東中山城跡(京都府綾部市)
この山城は、先にリポート掲載を終えた佃城の中でも触れたが、佃城から見れば北西側の標高約200mの山頂部にあり、尾根を共有している事から考えれば、自ずと一城と見て良いものとは思われる。この城跡も佃城同様に情報は皆無に近く、現状城史に関しての詳細は不明でもあるが、二城を同日訪問した上での結果から述べさせて頂ければ、どちらも城としての機能を終えた時点から現在に至るまでは、人の手がほとんど入っていない様にも窺われ、自然任せのほぼ手付かずとも思える状態にあり、遺構残存度は非常に高いものと目には映ったのである。推察にはなるが、縄張りはほぼ当時のままとも見受けられた事からも、この二城は山城ファンの方には是非訪問をお薦めしたい物件の一つでもある。
城跡は綾部市忠町にあって、今回は佃城と併せた二城同日訪問を前提とした上でのリポートである為に、アクセス方法は割愛させて頂くが、佃城の北堀切よりそのまま尾根伝いに山頂を目指して上れば良い。この堀切から東中山城で最初に目に留まる堀切(東端)までは15分程度は要すが、直登道中の藪漕ぎはないものと思って頂いても良いだろう。当然地元で事前に山道の有無は確認したが、佃城から尾根伝いに上るのが一番分かり易いとの回答でもあったので、これから臨まれる方には迷わずルート図中の赤ラインを辿って頂きたい。
現状(十月)自然任せである為に、状態は決して良いものではないが、山上は植林地ともあってか多少間伐の跡が窺え、意外にも山上郭群の見通しは利き、見学に差し支えるまでには至っておらず、郭移動あるいは尾根移動にも余り難渋しない状態にある。ただ間伐後の木々は倒木も含めてそのまま放置された状態にあるので、長年の堆積物とも相俟って折角の堀切も全体像が拝めず、見学し易いものとは言えないが、、、
概念図に示したまでが、個人的に踏破確認に及んだ範囲と目に留まった遺構群でもあるが、形態から考えても数多くの空堀や技巧に富んだ複雑な遺構が備わる山城の様には見受けられなかったので、ほぼ概念図に示したものが、この城跡の形態と考えて頂いても差し支えはないかも知れない、、取り合えず縄張り内で目に留まった遺構は全て記したつもりであるが、見所とも言える堀切は合計六箇所に未だ健在、主郭内部には櫓台とも思える土塁壇と、郭間に高低差は余り望めないが、主郭西背後の切岸の見応えは中々のものでもあり、見学に赴いて落胆する様な結果にはまず終わらないものとは思えたのである。この二城はお互いが離れている(山頂と尾根先端部)事もあって、佃城も含めて山上までの上り下りは、相当足腰に負担が強いられる事になるとは思われるので、余力を残した訪問プランは是非必要である様には感じられた。
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