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2010年12月

2010年12月30日 (木)

縄張りプランは正に一見の価値あり! 仁後城跡(広島県安芸高田市)

この城跡は、タイトルに「縄張りプランは一見の価値あり!」とした様に、空堀を多用して築かれた複雑な縄張りは、見る者を間違いなく魅了して止まない、探索冥利に尽きる城跡と眼に映った事から、「山城賛歌」としては今年の取りを飾るに相応しい山城としてリポート掲載をするに及んだものである。残存状態が良いとは決して言えないが、山城としての遺構の醍醐味や縄張り妙味など、本郭周りに凝縮された遺構の数々は賞賛に値するものとも見受けられ、その佇まいや当時の構築物の機能の想像も含めれば、絶対に期待はずれに終わるものとは思われなかったのである。出城も含めた城域はそれなりに広いが、見て回りやすい状態にはあるので、これを機に一度訪れて見ようと思われた方には、迷わず訪問をお薦めしたい

1_1 登城ルート

7 案内板のある駐車場

1_2

「城址案内説明版」より

3ni 城跡概念図

城跡は広島県安芸高田市高宮町舟木にあって、既にリポート掲載を終えた牛首城とは同様の訪問ルートで訪ねる事が出来るので、ここでは細かい道順の説明は割愛させて頂くが、牛首城跡の道標の掲げられた一般道322号は、そのまま奥垣内城跡側へ向いて車を走らせれば良い。目印となるのは寺院「西連坊」で、付近まで到達すればルート図を参考にして城址案内説明板のある駐車場まで向かえば良い。そこから目の前に望める(画像に注目)城跡を目指せばよいのだが、現在登城用の山道は無く、城跡の周囲は入山開閉口も見当たらない頑丈な獣避け鉄柵が施されており、登城口を探すには随分苦労させられる。とにかく腰程度の高さの鉄柵(概念図に示した付近)を見つけて、それをまず乗り越える事が必要とされるが、柵を乗り越えてそのまま上れば、直ぐにでも二連の土塁を伴う堀切(僅かな横堀を含めると三連)が歓迎してくれる筈である。

12_2jyuu_horikiri_tatehori_e_1 東二重堀切、大土塁見所

18_naka_daihorikiri_1 中央大堀切見所

23_obi_yori_shukaku_heki 帯郭より主郭切岸

25_shukaku_1 主郭の現状

28_dorui_karahori 南西郭の大土塁と空堀見所

32_2ren_dorui_karahori_2 二連の土塁と空堀見所

36_seitan_horikiri 西端の二重堀切2見所

41_daihorikiri東出城の大堀切見所

この城跡を語り出せば限が無くなりそうとも思えるが、ここでは自身が踏破した範囲内で目に留まった、山城ファンの方であれば誰でも判別確認可能と思えた遺構だけを概念図には示したので、これから訪れる準備のある方には是非これを参考にして頂きたい。もちろん城域となる全ての斜面を踏破した訳ではないので、残された遺構も決してこれだけに止まるものとは思われないが、、、この城跡を語る上での醍醐味、あるいは見応えを感じられる部分は、冒頭で触れた様に空堀に尽きるものとは思われるが、主郭の東西尾根を断つ二箇所の二重堀切と中央の大堀切(何れも縦堀に繋がる)、主郭西側に施された迷路の如き空堀(横堀と縦堀に土塁が付随)、更に東末端部に位置する出城(出郭)を断つ大堀切と、とにかく空堀は全て見応えのあるものであり、見所と言えるものでもある。もちろん郭を形成する切岸も忘れてはならないが、突出した高さに位置する主郭、二ノ郭、三ノ郭の凄い高低差を誇る切岸も、低山ではあるが山城としての醍醐味が強く感じられる部分なので、決しておろそかには出来ないだろう。他では東出城(三段郭の総全長は30m程度)も当時の形態をそのまま今に残したものとも見受けられたので、是非ここまでは足を延ばして頂きたいと思うのである。

2010年12月29日 (水)

一ノ瀬城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市於与岐(オヨギ)町田和にあって、低山の山上に位置している。当時田中平太郎の居城は伝わるが、情報は皆無に近く城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、綾部を経由して舞鶴まで繋がる国道27号を利用する事になるが、この訪問ルートは、先にリポート掲載を終えた松梨城あるいは中山城と途中までは同じルートでもあるので分かり易いとは思われる。国道27号「黒谷」交差点を右折して県道74号へ針路変更すれば、後はルート図を参考にして現地まで向かえば良いが、入山口(画像に注目)は道路沿いにある消火栓と電柱の間の道からで、ここから最奥にある墓地まで上り、更に踏み跡を辿って山上尾根を目指せば、とりあえず地元の共有電波施設までは到達出来る筈である、ここから左手側の尾根をそのまま上れば、迷わず山上主郭までは辿り着けよう。(所要時間10分前後

1_1 登城ルート

5nyuuzanguti 入山口

I_13 尾根上到達地点

11_karabori_dobasi_1 11_karabori_dobasi 空堀と上り虎口

9 主郭の現状

15_heki 主郭南壁

現状(10月)城跡は全域にかけて矢竹及び雑木藪地となっており、藪化は深刻化している状況にある。当然郭移動も視認による遺構確認も困難を極め、藪漕ぎしながらの郭移動は余儀なくされる状態にあると思って頂ければ良いだろう。その中で判別確認出来た数少ない遺構は、規模の小さい主郭とその周りに付随する郭跡、上り土塁虎口を形成する空堀、切岸程度でもあり、見応えを感じるまでの遺構には巡り合う事が出来なかった。枝尾根がない事からも、郭の展開は恐らく山上だけに限られるものと思われるが、西側に延びる尾根上までは踏破出来なかったので、実態は最後まで謎となってしまった。

城跡を個人的に評価すれば、遺構の判別にも苦労し、郭移動にも難渋する現状から考えれば、とても訪問をお薦め出来る城跡と言えそうにないのが本音ではある。ただ冬枯れ後の訪問となれば、多少状況も変わるとは思われるが、、、僅かにそれに期待するしか手はなさそうである。取り合えず今回は、熱心な山城ファンの方だけに向けての所在地の確認、あるいは簡単な城跡の現況報告としただけでリポートは終えたい。

2010年12月27日 (月)

立脇城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市立脇にあって、総石垣城として全国的にも名を轟かせている、但馬竹田城跡からは更に国道沿いに南へ6km程度移動した山上に位置している。無名に限りなく近い山城なので、城史に関しての詳細は全く不明でもあるが、かつて竹田城を居城とした太田垣氏の南側を牽制した出城とすれば良いのかも知れない、、?

