« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月27日 (日)

北端の穂坪城まで繋がる城砦群か 鴨野城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市柏原町鴨野にあって、既にリポート掲載を終えた穂坪城高見山城に挟まれた形の、突出した標高208mの山頂に位置しており、その山上本郭群から西南に延びる尾根上、あるいは北東尾根上を縄張りとするものである。現状城史に関しての情報は皆無に近いが、先に挙げた穂坪城あるいは高見山城との関連性は多少窺えるのかも知れない、、、

城跡を訪れるには高見山城を起点とすれば分かり易いが、ルート図に示した様に国道176号を走り、柏原町「下町」の交差点で209号へ針路変更すれば良い。城跡への最短直登取り付き口は、峠を僅かに下った場所にある集合墓地からで、その背後斜面を上り切れば縄張りにおける先端の西郭には5分程度で到達出来る筈である、ちなみに山上主郭までの所要時間は、西尾根上に残された西郭群の遺構を見学しながら向かったとして、所要時間20分程度と思って頂ければ良いだろう。

1_5 登城ルート

1_6 城跡概念図

9_anbu_horikiri_3 西端掘切見所

18_obi 西出郭切岸と帯郭

16_hakohori 西箱堀

17_tatehori 縦堀見所

26_2maru_1 山上二ノ郭

30_2maru_heki

二ノ郭切岸と帯郭

27_2maru_yori_shukaku_heki_1 主郭東切岸見所

この山城の形態は、ほぼ地形任せに山上尾根を削平したものであり、縄張り変化には富んでいないが、明らかに突出した形の山上本郭群と西尾根上の郭群は、個々が独立した形を採っており、更にこの山上郭群からは北東尾根先端にまで郭が展開されているのである。この郭群は便宜上鴨野北郭群としたが、既にこの尾根上は年を別にして踏破しており、城域は非常に広いものとも見受けられた。現状(二月)城跡は冬枯れした状態にあるので、見通しが利き、歩き回り易く、山城としては比較的見学し易い状態にあり、概念図に示したものが今回踏破に及んだ範囲、あるいは判別確認可能であった遺構群と思って頂ければ良いだろう。見所を挙げれば、さほど深くない二本の縦堀を含む堀切といった事になろうが、薬研堀ではないので見応えには多少欠けるかも知れない。しかし山上本郭群の比較的状態の良い切岸、便宜上の西出郭の様相(虎口と切岸)と並んで充分目は楽しませてくれる筈である。先に触れた北郭群には土橋付き堀切を含め、二箇所に堀切が施されており、此方も山上本郭群から見れば当然城域の一部であり、北出郭(出城)として決して見逃してはならないものと感じられた。尚、山上からこの北郭群に至るまでの中間尾根上、あるいは北枝尾根までは踏破する事が叶わなかったが、郭の展開は充分考えられるので、残存遺構も決してこの限りではないものと思って頂きたい、それほどこの城砦群は懐が深いものの様に自分の目には映ったのである。

Photo 鴨野城北郭群

1 北郭端の堀切見所

2 土橋付き堀切見所

3 山上北郭TOP

城跡を個人的に評価すれば、藪化は進行中にあるが、遺構の判別し易さ、西出郭までの最短到達時間、都合三城(北、西、山上)の山城遺構を味わえる醍醐味、更にそれぞれの機能の想像も含めれば、決して期待はずれに終わるとは思えなかった事からも、山城ファンの方においては、当然非訪門をお薦めしたい城跡と言わざるを得ないだろう。

2011年2月25日 (金)

木戸山城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市氷上町長野あるいは柿柴にあって、ほぼ単独で聳える小山の山上に位置しており、現在その山上主郭には小さな祠が祀られている。個人的にこの山城に関しては、城跡としての認識は全くなかったが、今回丹波を中心に山城巡りをされている熱心な山城ファンの方から頂いた紹介情報によって、早速この地を訪ねてみる事になった。今回のリポートでは地元の方に接触する事が叶わず、城跡としての情報を仕入れる事は一切出来なかったが、自身が踏破し遺構を目で確認した上で、充分信頼に値する山城情報として確信が持てた事から、早速その現況を報告させて頂く事になった。

城跡を京阪神側から訪れるには国道176号へ進入する事が先決となるが、県道7号を経由すれば「氷上」の信号で78号へ左折進路変更、後はルート図を辿れば難なく付近までは辿り着けるとは思われる(既にリポート掲載を終えた丹波霧山城を起点とすれば分かり易い)。78号の三叉路から入山口は直ぐ目に留まるが、この参拝登山道を利用して上れば、5分程度で迷わず山上までは到達可能となっている。

