板も設置されており、山頂の展望休憩所には城跡における縄張り略図と、城史に関しての説明書きまで掲げられている事から、愛宕神社参拝も兼ねた登山を楽しむ事はもちろんではあるが、史跡(山城遺構)として認識を含んだ上での公園化事業とも感じられたので非常に好感が持てた。ちなみに山頂までの所要時間は登山口から25分程度と思って頂ければ良いだろう。

1_1 登城ルート

4_1 登山口進入路

7_bunkiten_annaiban_1 登山ルート案内板

1_2_2

現地案内板より

1_3_3 城跡概念図

この山城も先にリポート掲載を終えた鶴居城と同様に、個人的には山城としての認識はありながらも、比高(約280m)が相当ある事、あるいは相当な藪城が予想された事を理由に、訪問を随分先送りにしていた経緯がある。今回はやっと本腰を入れて、今まで避けてきた険峻な山城にも照準を合わせた山城巡りを敢行する事になったが、意外にもこの城跡は、山城としてみれば賛辞の言葉を失うほどの保全整備された素晴らしい状態にあった。もちろん多くの藪化の進行した山城と比べた上での話しになるが、現状(二月)公園化によって新設された見事なまでの上り易い登山道、南北尾根の端から端までの城域全てに渡って満遍なく歩き回れる状況は、城跡遺構の見応えには多少欠けたとしても、まだ未訪の方には是非お薦めしたい山城の一つと目には映ったのである。

17_minami_kaku_1 社殿の建つ南郭最高所

9_2a 素晴らしい見事な眺望

26_nakakaku 中郭群

30_shukaku_1 中央峰の主郭見所

34_horikiri 北堀切見所

45_minami_kaku2_dorui 南段郭の土塁跡見所

52_tatehori 南尾根郭の堀切見所

当時の遺構として目に留まったものは、郭跡を除けば堆積物によって深さの失われた二本の堀切、長年の風化によって曖昧と化した切岸、土塁跡と、非常に数が少ないのが現実でもあるが、山頂からの眺望は素晴らしいものであり、城としての機能失って以来、風化に任せるがまま現在に至ったと思われる遺構群の残存度は高く、当然当時に思いを馳せる事は容易いものと感じられた。更に険峻極まりない山頂に自然露岩を郭壁として取り込んで築かれたその佇まいからは、鶴居城と同様に常に自分がイメージとして追い求めている「天空の城」を感じ取る事が出来たのである。

2011年3月17日 (木)

前坂北山城/石原北山城(兵庫県西脇市)

この二城は兵庫県西脇市にあって、前坂北山城跡は黒田庄町黒田、石原北山城跡は黒田庄町石原にあるが、ルート図を見ればお分かり頂ける様に加古川を挟んで両城は対峙している。共に山上を主郭としたものと見受けられたが、規模は小さく機能としては物見あるいは狼煙台程度が想像されるものでもある(推察)。二城共に城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた友生山城を起点とすれば分かり易いとは思われるが、前者の前坂北山城は友生山城から見れば前坂集落を挟んで真北側に聳える低山山上に位置しており、国道175号に進入して北上した場合「中央橋」交差点を右折、後は赤ラインを辿れば直登口とした蓬莱峠までは迷わず辿り着けるだろう。ここから北斜面に取り付いて上る事になるが、先達の方がマーキング用に残した赤テープを頼りに上れば、多少の藪漕ぎは余儀なくされるが、迷わず山上主郭へは辿り着けるとは思われる。個人的には南尾根上も覗いて見たかったのでこのルートを選択したが、参考ルートとした配水所経由での直登ならば、最短で山上に辿り着けそうには思われた。後者の石原北山城へは「中央橋」交差点を左折して入山口となる「大国神社」を目指せばよいが、社殿脇から鉄塔メンテナンス道に任せて上れば、迷わず山上(15分内)へは辿り着ける筈である。

3isi 登城ルート

まず前坂北山城の現状(一月)をリポートすれば、山上本郭群の形態はほぼ単郭構造としてよいものであり、尾根を遮る堀切の類は施されてはいなかった。もちろん草木の密生する斜面下までは覗いていないので、本来の実態までは分からないのだが、、、直登ルートとなった南側尾根上では、明らかに削平地らしき跡、及び鞍部を形成する巨大な一枚岩盤を通過する事になったが、これらが当時城の一部として機能していたかどうかまでは想像にも及ばないものである。