城跡を訪れるには、竹田城を起点とすれば一番分かり易いが、国道312号沿いにある「道の駅あさこ」を目印として目指せば、その位置からは川を挟んだ西側に聳える山の山頂(標高309m)がそれにあたるので、位置確認は容易いものとは思われる。登山開始地点となるのは、ルート図に示した朝来中学校グラウンドの西に面した小さな神社で、その脇からは山上尾根南側の峠に向けて山道が繋がっている。ただ途中から山道をそれて目印となる緑色の防災施設に向いて上らなければならないが、山上尾根が見え始めてきた付近から右手側の斜面に向いて進路を変えれば良いだろう、防災施設の真下を通過して更に尾根上まで上れば、後は概念図を参考にして尾根上地形に任せて北上すれば、自ずと山上主郭までは辿り着ける筈である。(神社からは15分程度)

1route_2 登城ルート

4_2 登山口進入路

11_bousai_sisetu 目印となる防災施設

3t 城跡概念図

現状(11月)城跡は、主郭内部は下草が蔓延り、荒れ放題の様相は呈している(画像に注目)が、蔓延っていた雑木は近年伐採された様にも窺え、山頂は意外にも見通しは利く状態にあった。城跡の形態はほぼ概念図にある通りと思って頂いても良いとは思われるが、主郭西斜面側は密生する雑木林となっているので、遺構の踏破確認は出来ずに終わってしまった。主郭北斜面側には二重堀切が備わっていたので、当然西側にも堀切は備わっているものと察せられたが、推察の域は出ないものでもある。山上本郭部はほぼ単郭構造と見て良いものとは思われるが、内部は僅かな段差によって三郭に分かれており、その中心部は櫓台の様にも窺われた。この城跡において見所となるのは、先に触れた二重堀切はまず挙げられるが、堀切を形成すべく切岸も高低差を伴うものであり、ほぼ全体像が窺える事もあってか、充分な見応えを感じる事は出来た。

16_shukaku 主郭の現状

23_horikiri_heki 主郭北、堀切壁見所

25_horikiri2 二重堀切2見所

27_horikiri2_yori_shukaku_1 二重堀切より土塁、主郭壁

28_shukaku_heki 主郭東切岸見所

個人的に但馬地方においては、今まで規模の大小を問わず多くの山城を訪れた計算になったが、その多くには必ずどこかに空堀が刻まれており、山名氏の縄張りプランは随所でお目にかかって来た。その山城の多くは山名氏の居城此隅山城、三開山城、あるいは有子山城を代表とするように、その城跡の位置する標高も含めて、険峻さだけは特別秀でているのである。この山城も険峻な佇まいも含めれば、充分お薦めしたい山城の一と言う事にはなるが、規模の大小は最初から問わない事が前提とはなろう。個人的には楚々とした山城が放つ悲哀さこそが、山城ロマンに浸る事の出来る最短の近道である様にも思えるのである。

2010年12月25日 (土)

奥垣内城跡(広島県安芸高田市)

城跡は広島県安芸高田市高宮町舟木にあって、水谷集落から生田川に向いてせり出した丘陵上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには中国自動車道「高田」ICが最寄の乗降口となるが、先にリポート掲載を終えた牛首城とはほぼ同様の訪問ルートとなるので、ここでは細かい道順の説明は割愛させて頂く。牛首城を起点とすれば一般道322号をそのまま更に東へ向かえば良い。この道路から城跡へ到達する間には仁後城もあるが、この城跡は非常に複雑な縄張りプランでもあり、概念図の作成に少々手間取っている事から、多少リポートは遅れる予定。

1route_2 登城ルート

5 城跡遠望

3ok 城跡概念図

この山城へ向かうには付近に分かり易い建物も目印となるものもないので、地形図から場所を確認して頂くより他ないが、直登口となるのは道路からも直ぐ確認可能な、概念図に示した墓地の背後からで、この斜面に備わる害獣避け鉄柵を乗り越えて、更に上れば数分で山上主郭までは辿り着ける筈である。尚、この鉄柵は山裾周囲を覆う形で張り巡らしてあるので、唯一乗り越えれる程度の腰までの高さの鉄柵を探さなければならない、それがこの墓地背後にあたるのだが、民家の方に事前に許可を頂き、敷地内を通過して山道に進入しても良いとは思われる。ただどちらを選択しても、鉄柵を開閉する箇所は見当たらなかったので、柵を乗り越える必要はあるとは思われるが、、、

8_nantan_iwa_koguti 南端の物見風大岩

13_gedan2_dorui_koguti 土塁虎口か

16_shukaku 主郭内部の現状

20_horikiri 堀切

21_sita_une 22_une_2 畝堀と窺われる地形見所

全長60m前後の砦規模のこの山城は、概念図に示した様に主郭と小規模な段郭で構成されており、堀切は主郭北背後を断つ形で備わってはいるが、現状を見る限り浅いものであり、見応えは余り望めないものでもある。当然堆積物のせいとも考えられるが、後世において堀切壁となる土塁が削り取られた可能性も否定は出来ない。城跡にあって見所を探すとなると中々苦労するが、縄張りにおける特徴と言う事であれば、畝状空堀群は挙げられるのかもしれない。ただこの畝堀は自身が外見(僅かにコブ状になった土塁間に浅い溝が見止められる)から判断しただけのものであり、縄張りとしての必然性も含めて畝堀としたが、実際の処は調査後におけるリサーチもしておらず、伐採後に放置された木々や下草で、非常に判別し難い状況にある事も相俟って、現状では確証が持てないでいる。この畝堀に関してはこれから見学する方が、その場で判断を下せばそれで良いものとは思われるが、他の遺構としては明瞭な四本縦堀土塁を伴った虎口らしき跡が目に留まった程度と思って頂ければ良いとは思われる。

城跡を個人的に評価すれば、同じ高宮町にあって、後でリポート掲載予定をしている仁後城、あるいは牛首城と併せた同日訪問とするのであれば、訪れる値打ちも充分生まれて来る様には感じられたのである。

2010年12月23日 (木)

無数に刻まれた畝状空堀群が特徴 牛首城跡(広島県安芸高田市)

城跡は広島県安芸高田市高宮町佐々部にあって、五十貫部集落にある公民館の直ぐ背後にあたる、ほぼ独立した低山山上に位置しており、ほぼ平山城と呼べるものでもある。城史に関しての概略は「現地案内板より」をクリックの事