1_1 登城ルート

5 参拝登山口

3kido 城跡概念図

この山城の形態は、シンプルが故にほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えはなさそうであるが、非常に小規模なものでもある。突出した形の山上主郭は、神社敷地として近年造成整地された形跡が窺われるが、ほぼ郭跡を転用したものとして、当時の祖形は失われていないと見て良いのかも知れない。現状(二月)主郭を除けばその斜面上には相当低草木が蔓延り、小郭などの全体像を窺うには困難な状況となっているが、斜面を上り下りして歩き回れば、何とか狭い範囲の縄張りは把握出来そうには思われた。少ない遺構群にあっては縦堀にも見える(上り空堀道)地形、更にそれに付随する土塁虎口跡郭切岸跡と、何とか目は楽しませてくれるものとなっているが、他で見応えのある遺構に巡り合う事は叶わなかった。仮にこの地を砦(出郭)とすれば、山上には必ず詰城の存在があるものと思われ、更に北山上を目指して上った(比高70m近くまで)が、明確にそれと分かる削平地は窺われたものの、堀切などの様に判別し易い遺構は全く目には留まらなかった。個人的に見た限りでは、露岩を取り込んで形成された山上削平地を含めたものが、木戸山城の本質とも感じられたのだが、少しこの山城を過大評価したものかも分からない、、、、

8 山上へ

10_sanjyou_kaku_1 主郭内の現状

12_kirikisi 切岸跡

14_nisi_obi 西帯郭

20_dorui_koguti 土塁虎口跡見所

23_shukaku_gawa 北郭より主郭側

22_sakuheiti_1 北郭群

城跡を個人的に評価すれば、縄張り妙味は全く感じられないが、砦としての佇まいはとても素晴らしいものと思えた事から、既に城跡として認識があった方の為の所在地の確認、あるいはこれから臨まれる方への現況報告として、今回のリポートが少しでもお役に立てたのであれば、それで良しといった処か、、、

2011年2月23日 (水)

吹出城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市東吹にあって、この一帯は市内にあっては特に城跡のひしめき合う地域でもあるが、住宅に挟まれた低丘陵上に位置している。城史に関してはほぼ無名に近い事もあって、現状情報は皆無に近いものでもあるが、踏破確認に及んだ限りでは、防備機能としては土塁と切岸だけと言っても過言とは思えない、大味な縄張りを持つ大規模な陣城、あるいは居館跡の如き様相の城と言えば、これを機に訪れる方にとって想像付き易いかもしれない。

城跡を訪れるには、過去リポート掲載に及んだ網掛城、吹城を起点とすればその位置は分かり易いとは思われるが、城跡から見れば大池を挟んで直ぐ西側に建っている大きな「岡本病院」を目印として目指せば良いだろう。進入口は概念図に示した道路沿いのガレージ脇からで、近年削られた形跡のある荒地を越えれば直ぐにでも主郭が迎えてくれよう。尚、車の路駐箇所にもよるが、城跡西側にある墓地から上っても直ぐの距離にあるので、見学者にとってみれば、非常に訪ね易い城跡とは言えるだろう。

1route 登城ルート

7 城跡進入口

3s 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、最初に触れた様に、防備に手薄な急造の陣城の如き(推察)様相でもあり、堀切などの様に分かり易い遺構は存在していない。規模の大きい主郭南端には土塁が備わり、その郭壁は切岸処理が施されているので、それなりに見学者の目は楽しませてくれているが、遺構の醍醐味を尋ねられると返答に困るのが現実でもある。現状(一月)城跡は、全域が竹林雑木藪地と化してはいるが、丘城にありがちな密生とまでには至っておらず、非常に見学し易い状態が自然維持されており、目に留まる当時の遺構は土塁と切岸跡だけとも言えるが、ある程度見通しの利く広大な主郭に佇めば、臨場感だけは充分味わえる様な気はしたのである。

12_nisi_kaku 西郭

14_shukaku_nisi_heki 主郭西切岸見所

18_shukaku_2 ほぼフラットな主郭の現状

19_shukaku_dorui 主郭南端の土塁見所

25_higasi_tatedorui 東仕切り土塁見所

城跡を個人的に評価すれば、遺構に醍醐味を求める事は到底出来そうにはないが、篠山市内における城跡巡りの一環として考えた上で、史跡としての価値、あるいは圧倒的お手軽感も含めれば、充分訪れる値打ちのある城跡と言えるのではないだろうか。

2011年2月21日 (月)

池田日向城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市久田美真壁谷にあって、標高132mを最高所とした場合、西側の丘陵尾根先端部に位置しており、その山頂部はまだ未踏ではあるが、池田谷城の名を持つ山城があるらしい事だけは分かっている。自ずと最高所に位置する池田谷城を本郭群とした場合、この城跡はその出城とも見受けられるが、今回は池田谷城までは踏破する余裕がなかったので、この日向城に関してだけの現況リポートとなってしまった。尚、この城跡の南西対岸に位置する丘陵先端部も、久田美城の名を持つ山城ではあるが、今回は踏破する余裕がなかった為に、ルート図には位置だけ記したが、その実態はまだ把握しきれていないのでどうぞ悪しからず。この日向城に関しての詳細は不明

