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2010年11月

2010年11月29日 (月)

東中山城跡(京都府綾部市)

この山城は、先にリポート掲載を終えた佃城の中でも触れたが、佃城から見れば北西側の高約200mの山頂部にあり、尾根を共有している事から考えれば、自ずと一城と見て良いものとは思われる。この城跡も佃城同様に情報は皆無に近く、現状城史に関しての詳細は不明でもあるが、二城を同日訪問した上での結果から述べさせて頂ければ、どちらも城としての機能を終えた時点から現在に至るまでは、人の手がほとんど入っていない様にも窺われ、自然任せのほぼ手付かずとも思える状態にあり、遺構残存度は非常に高ものと目には映ったのである。推察にはなるが、縄張りはほぼ当時のままとも見受けられた事からも、この二城は山城ファンの方には是非訪問をお薦めしたい物件一つでもある。

1_1 登城ルート

2 1_2 城跡概念図

城跡は綾部市忠町にあって、今回は佃城と併せた二城同日訪問を前提とした上でのリポートである為に、アクセス方法は割愛させて頂くが、佃城の北堀切よりそのまま尾根伝いに山頂を目指して上れば良い。この堀切から東中山城で最初に目に留まる堀切(東端)までは15分程度は要すが、直登道中の藪漕ぎはないものと思って頂いても良いだろう。当然地元で事前に山道の有無は確認したが、佃城から尾根伝いに上るのが一番分かり易いとの回答でもあったので、これから臨まれる方には迷わずルート図中の赤ラインを辿って頂きたい。

現状(十月)自然任せである為に、状態は決して良いものではないが、山上は植林地ともあってか多少間伐の跡が窺え、意外にも山上郭群の見通しは利き、見学に差し支えるまでには至っておらず、郭移動あるいは尾根移動にも余り難渋しない状態にある。ただ間伐後の木々は倒木も含めてそのまま放置された状態にあるので、長年の堆積物とも相俟って折角の堀切も全体像が拝めず、見学し易いものとは言えないが、、、

11_higasi_horikiri1_2 東端堀切1見所

16_horikiri2 堀切2見所

17_tatebori 縦堀見所

26_yagura_daruidan 主郭と土塁壇

33_shukaku_nisi_heki_1 主郭西切岸

32_nisi_horikiri 西堀切

28_kita_horikiri 北側堀切見所

概念図に示したまでが、個人的に踏破確認に及んだ範囲と目に留まった遺構群でもあるが、形態から考えても数多くの空堀や技巧に富んだ複雑な遺構が備わる山城の様には見受けられなかったので、ほぼ概念図に示したものが、この城跡の形態と考えて頂いても差し支えはないかも知れない、、取り合えず縄張り内で目に留まった遺構は全て記したつもりであるが、見所とも言える堀切は合計六箇所に未だ健在、主郭内部には櫓台とも思える土塁壇と、郭間に高低差は余り望めないが、主郭西背後の切岸の見応えは中々のものでもあり、見学に赴いて落胆する様な結果にはまず終わらないものとは思えたのである。この二城はお互いが離れている(山頂と尾根先端部)事もあって、佃城も含めて山上までの上り下りは、相当足腰に負担が強いられる事になるとは思われるので、余力を残した訪問プランは是非必要である様には感じられた。

2010年11月27日 (土)

佃城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市忠町/佃町にあって、後でリポート掲載する予定でもある東中山城を頂点とした、山頂から南東側に突き出した丘陵尾根先端部に位置している。この山城の立地環境から考えれば、かつての小浜に抜ける街道は現在の県道1号にはあらず、既にリポート掲載を終えた折山、あるいは赤道城梨子ヶ岡城との位置関係から、上林川に沿っていたものと解釈すればよいのか、、、? 東中山城を山上本郭群とすれば、自ずと此方はその出城に相当するものとも考えられようが、距離的には随分離れているのが現状ではある。城史に関しての詳細は不明

1route 登城ルート

4tozanguti 直登口

3_1 城跡概念図

城跡を訪れるには、先に触れた折山城を起点とすれば分かり易いとは思われるが、県道1号沿いにある「河奈備神社」を目印として向かい、神社のほぼ向かい側の道路へ針路変更、その後は折山城の丘陵を左手に見ながらルート図を辿れば、直登取り付き地点に一番近い川沿いの空き地(駐車可能スペース)までは、難なく辿り着けるものとは思われる。後は概念図に示したルートで山上を目指せば、便宜上の北郭(物見程度)までは15分程度で到達出来よう。ただこの直登ルートは山裾の一部が植林地となっているので、藪漕ぎも無く上り易い反面、相当な激斜面の登山が強いられるので、その覚悟は多少必要となろう。個人的には下山を西側の尾根先端部にしたが、此方からの登山も更に厳しいものがありそうには感じられた。

