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2011年1月

2011年1月30日 (日)

西奥山砦跡(兵庫県篠山市)

篠山市内に数多く築かれた山城も、個人的には既に九割程度訪れた事になったが、砦跡と認識のある小規模な城跡の訪問は今までずっと先送りにしていた。今回は頻繁に訪れている近畿北部(但馬、丹後)に降雪が多い事もあって、まだ比較的降雪の少ないこの篠山市に照準を当て、見応えに余り期待出来そうにない砦跡だけをチョイスして訪城する運びとなったが、結果的にこの山城は北端尾根上の広い郭跡から始まって、山頂主郭に至るまでに点在する尾根上削平地も含めれば、意外に城域は広く、山頂部に展開される小規模な本郭群には二本の堀切、あるいは切岸跡が物語る様に、本格的に普請された山城の様に目には映ったのである。

城跡は兵庫県篠山市小野奥谷にあって標高約380mの山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、波々伯部氏の拠る淀山城と程近い距離にある事から考えれば、その東側を牽制した出城とも窺えるものである(推察)。城跡を訪れるにはもちろん既にリポート掲載を終えた淀山城を起点とすれば分かり易いが、そこから国道372号に従って1km程度東進すればよい。登山口はルート図に記した様に、国道から直ぐ覗ける位置(画像に注目)あり、ここから確かな山道に任せて上れば、山上主郭までは15分程度で迷わず辿り着ける筈である。

1_1 登城ルート

7 入山口

1_2 城跡概念図

この城跡のシンプルな形態は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂いてもよいとは思われるが、前述の堀切は主郭の前面には施されておらず、その背後の尾根を遮る形で二本連続したものとなっている。現在に至る数百年レベルの堆積物、あるいは長年の地表風化のせいもあって、堀切及びその壁面は浅く鋭角さは維持していないが、一部の郭切岸においてはしっかりしたものを拝む事が出来る筈である。現状(一月)冬季訪問ともあって山上を覆いつくす木々は枯れており、見通しも利く状況となっているので、遺構見学においても郭移動に関しても困難を来たす状態までには至っておらず、小規模な事も相俟って、数少ない遺構ではあるが、ほぼ全て判別確認可能であり、山城としての風情も含めれば充分見学に堪えられる城跡といった処か、、、

13_dobasi_jyou_one 北端の土橋状尾根

15_houktankaku 北端の規模の大きい郭跡

22_saigedan_nisi_obi_1 主郭西斜面の帯郭

24_nobori_dorui 主郭上り虎口見所

25_shukaku_1 主郭の現状

30_horikiri 南背後の堀切1見所

32_nantan_horikiri_1 南端の堀切2見所

個人的に城跡を評価すれば、砦規模である為に縄張り妙味までは求められず、残存遺構に関しても見応えを感じるまでには至れなかったが、楚々とした山城の風情、あるいは街道からは更に奥まった山頂に位置する築城環境も含めれば、城跡として考えさせられる部分は多く、充分戦国ロマンに浸れそうには思えたのである。

2011年1月28日 (金)

脇田城跡(兵庫県三木市)

城跡は兵庫県三木市吉川町富岡にあって、広い富岡集落の西側丘陵上の先端部に位置しており、室町期にはなるが脇田小次郎の居城が伝わっている。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪ねるには、京阪神側から向かうのであれば中国自動車道「吉川」ICが最寄の乗降口となるが、県道17号を経由して314号へ進入する訪問ルートが、一番分かり易く辿り着けるとは思われる。目印となるのはルート図に示した小さな「西浦公民館」になるが、車の駐車に関しては小型車に限られるが、城跡北西側の堀切手前付近に狭いながらも充分駐車可能なスペースはあるので心配には及ばないだろう。そこから参拝道に任せて上れば直ぐにでも主郭へは到達可能であり、堀切は目と鼻の距離でもある。

1 登城ルート

7 麓からの進入路

3w 城跡概念図

城跡の形態は、ほぼ概念図に描いた通りと思って頂いても良いとは思われるが、社殿の建立された当時の主郭(全長30m以上の広い空間)と見受けられる敷地以外は、そのほとんどが荒れ放題の矢竹も含んだ竹林雑木藪地と化している。踏破し易い箇所を選んで歩き回れば、何とか切岸跡の窺われる郭跡までは判別確認可能な状況にあるが、他は外見からは視認も困難な状況となっており、現状から当時の縄張りを見極めるのは至難の技とも思えた。当時の縄張りは造成住宅地となっている麓の道路近くまでは及んでいたものと察せられるが、この現状(一月)を踏まえれば、ほぼ見学者の想像に委ねられるものとは思われる。

10_shukaku_1 主郭の現状

12_horikiri 12_horikiri_1 堀切と主郭切岸見所

17_higasi_dankaku_3 北西郭の切岸

主郭西背後には先に触れた高い切岸を伴う堀切が備わっており、主郭の切岸と並んで、城跡にあっては唯一の見所遺構として目を楽しませてくれるものとなっているが、北郭群及びその切岸以外では、明確に判別可能な城跡遺構が目に留まらなかった事もあって、少々寂しい思いをしながら城跡を後にする事になった。