1route 登城ルート

6 城跡進入路

3hi 城跡概念図

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた志高城を起点とすれば、その位置は把握し易いとは思われるが、国道175号沿いにある志高神社の東側にある「岡田下橋」を渡った先の左手側に見えてくる丘陵が城跡でもある。概念図に示した石灯篭を目印として向い、そこから山道に任せて丘陵上に上れば、直ぐにでも主郭に到達可能となっている。

9_kaku_2 到達地点の郭跡

10_sita 城跡西側斜面

12_nisikaku2_1 西郭

15_shukaku 主郭の現状

この城跡は外見あるいは形態から窺える様に、砦と呼ぶに相応しい佇まいの城跡でもあるが、安普請で築かれたとみえて、縄張りプランにインパクトや醍醐味の感じられる堀切は存在していない。その形態はほぼ概念図通りと思って頂いても良いとは思われるが、残存遺構としては、郭跡を除けば切岸跡が窺える程度のものである。よって見応えには程遠い城跡と言う事になるので、興味を持たれた方が舞鶴地方の山城巡りの際に、少しだけ寄り道して覗いてみる程度でよいのではないだろうか。本来なら本郭と推察される池田谷城、あるいは隣接する久田美城と併せた訪問が理想なのではあろうが、、、、

2011年2月19日 (土)

小南山城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市柏原町柏原小南山にあって、JR「柏原駅」から西側に望める標高約230mの小南山山頂にある。個人的にこの山城に関しては今まで全く認識がなかったのだが、以前から柏原市内を通過する度に、その環境及び山容から城山の風情が感じられ、機会があれば一度覗いておきたいと思っていた山でもあった。今回は同じ町内にある見長砦などの探索も兼ねてこの山を探索する機会に恵まれたが、結果的に山頂で巡り合えた城跡遺構、地元での聞き込み、あるいは外部で得られた情報から裏付け出来たように、小南山城と呼ばれる山城である事も改めて判明した。城史に関しては流石に地元の方もご存知ではなく詳細は不明となっているが、山上をほぼ削平に終わっただけの大味な縄張りプランは、丹波攻略軍における陣城の様な気がしないでもない、、、、此れから先も謎

1_2 登城ルート

6tozanguti 登山口

7_1 登山案内板

1_3 城跡概念図

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた八幡山城を起点とすればその位置は把握し易いが、国道176号沿いにある「柏原赤十字病院」を目印として目指せば分かり易く辿り着けるだろう。現在山上主郭までは遊歩道が設置されているので、概念図に示した小南山案内板のある入山口(画像に注目)からスタートすれば、15分程度で迷わず山上までは到達出来る筈である。尚、入山口案内板に城址としての説明は全く記されてはいないので、これを機に訪れる方は、改めてここを城址とした認識の上で訪れて頂きたいのである。

22_sanjyou_higasikaku 主郭切岸

30_naka_kaku広い 山上中郭

33_nisi_sanjyoukaku 山上西郭

35_horikiri_3 西堀切見所

この山城は先に触れた様に、山上東段郭群には切岸跡は僅かに窺えるが、総全長二百mに近い山上郭群(北西尾根も含む)においてはほぼ削平程度に終わったものであり、非常に大味と言わざるを得ない縄張りプランと見受けられた。山上東端にある展望所の設置された便宜上の小規模な主郭が、唯一その切岸跡から郭跡を醸し出してはいるが、近年の造成整地によってどこまで地形改変があったものかは、想像も付き難いのが現状である。山上郭の西側斜面下には唯一とも言える堀切が刻まれており、これが山城ファンにおいて一番判別し易い遺構かも知れないが、現状堆積物によって非常に浅いものとなっている、、、 しかしこの山城に訪れた上で絶対に見逃して欲しくない遺構は、東麓枝尾根に位置する概念図に示した便宜上の東出郭で、登山口から最初に辿り着く尾根先端部の先に位置しているが、堀切及び土塁で二方を囲んだ郭跡が現在でも判別し易く残っている。

13_horikiri_1 東出郭堀切見所

15_dorui_kaku_naibu 東出郭内

14_dorui_kaku 東出郭土塁見所

個人的に城跡を評価すれば、山頂から眺望が利く事により当時に思いを馳せる事が容易い事、山上までは上り易い登山遊歩道がある事、見応えのある遺構は皆無に近いが山城の佇まいは充分感じられる事、以上挙げた事から山城ファンの方は言うまでもないが、史跡ファンの方にも充分お薦め出来る城跡と目には映ったのである。トレッキングとしては最高!