7_tyokutokuti_touge 直登取り付き口(蓬莱峠)

1route_1 前坂北山城跡概念図

17_anbu_rogan_1

鞍部の一枚岩盤

19_sanjyou_kaku 山上主郭

石原北山城は明確な切岸跡(風化も含む)が現状確認出来なかった事もあって、その形態は掴み難く説明し難いが、山上は削平だけに終わったものであり、斜面上は生い茂るシダや低草木の為に切岸跡すら確認出来なかった。ただ山上からの眺望がある程度利く事もあって、山城の風情は多少でも味わう事が出来たが、それ以上は城跡として何も感じる事が出来なかったのが本音ではある。この山城の情報は現状皆無に近いものであり、城域がどこまでの範囲に及んだものかは知る術もないが、個人的に見た限りでは中腹に位置する削平地(画像に注目)が一番城跡らしく感じられたものであり、城跡の中枢にあたるもの(主郭か?)と目には映ったのである。安普請で築かれた城跡と見受けられ、残存遺構に多くの期待は出来ないが、この二城を個人的に評価すれば、播磨地方における城跡に興味を持っておられた方にとっての所在地の確認、及び現状報告が出来た事で良しと言った処か、、、

Isihara 大国神社

Isihara_1 奥の社殿

Isihara_2 中腹の郭跡

Isihara_3 山上郭

2011年3月15日 (火)

播磨 奥城跡(兵庫県神崎郡)

城跡は兵庫県神崎郡市川町奥にあって、遠くから望めばほぼ独立した形で聳える標高224mの山頂に位置している。この城跡から北側のほど近い距離に谷城が位置している事を思えば、自ずとその支城あるいは赤松氏関連の山城と推察は出来ようが、現状所在地の判明すら難しい無名に近い山城とあってか、情報は皆無に近く、城史に関しての詳細は不明でもある。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた谷城(永良城)を起点とすれば分かり易いが、国道312号を進行し「市川新橋」を西へ渡り、「大歳神社」傍を通過して城跡を目指せばよいだろう。城跡の真北側には「サンライズ工業」の大規模な建物、及び広い敷地があるので、その直ぐ背後に聳える城山は直ぐ確認出来るはずである。入山口は道路沿いからも見える位置(画像に注目)にあり、ここから始まる山道を利用して上り、途中からは山上に向いて直登する事になるが、藪漕ぎもなく迷わず山上へ辿り着けるとは思われる。(10分内で)

1_1 登城ルート

6 入山口

Okujyou2 城跡概念図

城跡の形態は小規模な事から縄張りは掴み易く、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えなさそうに思われるが、遺構として一番判別し易い空堀の類は目に留まらなかった。総全長50mにも満たない小規模な城跡は、郭高低差はほとんど無きに等しいものであり、段差程度の高低差で僅かに主郭とその周囲を囲む帯郭壁、あるいは南端段郭で切岸跡が窺える状況でもある。斜面上の段郭群の段差も曖昧なものとなっており、この段郭群の構成はほぼ想像に委ねられる状態と思って頂ければ良いだろう。

9 10_shukaku_heki 主郭の僅かな切岸

13_shukaku 主郭内部

18_nantan_kaku 南東小郭

現状(二月)城跡の一帯は植林地となっているお陰で見通しも利き、比較的見学し易い状況にあるが、城跡を個人的に評価すれば、険峻な山容から窺える様に、山上に佇めば山城としての風情は充分味わえるが、堀切あるいは高低差のある切岸などの様に、遺構の醍醐味に直接触れる事はまず出来ないものと思えた事から、赤松氏関連の城跡に興味を持たれた方が覗く分には、訪れても決して無駄足に終わるものではないと見た。

2011年3月13日 (日)

粟賀高峰城跡(兵庫県神崎郡)

城跡は兵庫県神崎郡神河町粟賀(アワガ)にあって、「慈増寺」南西背後の丘陵上に位置している。この城跡は赤松氏一族の一人でもある伊豆孫四郎祐国の居城が伝わっており、この一帯の赤松氏の息のかかった城と同様に秀吉によって攻略されている。文献資料による違いはあるが本来は高峰城(粟賀城)と呼ばれており、今回は同じ郡内に同名の山城が存在する事もあり、区別する為に城跡呼称は地域名の入った「粟賀高峰城」とさせて頂いた。