個人的に城跡を評価すれば、所在地及びその実態の情報は皆無に近い城跡である事、当時の分かり易い遺構として堀切と切岸が健在な事、あるいは堀切までは車で乗り付ける事が出来る圧倒的お手軽感も加味すれば、播磨地方の城跡に興味を持たれた城跡ファンの方が覗く分には、決して無駄足には終わらないものと見た。

2011年1月26日 (水)

三日市朝城跡/志高碇山城跡(京都府舞鶴市)

この三日市朝城志高碇山城の二城は、由良川を挟んで呼応し合う形となっているが、志高碇山(イカリヤマ)城は志高城あるいは大川城ともほぼ隣接している環境にある。自ずと四城含めての関連性は窺われるのかも知れないが、城史に関しての詳細は不明でもある。

まず三日市朝城跡は舞鶴市三日市朝にあって、先にリポート掲載を終えた三日市城とは、県道55号を車で数分南下移動した距離にあって、比高60m程度の低丘陵上に位置している。三日市城とほぼ共通の訪問ルートとなるので、ここでは訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、付近まで到達すれば概念図に示した様に、県道沿いの入山口から鉄塔まではメンテナンス道が通じているので、5分程度で迷わず城跡(便宜上の山上郭)へは辿り着けるだろう。

1_1 登城ルート

6_nyuuzanguti 入山口

1_2 城跡概念図

この城跡の実態情報は皆無に近いものであり、本郭群が丘陵上のどの部分に相当するものか、あるいは縄張りを含めた城域がどこまで及んでいるものかは、これを機に現地に訪れた方のほぼ想像に委ねられる様な気がする。概念図に大雑把な形態は示したが、山上郭から南端枝尾根まで展開される郭跡を考えれば、城域はそれなりに広いと言えるのかも知れないが、便宜上の山上郭の切岸は非常に曖昧なものとなっており、全体的に見ても安普請で築かれた城跡ということは否めないだろう。しかし丘陵上を南へ向かうほど郭高低差は余りないものの、明確に切岸跡の窺える郭群の判別は可能でもあり、堀切などの分かり易い遺構は目に留まらなかったが、その南側尾根上には本郭群あるいは居館跡とも呼べそうな、周囲が溝状の空堀土塁で囲まれた広い方形状の郭跡は目に留まった。ただこの溝状の空堀土塁遺構が当時のものかどうかは判断し難いのが現状ではあるが、、、

12_kita_sanjyoukaku 山上郭

18_naka_kaku_1 中郭

19_shukaku_shuui_mizo_1 便宜上の主郭周囲の空堀(謎)

18_shukaku_heki_1 郭切岸

志高碇山城は舞鶴市大川にあって、既にリポート掲載を終えた大川城からみれば直ぐ南側に隣接する碇山山頂に位置している。よって訪問ルートの説明は割愛させて頂くが、概念図に示した入山口より鉄塔メンテナンス道を利用して上れば、山上主郭までは迷わず辿り着ける筈である。この山城の形態は概念図に示した様に、総全長は百m前後に及ぶものであるが、当時の遺構として判別し易い堀切などは目に留まらず、山上は地形に任せたまま削平されただけに終わっているものの様に見受けられた。当然切岸跡が目に留まらない以上、僅かな段差での郭境を見極めるのは難しく、その形態は見学者の想像にほぼ委ねられるものと見た。

1_3 城跡概念図

5 入山口

8_horikiri_tikei 当時は堀切か?

12_shukaku_1 山上主郭

18_kosi_kaku 腰郭

現状(12月)山上郭は藪化までには至っておらず、全体像が窺える見通しが利く状態にあるので、城跡としての風情は充分感じられるが、見応えのある遺構は?となると返答に困るのが現実でもある。

2011年1月24日 (月)

友尾山城跡(兵庫県西脇市)

この山城は、つい最近山城ファンの方から頂戴した情報によれば、「小規模な山上郭の周囲に石垣跡が残存していた」と言った事から、以前から興味も山城跡としての認識もあった事、あるいは何れ訪れるつもりでいた事も重なって、今回は久し振りの播磨地方への山城巡りとなった。

城跡は兵庫県西脇市黒田庄町喜多にあって、西脇コミュニケーションセンターの東背後に聳える標高約300mの山頂に位置しているが、南北に鞍部を挟んでほぼ並んだ峰のどちらが地図上の友尾山なのかは現状分からずにいる。実際に訪れた限りでは、便宜上の南郭(削平地のみ)の方が規模で勝るが、今回は最高所にある事から北郭を便宜上主郭とした。どちらにしても本来は南北二郭で成立したとも窺える山城なので、議論するまでには及ばないとは思えるが、、、

