五十河城跡(京都府京丹後市)
城跡は京丹後市大宮町五十河(イカガ)にあって、この地方では有名でもある「小町寺」とも呼ばれている「妙性寺」直ぐ背後の丘陵先端部に位置している。当時の城主としては上田氏、榎並氏が挙がっているが、城史に関しての詳細は不明。
城跡を訪れるには、最終的に「小町寺」を目指せば自ずと辿り着ける事にはなるが、先にリポート掲載を終えた延利城、あるいは高森城を起点とすれば、共通する訪城ルートとなるので道順も分かり易いとは思われる。府道53号を走り、延利地区にある高森神社を過ぎて一般道655号へ針路変更、その後は道路に任せて小町資料館が建つ「小町公園」を目指せばよいだろう。公園脇からはそのまま小町寺に通じる狭い道があるので、それに任せれば迷わず寺院背後の墓参用駐車場までは辿り着ける筈である。ここからは城域ともなる集合墓地に向いて向かえば、主郭背後を断つ二重堀切までは直ぐの距離(5分内)にある。
現状(十月)、城域の大部分は概念図に示した様に、近年において造成拡張されたとも思える、規模の大きい整地された集合墓地と化しており、この一帯の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられるものと思われる。南東斜面全域を何段にも掘削して設けられた削平地は、一部は当時の郭跡地の転用とも窺われるが、その切岸などは比較的新しさを感じる部分もあり、近年墓地用に工事されたものの様にも見受けられた。もちろん全てがそうとも思えないので、本来の山城の姿(実態)は見学者が想像を働かせて楽しめばそれで良いのではないだろうか。
この城跡の見所としては、最初に触れた二重堀切は真っ先に挙げられるが、これは主郭北西側の斜面下から望めば、巨大な土塁を挟んだその全体像(画像に注目)が窺えるものであり、多少の地表風化は仕方がないが、堀切及び切岸の醍醐味は充分味わえるものと見た。更に縦堀が北西斜面下に繋がる一帯は、機能の想像は少し難しいかも知れないが、縦堀が絡んだ土塁の付随する空堀(横堀)地形、あるいは西郭の空堀から繋がる縦堀と、何れも非常に見応えは感じられた。個人的にはこの斜面側の地形は機能を想像して楽しめた事からも、縄張りプランにおいては一番見逃して欲しくない地域と目には映った。現状郭内部は低草木や下草が相当蔓延ってはいるが、移動に差し支えるまでには至っていないので、その形態などはある程度掴み易く、概念図に示したまでが今回藪漕ぎも無く踏破出来た地域と思って頂ければ良いだろう。もちろん冬季訪問ともなれば、更に踏破可能な地域も増えるものとは思われるが、この山城は縄張りプランから考えても、これ以上多くの期待は望めない様な気はするのである、、、城域の多くが集合墓地と化している現状、遺構残存度は非常に低い山城と言う事になるかも知れないが、個人的には前述の遺構群の醍醐味、あるいは見所が多い事も考慮すれば、充分お薦め出来る城跡と目には映ったのである。
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