2011年2月17日 (木)

新町見長砦跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市柏原町新町見長にあって、国道に突き出した丘陵尾根先端部に位置している。丹波攻略軍でもある明智氏の八幡山城(陣城)が集落を挟んだ北側に位置することから、その南側を牽制した砦と位置付け出来るのかも分からないが、城史に関しての詳細は不明である。文献による呼称の違いはあるが新町城とも呼ばれている

城跡を訪れるには八幡山城を起点とすれば、その位置は直ぐに分かるとは思われるが、国道沿いにある「コメリ」を目印とすれば、その直ぐ背後に今回登城口とした小さな「天満社」がある。車の駐車に関しては概念図に示した場所に、一般の方でも使用可能な大駐車場があるので探すには及ばないだろう。

1_2_2 登城ルート

7_tozanguti 神社からの登城口

1_3_2 城跡概念図

この城跡は名が語る様に正しく砦に相応しい規模であり、そのシンプルな形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても差し支えないだろう。もちろんこの丘陵上の山上部分と北別尾根先端部分も踏破したが、削平地があるのみで堀切などの様に分かり易い遺構は目に留まらなかった。ただ明らかに郭跡と呼べそうには感じられたが、、、、現状(二月)主郭の東隅のマウンド上には不動明王及び役行者の石像が祀ってある事、あるいは植林地である事も重なって、それなりに郭内の見通しは利く状況にあるが、主郭南側と西側に付随する段郭群においては矢竹や雑木が蔓延り、その全体像までは覗い難いのが現状でもある。その中にあっては郭切岸あるいは空堀状になった土塁虎口が、郭跡を除けば唯一当時を物語る遺構と言えるのかも知れない。主郭東背後には判別し易い堀切が一応備わってはいるが、現状北側と西側の集落へ繋がる山道(墓参道)となっているので、このままを当時の堀切とするには少し無理がある様には感じられた。必然性において自然地形を利用した堀切と思えばそれで良いのかも知れないが、、、、

16_shukaku 主郭内部

13_shukaku_heki 主郭切岸

11_nisi_gedan 西下段郭

10_koguti_1 土塁虎口見所

18_haigo_horikiri 現状堀切地形見所

城跡を個人的に評価すれば、残存遺構に見応えは感じられなかったが、風化に任せたまま現在に至ったものと見受けられた事から、史跡としての価値は捨て難いものがあり、天満社から直ぐ到達可能な圧倒的お手軽感を加味して、小南山城(後で掲載予定)と併せた同日訪問とすれば、山城巡りも更に充実したものになるのではないだろうか。史跡ファンの方には、神社参拝ついでの寄り道気分で覗いたとしても、決して無駄足には終わらないと思えたのである。とにかく砦跡としての佇まいには格別なものを感じたのである。

2011年2月15日 (火)

西安田城跡(兵庫県多可郡)

城跡は兵庫県多可郡多可町中区西安田にあって、標高194mの低山山上に位置している。集落を挟んで西側の山頂に位置する霞ヶ城(森本城)との関連性は充分窺えようが、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、スタート地点によって様々な訪問ルートが考えられるが、取り合えず国道427号へ進入する事が先決、もちろん先にリポート掲載に及んだ霞ヶ城を起点とすれば、その位置はルート図を見て頂ければ直ぐに分かるものとは思われる。直登取り付き地点はルート図あるいは画像を載せた付近で、疎水を飛び越えて山裾にある巨大な岩盤の左手側を回り込む形で上り始めれば良いだろう。道中は全体的に藪漕ぎまでには至っておらず、中腹にある開閉フェンスを通過すれば、15分程度(直登口より)で主郭へは到達可能である。

1route 登城ルート

5 直登取り付き口

現状(一月)山上郭群の全域が低いシダで覆われており、郭内部の僅かな起伏までは読み取る事が出来ず、地形から遺構の判別確認は困難を極める状況となっている。お陰で山上に展開される郭群の境界も切岸も見極める事が出来ず、最後まで郭構成は把握出来ずに終わったしまったが、地形から判断し易い堀切なども一切眼には留まらなかった。安普請で築かれた縄張りプランから考えても、最初から堀切などは施されていなかったとも言えるが、、、 その中で一番城跡らしく感じられた箇所は、登り始めて最初に出くわす南先端部にある約30m規模の削平地で、相当荒れ放題の様相となっているが、明らかに街道筋に目を光らしたと思え、砦の風情が今でも充分漂っている。尚、画像は載せたが、山上東郭の東端には朽ち果てる寸前の小さな祠があり、近年までは山上に通じる参拝登山道があったのかも知れない、、、

7_minami_sentankaku_2 南先端郭

12_minamikaku 東郭の現状

16_shukaku 主郭の現状

18_kita_dankaku 北小郭

城跡を個人的に評価すれば、現在の状況を考えればとてもお薦め出来る山城とは言えないが、山登りを苦ともしないマニアックな山城ファンの方にだけは、残存遺構の期待は捨てて臨み、山城としての風情を味わう程度の訪城と割り切れば、何とか面目は保たれる様な気はするのである。今回の訪城リポートに関しては、無名に近い山城を訪ねる「山城賛歌」の趣旨として、訪問した以上現況報告をしない訳にはいかなかった、と考えて頂いても良いだろう。

2011年2月13日 (日)