1route 登城ルート

4_enbou_3 城跡遠望

8nyuuzanguti 入山口

3n 城跡概念図

城跡を訪れるには「西脇コミュニケーションセンター」を目印として目指せば、その入山口は直ぐ分かるとは思われるが、センター大駐車場の横(南)からルート図に示した様に、電波施設のある山上郭まではメンテナンス登山道が繋がっているので、目指す山頂までは迷わず到達可能な状況となっている。ただこの登山道は相当な激斜面(ロープ付き)となっているので、山上まで到達するには約25分程度要す事を是非頭に入れて臨んで頂きたい。

訪問結果としては、小規模な山上(北郭)郭の周囲には確かに石垣跡が見止められたが、現在この郭転用地は、電波施設の敷地として造成整地されており、当然一部の石垣跡は積み直しが窺えるものでもある。しかし基底部に残されたものは当時のままの石垣跡の様に自分の目には映ったのである。この山城に関しては既に調査は行われたものと聞いたが、その実態報告までは知る術も無く(センターに勤務される方も認識のない山城)、実際の城域も残された遺構も現状はっきりとは分からないが、他では鞍部に堀切跡らしき地形(メンテナンス道として埋められた痕跡と僅かに縦堀地形)だけは目に留まった。もちろん遺構としての断定は出来ないが、、、確証も得られず。

14_sanjyou_kaku_3 北山上郭の現状

16_houksei_isi 20_isi_1 石垣跡

24_minami_sanjyoukaku_1 南山上郭の現状

南郭へは鞍部より南側の逆方向に上れば良いが、こちらは先に触れた様に広い削平地(西側斜面に向いて僅かに段差、あるいは段郭が窺われる)のみとなっており、郭外壁には切岸跡も窺えないのが現状でもある。城跡を個人的に評価すれば、石垣跡の一部を当時のものとすれば、上ってまで窺う価値のある山城とは言えようが、他で見応えのある遺構が存在している訳でもない事を思えば、山登りが好きな(眺望は利く)山城ファンの方にだけお薦め出来る城跡と言った事になろうか、、、、

2011年1月22日 (土)

大川城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市大川にあって、先にリポート掲載を終えた三日市城跡から見れば、丁度由良川を挟んだ西対岸にあり、川に面した尾根上先端部に位置している。もちろん先に三日市城跡を訪れたとすれば、川を隔ててその山塊を望む事は充分可能でもある。城史に関しての詳細は不明

城跡を京阪神側から訪れるには、ルート図の如く国道175号を走り、城跡の北側にある川神社を目指して進行すれば良いが、直登取り付き地点としたのは概念図に示した様に、大川神社南手前の生活道路に入る三叉路から窺える墓地で、この最奥最上段左手の墓地背後の急斜面に取り付いて、稜線沿いに上り切れば、15分もあれば堀切までは辿り着けるだろう。尚、この直登ルートは藪漕ぎまでには至っていないが、相当な急斜面を木々にすがりつきながら登る事になるので、最初に登山する覚悟が必要とは思われる。

1route 登城ルート

5 直登進入路

3oo 城跡概念図

現状城跡は藪化進行中にはあるが、この時期(12月)ともあってか、見学に差し支えるまでには至っておらず、当時の遺構として断定可能な土橋付き堀切などは、ほぼ判別確認可能な状態にあると思って頂いても良いだろう。ただ主郭を始めとした郭跡の地表風化は激しく、郭段差も曖昧なものと化しており、郭構成も切岸がはっきりとしない為に、その形状は非常に掴み難いものとなっている。その切岸は主郭背後、あるいは帯郭などで明確なものが拝めるが、他は土が流出した為とも思われるが、醍醐味を感じられるほどの高低差を伴う切岸は存在しないのが現状でもある。その中にあって見所となるのは、合計4本の堀切と言う事になろうが、概念図に示した二箇所で土橋の付随する堀切(明瞭なもの)が拝める筈である。その片側は見事な縦堀となって下まで落ち込んでおり、遺構の少ない中にあっては、中々目を楽しませてくれるものとなっている。

8_dobasi_horikiri_2_2 南土橋付き堀切見所

12_shukaku 主郭の現状

13_shukaku_kita_heki 主郭北切岸

15_kita_dobasi_horikiri 北土橋付き堀切見所

19_hokutan_horikiri_1 北端堀切見所

16_tatebori 縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、文献などによる情報も皆無に近い為に、何の期待も抱かずに訪れた事を思えば、山上で遭遇する事が出来た4本の堀切遺構は自分の予想を超えたものであり、この城跡に最初から興味があった山城ファンの方には何とかお薦め出来ようか、、、一般城跡ファンの方には短時間ではあるが厳しい登山、あるいはこの見学環境を踏まえれば、中々お薦めとは言えないのが本音でもある。

2011年1月20日 (木)