この山城の本郭群だけに限れば、その形態はほぼ概念図に示したものに近いと思って頂ければ良いとは思われるが、シダの蔓延る現状、踏破した範囲の中で自身が判別確認出来た遺構だけを概念図に示した。蔓延るシダで郭壁あるいは斜面上は地表も見えない箇所も多々あるので、縦堀遺構に関してだけは、これだけに止まるものではないと思って頂きたい。

1_2 登城ルート

5 慈増寺(居館伝承地)

9_2 直登ルート

1_3 城跡概念図

この城跡の見所は判別し易い状態にある堀切、土塁跡、及び石垣跡で、縦堀に繋がる堀切は合計三本お目にかかることが出来る、他の縦堀に関しては必然性を含んだ明瞭なものだけを図中に記したが、それらしいものは他の斜面でも数本確認できる筈である。意外に思われたのは石積が残されていた事で、露見している場所は限られる(主郭西壁)が、郭壁となる土中を掘り起こせば、まだまだ眠っているものと思われたのである。現状(二月)斜面上はシダや低草木が相当蔓延ってはいるが、山上(植林地)においてはある程度見通しが利く事から、山城としては比較的見学し易い状況となっている。郭内部は荒れ放題の様相からも、相当地表風化は進んでいるが、城としての機能を失ってから現在に至るまでのほぼ手付かずの本郭群に関しては、ほぼ完存に近いものと見受けられた。よって状態は良いとは言えないが、遺構残存度は非常に高いものと目には映ったのである。

11_kitakaku_heki 北郭群の切岸

16_kita1_dorui 北郭土塁跡見所

22_horikiri_yori_zenbou 堀切から北郭の土塁見所

28_shukaku_dorui_1 主郭の土塁見所

30_sita_horikiri 南堀切を見下ろす見所

39_nanseu_isigaki_1 石垣跡見所

36_minamikaku_yori_shukakuheki 南郭大土塁見所

37_nantan_horikiri 南端の堀切見所

個人的に城跡を評価すれば、規模は小さいが見所満載でもあり、山城としての佇まいや遺構の醍醐味は間違いなく味わえるものと感じられた事から、この山城も是非お薦めしたい城跡の一に付け加えたいと思うのである。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた柏尾山城を起点とすればその位置関係は把握し易いとは思われるが、車を預ける事になる慈増寺(この一帯が居館伝承地)から見れば真西に聳える山が柏尾山にあたる。京阪神側から訪れるのであれば、まず国道312号へ進入する事が先決となるが、ルート図を参考に「慈増寺」を目指して進行すればよい。地元で事前に山道の有無を確認したところ、地元の方はもちろんの事、現在城跡を訪れる方は皆無に等しいと言うことでもあり、山全体に蔓延るシダを踏み分けての直登は余儀なくされるのが現状でもある。直登取り付き地点は概念図に示した「慈増寺」の南西背後にある小さな沢を渡った場所からで、ここから縦堀地形に沿いながら上れば(一番シダが少ない)、15分程度で山上へは辿り着ける筈である。

2011年3月11日 (金)

波賀野城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市波賀野にあって、先にリポート掲載を終えた栗栖野城から見れば、国道176号線を挟んで丁度真西側に対峙した形となっており、その対峙した山の山頂に位置している。城史に関してはこの一帯を古きより領地とした酒井氏一族の居城が伝わっているが、詳細は不明。

城跡を訪れるには国道176号へ進入する事が先決となるが、栗栖野城を起点とすれば位置確認は容易いとは思われる。登城スタート地点となるのは国道沿いにある公民館の脇道からで、稲荷神社の鳥居を目印とすれば分かり易いだろう。車は公民館横の空きスペースを少しの間借りれば良いとは思われるが、ここから鉄塔メンテナンス道への入山口まで少し歩き、道に任せて鉄塔のある尾根まで出れば、後は山上まで繋がる踏み跡程度の山道に従って上るだけで、迷わず主郭までは辿り着ける筈である。ちなみに10分程度の所要時間