城跡を訪れるには、後でリポート掲載予定の奥垣内城あるいは仁後城と同様の訪問ルートとなるが、最寄となる高速道路IC乗降口は中国自動車道「高田」で、県道64号から県道4号と経由して、高宮町の中心にあたる「支所前」信号より右折して向かえばよい。そこから1kmも走れば、登城口でもあるルート図に示した公民館までは難なく辿り着けるとは思われる。後は概念図に示した通りに参拝道任せに歩いて向かえば、直ぐにでも山上主郭までは辿り着ける筈である。

1_1 登城ルート

4 公民館手前の道標

1 現地案内板より

3u 城跡概念図

この城跡は城址案内説明版には記されてあるが、畝状空堀を特徴とするものであり、概念図に示した緩い傾斜の斜面上(主郭東側斜面)では、相当数の畝堀にお目にかかる事が可能となっている、ただ現状では下草や数百年レベルの堆積物、あるいは表土の流出によって、地形から畝堀を見極めるには相当信頼の出来得る目が必要と言えそうには思われた。もちろん山城巡りの回数をこなされて来た方にとっては、難なく判別出来そうには思われたが、緩い斜面上とあってか見応えには随分欠けそうには感じられた(非常に残念!)。他では概念図に示した付近で明確な三本の縦堀を眼にする事が出来るが、これは畝堀と並んで城跡にあっては最大見所と呼べるものであり、未だ深さは失われておらず決して見逃して欲しくない遺構でもある。現在、規模の大きい主郭には社殿が建てられているが、地元の方の情報によれば、近年までは畑地となっていたそうであり、この南下段側が御屋敷跡と呼ばれる当時の城主の居住空間であったそうである。ここでは郭をL字状に巡る土塁郭内壁でまとまった石垣跡を眼にする事が出来るが、この郭内外壁で見受けられる崩落石や、随所で窺われる石垣の痕跡などから、御屋敷跡と呼ばれた郭跡の内外壁は、推察も含めて全て石垣で固められていた様にも思えた。

11_shukaku_1 主郭南側

13_yagura 主郭北、櫓台か

35_naka_horikiri 中央大堀切(縦堀)見所

16_doruikaku_heki_isi_1 御屋敷跡土塁内壁の石積見所

19_yasiki_2 御屋敷跡の現状

23_yasiki_gaiheki 南側切岸

38_une_1 38_une_3 外見からは少し判別し難い畝堀見所

現状(11月)山上本郭部を除けば、城跡の状態は非常に醜く、地表は風化で凸凹地形、更に蔓延る低草木がそれに追い討ちをかけており、とにかく荒れ放題と化している。よって概念図に示した様に郭境も判別し難く、地形の変化から縄張りを見極めるには非常に困難を極める状況にある。特に主郭北側(道路側)一帯は土塁らしい地形は目に留まるが、地形から機能を想像するには、楽しさを随分通り越したものとなっているのが現状でもある。城跡を個人的に評価すれば、状態は悪いがこれだけの数の畝堀を眼にする事はそう出来るものでもなく、縦堀も含めた畝堀群の見学だけで、充分訪れる値打ちはあるものと目には映ったのである。

2010年12月21日 (火)

能座城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市能座にあって、現在中尾神社の建つ敷地が城跡でもある。「中尾神社砦」の別称があるが、ここから直ぐ真南側の丘陵上に位置する、かつては太田垣氏の本城でもあった、ウスギ城の出城と見て良いものとは思われる。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えたウスギ城(建屋城)を起点とすれば一目瞭然の位置にあるが、ルート図の如く県道70号で建屋地区にある中尾神社を目指せば迷わず辿り着ける筈である。個人的には公民館に車を預けた後、参拝道で神社までは5分内で到達出来たが、北側からは神社まで直接上れる林道(急斜)が備わっていたので、少しでも楽をしたい方は、此方を利用すれば良いだろう。

1 登城ルート

1_2 公民館より城跡を望む

1_1 城跡概念図

9 神社入り口

城跡の大雑把な形態は、ほぼ概念図に示した通りと思って頂ければ良いが、社殿の建つ主郭転用地の切岸壁の一部は、近年の石垣工事によって、当時の切岸の姿は拝める状態にはない。しかし、他はほぼ当時と変わらない様な屹立する切岸が充分望める状況にはあるので、この城跡の特徴でもある、高低差のある郭切岸だけは堪能する事が出来るものとは感じられた。ただ現状(11月)では、概念図に示したまでが多少の藪漕ぎは強いられるが、何とか郭移動が可能で、外見から郭跡が覗ける範囲でもあり、更に草木の生い茂る北、東斜面までは踏破していないので、残存遺構も決してこの限りではないものとは思って頂きたい。

10_heki 主郭西壁

15_shaden_haigo_heki 凄い切岸見所

16_kitakaku_heki 北郭群の切岸見所

19_higasi_kaku_gawa 東郭の現状

城跡を個人的に評価すれば、ほぼ県道沿いに位置する圧倒的お手軽感も含めれば、先に紹介した餅耕地城と併せた同日訪問は充分お薦め出来ようが、ウスギ城がまだ未訪の方には、三城併せた同日訪問は是非考慮に入れて頂きたい処ではある。もちろん神社参拝ついでに郭周囲の切岸を覗く程度であったとしても、決して無駄足に終わるものとは思えなかったのである。

2010年12月19日 (日)

餅耕地城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市餅耕地にあって、ルート図からお分かり頂ける様に、ウスギ城の南側の谷筋を更に西に向いて遡った、産霊神社」の直ぐ北背後に迫る尾根上に位置している。築城された立地環境から考えれば、自ずとウスギ城の出城の一つとも言えようが、城史に関しての詳細は不明でもある。

城跡を訪れるには、ウスギ城を起点とすればその位置関係は分かり易いとは思われるが、県道70号で向かい、産霊(ウブタマ)神社と須留ヶ峰登山の案内板のある箇所で西に針路変更後、目印となる産霊神社を目指せば迷わず付近までは辿り着けよう。今回直登取り付き口としたのは、社殿からは直ぐ目に入る位置にある集合墓地で、その最奥最上段右側を取り付き口として、そこから激斜面を一気に上り切れば、10分内で主郭までは辿り着ける筈である。ただ迷わず短時間で上れるこの最短直登ルートは、相当な急勾配となっているので、最初に登山の覚悟は必要とされるだろう。(足腰に不安のある方には少しお勧めし難い、、、)