阿良須城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市大江町北有路にあって、先にリポート掲載を終えた金屋城から見れば、東側にほぼ単独で聳える形の低山山頂(標高118m)に位置しており、金屋城を起点とすれば車で移動しても5分内の距離にある。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、ルート図から窺える様に金屋トンネルを抜けて阿良須神社側に右折針路変更後、概念図に示した入山口(画像に注目)まで向い、ここから上り始めて更に急斜面を上れば、かつての踏み跡程度の山道(倒木が多い)と合流可能であり、その踏み跡に任せて上れば、迷わず切岸壁を伴う西堀切までは辿り着ける(入山口からは10分程度)筈である。

1_1_3 登城ルート

8_nyuuzanguti_1 入山口

3ar 城跡概念図

現状(12月)城跡は藪化進行中にあるが、山城としては比較的見学し易い状態にあり、ある程度見通しも利き、郭移動に難渋する事はまずないものと思って頂いても良いだろう。山上郭群はほぼ主要四郭で形成されたシンプル極まりない形態でもあり、郭跡も含めて全て外見から判別可能な状況にある。その中で見応えのある遺構と言う事になれば、多くはないが二箇所の堀切が城跡最大の見所遺構と言えるものであり、この二箇所の尾根を断つ堀切から縦堀が谷底まで繋がって行く様は、正に圧巻!」と呼べる様相となっている。個人的にはこの遺構見学だけの為に訪れたとしても、絶対に後悔はしないものの様には目に映ったのである。ただ他で郭切岸以外見応えのある遺構に巡り合えなかったのが唯一残念な部分ではあるが、この楚々とした山城の佇まいも見所の一つと考えれば、今回の金屋城と併せた山城巡りは充分値打ちがあったものの様には感じられたのである。

11_nantan_demaru_2 南端の出郭か?

13_nisi_horikiri 西堀切見所

16_shukaku 主郭内部の現状

21_horikiri_shukaku_heki 主郭北切岸見所

20_kita_horikiri_1 北堀切

19_tate_2ren_1 西側の二連縦堀見所

20_tatebori 状態の良い縦堀見所

尚、概念図には示したが、入山口から上った直ぐ先の尾根先端部に、堀切跡らしき地形と郭跡らしきものが目に留まったが、現状竹林地となっている事から荒れ放題と化しており、地形から得た情報だけでの遺構判別は非常に難しく、これが当時の遺構か否かの判定は謎のまま終わったので、これから訪れる方が、見たままを判断すればそれで良いものとは思われる。個人的に城跡を評価すれば、金屋城と併せた二城同日訪問は間違いなく満足感に浸れそうとも思えた事から、見学し易さも含めれば自ずとお薦めしたい山城と言う事にはなるだろう。もちろん規模は最初から問わない事が前提ではあるが、、、

2011年1月18日 (火)

大江金屋城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市大江町金屋にあって、既にリポート掲載を終えた河守城から見れば北東側にあり、国道175号線「金屋トンネルの直ぐ西側丘陵先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、河守城を既に訪れた方ならその位置は掴み易いとは思われるが、京阪神側から向かうには、国道175号を走り「金屋トンネル」だけを目印として目指せば、迷わず今回車を駐車することになる、トンネル手前にある空きスペースまでは到達出来るとは思われる。ここから概念図の如く向かえば、最短距離、最短時間(5分程度)で主郭へは辿り着ける筈である。

1_1_2 登城ルート

8 直登口進入経路

1_2_2 城跡概念図

城跡の形態は地形に任せたまま丘陵上を削平し、郭外壁は本郭群のみ切岸処理されたものとなっており、他の郭跡は見る限り削平しただけに終わっているものでもある。現状(12月)小規模な城跡の縄張り内は植林地となっている事、あるいはかつての社殿がある事から蔓延る木々も意外に少なく、見通しが利く事から郭跡や空堀跡のほぼ全体像が窺え、縄張りも非常に掴み易く、遺構の判別確認は容易に出来る状況にある(山上本郭群だけに関して)。踏破した範囲内で目に留まった遺構は全て概念図には示したが、見所は本郭群の三箇所における空堀で、土橋の備わる堀切とその虎口、縦堀に繋がる堀切と、比較的状態の良い郭切岸も含めれば、見学者の目は充分楽しませてくれる様には思われた。尚、便宜上の三ノ郭から南側にも出郭としての郭が展開されてはいるが、下草が蔓延り地表が見えない状況下にあるので、現状では僅かに窺われる土橋付き空堀の判別までが精一杯の状況となっている。

16_dobasi_horikiri 主郭虎口と土橋付き堀切見所

19_shukaku 主郭内部

21_2maru_yori_shukaku_1 二ノ郭より主郭切岸見所

21_2maru_yori_shukaku 二ノ郭

23_kita_horikiri 北堀切見所

22_nisi_horikiri_tate_1 西堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、車を停めて5分とかからず堀切まで到達可能な圧倒的お手軽空堀遺構の見応え、あるいは山城としての状態の良さも加味すれば、自ずとお薦めの城跡とは言えよう。後でリポート掲載予定の阿良須城(ルート図中に示した)と併せた同日訪問とすれば、更に山城巡りも充実したものになるのではないだろうか。