1h 登城ルート

4_2 登山スタート地点の公民館

3

城跡概念図

現状(二月)城跡は自然任せの荒れ放題となっており、堆積物などによって切岸も曖昧と化しており、主郭内部に至っては相当な凸凹地形となっており、現状を見る限りでは削平されていたとはとても思えないほどの様相となっている。冬季訪問ともあって雑木のほとんどが枯れ木と化しており、郭移動にはそれほど難渋はしないが、踏み跡から一旦外れると木々の隙間を縫っての探索は余儀なくされるのが現実でもある。形態はほぼ概念図に示したものに近いと思って頂いても良いとは思われるが、小規模な主郭に小郭が数段付随する程度の山城であり、堀切は南北二箇所に備わってはいるが鋭角に刻まれたものではなく、見応えにはほど遠いと言った処か、、、ただこの山城は上り道中の長く連続する尾根上、あるいは南側尾根上にも明らかに削平されていたと思われる郭跡が繋がっており、城域は相当広く感じられるものであり、小規模な山上郭群を詰城あるいは物見(狼煙台)機能とすれば、充分納得のいく縄張りプランであるかとは感じられるのである。

15_tatebori_e_1_2 北堀切見所

17_shukaku_1 主郭の現状

19 主郭切岸

21_horikiri_ato 僅かに判別可能な南堀切

24_minami_onekaku 南尾根削平地

城跡を個人的に評価すれば、城跡遺構に縄張り妙味も見応えも感じる事は出来なかったが、既にリポート掲載を終えた南矢代城、栗栖野城などとはほど近い距離にある事から、これらをまだ未訪としている方には、酒井氏一族の築いた山城巡りの一環として訪れる事をお薦めしたいのである、又違った意味で楽しめるのではないだろうか。個人的には酒井氏の築いた山城は全て踏破したが、縄張りプランに対して共通して言える事は、同じ篠山市内にある数多い山城と比べても、非常に防備に手薄な城跡と目には映ったのである。

2011年3月 9日 (水)

坂本砦/西脇砦(兵庫県神戸市)

この二城は何れも砦跡として伝承の残る山城であるが、二城共に兵庫県神戸市北区山田町にある。坂本砦は永徳寺砦とも呼ばれるように永徳寺背後に聳える低山山上に位置しており、西脇砦は日の峰ニュウタウン街側から見れば真西にある西脇山の山上に位置している。この二砦に挟まれた形で既にリポート掲載を終えた山田氏の居城と伝わる東下城(山田城)がある事を思えば、自ずと東下城の出城とも窺えようが、城史に関しての情報は現状皆無に近いものであり、推察の域は出ないものでもある。

まず坂本砦跡を訪れるには東下城を起点とすれば分かり易いが、国道428号へ進入する事が先決となる。国道からは県道85号を経由してルート図の如く「永徳寺」を目指せば迷わず辿り着く事が出来るが、奥の院までは山道が繋がっており、その背後斜面を直登すれば5分内で山上主郭までは辿り着く事が出来る筈である。この城跡はほぼ単郭で成立した山城と見受けられるものであり、山上は現在でもほぼフラットに近い広大な削平地でほとんど占められている。北西側に下りた位置にある集合墓地付近の規模の大きい削平地、あるいは寺院敷地も当時の郭転用地として見れば良いのかも分からないが、砦と言う事を考えれば少し城跡を過大評価したものかも知れない、、、、

Sakamoto 坂本砦登城ルート

6_2 進入路

3 城跡概念図

11_shukaku 山上主郭の現状

12_kitakaku 北郭

西脇砦跡を訪れるには国道428号の「日の峰5丁目」の信号から南下して、ルート図に示した赤線を辿れば城跡のある西脇山へは迷わず辿り着ける筈であるが、現状山上郭(主郭に相当)の周囲には私有地として厳重な鉄格子が張り巡らされており、中々人を寄せ付けない状況となっている。自ずと「立ち入り禁止看板」の掲げられた主郭内に踏み入る事は出来ないが、砦跡とするからには遺構の醍醐味には余り期待出来ないようにも思われるのである。取り合えず立ち入り禁止区域外においては、概念図に示した様に削平地、あるいは鉄格子に沿って空堀、土塁地形だけは目に留まった。ただこれが当時を物語る遺構かどうかまでは分からないが、、、? ただ北尾根上に連続する削平地、あるいは主郭西側削平地の規模から推察すれば、それなりの城域を持った山城とだけは理解出来たが、堀切が備わっていてもおかしくないと思われた南側尾根も踏み入る事の出来ない状況となっているので、堀切の有無までは確認していないのが現状である。

1route 西脇砦登城ルート

2 進入口

1 城跡概念図

3_2 空堀、土塁地形か?