栗栖野城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市栗栖野にあって、落山と呼ばれる大歳神社の南背後に聳える標高約300mの山上に位置している。中世この一帯は酒井氏の領有する地域でもあり、既にリポート掲載は終えたが南八代城、高仙寺城(松尾山城)、大沢城、あるいは少し南下した位置にある油井城などが、「酒井党」と呼ばれて分派した一族の築いた山城にあたる。今回訪れた山城は栗栖野酒井氏の拠る城跡であるが、天正期における明智光秀の丹波攻略では波多野氏同様滅亡への道を辿った歴史が伝えられている、もちろん各地に分派しているので一族郎党全てが滅亡した訳ではないが、、、

城跡を訪れるには、ルート図の如く国道372号へ進入する事が先決となるが、「栗栖野」交差点から少しだけ南下した箇所より、東の狭い生活道路へ進路変更して、大歳神社を目印として目指せば、迷わず社殿脇の登山口までは到達出来るとは思われる。ここからは山上の二ノ郭に建立された「地蔵堂」に向けて繋がる参拝登山道を利用して上れば、15分程度で山上主郭へは辿り着けるだろう。

1_2_2

登城ルート

4 ルート図に記した「栗栖野の残石」

6_ootosi_jinjya 登山口

3ku 城跡概念図

この山城は非常にシンプルな形態からも縄張りは掴み易く、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、山上本郭部は主要二郭で形成され、それに付随した帯郭も含めて数段の小郭で構成されたものであり、山上郭群だけを取り上げれば非常に小規模な城跡と言う事にはなるだろう。ただ登山道中の尾根上に展開される削平地、あるいは「若林寺」背後における枝尾根上の削平地も縄張り(城域)の一部として取り込めば、山上から山麓の寺院敷地までが当時における城域と言ってよいのかも知れない(推察)。

10_horikiri 北堀切見所

16_2maru_nai 二ノ郭内の地蔵堂

18_kitakaku 北郭

20_shukaku_1 主郭内部の現状

23_obi_gedan2 廃材の放置された帯郭

28_nantan_horikiri 南端の堀切見所

見所は概念図には記したが、南北二箇所に施された堀切は、薬研堀の様に見応えのあるものにはあらず、縦堀地形からそれと分かるものであり、見応えには程遠いものでもある。南端の堀切は自然露岩を以って堀切壁とし、更に尾根を土橋状に削った構造から堀切だという事は分かるが、これもV字形の堀切ではないので、遺構としての見応えには少々欠けるかも知れない、、、ただこの城跡の醸し出す風情は、山上に山小屋が建てられているせいもあってか、当時櫓台にプラスした建物の想像も付き易く、当時に思いを馳せる事は容易い状況にあるので、主郭から一帯の眺望が利く事も含めれば、非常に値打ちのある山城と自分の目には映ったのである。よって登山道で迷わず登れる事も併せれば、充分お薦め出来る城跡の一つと言う事にはなるだろう。

現在個人所有地とも見受けられた敷地(主郭跡)には山小屋風のウッドハウスが建てられており、便宜上の二ノ郭には地蔵堂も建てられている。主郭内部及び西斜面の帯郭に放置された多くの工事用廃材が物語る様に、近年大掛かりな工事が付近で行われたものとも見受けられたが、個人的に地形を窺う限りでは、大した地形改変までには至っておらず、縄張りとしての祖形は失われないまま現在に至ったものの様には見受けられたのである。山小屋の建つ主郭は個人所有地とも見受けられ、現在は無住の状態であったので勝手に通過させてもらったが、これを機に訪れる方も同様に、自己責任において立ち入る事が必要だとは思われる、、、

2011年2月11日 (金)

播磨 有安城跡(兵庫県三木市)

城跡は兵庫県三木市吉川町有安にあって、三田市から三木市、あるいは小野市に多く見受けられる、典型的な丘城と呼べるものであり低丘陵上に位置している。城史に関しては渡瀬源七朗の居城が伝わっており、渡瀬城(まだ未訪)を本城とした場合、こちらは出城と伝わっている様である。

城跡を訪れるには、中国自動車道を利用した場合は「吉川」ICが最寄の乗降口となるが、降りて直ぐに県道17号に合流して西進すれば、城跡までは10分とかからない距離にある。ルート図を参考にそのに赤ラインを辿れば、迷わず城跡進入口までは辿り着けるとは思われるが、車は墓参用、あるいは神社参拝用の駐車場に預ければ良いとは思われる、ただこの空き地が駐車場なのかどうかは確信が持てないでいるので、訪れた方が自己責任において駐車すれば問題はないとは思われる。ここから参拝道に任せて上れば、5分とかからず西郭(主郭と見受けられるが、、)までは辿り着けるだろう。

1_1 登城ルート

4 城跡進入路

1_2 城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われるが、それは山上に展開される主要郭のみであり、その周囲斜面のほとんどが冬季(一月)においても密生する竹林雑木藪地として、遺構の判別確認及び踏破にも困難を来たす状況となっており、その全貌までは把握しきれなかった。特に西郭の北側には、斜面に重なり合う多くの郭跡が見て取れたが、倒竹あるいは雑木に阻まれて、とても探索踏破する気にはなれなかった。概念図に示したまでが今回個人的に踏破した範囲であり、目に留まった遺構と言う事になるのだが、縄張りは更に北側に広がっている様にも窺われたのである(推察)。ただ現状の大味な縄張りから推察する限り、未踏地に多くの期待は望めそうには思えなかったが、、、