2011年1月16日 (日)

豪快な畝状空堀群が未だ健在 宇谷城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市桑飼上にあって、由良川橋の南正面となる低丘陵の最高所に位置している。当時一色氏の家臣でもあった飯田河内守の居城が伝わるが詳細は不明

この城跡の魅力であり山城としての醍醐味が最も感じられる部分は、タイトルにも付けた様に状空堀群に尽きるが、山上本郭群の南斜面全域に渡って施されているものであり、その空堀(縦堀)が刻まれた様相は、まるで迷路の様にも窺え、一部は横堀と受け土塁も絡めており、非常に技巧を感じるものとなっている。空堀の一部は現在でもそれなりに深さも保持しており、全体的には下草や低草木に覆われているが、外見から全体像が窺える箇所(画像に注目)もある事から、遺構の見応えや醍醐味は充分感じられる筈である。とりあえず概念図に示したまでが自分の目に留まった遺構群と言う事になるが、南麓に向かうほど藪化は激しく踏破確認も困難を極め、外見からその全容を窺う事は到底出来そうにはなかったが、残された空堀遺構も決してこれだけに終わるものではないだろう、、、、

1_2 登城ルート

4_1 進入口

1_3 城跡概念図

他での見所遺構としては山上本郭群の東、西に備わる堀切が挙げられるが、特に西側に施された堀切の片側が縦堀となって谷状地形に落ち込む様は、正に圧巻とも呼べる様相を呈している。もちろん畝堀と並んで城跡中一番醍醐味が感じられる部分なので、絶対に見逃してはならない。

現状(12月)城跡としては、畝堀の備わる斜面上は下草や雑木で全て覆われている状況にあるが、全体的に見ればかつての参拝登山道が主郭まで繋がっている事から、郭内部は藪化までには至っておらず、主要三郭で形成された本郭群は郭移動もし易い状況となっており、比較的見学し易い山城と言えそうには感じられた。個人的に城跡を評価すれば、縄張りもさほど広域に渡っておらず、小ぶりに近い城跡ではあるが、堀切も含んだ空堀遺構は縄張り妙味に富んだものであり、10分内で主郭まで到達可能な圧倒的お手軽感を含めなくとも、決して期待は裏切らない是非お薦め出来る城跡と自分の目には映ったのである。

16_nisi_shukaku_heki 西郭より主郭切岸

17_shukaku 主郭内

26_minami_une_1

36_une_yoko_tatebori_1畝状空堀群の一部見所

35_nisi_unebori 豪快な三連の縦堀見所

30_nisi_daihorikiri 31_daihorikiri_tatebori西大堀切見所

37_seitan_horikiri_3

西端堀切見所

35_toutan_horikiri_dorui_2 東端堀切見所

城跡を訪れるには、ルート図からは直ぐお分かり頂けるとは思われるが、国道175号より由良川橋を渡れば、その正面に望まれる丘陵が城跡となるので位置確認は容易い筈である。道路沿いからも直ぐに窺える山道(概念図と画像参考)から、規模の大きい広い削平地(当時の郭跡か)を通過して山上を目指せば、迷わず主郭までは到達出来るが、東に備わる堀切側からはかつての参拝道が通じていた様なので、探せば正規の入山口が見つけられるかも知れない。

2011年1月14日 (金)

園部高山城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町船岡にあって、ルート図からお分かり頂ける様に、既にリポート掲載を終えた藁無城跡の直ぐ東側に隣接する、標高378m(比高230m)の高山山頂に位置している。室町時代に成立した城跡と聞くに及んだが、地元郷土史に載せられる程度の山城でもあり、城史に関しての詳細は不明である。

1route_2 登城ルート及び城跡概念図

7 入山口

11_suwayamajyou_1 鉄塔より諏訪山城

この城跡に関しては、諏訪山城あるいは藁無城の築城環境、あるいは地形図(山頂が広い)から考慮した上で、山城としての立地条件は充分満たしていた事から、個人的には気の向くままの見当だけ付けての登山になった訳ではあるが、結果的に山上では城跡と断言出来そうにも思われた広大な削平地(数百mにも及ぶ広大な平坦地形)、郭境における僅かな土塁跡(直線的な仕切り土塁)、郭外壁随所における切岸跡と遭遇する事が叶えられた。その結果、下山後においてのリサーチや外部情報によって、やっと呼称の付いた城山である事の確証は得られたが、城跡遺構としての醍醐味や見応えを感じられるまでには至れなかった。ただ古い形態の山城である事からも、充分山城ロマンに浸る事は出来たが、、、