4 5 北尾根上の削平地

個人的にこの二砦跡を評価すれば、東下城がまだ未訪の方に限れば、移動距離が少なくてすむ事から当然三城併せた同日訪問はお勧め出来ようが、二砦跡の訪問であれば、砦跡としての風情、あるいは佇まいを味わう程度でよしとする、割り切った訪問が必要となる様な気がするのである。尚、ルート図中にある箕谷城跡へは訪れる事が出来なかった(忘れた)が、城跡公園となっているらしいので参考までに、、、、

2011年3月 7日 (月)

近江寺砦跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市西区押部谷町近江にあって、国土地理院地図の中では「トーシン山」と記載されているその山の山上に位置している。近江地区と西盛地区との境界上にあるのか、文献資料によっては西盛城とも呼ばれているようだが、付近にお住まいの年配の方数人に城跡の情報を求めた結果、地元ではその存在すら認識されていない山城の様に見受けられた。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには県道22号へ進入する事が先決となるが、交差点「西盛口」で83号へ針路変更(明石側)、そこからは「JA六甲押部」を目印として進行し、そこを過ぎて直ぐに左折すれば自ずとルート図中にある入山口までは辿り着けよう。入山口からは鉄塔メンテナンス道を利用して上れば、10分内で迷わず主郭までは到達可能である。

1_2 登城ルート

6 入山口進入経路

1_3 城跡概念図

城跡の大雑把な形態はほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われるが、枯れ枝の隙間を縫っての移動は余儀なくされる状況、あるいは見通しも利き難い化の深刻化した状況(二月)を考えれば、本郭周りだけの探索で精一杯の状況にあるのが現実でもある。その中で特に目に留まった遺構だけを概念図中には示したが、広大な規模を誇る主郭の東側には、長年の風化によって随分深さも高さも失われていると思われた、分厚い土塁を伴う空堀(横堀)、西側には尾根を断つ縦堀に繋がる堀切、おまけに主郭周囲には全て帯郭が張り巡らされており、砦の域を充分はみ出た防備機能には驚きは隠せなかった。もちろん砦規模の山城としての認識から、最初から遺構の期待は捨てて臨んだ事もあるが、、、

19_karabori_dorui_2 19_kitagawa_karabori 空堀、土塁見所

25_shukaku 主郭の現状

23_kitakaku_karabori 北郭の空堀見所

28_nisi_horikiri_dorui_2 西堀切見所

30_kita_obi_1 周囲を廻る帯郭見所

城跡を個人的に評価すれば、前述の土塁、空堀遺構だけが唯一の見所とも言えるが、自然任せで現在まで至った遺構群に関しては、ほぼ完存と目に映った事からも、城跡の遺構残存度は非常に高いものであり、現状を踏まえた上では「藪をものともしない山城ファンの方にだけは充分お薦め出来る城跡」と言う事になろうか、もちろん夏季訪問は出来るだけ避けた方が無難とは思われるが。

2011年3月 5日 (土)

イメージは正に天空の城、山頂には未だ石垣跡 鶴居稲荷山城跡(兵庫県神崎郡)

個人的にこの山城に関しては、5~6年振りの再訪を果たした飯盛山城と同様に、既に山城としての所在地あるいは石垣が残る山城として認識はあったが、播磨地方に共通して言える相当な藪城が予想された事、あるいはその比高(約300m)を考えれば、中々訪問するまでには至れなかった。今回は飯盛山城を再訪した事が幸いしたのか、車窓から鶴居城のある稲荷山(標高433m)を望めば、山頂の木々がほぼ伐採されて平坦に見えた(飯盛山城からも充分窺える)事から、山上主郭は最近整備された状況が予想され、早速今回は日を改めた訪城となった。

結果的にこの山城は外見から窺えた様に、近年山上主郭と東斜面は木々が取払われ整備されたものとなっており、南麓から山頂までは整備された登山道までも備わっていた。もちろんこの山城のビフォアーを知らないので、最初から登山道だけはあったのかも知れないが、トレッカーあるいは山城ファン、あるいは史跡ファンの方々にとっても、この現状は非常に有り難い、これ以上ない贈り物となった様な気がするのである。ここまで整備された状態に持ってこられた「鶴居城山城址の会」の方々、及び地元有志の方々のご苦労、あるいは史跡保全意識に対しては、感謝と敬意の気持ちを込めて、久し振りに「山城賛歌」を贈らせて頂きたい(個人的には最大の褒め言葉のつもり)。