15 西郭虎口へ

16_nisikaku_1 西郭の片隅

18_nisikaku_heki_1 西郭の鋭角な切岸見所

21_horikiri 西郭の堀切(土橋付き)見所

26_higasikaku_2 東郭

28_higasi_horikiri_2 東端の堀切見所

この城跡の見所を挙げれば二本の堀切と、東西における広大な郭跡、更に両郭跡の切岸と言う事にはなるが、全体的に切岸斜面、あるいは郭跡にも多くの草木が蔓延っており、傍まで寄れば切岸の醍醐味には直接触れる事が出来るが、見通しが利き難い為に郭跡に佇んだ時の臨場感までは味わえないのが現実でもある。個人的には遺構が消失しているケースの多い住宅地が直ぐ傍まで迫る丘城には、残存遺構としても縄張り妙味にも出来るだけ期待はせずに訪れる様にはしているが、ここまで大型の城跡とは思っていなかった事、縄張りとして堀切が施されていた事、土塁の痕跡、土塁虎口らしき痕跡、鋭角な切岸跡と、取り合えず良い意味で期待はずれに終わった事もあり、訪れた値打ちはあったものと充分な満足感に浸る事は出来た。まだ未訪でこれから訪れる用意のあった方には、圧倒的お手軽感を含めなくとも、充分訪問をお薦め出来る値打ちのある城跡と目には映ったのである。

2011年2月 9日 (水)

安明寺城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市野々垣安明寺にあって、八上城跡の位置する高城山山頂から、遠く東に向いて派生する尾根の先端部に位置しており、尾根を共有している事からも、自ずと八上城巨大城砦群の一角を担った東出城(砦)とも窺われようが、推察の域は出ないものである。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、この安明寺城跡から集落を挟んで真東に対峙(向城)する、既にリポート掲載を終えた堂山城を起点とすれば、その位置は把握し易いとは思われるが、篠山市内をほぼ東西に結ぶ国道372号を走り、ルート図の赤ラインを辿れば難なく入山口までは辿り着けるだろう。入山口は概念図に示した山道(画像にも注目)からで、行き止まりとなる墓地最奥の左手斜面に取り付いて上れば、入山口からは藪漕ぎもなく5分もあれば主郭へ到達出来るだろう。

1route 登城ルート

5 入山口

3an 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われるが、山上で目に留まる遺構は、郭切岸跡、土橋付き堀切、主郭背後に備わる土塁だけといっても過言とは思えないものであり、遺構の見応えを聞かれると少し返答に困るのが現実でもある。しかし堀切は浅いものではあるが縦堀に繋がっているものであり、上ってまで窺うに充分な遺構と自分の目には映ったのである。尚、堀切から更に西側に向いて尾根上に削平地が約60mに渡って連続しているが、本郭を含んだ縄張り全体の規模は全長100m程度か、、、

11_higasi_kaku 山上東郭

25_higasikaku_kita_heki_1 北側切岸

12_naka_yori_shukaku_heki 中郭と奥は主郭

14_shukaku_dorui 主郭の現状見所

16_horikiri_2 堀切見所

20_nisi_one_kaku 西尾根上削平地

現状(一月)冬季ともあって枯れ枝が多く、山上に佇めばある程度見通しも利く事から、城跡の全体像も掴み易く見学し易い状態にあり、砦の佇まいを味わうには最適な状況となっている。眼にする事の出来る遺構は前述の堀切、土塁と少ないのではあるが、見学し易さ及び主郭まで達する圧倒的お手軽感も加味すれば、自ずとお薦めの城跡とは言えるだろう。もちろん最初から縄張り妙味や規模には決して拘らない事が前提とはなるが、、、この城跡に縄張り妙味、あるいは遺構の見応えを決して望んで訪れてはいけない、八上城から見れば東を抑える砦と位置付けられるものなので、当然この程度の城普請でよいものとは思われるのである。

2011年2月 7日 (月)

篠場城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市山南町篠場にあって、先にリポート掲載を終えた下滝城とは、県道77号を西側へ数百m移動した距離にあり、県道に面した低丘陵上にある。城史に関しての詳細は下滝城と同様に不明。

城跡を訪れるには県道77号沿いにある「下滝駅」あるいは「上久下小学校」を目印として目指せば分かり易いだろう。付近に辿り着けば、ルート図を参考に墓参用入山口にある獣避け開閉フェンスより墓地へ向かい、その背後斜面をそのまま上り切れば、10分内で主郭が迎えてくれるはずである。尚、主郭までは激斜面を登る事になるが、踏み跡に沿って黄色のポールが数m間隔で埋まっているので迷う事はないだろう。