城跡の形態としては、山上主郭は広大な規模を誇り、ほぼ単郭で成立したものと目に映ったが、先に触れた様に現状では僅かな土塁跡、郭外壁における一部の切岸跡が唯一城跡を物語るものでもある。現状(12月)山上郭は全域にかけて凸凹地形となっており、地表風化には激しいものがあり、自ずと山上郭においては、僅かな地形の変化(段差)から郭構成までを判別出来る状況にはないが、冬枯れして比較的見通しの利く広大な郭跡(削平地)に佇めば、臨場感だけは充分味わう事が出来るだろう。

20_shukaku_3 広大な山上主郭

21_dorui_heki 僅かな土塁跡見所

26_shukaku_kado 切岸跡

24_rogan_retuseki_1 列石に見える露岩

城跡を訪れるには、諏訪山城跡あるいは藁無城跡を起点とすれば分かり易いので、城跡までの訪問ルートは今回割愛させて頂くが、藁無城跡直ぐ東側のルート図に示した鉄塔メンテナンス道入り口が訪城における入山口(画像に注目)となる。個人的には公民館に車を預けてのスタートとなったが、この付近に車の駐車スペースは充分確保出来そうには思われた。ここから道に従ってメンテナンス道を上り切れば、迷わず送電鉄塔までは辿り着けるが、そこからは諏訪山城、太鼓山城、あるいは園部の中心部まで見渡せる景色が堪能出来るだろう。城跡へはそこから更に北に向いて比較的木々の少ない緩い連続傾斜尾根(削平地とも窺えるもの)を上る事になるが、入山口より約20分で広大な山上主郭が迎えてくれる筈である。

2011年1月12日 (水)

南有路城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市大江町南有路にあって、城山と伝わる標高104mの低山山頂に位置している。城史に関しての情報は皆無に近く、戦国期において矢野氏あるいは山名氏の居城が伝わっているが、この両氏の関係は把握出来ず謎、、、。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた引地城を起点とすれば一目瞭然とも言えるが、訪問ルートに関しては既に引地城で触れてあるのでここでは割愛させて頂く。今回山上主郭へ辿り着く為の直登取り付き地点としたのは、道路からも直ぐ望める位置にある小さな稲荷神社(画像に注目)で、概念図の如くこの背後の激斜面に取り付き上れば、距離、時間(約15分)共に最短で主郭までは到達出来るものと思われる。尚、稲荷神社横の民家脇からは、敷地内を通過して中腹辺りまでは充分上れそうな山道が窺えたが、通過する許可さえ得られれば、此方からの方が多少楽な登山となりそうには思われた。

1_1 登城ルート

5 直登進入口

1_2 城跡概念図

城跡の形態は、概念図を参考にして頂ければ察しは付きやすいとは思われるが、山頂の突出した部分に主郭が構えられ、その周囲は切岸化されたほぼ崖とも言える急斜面となっており、その立地環境は低山ではあるが、「当時でも今でも人馬も拒む環境にある」と言っても過言ではないものとは思えた。現状この時期(12月)でも縄張りの全域が藪化進行中にあり、蔓延る下草によって地表が露見していない箇所も数多く見受けられるが、郭移動に難渋するまでには至っておらず、上り下りを含めた急斜面の移動は余儀なくされたが、取り合えず踏破した範囲内で目に留まった遺構は全て概念図には示した。その中で堀切あるいは土塁などの様に判別し易い当時の構築物は見受けられなかったが、この圧倒的高低差を誇る郭切岸だけは見所と呼ぶに相応しいものであり、この要害堅固を誇る佇まいと並んで、厳しい斜面を上ってまで窺う価値のある遺構と思えたのである。ただ地形上から城域とも窺われた、主郭から西尾根、あるいは東尾根までは雑木藪地に阻まれ、踏破確認は出来ずに終わってしまったので、残された遺構も決して此れだけに止まるものではないとは思われる、、、

11_minami_kaku 南郭

14_shukaku_1 主郭の現状

16_higasi_kosikaku 東腰郭

18_2maru_heki 二ノ郭の切岸

25_tatebori_tikei 縦堀地形?

城跡を個人的に評価すれば、屹立する切岸も含めた険峻さを誇る山城の佇まい、あるいは風情、あるいは現在に至るまで手付かずとも思えた、状態は悪いが残存度の高い遺構を見て楽しむだけ、と割り切れば充分お薦めは出来ようが、縄張り妙味あるいは遺構の醍醐味を問われれば、高低差を誇る切岸だけとも思えるので、少し返答に困るのが現実でもある。これから少しでも訪城する準備のあった方には、是非この記事と概念図を目安にして頂きたいと思うのである。

2011年1月10日 (月)

引地城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市大江町南有路にあって、既にリポート掲載を終えた北有路城とは、由良川を隔てた南東対岸の丘陵上に位置している。更にこの引地城の北東側の山頂104mの地点には呼応する形で南有路城が存在するが、この山城のリポートは後で掲載予定。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには北有路城を起点とすればその位置は分かり易いが、ルート図の如く国道175号を走り、北有路城の山塊を背にして「大雲橋」を渡り、県道55号へ合流する訪問ルートが一番分かり易いとは思われる。橋を渡れば左手に見えてくる低丘陵が城跡でもあるので位置確認は容易く、道路沿いにある祠参拝用の登城口(画像に注目)から上れば、直ぐにでも便宜上の北郭が迎えてくれる筈である。