1route 登城ルート

6 城跡進入口

3 城跡概念図

現状(11月)城跡は、全域が植林地となっているので見通しも利き、山城としては非常に見学し易い良いコンディションにある。ほぼ二郭で成立した小規模な城跡である為に、縄張りは把握し易く、その形態はほぼ概念図通りと言って良いかも知れないが、その中で明確に判別可能な当時の遺構としては、堀切(縦堀に繋がる)、切岸跡、土塁、虎口跡が挙げられるだろう。郭が数段にも重なる城跡ではないので、切岸の醍醐味には余り触れる事は出来ないが、唯一主郭背後の堀切壁(画像に注目)には見応えが感じられた。この城跡で見逃してはならないのは、石垣痕が数箇所に残る事で、主郭の土塁内壁に僅かではあるが石列が顔を覗かせ、虎口跡にも門石らしき痕跡が見止められた。これを当時のものとするか否かは、自ずと見学者の想像に全て委ねられるが、個人的には掘り起こせば更に石積跡となっている様な気がしないでもない、、、砦規模の城跡ではあるが、この状態の良さも加味すれば、山城ファンの方だけには充分お薦め出来る城跡と目には映ったのである。

12_higasi_dorui_kaku 東土塁郭

14_higasi_kaku_gun 東郭

20_shukaku_2 主郭内部

21_dorui_sekiretu 石列見所

18_shukaku_koguti 虎口跡見所

27_shukaku_heki 堀切と主郭壁見所

23_tatehori_1 縦堀見所

尚、地元にお住まいの方から「この城跡の谷を挟んだ西尾根上には石垣痕の残る砦跡がある」との情報を得た事もあり、地元の方に勧められるまま踏破に及んだが、個人的には石垣跡(自然岩の集まり)には見えなかった、、? ただ地元の方の見解では、この石は川原石なので、それを積み上げたものとしてまず間違いは無いとの事でもあり、その言い分には充分納得する事は出来たが、個人的には物見郭(削平地)として間違いのない事が分かっただけでも収穫ではあった、、、、石垣跡を含めて謎。

2010年12月17日 (金)

姫髪山城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市奥野部にあって、標高406mの姫髪山から南へ尾根を延ばした、高247m地点に位置しており、そのほぼ独立した最高所にある山上主郭からは、南麓まで大きく裾野が広がっている。よってなだらかな山上に位置する山城と思われがちではあるが、山上主郭周囲は極めて険峻な地形にあり、非常に要害堅固な山城とも見受けられた。尚、城史に関しては、この城跡は郷土史に登場する程度の山城でもあり、詳細は不明となっている。

1route 登城ルート

4_tozanguti_1 入山口

3hi 城跡概念図

城跡を訪れるにはルート図には示したが、既にリポート掲載を終えた半田城、奥野部城を起とすれば位置関係は一目瞭然とは思われる。ここでは一番分かり易く入山口まで辿り着けると思われた、国道9号より福知山市内を通過して、奥野部城跡を左手に見ながら赤線を辿る訪問ルートをお勧めしたい。入山するには獣避け高圧電線の備わる山道から進入(画像に注目)して更に道に任せて北上を続ければよいが、途中からほとんど山道も消えるので、適当な箇所を選んで右手側のなだらかな斜面に取り付いて山上を目指せば良いだろう。ただ現状直登斜面上は、木々は少ないが山上に向かうほど激斜面となっており、落ち葉や瓦礫で非常に斜面は滑り易い状況となっているので、足元には細心の注意が必要とは思われる。ちなみに南郭までは20分程度(入山口より)で辿り着ける筈である。尚、下山時においては裾野が広がっている為に、取り付き地点を目指して下山するのは不可能と思われた事から、山上からはとにかく方向磁石を頼りに、南西側を目指して下山する事が大事となる(間違いなく山道と合流出来る)。

10_minami_kaku_1 広い南郭群

8_rogan_yagura_2 露岩を活用した櫓台か見所

18minami_dankaku 18minami_dankaku_2 主郭南段郭群

20_shukaku 主郭の現状

23_higasikaku_yori_shukakuheki 東郭より主郭切岸

現状(12月)城跡は、無名に近い山城とあって多くの期待は抱かずに赴いたのだが、近年人の踏み入った形跡の見受けられない山城としては、動き回りやすく、非常に見学し易い良い状態にあった。古い形態の山城と見えて、堀切を含めた空堀の類は一切目に留まらなかったが、随所で明確に窺われる郭切岸などは、間違いなく眼を楽しませてくれる様には感じられた。概念図に示したまでが自身が踏破した範囲の中で確認に及んだ遺構群でもあるが、山上における郭占有面積は意外に大きいものであり、その総全長は150mに達しそうには思われた。郭群はどれも自然地形に任せて単純に削平しただけではあるが、郭外壁に切岸処理は施されており、状態が比較的良い事からも、その縄張りはある程度掴み易い状況となっている。

見応えのある遺構には巡り合えず、縄張り妙味も全く感じさせない古い形態の山城ではあるが、隠し砦の如きひっそりとしたこの佇まいは、何の期待もせず訪れた事も加味すれば、個人的には間違いなく満足感と戦国ロマンには浸れたのである。

2010年12月15日 (水)

豪快な空堀、石垣跡が未だ健在 備後勝山城跡(広島県三次市)

城跡は広島県三次市粟屋町にあって、先にリポート掲載を終えた加井妻城から見れば、川を隔てた北東側対岸の山上に位置しており、加井妻城同様に三吉氏の居城が伝わっている。三吉氏の本城とも言える比熊山城は、規模から言えば大名クラスの城跡でもあり、石垣を用いた巨大な規模を誇る山城でもあったが、この山城も同様に土塁内壁や一部の郭外壁はほとんど石垣で固められていた様にも見受けられたのである。もちろん秀吉による城割りによって、郭外壁にまとまって残された石垣跡を窺う事は、今となってはほとんど出来ないが、それでも土塁内壁部分や郭外壁随所に石垣跡を窺う事は可能となっている。

