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2011年2月13日 (日)

栗栖野城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市栗栖野にあって、落山と呼ばれる大歳神社の南背後に聳える標高約300mの山上に位置している。中世この一帯は酒井氏の領有する地域でもあり、既にリポート掲載は終えたが南八代城、高仙寺城(松尾山城)、大沢城、あるいは少し南下した位置にある油井城などが、「酒井党」と呼ばれて分派した一族の築いた山城にあたる。今回訪れた山城は栗栖野酒井氏の拠る城跡であるが、天正期における明智光秀の丹波攻略では波多野氏同様滅亡への道を辿った歴史が伝えられている、もちろん各地に分派しているので一族郎党全てが滅亡した訳ではないが、、、

城跡を訪れるには、ルート図の如く国道372号へ進入する事が先決となるが、「栗栖野」交差点から少しだけ南下した箇所より、東の狭い生活道路へ進路変更して、大歳神社を目印として目指せば、迷わず社殿脇の登山口までは到達出来るとは思われる。ここからは山上の二ノ郭に建立された「地蔵堂」に向けて繋がる参拝登山道を利用して上れば、15分程度で山上主郭へは辿り着けるだろう。

1_2_2

登城ルート

4 ルート図に記した「栗栖野の残石」

6_ootosi_jinjya 登山口

3ku 城跡概念図

この山城は非常にシンプルな形態からも縄張りは掴み易く、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、山上本郭部は主要二郭で形成され、それに付随した帯郭も含めて数段の小郭で構成されたものであり、山上郭群だけを取り上げれば非常に小規模な城跡と言う事にはなるだろう。ただ登山道中の尾根上に展開される削平地、あるいは「若林寺」背後における枝尾根上の削平地も縄張り(城域)の一部として取り込めば、山上から山麓の寺院敷地までが当時における城域と言ってよいのかも知れない(推察)。

10_horikiri 北堀切見所

16_2maru_nai 二ノ郭内の地蔵堂

18_kitakaku 北郭

20_shukaku_1 主郭内部の現状

23_obi_gedan2 廃材の放置された帯郭

28_nantan_horikiri 南端の堀切見所

見所は概念図には記したが、南北二箇所に施された堀切は、薬研堀の様に見応えのあるものにはあらず、縦堀地形からそれと分かるものであり、見応えには程遠いものでもある。南端の堀切は自然露岩を以って堀切壁とし、更に尾根を土橋状に削った構造から堀切だという事は分かるが、これもV字形の堀切ではないので、遺構としての見応えには少々欠けるかも知れない、、、ただこの城跡の醸し出す風情は、山上に山小屋が建てられているせいもあってか、当時櫓台にプラスした建物の想像も付き易く、当時に思いを馳せる事は容易い状況にあるので、主郭から一帯の眺望が利く事も含めれば、非常に値打ちのある山城と自分の目には映ったのである。よって登山道で迷わず登れる事も併せれば、充分お薦め出来る城跡の一つと言う事にはなるだろう。

現在個人所有地とも見受けられた敷地(主郭跡)には山小屋風のウッドハウスが建てられており、便宜上の二ノ郭には地蔵堂も建てられている。主郭内部及び西斜面の帯郭に放置された多くの工事用廃材が物語る様に、近年大掛かりな工事が付近で行われたものとも見受けられたが、個人的に地形を窺う限りでは、大した地形改変までには至っておらず、縄張りとしての祖形は失われないまま現在に至ったものの様には見受けられたのである。山小屋の建つ主郭は個人所有地とも見受けられ、現在は無住の状態であったので勝手に通過させてもらったが、これを機に訪れる方も同様に、自己責任において立ち入る事が必要だとは思われる、、、

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