1route 登城ルート

7 登城口

3hik 城跡概念図

城跡はほぼ独立した低丘陵上の全てが縄張りと見受けられ、総全長は百mには軽く達するものでもあり、その形態はほぼ概念図に示した通りと思って頂いても良いとは思われる。ただ主郭の一部を含めて西側一帯は低草木に一面が覆われており、遺構の踏破確認は不能となっているので、残された遺構も図中に示した限りではなく、郭形状などは踏破確認可能な範囲内での、一部推察を含めたものとは思って頂きたい。現状城域の南北は宅地造成、あるいは道路造成によって明らかに消失した部分(いきなり郭跡が削り落とされている)が見受けられ、自ずと城跡における当時の縄張りは見学者の想像に委ねられる事になる。城跡に薬研堀などの様なインパクトのある遺構は望めないが、土塁の付随する空堀跡(僅かに)、堀切あるいは虎口の様にも窺える空堀地形、切岸跡、縦堀(外見から目に留まったものだけ)などは、充分見所として挙げても良さそうには思われた。

9_kitakaku 北郭の現状

10_naka_karabori 中郭

15_shukaku 残念な主郭の現状

22_higasi_karabori_dorui 22_higasi_karabori_dorui_3 土塁、空堀見所

17_minami1 南郭1

24_minamikaku_kirikisi 南郭の切岸と僅かな土塁空堀跡

城跡を個人的に評価すれば、道路から直ぐに到達可能な圧倒的お手軽感を考えれば、充分お薦めの城跡と言う事にはなるが、この時期(12月)においても下草が蔓延り(特に主郭と中、北郭)、更に間伐後に放置された木々の為に遺構見学はし辛く、状態が良いものとは決して言えないので、この後で訪れる事になった隣接する南有路城と併せた同日訪問とすれば、何とか充実した山城巡りとなりそうには思えたのである。

2011年1月 8日 (土)

畝状空堀群が唯一の見所 三日市城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市三日市にあって、因福谷集落にある「法心寺」の直ぐ南背後の山上に位置しており、現在山上主郭には、かつてここが神社であった事を物語る拝殿が、郭転用地でもある小規模な敷地に一人置き去りにされている。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、国道175号を経て「大川橋」を渡り県道55号を少し南下する訪問ルートが、今回車を預ける事になる「法心寺」までは一番分かり易く辿り着けるものとは思われる。寺院到着後は概念図及び画像に示したルートで、かつての参拝山道を利用して上れば、迷わず山上主郭までは到達(寺院から約5分)出来るだろう。

1route 登城ルート

10 進入経路

3mi 城跡概念図

この城跡の形態は、ほぼ概念図に示した通り(本郭周囲のみ)と思って頂いても良いとは思われるが、山上本郭群は三郭で構成された非常に小規模なものである。ただこの砦規模の山城にしては余りにも似つかわしくない畝状空堀が主郭東側斜面全域に施されており、城跡唯一の見所遺構として、見学者の眼を楽しませてくれるものとなっている。現状この畝堀のほとんどは草木に覆われており、外見からは非常に判別確認し辛い状況にあるが、木々の隙間を縫って斜面を上り下りすれば、コブ状になった土塁、あるいは縦堀までは充分確認可能な状況にあると思って頂いても良いだろう。見応えのある南大堀切(縦堀が見事!)を挟んだ更に南側には、南山上郭と呼べそうな広い削平地があるが、ここも当時の縄張りの一部と思っても良いとは思われる。

14_une_kitagawa 15_unebori_1 畝状空堀群見所

27_shukaku_minami_kaku 空堀状の武者隠し?見所

28_shukaku 主郭

29_shukaku_gedan1 北郭1

19_minami_daihorikiri_2 南大堀切見所

20_horikiri_tate_1 見事な南縦堀見所

城跡を個人的に評価すれば、城跡の大小を問わず「山城見学における遺構の醍醐味は、空堀と郭を形成する切岸にある」と言っても過言とは思えず、この山城も物見(狼煙台)程度の非常に小規模なものではあるが、この畝堀見学だけの訪城としても、充分満足感には浸れそうには思えた、、、更に楚々とした山城の佇まい、ほぼ完存とも窺えた史跡としての値打ちまで含めれば、間違いなくお薦め出来る山城として目には映ったのである。

2011年1月 6日 (木)

池ノ内城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市八木町池ノ内にあって、集落の北西背後に聳える低山山上に位置している。下山時には麓で偶然出くわした城山所有者から話しを伺う事は出来たが、城跡としての認識はほとんど無きに等しいものであり、城史に関しての情報も皆無に近いものとなっている。