1route 登城ルート

5 登山口進入路

2x 登山口の城史に関しての説明書き

1_3_2 城跡概念図

この山城を語り出せば限がなくなるが、とにかくこの険峻極まりない山頂に佇めば、四方に眺望が利く素晴らしいロケーションを堪能する事が出来る筈である。更に探せばいくらでも見つかりそうな主郭東斜面随所で窺われる石垣跡、あるいは南郭群の郭壁に施された石垣跡、北尾根を断つ二連の堀切郭切岸と、遺構は決して目白押しとは言えないが、充分当時に思いを馳せる事が可能であり、険峻な山頂に位置する戦国期山城を登って体感する事も出来、同時に自然と触れ合いながらの山登りも楽しめて、更に縄張りを含めた山城の醍醐味は間違いなく堪能する事が出来る様にも感じられた。当然播磨地方においても近畿地方においても、訪れて決して期待はずれに終わるとは思えない、正に推奨に値する山城と自分の目には映ったのである。概念図には踏破した範囲内で目に留まった遺構は全て記したつもりでいるが、急峻極まりない周囲の斜面上は踏破出来ずに終わっているので、残された遺構(特に縦堀)もこの限りではないものと思って頂きたい。この山城の形態から考えても更に多くの遺構は望めないような気はするが、、、、

23_dorui 南郭群の石垣跡と土塁見所

35_touheki_isigaki_gun_1 主郭東壁のまとまった石垣見所

36_touheki_isigaki 主郭角の石垣跡

42_shukaku_2 42_shukaku_3 山上主郭の現状

46_kitakaku_yori_shukakuheki 北郭から見た主郭切岸見所

50_kita_horikiri 北堀切1見所

54_hokutan_horikiri_2 北端堀切2見所

城跡は兵庫県神崎郡市川町鶴居にあって、稲荷山城とも呼ばれる様に稲荷山山頂に位置している。その位置は先にリポート掲載を終えた飯盛山城を起点とすれば、直ぐ分かるとは思われるが、この山城の西麓にある「市川大橋」を西に渡り、後はルート図に記した赤線ルートを辿れば、分かり易く墓地の先にある登山口までは辿り着けるだろう。登山口から山頂までは1km以上の距離があるが、最初からトレッキングも同時に楽しむ事とすれば、それほど距離も苦には感じられない筈である。ちなみに山頂までは眺望を楽しみながらゆっくり登り、尾根上の南郭群、その郭壁の残存石垣跡も味わいながら登ったとして、40分から50分は要すと思って頂ければ良いが、山上に佇めばそれまでのしんどさは一掃されるものとも思われるので、飯盛山城をまだ未訪の方には、二城併せた効率の良い訪問は是非考慮して頂きたいと思うのである。

2011年3月 3日 (木)

佇まいだけは一見の価値あり! 播磨飯盛山城跡

城跡は兵庫県神崎郡市川町屋形にあって、名が語る様にほぼ独立した山塊の標高216m飯盛山山頂に位置している。この山城もこの一帯にある多くの山城と同様に赤松氏の拠った城跡と伝わっているが、この規模と機能から推察すれば出城(砦)という事で落ち着くのかも知れない、、、城史に関しての詳細は不明

この山城に関しては個人的には既に5~6年前に訪れており、今回は国道移動ついでの再訪という形になったが、現況報告としては情報が古いせいもあって、今までリポート掲載は断念していた経緯がある。前回は正月に訪れたせいもあってか、山頂には国旗が翻っていた記憶があるが、現在でも山上からこの地域一帯が見通せる事から、恐らくこの山城は町内における象徴としたものの様にも感じられた。往時においても山上主郭から集落の全域が見通せたであろう事から考えれば、水道としての市川、あるいは市川に沿った街道筋に目を光らせていた山城という事になるのかも知れない、、、、国土地理院地図にも城址マークが記されている様に、史跡ファンの方、あるいは城跡ファンの方には充分認識のある山城と見受けられる。