1route

登城ルート

2tyokuto_kuti

城跡遠望

2tyokuto_kuti_1

直登取り付き口

城跡を訪れるには、加井妻城と同様の訪問ルートになるのでここでは割愛させて頂くが、直登取り付き地点となるのは、画像に示した道路造成工事現場西側の尾根先端部で、小さな石仏を目印とすれば良いだろう。ここから激斜面に取り付いて上れば、5分内で城跡一番の見所遺構とも言える、豪快な空堀(縦堀に繋がる堀切)が迎えてくれる筈である。尚、この堀切上部から郭は既に形成されており、郭周囲には一部土塁も窺えるが、踏み入る余地のない矢竹にほとんど覆われているので、土塁を確認すれば左手斜面(北西斜面)に回り込みながら、三ノ郭まで上り切った方が良いだろう。

9_horikiri 14_tatehori 13_2ren_tatehori 堀切と豪快な縦堀見所

  現状(11月)城跡は、便宜上の二ノ郭には今にも朽ち果てそうな社殿はあるが、近年ここまで人が踏み入った形跡はほとんど見受けられず、主郭を含めた山上における主要三郭及び付随する郭跡も、倒木や堆積物、あるいは藪化の進行によって荒れ放題の様相と化している。特に主郭の藪化は激しく(細い竹が密生)、広い規模を誇る郭内部は現状移動にも差し支える状態にあり、とにかく倒木の隙間や歩けそうな場所を見つけての探索は余儀なくされよう。その中でも二ノ郭は、かつての社殿が建つ事から一番ましな状態にあるが、木々に遮られて中々全体像が窺えないのが現状でもある。よって今回は概念図を作成する事も出来なかったが、今回踏破に及んだ主要三郭と付随する郭、あるいは踏破可能であった西側斜面上における目に留まった遺構だけをピックアップさせて頂く。

まず主郭北背後には内壁が石積となっている分厚い高土塁 、主郭内部の郭境となる石積 、三ノ郭には周囲を覆う分厚い土、その内壁にはまとまった石積(画像に注目) 、三ノ郭南壁の一部に石積、二と三ノ郭間には堀切(横堀)、主郭西斜面上に刻まれた明瞭な縦堀三条程度、直登ルートから窺われる堀切、及びそれに繋がる豪快な縦堀などが特にこの山城を特徴付ける遺構群と言えるだろう。石垣跡に関しては郭壁随所で確認可能となっており、まだ探せばいくらでも拝めそうには思えた。状態は良いとは決して言えないが、とにかく遺構の見応えも山城としての醍醐味も充分味わえるものと感じられた事から、個人的には山城ファンの方には加井妻城と併せた訪問は是非お薦めしたいのである。

25_shukaku_nisi_heki_1 状態の良い主郭西切岸見所

23_doruikaku_naiheki_2

三ノ郭土塁内壁のまとまった石積見所

31_naibu_isi_1

主郭内部の石積と現状

29_dai_dorui

主郭大土塁見所

35_2maru_naibu_2 二ノ郭の現状

26_2to3maru_horikiri 郭間の堀切(横堀)見所

尚、地元で事前に「隣の尾根上には砦跡もある」との情報を得、個人的には集落に近い西側の尾根上と思い込んで上り、砦跡(出郭)らしき広い削平地は確認出来たが、堀切などの分かり易い遺構には巡り合う事が叶わなかった。今思えば同じ隣でも未踏に終わった東尾根上だったかも知れないので、これを機会に訪れる方にはルート図中には推察砦跡と記載したので参考までに、、、。

2010年12月13日 (月)

加井妻城跡(広島県三次市)

城跡は広島県三次市粟屋町にあって、当時は三吉氏一族の居城が伝わっているが、この三吉氏は比熊山城(リポート掲載は終えた)を本城としており、毛利氏防長移動の際にはそれに従った一族でもあり、この山城は比熊山城の出城と位置付ければ良いのかも知れない。別称粟屋城、青屋城とも呼ばれている。

城跡を訪れるには中国自動車道「三次」ICが最寄の乗降口となるが、ルート図でお分かり頂ける様に中国自動車道が真下に望める丘陵先端に位置しており、ICからは県道64号へ合流して江の川に沿って車を走らせればよい。直登口となる(画像に注目)のは概念図における二箇所からで、一方には鉄梯子が備わっており、そのまま上れば山上には難なく辿り着けるだろう。ただこの鉄梯子は途中で木々に遮られて迂回を余儀なくされた事から、ここでは鉄梯子の西側からの直登を敢えてお勧めしたい、どちらを選択しても5分内で山上までは到達可能となっている。尚、車の駐車に関しては、探せば付近に路駐可能なスペースは充分あるので心配には及ばないだろう。

1route 登城ルート

6 城跡遠望

8_2 直登口

1_3 城跡概念図

現状(11月)城跡は藪化までには至っておらず、シンプル過ぎる縄張り内の遺構に関しては全て判別可能となっている。形態は概念図に示した様にほぼ三郭で構成されたものであり、主郭の南側には櫓台的な土塁が付随しており、東あるいは西側には虎口跡らしきものも窺える。土塁背後には城跡中一番の見応えとなっている堀切壁が直立に近い切岸を伴って屹立(画像に注目)しており、訪れた者の目は必ず楽しませてくれるものと見たが、この城跡は堀切見学だけの為に訪れても決して後悔はしなさそうにも思えたのである。もちろん他に見所が無い為に余計そう思えるのかも知れないが、、、

13_kaku2 郭2

16_shukaku_kitagawa 主郭北側

17_shukaku_dorui_1 主郭奥土塁見所

18_horikiri 堀切見所

18_horikiri_1 堀切とその切岸見所

城跡を個人的に評価すれば、ほぼ対岸に位置する勝山城(ルート図に位置記載)は状態は悪いが、遺構残存度は非常に高く、残存する石垣跡、あるいは堀切などの見応えは充分でもあり、勝山城跡と併せた同日訪問は是非お薦めしたいのである。尚、勝山城に関しては後日掲載予定

2010年12月11日 (土)

痩せ尾根を極限まで利用した山城 三谷城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市三谷にあって、添谷集落の北背後にあたる標高約260m(比高100m)の山頂部を主郭として、その南東、北西側の尾根上が城域となるもので、その直線的な痩せ尾根上に郭は分散展開されている。城史に関しては三谷氏の居城は伝わるが詳細は不明でもある。