1route_1 登城ルート

6 入山口

3si 城跡概念図

この城跡はほとんど起伏のない痩せ尾根上に郭が直線的に展開されるものであり、その形態はほぼ概念図に近いものと思って頂いても良いとは思われる。痩せ尾根上の西端に位置する主郭の東側には、唯一尾根を断つ堀切が備わっており、取り合えず見学者の眼は楽しませてくれるが、尾根上の両サイドは空堀など必要ともしない崖状急斜面ともあって、他で空堀の類は目には留まらなかった。主郭より更に北東側に向かえば、周囲に土塁の痕跡が残る郭跡が存在するが、更にそこから北東側山上にも比較的規模の大きい削平地がある。城域はここまで達しているものと察せられるが、郭外壁に切岸処理などはなされていないので、当然安普請で築かれたものと言っても良いとは思われる。

21_higasi_shukaku_1 主郭の現状

18_horikiri_2 堀切見所

20_shukaku_e 痩せ尾根上の東郭

12_dorui_kaku_1 土塁の痕跡が残る郭跡

8_sanjyou_kaku_1 北東山上郭

現状(一月)城域全てに渡って植林地となっているお陰で、全体の見通しも利き、痩せ尾根上の端から端まで歩き回り易く、非常に見学し易い状況となっており、先にリポート掲載を終えた玉巻城、下滝城とは移動距離も少ないことからも、三城併せた同日訪問は是非考慮して頂きたい処ではある。

2011年2月 5日 (土)

険峻極まりない山頂に未だ石垣跡が残る 霞ヶ城跡(兵庫県多可郡)

城跡は兵庫県多可郡多可町中区にあって、森本集落の真北側に聳える標高281mの山頂に位置しており、城山と呼ばれる山上から南北に渡る尾根上に縄張りは展開されており、文献による違いはあるが「森本城」とも呼ばれている。この山城の歴史は古く、南北朝期に赤松氏の家臣によって築かれたものでもあるが、廃城に至るまでは多くの城主交替劇があった模様、同じ中町にあって既にリポート掲載を終えた、段ノ城あるいは貝野城と共に、在田氏在城時が一番山城としての機能が発揮された時期といって良いのかも知れない。

1_1 登城ルート

4 入山口

1_2 城跡概念図

この山城は南北二峰の最高所に櫓台とも呼べそうな郭を構え、直線的な狭い痩せ尾根地形に任せて尾根上を削平し郭を展開させた、単純な縄張りプランとなっているが、規模から考えれば南側最高所を主郭とすれば良いものとは思われる。城跡としての特徴あるいは見所遺構を挙げれば、その城域となる南北の末端部分と中央には縦堀を付随させた空堀が備わり、特に西側斜面においては、崩落して覗われる面積こそ異なるが、赤松氏の築城における最大の特徴とも言える、石垣跡は随所で覗う事が可能(概念図参照)となっている。石垣痕に関しては探せばまだ多くの斜面で目に留まるものとも思われるが、この石垣跡だけの為に訪れても決して後悔はしない様には思われたのである。もちろん便宜上の二ノ郭西側の土塁の付随する横北端の分厚い土塁の付随した横堀及び豪快な縦堀などは、石垣跡と並んで見学者の目は間違いなく楽しませてくれるはずである。

14_horikiri_5 南端の堀切見所

16_minami_gedan 南郭群の現状

18_shukaku 主郭の現状

25_2maru_1 二ノ郭(城中最大郭)

42_sikiri 西側の横堀と大土塁見所

22_nisi_isi 西斜面石垣跡見所

27_kita_horikiri 中央堀切見所

31_kita_shukaku 北郭の現状

38_nisi_obi_isi 北郭下部の石垣跡見所

37_yokohori_dorui_2 北端の横堀と大土塁見所

この要害堅固を地で行く様な険峻極まりない地に、自然露岩をも郭壁として取り込んで更に石垣で郭壁を固めた様相は、正にこれぞ山城と呼ぶに相応しいものであり、横堀が備わる単純に終わっていない縄張りの醍醐味、あるいはその佇まいも含めれば、山城ファンの方に限れば見所満載とも言える、間違いなくお薦め出来る城跡と自分の目には映ったのである。ただ一般城跡(史跡)ファンの方には、このシダで覆われて地表も見えない登山道、あるいは急峻過ぎる登山道を考えれば、中々お薦めし難いのが本音でもある。

城跡を訪れるには中国自動車道「滝野社」ICが最寄の乗降口となるが、国道175号から国道427号へ進入する事が先決となる、現地付近まで到達すればルート図にある「観音堂」駐車場を目指せば分かり易いが、入山口となるのは詳細地図を載せた日吉神社駐車場の北側からで、そこには子供達によって記された小さな登山口標識が備わっている。個人的には今回で二回目の訪城となる今回も、前回同様分かり易い観音堂からスタートしたが、日吉神社の駐車場を利用しても良いだろう。ここから登山道に任せて上れば、道中覆い尽くすシダで登山道すら確認出来ない状況となるが、急斜面に備わるロープを手がかりに上れば、迷わず約20分で南端の堀切には辿り着けるだろう。

