加井妻城跡(広島県三次市)
城跡は広島県三次市粟屋町にあって、当時は三吉氏一族の居城が伝わっているが、この三吉氏は比熊山城(リポート掲載は終えた)を本城としており、毛利氏防長移動の際にはそれに従った一族でもあり、この山城は比熊山城の出城と位置付ければ良いのかも知れない。別称粟屋城、青屋城とも呼ばれている。
城跡を訪れるには中国自動車道「三次」ICが最寄の乗降口となるが、ルート図でお分かり頂ける様に中国自動車道が真下に望める丘陵先端に位置しており、ICからは県道64号へ合流して江の川に沿って車を走らせればよい。直登口となる(画像に注目)のは概念図における二箇所からで、一方には鉄梯子が備わっており、そのまま上れば山上には難なく辿り着けるだろう。ただこの鉄梯子は途中で木々に遮られて迂回を余儀なくされた事から、ここでは鉄梯子の西側からの直登を敢えてお勧めしたい、どちらを選択しても5分内で山上までは到達可能となっている。尚、車の駐車に関しては、探せば付近に路駐可能なスペースは充分あるので心配には及ばないだろう。
現状(11月)城跡は藪化までには至っておらず、シンプル過ぎる縄張り内の遺構に関しては全て判別可能となっている。形態は概念図に示した様にほぼ三郭で構成されたものであり、主郭の南側には櫓台的な土塁が付随しており、東あるいは西側には虎口跡らしきものも窺える。土塁背後には城跡中一番の見応えとなっている堀切壁が直立に近い切岸を伴って屹立(画像に注目)しており、訪れた者の目は必ず楽しませてくれるものと見たが、この城跡は堀切見学だけの為に訪れても決して後悔はしなさそうにも思えたのである。もちろん他に見所が無い為に余計そう思えるのかも知れないが、、、
城跡を個人的に評価すれば、ほぼ対岸に位置する勝山城(ルート図に位置記載)は状態は悪いが、遺構残存度は非常に高く、残存する石垣跡、あるいは堀切などの見応えは充分でもあり、勝山城跡と併せた同日訪問は是非お薦めしたいのである。尚、勝山城に関しては後日掲載予定
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いつも楽しく拝見し、参考にさせてもらっています。先日、加井妻城に登りましたがこのブログの郭図より奥に堀切で隔てた2つの郭がありました。さらにその奥には住居跡にもなるような広大な削平地がありました。文献等で調べてないので城域かどうか分かりませんが参考までに。
投稿: ゆたか | 2012年5月21日 (月) 08時36分