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2010年12月11日 (土)

痩せ尾根を極限まで利用した山城 三谷城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市三谷にあって、添谷集落の北背後にあたる標高約260m(比高100m)の山頂部を主郭として、その南東、北西側の尾根上が城域となるもので、その直線的な痩せ尾根上に郭は分散展開されている。城史に関しては三谷氏の居城は伝わるが詳細は不明でもある。

この山城を一言で語れば、険峻極まりない痩せ尾根上を極限まで利用して築かれた城跡、と言う事になるが、遺構見学においては尾根上の上り下りも含めて、概念図に示した自身が踏破した範囲をそのまま踏破する事になれば、ある程度の距離を歩く事は余儀なくされる。しかしこの山城の本質を探る上では、これを機会として訪れる準備のある方には、是非概念図におけるまでは踏破して頂きたいのである。踏破した範囲で目に留まった遺構は全て概念図には記したが、見応えのある遺構と言う事になれば、北西端に施された大土塁を伴う堀切は真っ先に挙げられようが、この山城の魅力であり醍醐味は、自然露岩を取り込んで代用とした切岸、あるいは土塁、更に険峻極まりない地形をも防備として縄張りに取り込んだ、佇まいそのものとも感じられた。その似た様な形態からは、丹波沼城が直ぐ思い起こされてしまったが、どちらも山城としては探索冥利に尽きるものと言えよう。

1_1 登城ルート

7 進入路

1_2_2 城跡概念図

現状(11月)城跡は藪化までには至っておらず、主郭を含めた主要な郭跡は見通しが利き、ほぼ全体像が拝める状態にあるので、その形状や縄張りの把握は容易い状況となっており、人の手の入らない山城としてみれば、これ以上望めない良い状態が自然維持されている。山上郭群の片隅からは更に下界の見通しの利く箇所もあり、山上に佇めば更に癒される事はまず間違いないものと感じられたが、この無名に限りなく近い山城には、久し振りに山城賛歌を贈りたい気分にさせられたのである。自分と同様に険峻な地にあって、尚且つ楚々とした山城を愛して止まない山城ファンの方とは、是非同じ感動を味わいたいと思えたのであるが、一般城跡ファンの方にも、この山城の存在は是非認識して頂きたいと思えたのである。

10_hakohori_1 到達地点の箱堀見所

14_3maru 三ノ郭

17_nisi_sentan_horikiri 西端堀切見所

20_2maru_gannheki 露岩を代用した切岸見所

22_2maru_1 眺望が利く二ノ郭

26_shukaku 状態の良い主郭

28_shuaku_heki 主郭東の凄い切岸見所

31_monomi_ooiwa 土塁の代用とした大露岩見所

34_higasi_kaku 東郭

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた十二所城を起点とすれば分かり易いが、国道9号を利用して訪れるのであれば、十二所城の山塊を左手に見ながら県道70号へ進入する事が先決、後は井垣城の直ぐ傍を通過してそのまま南下し、ルート図に示した簡易郵便局の先から添谷集落に向いて右折進路変更すればよい。直登取り付き地点は概念図を参考にすれば直ぐ分かるとは思われるが、集落北最奥の家屋背後から取り付き、その激斜面をそのまま上り切れば自ずと堀切(箱堀)へ到達出来る筈である。尚、斜面が厳しく(露岩が多い)なれば自ずと左側へ移動しながら上る事が肝心(ルート図中に示した赤線を辿る事が大事)となる。所要時間は取り付き口から10分程度

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