2011年2月 3日 (木)

下滝城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市山南町下滝にあって、比高20m程度の低丘陵上に位置しており、見張り台程度の機能が窺える小規模なものである。城史に関しての詳細は不明であるが、先にリポート掲載を終えた玉巻城とは僅かな距離でもあり、本城と出城の関係は充分窺えるのかも知れない、、、

城跡を訪れるには、県道77号でJR福知山線「下滝駅」を目印として目指せば分かり易いとは思われるが、ルート図あるいは概念図を参考にすれば、道路沿いからの直登取り付き地点は直ぐ分かるだろう。

1route_2 登城ルート

5 直登取り付き口

3 城跡概念図

城跡の本郭群は腰郭と主郭で形成されたほぼ二郭構造と見て良いものとは思われるが、非常に小規模であり、縦堀に繋がる一本の堀切が遺構として判別し易く、唯一城跡を物語るものでもある。更に北側斜面を上れば物見程度の削平地、更に上れば30m規模の削平地も城域の一部として存在しているが、切岸処理はされておらず、堀切の備わる南端の郭が主郭としての機能を備えていたものと見て良いとは思われる。現状(1月)城跡の全域が植林地化されているので見通しも利き、非常に見学し易い良い状態にあるが、見所遺構としては縦堀に繋がる堀切だけと言っても良いので、見応えには随分欠けそうには思われた。

8_horikiri_e 縦堀見所

9_horikiri 堀切見所

11_shukaku 主郭の現状

13_minami_gedankaku_1 腰郭

15_monomi 北物見?

城跡を個人的に評価すれば、玉巻城あるいは後でリポート掲載予定の篠場城と併せた同日訪問とすれば、5分内で到達可能な圧倒的お手軽感からも、充分見学する値打ちのある城跡と言えるのかも知れない、、、。

2011年2月 1日 (火)

玉巻城跡(兵庫県丹波市)

城跡は兵庫県丹波市山南町玉巻にあって、ほぼ単独で聳える標高240mの八幡山山頂に位置しており、久下氏代々の居城と伝わるが、明智光秀によって落城させられるまでは、丹波守備軍の最前線基地として機能していた山城でもある。この山城に関しては、ネット上あるいは城郭関連の文献資料の類、あるいは戦国史にも頻繁に登場する事から、知名度もそれなりに高く、既に訪れた方も多いと思われるので、今回のリポートでは現況だけを簡単に報告させて頂く。

城跡を訪れるには県道77号を走り、JR福知山線の「谷川駅」を目印として目指せば分かり易いとは思われるが、今回車を預ける事になるのは「長慶院」で、概念図でお分かり頂ける様に、福知山線踏切の手前より左折進路変更すれば寺院までは難なく辿り着ける。踏切手前には「玉巻城」の道標が設置されている事からも八幡山は直ぐ確認出来るだろう。現状山上に向かう山道はないので、寺院背後にある墓地から取り付いての直登は余儀なくされるが、一帯は植林地となっているので、藪漕ぎもなく15分もあれば山上主郭までは辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

7 登城取り付き口

3ta 城跡概念図

現状(一月)城域となる地域は全て植林地となっているので、見通しは利き、歩き回りやすく、山城としては非常に見学し易い状態にあるが、山上に残された判別確認可能な遺構となると、概念図である程度判断出来るとは思われるが、郭跡を除けば一本の堀切のみと言っても過言とは思えないものであり、郭外壁には切岸跡は一切窺われなかった。自ずと僅かに段差を含んだ郭跡も郭境が分からないのでは縄張りも掴めず、その実態は限りなく自然地形に任せたまま山上を削平しただけの城跡といって良いのかも知れない。当然安普請で築かれた山城と言う事になるが、久下氏代々の居城と伝わるからには、それなりのものを期待して訪れたのだが、まさかこれだけの城跡とは思いもよらなかったのが本音ではある。当時これだけ手薄な防備機能で、知略に富んだ光秀軍に挑んだのは正に無謀とも思えるが、この山城が落城となる天正期まで存在していたと言うのがとても信じられない思いでもある、、、

15_shukaku_1 状態の良い主郭

15_horikiri_1 堀切見所

17_baba_yori_shukaku 広い中郭(馬場跡か)

21_kita_sanjyoukaku_1 北山上郭の現状

城跡を個人的に評価すれば、史跡としての価値(ほぼ完存かも)は高いものと察せられるが、遺構の見応えを期待して訪れる分には、落胆する事は必至とも思われたので、とにかく期待は抱かず、久下氏代々の居城を見学するが為の、史跡見学を目的とした訪問が一番自分自身を納得させられる様に感じられたのである。見応えは全くないが山城としての風情は充分味わえるものと見た、、、

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

無料ブログはココログ