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2011年1月26日 (水)

三日市朝城跡/志高碇山城跡(京都府舞鶴市)

この三日市朝城志高碇山城の二城は、由良川を挟んで呼応し合う形となっているが、志高碇山(イカリヤマ)城は志高城あるいは大川城ともほぼ隣接している環境にある。自ずと四城含めての関連性は窺われるのかも知れないが、城史に関しての詳細は不明でもある。

まず三日市朝城跡は舞鶴市三日市朝にあって、先にリポート掲載を終えた三日市城とは、県道55号を車で数分南下移動した距離にあって、比高60m程度の低丘陵上に位置している。三日市城とほぼ共通の訪問ルートとなるので、ここでは訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、付近まで到達すれば概念図に示した様に、県道沿いの入山口から鉄塔まではメンテナンス道が通じているので、5分程度で迷わず城跡(便宜上の山上郭)へは辿り着けるだろう。

1_1 登城ルート

6_nyuuzanguti 入山口

1_2 城跡概念図

この城跡の実態情報は皆無に近いものであり、本郭群が丘陵上のどの部分に相当するものか、あるいは縄張りを含めた城域がどこまで及んでいるものかは、これを機に現地に訪れた方のほぼ想像に委ねられる様な気がする。概念図に大雑把な形態は示したが、山上郭から南端枝尾根まで展開される郭跡を考えれば、城域はそれなりに広いと言えるのかも知れないが、便宜上の山上郭の切岸は非常に曖昧なものとなっており、全体的に見ても安普請で築かれた城跡ということは否めないだろう。しかし丘陵上を南へ向かうほど郭高低差は余りないものの、明確に切岸跡の窺える郭群の判別は可能でもあり、堀切などの分かり易い遺構は目に留まらなかったが、その南側尾根上には本郭群あるいは居館跡とも呼べそうな、周囲が溝状の空堀土塁で囲まれた広い方形状の郭跡は目に留まった。ただこの溝状の空堀土塁遺構が当時のものかどうかは判断し難いのが現状ではあるが、、、

12_kita_sanjyoukaku 山上郭

18_naka_kaku_1 中郭

19_shukaku_shuui_mizo_1 便宜上の主郭周囲の空堀(謎)

18_shukaku_heki_1 郭切岸

志高碇山城は舞鶴市大川にあって、既にリポート掲載を終えた大川城からみれば直ぐ南側に隣接する碇山山頂に位置している。よって訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、概念図に示した入山口より鉄塔メンテナンス道を利用して上れば、山上主郭までは迷わず辿り着ける筈である。この山城の形態は概念図に示した様に、総全長は百m前後に及ぶものであるが、当時の遺構として判別し易い堀切などは目に留まらず、山上は地形に任せたまま削平されただけに終わっているものの様に見受けられた。当然切岸跡が目に留まらない以上、僅かな段差での郭境を見極めるのは難しく、その形態は見学者の想像にほぼ委ねられるものと見た。

1_3 城跡概念図

5 入山口

8_horikiri_tikei 当時は堀切か?

12_shukaku_1 山上主郭

18_kosi_kaku 腰郭

現状(12月)山上郭は藪化までには至っておらず、全体像が窺える見通しが利く状態にあるので、城跡としての風情は充分感じられるが、見応えのある遺構は?となると返答に困るのが現実でもある。

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