1route 登城ルート

5_2  入山進入経路

3 城跡概念図

現状(12月)自分の見た限り、眼にする事の出来る当時の遺構は、郭を形成する切岸と削平地のみといった処であり、砦規模の小さな山城である事からも、縄張りは掴み易いが、堀切などの様に見応えのある遺構は全く期待出来そうにはなかった。形態としては狼煙台程度の規模の主郭に帯郭(三段程度)が付随したものであり、その明瞭とも言える郭切岸は、堆積物のせいもあってなのか高低差は余り見受けられなかった。主郭内部には人為的とも思える列石が目に留まったが、露岩を利用して櫓台として機能させていたものかも知れない(推察)。城山所有者には「過去も現在もほとんど山には踏み入っていない」と聞くに及んだが、その自然任せの手付かずの遺構は、当時のままが現在に至ったものの様にも窺えたのである。よって遺構としての見応えには随分欠けるが、史跡としての値打ちは決して下がらないものと自分の目には映ったのである。

11_obi_dan 北側の帯郭

11_obi_dan_2 最下段の帯郭と切岸

17_sizen_retuseki 主郭の露岩列石

12 東帯郭

城跡を個人的に評価すれば、見応えのある遺構は皆無に近いとあって、丹波地方の山城に興味のある方にとっての所在地確認及び現況報告、あるいは今回のリポートで初めてこの山城の存在を知り得た方の為に、少しでもこの情報が役に立ったのであれば良しとしたい処か、、、、

城跡を訪れるには、ルート図の如く国道9号「吉富」の信号より西進して池ノ内集落を目指せば良いが、入山口となる付近の詳細は概念図には示した。目印としたビニールハウスの脇から山道(倒木、倒竹が多い)を利用して谷状地形の奥まで入り、適当な箇所から右手斜面に取り付いて上れば、藪漕ぎも無く15分程度で山上へ到達出来る筈である。

2011年1月 4日 (火)

丹後 原城跡(京都府舞鶴市)

城跡は京都府舞鶴市桑飼下にあって、原谷集落の東側に位置する丘陵最高所に位置している。当時は丹後全域にかけて威を振るった一色氏一族の一人でもある、一色兵部太夫義季の居城が伝わっている事からも、当然一色氏にとっては戦略的に重要な山城であったものと考えられよう。

城跡を訪れるには、スタート地点によっては色んな訪問ルートが考えられるが、京都市内から向かうのであれば、京都縦貫自動車道「舞鶴大江」ICが最寄の乗降口となる。そこから東進して舞鶴市内まで通じる国道175号を経由し、「岡田下橋」を渡り県道55号へ合流して原谷集落へ向かうルートが一番分かり易いとは思われる。原谷集落に入るには分かり易い目印がないので、ルート図から判断して頂くより方法は無いが、「岡田下橋」からは西進する事、1.5kmを目安として頂ければ良いだろう。現地で山上まで上れる山道の有無を尋ねた処、現在山上まで通じる山道は無く、概念図に示した直登ルートが地元の方に勧められたルートでもあるので、これから訪ねる方は、迷わずこの急斜面直登ルートを辿る事をお薦めしたい(下草は多いが藪漕ぎまでは至らず)。

1route 登城ルート

4_sinnyuukuti 直登口までの進入路

3 城跡概念図

現状(12月)城跡は、当然藪化は進行中にあるが、小規模(砦規模)でシンプルな形態を持つ山城ともあって、遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。ただ主郭だけに限っては、木々に遮られその全体像まで窺う事は非常に困難となっており、その切岸斜面も含めれば、木々の隙間を縫っての郭移動は余儀なくされるのが現実でもある。その様な状況下で、踏破した範囲内で目に留まった遺構は全て概念図には示したが、切り立つ周囲の斜面までは密生する雑木に阻まれ、踏破する事も外見から窺う事も叶わなかったので、残存遺構(特に縦堀)も図に示した限りではないものとは思って頂きたい。

7_hokusei_kaku 北西郭

9_nisikaku2_1 西郭2

12_shukaku_1 主郭の現状

16_kita_horikiri_dorui 北斜面の空堀、土塁見所

18_2jyuu_horikiri_2 二重堀切1見所

19_tatebori 縦堀に繋がる様見所

城跡にあって見所となるのは、主郭西背後を断つ二重堀切と、凄い高低差を誇る堀切壁、主郭北斜面に施された武者隠しの機能とも窺われた空堀(横堀)及び付随する受け土塁は真っ先に挙げられようが、何れもその空堀両端は縦堀として繋がっているので、見応えは充分感じられる筈である。ただこの大土塁を伴う二重堀切の状態は非常に悪く、倒木や木々に遮られてその全体像までは拝めないのが残念な部分ではある。城跡を個人的に評価すれば、この見学環境からしても状態が良いものとは決して言えないが、先に触れた堀切の醍醐味、山城の醸し出す風情、あるいはその険峻な佇まいも含めれば、山城ファンの方だけにはお薦め出来ようか、、、。

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