この山城を一言で語れば、険峻極まりない痩せ尾根上を極限まで利用して築かれた城跡、と言う事になるが、遺構見学においては尾根上の上り下りも含めて、概念図に示した自身が踏破した範囲をそのまま踏破する事になれば、ある程度の距離を歩く事は余儀なくされる。しかしこの山城の本質を探る上では、これを機会として訪れる準備のある方には、是非概念図におけるまでは踏破して頂きたいのである。踏破した範囲で目に留まった遺構は全て概念図には記したが、見応えのある遺構と言う事になれば、北西端に施された大土塁を伴う堀切は真っ先に挙げられようが、この山城の魅力であり醍醐味は、自然露岩を取り込んで代用とした切岸、あるいは土塁、更に険峻極まりない地形をも防備として縄張りに取り込んだ、佇まいそのものとも感じられた。その似た様な形態からは、丹波沼城が直ぐ思い起こされてしまったが、どちらも山城としては探索冥利に尽きるものと言えよう。

1_1 登城ルート

7 進入路

1_2_2 城跡概念図

現状(11月)城跡は藪化までには至っておらず、主郭を含めた主要な郭跡は見通しが利き、ほぼ全体像が拝める状態にあるので、その形状や縄張りの把握は容易い状況となっており、人の手の入らない山城としてみれば、これ以上望めない良い状態が自然維持されている。山上郭群の片隅からは更に下界の見通しの利く箇所もあり、山上に佇めば更に癒される事はまず間違いないものと感じられたが、この無名に限りなく近い山城には、久し振りに山城賛歌を贈りたい気分にさせられたのである。自分と同様に険峻な地にあって、尚且つ楚々とした山城を愛して止まない山城ファンの方とは、是非同じ感動を味わいたいと思えたのであるが、一般城跡ファンの方にも、この山城の存在は是非認識して頂きたいと思えたのである。

10_hakohori_1 到達地点の箱堀見所

14_3maru 三ノ郭

17_nisi_sentan_horikiri 西端堀切見所

20_2maru_gannheki 露岩を代用した切岸見所

22_2maru_1 眺望が利く二ノ郭

26_shukaku 状態の良い主郭

28_shuaku_heki 主郭東の凄い切岸見所

31_monomi_ooiwa 土塁の代用とした大露岩見所

34_higasi_kaku 東郭

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた十二所城を起点とすれば分かり易いが、国道9号を利用して訪れるのであれば、十二所城の山塊を左手に見ながら県道70号へ進入する事が先決、後は井垣城の直ぐ傍を通過してそのまま南下し、ルート図に示した簡易郵便局の先から添谷集落に向いて右折進路変更すればよい。直登取り付き地点は概念図を参考にすれば直ぐ分かるとは思われるが、集落北最奥の家屋背後から取り付き、その激斜面をそのまま上り切れば自ずと堀切(箱堀)へ到達出来る筈である。尚、斜面が厳しく(露岩が多い)なれば自ずと左側へ移動しながら上る事が肝心(ルート図中に示した赤線を辿る事が大事)となる。所要時間は取り付き口から10分程度

2010年12月 9日 (木)

障子嶽城跡(広島県東広島市)

この山城は広島県東広島市河内町にあって、ほとんどの地図には嶽ヶ城と記されているが、その標高556mの山頂に位置している。地図上の呼称をそのまま使用した嶽ヶ城の別称があるらしいが、ここでは現地案内板にある障子嶽城跡を採用した。城史に関しての概略は「現地城跡案内板より」をクリックの事11

2x 現地城跡案内板より

城跡を訪れるには、城跡の南麓にある「教念寺」を目印として目指せば良いが、ナビのある方は嶽ヶ城と入力すれば道案内してくれると思われるので、ややこしい道順はここでは割愛させて頂く。ちなみに最寄の高速道路ICは山陽自動車道「西条」で、土地勘のない方はここから国道375号で北上するのが一番分かり易く辿り着けるとは思われる。現地に到達すれば、ルート図でお分かり頂ける様に城山登山口までは車道(生活道)が繋がってはいるが、ここでは教念寺に車を預けて、麓から城山の山容、あるいは里山の景色を眺めながらゆったりと上れるトレッキングルートを示した。山頂までの所要時間は、寺院から登山口までは歩いて約15分、登山口から山頂までは約25分程度と思って頂ければ良いだろう。尚、少しでも楽をしたい方は、城山登山口付近に探せば小型車なら何とか路駐スペースはあったので、自己責任に置いて停めれば良いだろう(奨励は出来ないが、、)。

Photo 登城ルート

4a 城跡遠望

3_1_2

城跡概念図

この山城は、山上最高所に主郭を構え、登山道が通じている東尾根上を自然地形に任せたまま削平し、比較的規模の大きい郭を並べただけに終わっているものであり、その単純な縄張りプランは、一箇所(便宜上の二ノ郭東)に堀切は備わっているものの、山城としては古い形態を色濃く残すものと言えよう。自身が踏破可能な範囲で目に留まった遺構のほとんどは概念図には示したが、遺構標識のある空堀(堀切)、主郭を囲む土塁跡、帯郭などが、現在でもそれなりに目を楽しませてくれそうには思われた。ただ二ノ郭あるいは主郭周囲の四方斜面上は、現状密生する雑木藪地となっている為に踏破は出来ず、概念図に示したまでが残存する遺構の全てとは思えないが、形態から考えれば更に多くの遺構は望めないようには感じられた。

24_oku_horikiri_1 東郭群(奥堀切)

25_horikiri 堀切見所

28_shukaku_heki 帯郭より主郭切岸

37 全貌が窺える主郭

32_dorui_2 32_dorui_1 土塁

現状(11月)城跡は、登山道中の郭跡は多少藪化はしているが、山上主郭だけはその全体像(画像に注目)があからさまに窺えるものとなっており、見通しが利く事からも、主郭に佇めば抜群の臨場感が感じられる筈である。更にその主郭から四方を見渡せば、360度に渡って眺望が利く素晴らしい状況でもあり、当時に思いを馳せる事も容易な状態となっている。城跡を個人的に評価すれば、残存遺構に見応えを感じるまでには至れなかったが、山上から四方まで行き渡る眺望は、今となっては他の山城では滅多に味わえるものではなく、山歩きも楽しめて遺構見学も楽しめる、是非お薦めの城跡と目には映ったのである。とにかく「眺望は素晴らしい」の一言!

