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2010年12月15日 (水)

豪快な空堀、石垣跡が未だ健在 備後勝山城跡(広島県三次市)

城跡は広島県三次市粟屋町にあって、先にリポート掲載を終えた加井妻城から見れば、川を隔てた北東側対岸の山上に位置しており、加井妻城同様に三吉氏の居城が伝わっている。三吉氏の本城とも言える比熊山城は、規模から言えば大名クラスの城跡でもあり、石垣を用いた巨大な規模を誇る山城でもあったが、この山城も同様に土塁内壁や一部の郭外壁はほとんど石垣で固められていた様にも見受けられたのである。もちろん秀吉による城割りによって、郭外壁にまとまって残された石垣跡を窺う事は、今となってはほとんど出来ないが、それでも土塁内壁部分や郭外壁随所に石垣跡を窺う事は可能となっている。

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登城ルート

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城跡遠望

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直登取り付き口

城跡を訪れるには、加井妻城と同様の訪問ルートになるのでここでは割愛させて頂くが、直登取り付き地点となるのは、画像に示した道路造成工事現場西側の尾根先端部で、小さな石仏を目印とすれば良いだろう。ここから激斜面に取り付いて上れば、5分内で城跡一番の見所遺構とも言える、豪快な空堀(縦堀に繋がる堀切)が迎えてくれる筈である。尚、この堀切上部から郭は既に形成されており、郭周囲には一部土塁も窺えるが、踏み入る余地のない矢竹にほとんど覆われているので、土塁を確認すれば左手斜面(北西斜面)に回り込みながら、三ノ郭まで上り切った方が良いだろう。

9_horikiri 14_tatehori 13_2ren_tatehori 堀切と豪快な縦堀見所

  現状(11月)城跡は、便宜上の二ノ郭には今にも朽ち果てそうな社殿はあるが、近年ここまで人が踏み入った形跡はほとんど見受けられず、主郭を含めた山上における主要三郭及び付随する郭跡も、倒木や堆積物、あるいは藪化の進行によって荒れ放題の様相と化している。特に主郭の藪化は激しく(細い竹が密生)、広い規模を誇る郭内部は現状移動にも差し支える状態にあり、とにかく倒木の隙間や歩けそうな場所を見つけての探索は余儀なくされよう。その中でも二ノ郭は、かつての社殿が建つ事から一番ましな状態にあるが、木々に遮られて中々全体像が窺えないのが現状でもある。よって今回は概念図を作成する事も出来なかったが、今回踏破に及んだ主要三郭と付随する郭、あるいは踏破可能であった西側斜面上における目に留まった遺構だけをピックアップさせて頂く。

まず主郭北背後には内壁が石積となっている分厚い高土塁 、主郭内部の郭境となる石積 、三ノ郭には周囲を覆う分厚い土、その内壁にはまとまった石積(画像に注目) 、三ノ郭南壁の一部に石積、二と三ノ郭間には堀切(横堀)、主郭西斜面上に刻まれた明瞭な縦堀三条程度、直登ルートから窺われる堀切、及びそれに繋がる豪快な縦堀などが特にこの山城を特徴付ける遺構群と言えるだろう。石垣跡に関しては郭壁随所で確認可能となっており、まだ探せばいくらでも拝めそうには思えた。状態は良いとは決して言えないが、とにかく遺構の見応えも山城としての醍醐味も充分味わえるものと感じられた事から、個人的には山城ファンの方には加井妻城と併せた訪問は是非お薦めしたいのである。

25_shukaku_nisi_heki_1 状態の良い主郭西切岸見所

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三ノ郭土塁内壁のまとまった石積見所

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主郭内部の石積と現状

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主郭大土塁見所

35_2maru_naibu_2 二ノ郭の現状

26_2to3maru_horikiri 郭間の堀切(横堀)見所

尚、地元で事前に「隣の尾根上には砦跡もある」との情報を得、個人的には集落に近い西側の尾根上と思い込んで上り、砦跡(出郭)らしき広い削平地は確認出来たが、堀切などの分かり易い遺構には巡り合う事が叶わなかった。今思えば同じ隣でも未踏に終わった東尾根上だったかも知れないので、これを機会に訪れる方にはルート図中には推察砦跡と記載したので参考までに、、、。

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