1_1_3 登城ルート

6_1 登山口

3iimori 城跡概念図

城跡の形態はコンパクトであることからも、ほぼ概念図に近いものと思って頂ければよいと思われるが、この山城を一言で語れば「空堀などの防備機能などは一切必要としない崖状急斜面及び天然の巨岩によって周囲が固められた、要害堅固を地で行く天然の山城」と言う事になろうか、、、見所は山城の佇まいも含めた全と言っても過言とは思えないものであり、虎口を形成したと思われる一対の天然巨岩、主郭最高所にある物見に利用されたと思われる荒々しい巨岩、主郭下段には腰郭、主郭に佇めば全方向に見通しが利く築城環境と、全てが当時のまま現在に至ったものの様に思えるのである。この山城に規模や縄張り妙味は決して問いただしてはいけない、規模は小さいが存在そのものに充分値打ちが感じられ、まだ未訪の方には是非訪問をお薦めしたいのである。もちろん規模や縄張り妙味は最初から絶対に問わない事が大前提とはなるが、、、9_inari

稲荷神社を通過して山上へ

16

虎口門の代用か?巨岩見所

20_shukaku

21_1 山上主郭見所

21_shukaku_minami 主郭南側

23_nisi_obi_2 西帯郭

25_nansei_kaku_3 西郭

城跡を訪れるには、登城ルート図でほぼお分かり頂けるとは思われるが、国道312号を走り「市川大橋」を目指せば難なく付近までは到達出来よう。登山口には道標(画像に注目)が掲げられている事から、山上までは迷わず辿り着けるだろう(10分程度)。尚、概念図には記したが西麓には史跡公園の様なものが造成されていたので参考までに、、

2011年3月 1日 (火)

加茂小山城跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市加茂にあって、青野ダムのある「千丈寺湖」に面しており、標高約270mの低山山頂に位置している。現状城跡に関しての情報は皆無に近いものであり、城史に関しての詳細は全く不明の山城でもある。

城跡を京阪神側から訪れるには三田市内を南北に走る国道176号を進行すればよいが、ルート図の如く広野付近の交差点からは二通りの訪問ルートを選択出来る。土地勘のない方には少し遠回りにはなっても、分かり易い「青野ダム」傍を通過して赴かれる事をお勧めしたいが、直登取り付き地点は概念図に示した土砂採取現場(現在休業中)からとなる。ここから10分内で城跡までは辿り着けるが、現状(一月)冬季にも拘らず、冬枯れはしているが城跡全体を覆う雑木(枯れ木が密集)によって、山上主郭まで到達するには木々の隙間を探しながらの藪漕ぎは余儀なくされよう。もちろん縄張り内の全てがこういった状況という訳ではなく、山上主郭の一部と帯郭、北郭はそれほどの状態までには至っていないと思って頂ければ良いだろう。

1_2 登城ルート

5_minami_tozanguti_1 城跡取り付き口

1_3 城跡概念図

城跡の大雑把な形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いだろうが、主郭周囲の斜面上までは生い茂る草木によって踏破確認は出来ず、残された遺構もこの限りではないものと思って頂きたい。判別し易い当時の遺構あるいは見所として挙げられるのは、郭跡を除けば南郭群の中央を遮る土橋付きの堀切、馬出しの様にも見える出郭に僅かに残る土塁跡、風化中にあって分かり辛い縦堀地形、主郭西側に施された土塁を伴う横堀(画像に注目)などと、それなりに見学者の目は楽しませてくれる筈である。主郭の規模も相当広いものであり、踏破した範囲内で目に留まった北段郭群、主郭周囲を取り巻く帯郭(三段程度か?)を窺えば、本格的普請によって築かれたものと言う事も分かり、砦の域は随分はみ出た城跡である様に自分の目には映ったのである。

8_dobasi_horikiri 南郭の土橋付き堀切見所

10_minami_kaku_1 南郭の現状

14_shukaku_nai 主郭の現状

20_nisigawa_obi 西帯郭

19_nisi_dorui_karabori_ato 主郭西側の空堀地形見所

17_kitakaku_gun_1 北郭群

城跡を個人的に評価すれば、ほぼ自然任せで数百年の年月を刻んだと思われた手付かずの遺構群に対しては、遺構残存度は非常に高いものとも見受けられたが、現状における化、地表風化の相当深刻化した状態を考えれば、藪漕ぎをものともせず縄張りあるいは遺構に対して探究心を燃やせる山城ファンの方だけが、訪城の対象となる山城の様にも感じられたのである。もちろんこの山城リポートに興味を持たれた方も対象とはなるが、、、

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