2010年12月 7日 (火)

衣笠山城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市三宅にあって、城跡を訪れるには先にリポート掲載を終えた河谷城と同じ訪問ルートでもあるので、今回は割愛させて頂くが、河谷城からは更に東側尾根に向いて上り、規模の大きい便宜上の中郭を経た、TV塔の建つ標高223mの衣笠山山頂を目指して上らなくてはならない。(河谷城主郭からは10分内で到達可能)

前回河谷城の掲載記事中で触れた様に、当時においては狼煙台として伝わっているらしいが、山上郭だけ採り上げれば「なるほど!」と感じさせられる様な、正に狼煙台に相応しい砦規模の山城でもある。ただ訪問結果から先に述べれば、縦堀も含めた空堀で三方斜面は遮られた形態となっており、この充分な防備機能と併せて、西尾根上の堀切を挟んだ西尾根上の広い郭群まで取り込めば、自ずと砦の域は充分はみ出た城跡と呼べそうには感じられた。個人的には衣笠山を頂点として西尾根上に城域を広げた様相は、河谷城砦群とも呼べそうに思え、この城砦群の司令塔にも相当する最終的な詰城の様にも窺われたのである。

1route 登城ルート

4 城跡遠望

2 河谷城砦群概念図

3kinu 衣笠山城概念図

現状(11月)、個人的に歩き回った範囲内で目に留まった遺構は全て概念図には示したが、この険峻さが最大の防備でもある山城の形態からすれば、他で多くの遺構は望めそうにはなかった(推察)。見所遺構は当然空堀群と言う事にはなるが、メンテナンス道にも繋がる西側斜面には、土塁(受け土塁)の付随する横堀(片側は縦堀に繋がる)、南尾根を断つ堀切(片側は二本の縦堀)、更に北側急斜面の片側に備わる縦堀と言った具合に、高低差のある状態のほど良い切岸も含めれば、規模は小さいが充分目は楽しませてくれている。

4_naka_one_horikiri 西郭群の僅かな堀切跡見所

7_shukaku_shamen_1 主郭西側の切岸

11_shukaku 主郭の現状

9_nisi_karabori_dorui 西斜面の空堀、土塁見所

12_minami_horikiri 南堀切見所

15_2ren_tatebori_1 二連の縦堀見所

この城跡を訪れるには、河谷西城の東側に備わる大堀切(自然地形を取り込んだ形)までは、南麓側の集落からメンテナンス道が繋がっている様にも見受けられたが、ルート図から察しても相当な距離を歩く事になるので、これを機に訪れる方には、河谷西城の城跡遺構から始まって衣笠山城までは順序よく見て回れる、ルート図に示したコースを辿って上られる事をお薦めしたいのである。一般城跡ファンの方には、最初から登山の覚悟が必要となる事から少しお薦めはし難いのだが、山城ファンの方には、衣笠山城も含めた河谷城砦群の一環として訪れるのであれば、全体的には状態の良い事、機能の想像も含めた多くの空堀見学が可能な事、あるいは現状窺われる遺構残存度の高さも含めれば、間違いなくお薦め出来る山城(城砦群)と自分の目には映ったのである。

ちなみに直登取り付き地点の集合墓地から山頂までは、ゆっくり時間をかけて遺構を堪能しながら上ったとして、一時間以上(登山における正味の所要時間は約40分)は必ず必要となるので、これから山城巡りの一環として訪れる方の参考にでもなれば、、、

2010年12月 5日 (日)

河谷城砦群の中枢 河谷城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市河谷にあって、先にリポート掲載を終えた古屋敷城とは、集落を挟んだ南東側の山上に位置しており、そこは衣笠山(標高223m)から西側に派生したの尾根上標高約200mの地点でもある。城史に関しての詳細は不明でもあるが、衣笠山が狼煙台としての伝承地である事、地理的にも市場城と三開山城との中間地点にある事、あるいは市場城は定かではないが、山名氏家臣でもある茨木氏の城と伝わっているだけに、この山城は山名氏からみれば、自ずと重要な支城であった様には窺えるのである。

城跡を訪れるには、先に触れた古屋敷城を起点とすればその位置は一目瞭然でもあるが、送電鉄塔の建つ地点が便宜上の河谷西城の本郭群に相当する。概念図に示した公園の東側山裾にある、集合墓地を直登開始地点とすれば良いが、この墓地背後にある開閉フェンスより、左手の斜面に取り付いて上り始めれば良い。その際迷わず城跡へ向かうためには、必ず左手斜面の尾根に取り付く事が重要である。そのまま尾根伝いに上れば、鉄塔の建つ河谷西城主郭までは10分程度で辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

6 入山進入口

この山城に関しては、ルート図に示した様にとにかく城域は広く、便宜上河谷西城とした山城から衣笠山城までは、移動急斜面を除けば全てが戦略的に縄張りと察せられるもので、その尾根上はほぼ削平地形(平坦地形)となっている。遺跡としての本来の河谷城はルート図に示した部分でもあるが、河谷西城を便宜上としたのは、河谷城遺跡の中にこの山城は含まれていない様に思われたからであり、本来は衣笠山城を頂点とした河谷城砦群として見れば良いのかも知れない、河谷城砦群を一城から成立した山城とすれば当然規模は大きく、流石に山名氏お膝元にある城跡とは感じられた。

個人的には、城跡として訪れた訳ではない河谷西城で、概念図に示した河谷城側を断つ土橋を伴う大堀切、北側を断つ二本の堀切(浅い)、中央の堀切と、判別し易い四箇所の堀切を拝む事が出来たが、当然この空堀群が城跡最大の見所遺構でもある。

3nisi 河谷西城概念図

13_minami_dankaku 南段郭切岸

17_horikiri_1 二の郭と堀切見所

19_kita_horikiri_1 北堀切1見所

22_shukaku_heki_2 主郭

25_toutan_dobasi 土橋付き大堀切見所

東に備わる大堀切から更に比高60m近い激斜面を登れば、やっと河谷城本郭へ到達可能(大堀切から15分程度)となるが、山上では合計三箇所で空堀を窺う事が可能となっている。目に留まった見所遺構としては、主郭北斜面の明確に判別可能な二連の堀切主郭と副郭を遮る堀切、その内部の方形状の土塁壇(櫓台か?)が挙げられるが、何れも状態が良いものであり、ほぼフラットに近い主郭(画像に注目)と並んで、充分目は楽しませてくれるものとは思われる。もちろん西城に関しても同じ事が言えるので、見学に差し支える事はまず無いものと思って頂いても良いだろう。

3kawa 河谷城概念図

14_doruidan 主郭土塁壇見所

17_higasi_yori_shukaku 堀切を挟んで主郭と副郭

16_naka_horikiri_4 堀切見所

18_kita_horikiri_1 北堀切1見所

20_hokutan_horikiri_1 北堀切2の縦堀見所

この河谷城砦群の見学に関しては、相当の距離を歩く事にもなるが、河谷西城から始まって衣笠山城までは是非踏破して頂きたいと思うのである。足腰に不安のない山城ファンの方には是非お薦めの城跡でもある。尚、衣笠山城に関しては次でリポート掲載予定

2010年12月 3日 (金)

発掘調査後の城跡の現況 井垣城跡(兵庫県養父市)

この城跡は兵庫県養父市浅野にあって、近年(2008年)発掘調査が行われた山城の一つでもある。個人的には調査後のリサーチはしていないので、その実態も分からず現地に気の向くまま訪れたのではあるが、現状(11月)その周辺は大掛かりな道路造成工事(画像に注目)によって、山肌がむき出しにされている状態にあった。

1route_3 登城ルート

4_3 城跡遠望

7 直登進入口

3i 城跡概念図

訪問結果から先に述べれば、山上主郭周りを除いた北側斜面における遺構は全て消失している様にも見受けられたが、自分の目に留まった山上の遺構は全て概念図には記した。主郭には明確に判別可能な土塁、更にそれを取り囲む形で二重の帯郭、南西斜面側には僅かではあるが土塁が付随した空堀跡、それに繋がる形で縦堀跡、主郭斜面を下り切った先には僅かではあるが二重堀切の痕跡、帯郭西側に虎口跡らしき空堀状の窪みと、断定は出来ないが、取り合えずここに挙げたものが現状目に留まった遺構と言う事にはなるだろう。ただ調査後の結果を知らないので、個人的には僅かな空堀跡と読んだ地形も、二重堀切と読んだ地形も、実際には城跡遺構とされてはいないのかも知れないが、縄張りとしての必然性から考えれば、その地形から推察されるものは、正しく土塁を挟んだ形の二重堀切であり、土塁の付随した空堀と自分の目には映ったのである。自ずと地表風化の進んだ南西側の地形は、見学者の想像に全て委ねられるが、機能を想像する楽しさも含めれば、充分訪れる値打ちのある山城と言えようか、、、。

10_nisi_heki_1 主郭南西側切岸

14_nisi_obi1 西帯郭と切岸見所

16_shukaku_oku_dorui 主郭内部、奥土塁見所

17_dorui 土塁見所

20_nisi_obi_gedsan2_1 西帯郭2

21_nisi_koguti 西帯郭、虎口か見所

城跡を個人的に評価すれば、主郭から北斜面側にあったと推察される遺構の大部分は消失したものとも思われるが、国道沿いから5分で主郭に到達可能な圧倒的お手軽感、状態の良さ(遺構の判別し易さ)、高低差を伴う切岸の醍醐味、更に土塁を含めた主郭周りの遺構の、機能の想像を含めた楽しめる部分も考慮すれば、自ずとお薦めの城跡と言う事にはなるだろう。

城跡を京阪神側から訪れるには、国道9号を走り、養父あるいは朝来地域の山城巡りでは必ず通過する事になる、上野城あるいは軽部城のある山塊を左手に見ながら、その北分岐地点となる交差点で県道6号へ左折西進、更に進めば十二所城を左手に望みながら県道70号へ針路変更すればよい。後はルート図を参考にすれば、今回直登口とした道路沿いにある工事中の標識までは難なく辿り着けるだろう。この標識から見て民家側の斜面に取り付いて上れば、藪漕ぎもなく5分程度で主郭までは辿り着ける筈である。

2010年12月 1日 (水)

古屋敷城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市河谷にあって、城域としては八坂神社の北背後の山上から西側にかけての、鞍部を挟めばほぼ三つの峰に展開されているものであり、総全長は200m以上に及ぶものである。城史に関しての詳細は不明であるが、山名氏のお膝元(直接支配地域)という事を考慮すれば、一族の城、あるいはその家臣の城と言うことは当然考えられるだろう。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた三開山城を起点とすれば、その位置関係は分かり易いとは思われるが、国道426号より出石を通過して536号へ進入、ルート図に示した「河谷朝市」施設を目印として針路変更し、そのまま東進して直登山口でもある八坂神社を目指せば良いだろう。車の駐車に関しては、神社入り口手前付近に参拝者用の駐車場があるので、それを利用させて頂けば良いだろう。社殿右横のフェンス開閉口から右手斜面に取り付き、麓からも望める送電鉄塔を目指して上れば、便宜上の東山上郭には10分内で辿り着けるとは思われる。尚、下山時に利用したメンテナンス道も使えるが、九十九折の山道(距離がある)で、しかも段木が備わっており、相当足(太腿)腰にダメージが及ぶものと思われた事から、これから訪れる用意のある方には、効率良く見学可能な最短時間、最短距離のこの直登ルート(藪漕ぎなし)をお薦めしたい。

1_1 登城ルート

6 直登取り付き口

1_2 城跡概念図

この山城は先に触れた様に城域は相当広いが、古い形態(山城の初期形態)と見受けられるものであり、山上郭群で堀切や空堀の類は一切目には留まらなかった。郭境となる郭間に高低差が余り無い事、あるいは自然風化も相俟って、切岸は判別し難く曖昧であるのが現状でもある。せめてどこかで屹立する切岸の醍醐味が味わえるものとして、僅かな期待を込めて山上全域をほぼ歩き回ったが、最後までそれも叶えられなかった。よって見応えのある遺構は皆無という事にはなるが、この山城は縄張り妙味も全く感じられず、城跡呼称(古屋敷)、あるいはこの広い城域が物語る様に、本城を移す前の旧城郭と言う事になるのかも知れない。自作概念図が今回個人的に踏破した範囲と、目に留まった遺構(明確な削平地と僅かな切岸跡を示したものだが、山城にしては全域が藪化まで至っていない状態(11月)にあり、比較的歩き回りやすく、ある程度見通しが利く事も重なって、遺構の醍醐味には直接触れる事は出来なかったが、山城としての風情は充分味わえた事、あるいは郭跡を満遍なく体感する事は出来たので、個人的には充実した山城巡りになったとは言えるだろう。

7_tetutou_onekaku 鉄塔の建つ尾根先端郭

10_one_dan_1 段郭群

17_shukaku_1 主郭

19_nisikaku

西郭群

城跡を個人的に評価すれば、この記事をきっかけとして臨まれる山城ファンの方には、遺構の醍醐味を期待する事は最初から捨てて臨み、かつての山城の風情を楽しむ事が一番肝心であるとすれば、充分お薦め出来る物件の一つとは言えようか、、、

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