10_yagura_heki 北郭と物見らしき土塁

17_shukaku_kita_heki 主郭北側

20_minami_kosikaku_1 南腰郭

13_kita_horikiri_1 大土塁と北堀切見所

14_horikiri_tate 状態の良い縦堀見所

25_nisi_horikiri_2 西堀切見所

この山城の形態は、鞍部を境として南北の峰に跨ったものであり、全体的には砦の域を出ない小規模な山城と言う事にはなるが、物見程度の北郭群より南郭群の方が比較的規模で勝る事から、ここでは南郭を主郭としたが、議論に及ぶほどの事ではないだろう。山上で目に留まった遺構は、長年の風雪によって切岸が曖昧となった郭跡を除けば、二箇所の堀程度でもあるが、北郭の斜面に施された堀切は状態も良く、片側が縦堀に繋がる様は付随する大土塁と並んで、非常に見応えを感じる事は出来た。個人的にはこの堀切見学だけの為に訪れたとしても、決して後悔に至る事はないものの様に目には映ったのである。

最初に砦規模の山城とはしたが、南北に跨る城域は比較的広いものでもあり、二箇所の堀切、及び地形に任せて削平された縄張りプランは、多少でもユニークと目に映ったことから、個人的には後でリポート掲載予定の東中山城と併せた訪問は、是非お薦したいのである。

2010年11月25日 (木)

円成寺城跡/大部谷城跡(兵庫県丹波市)

この二城はルート図でお分かり頂ける様に、国道176号を挟んで南北に分かれており、円成寺城は丘陵先端部に、もう一方の大部谷城は独立した低山の山上に位置しているが、現状両者の関係も、そのどちらも城史に関しての詳細は不明。

城跡は丹波市柏原町下小倉にあって、訪ねるには国道176号を走ってルート図の通りに向えば、両者共に迷わず辿り着けるとは思われる。まず円成寺城は名が語る様に円成寺を目指せば良いので分かり易いが、駐車場から寺院の左手にある山道から山上までは、山道が繋がっているので楽に上れ、郭転用地に建立された「観音立像」までは5分とかからず到達可能である。現状明確に判別可能な遺構は、背後に備わる堀切だけと言っても過言とは思えないもので、郭跡に関しては観音像が建っている為に、近世においてどこまで造成地形改変があったのかは、まるで判別出来ない状況にある。よって小規模な縄張りが把握出来る程度のものと思って頂ければよいだろう。

1 登城ルート

6 登山口

10_sanjyou_kaku 9山上郭

14_horikiri_1 堀切

大部谷城へは、民家傍から稲荷神社参拝道を利用して上れば、直ぐにでも便宜上の北出郭へは到達可能となっているが、この社殿の建つ敷地も郭跡の転用地と考えればそれで良いのかも知れない。更に南側へ尾根伝いに向えば、鞍部に僅かながら堀切跡は窺えたが、便宜上の南山上主郭は、中心部に僅かにマウンド地形が窺えるだけで、郭内は伐採後の放置された木々や下草、あるいは風化によって地表は荒れ放題となっており、地形から郭形状あるいは縄張りを想像する事は至難の技に思えた。主郭に移動するまでの鉄塔の建つ便宜上の中郭は削平地程度が窺えるだけで、当然切岸は曖昧で、全体的に城跡を見た印象としては、山上を削平しただけに終わっている、縄張り妙味はほとんど感じられない山城と目には映った。しかし北、中央、南と三峯に跨った城域は意外に広く、当然陣城としての機能は浮かんで来ようが、推察の域は出ないものでもある。個人的に城跡を評価すれば、両者共に見応えのある遺構は皆無でもあり、柏原地区における山城巡りの一環として訪れる程度であれば、何とか納得した訪城となりそうな気はするのである。

1_3 参拝登山口

3 北出郭

2 堀切跡

4 南山上郭

2010年11月23日 (火)

但馬地方では最大規模 此隅山城跡(兵庫県豊岡市)

この山城に関しては、ネット上あるいは城郭関連の出版物においても多く紹介されている事から、縄張りや形態あるいは残存遺構も含めて、細部に渡るリポートは今回は割愛させて頂く。自身は最初の登城から既に数十年の時を刻んでしまったが、過去においては現在ほど真剣に山城巡りには取り組んでいなかった事、あるいは登山道以外は主郭も含めて草木は生い茂り、見学する分には最悪の状態にあった事もあって、先に紹介した鏡寺砦跡などの様に、見逃していた城跡遺構も数多かったのは確かである。

個人的に三度目となる今回の訪問では、遺構標識が備わっていたり、堀切が整備されていたり、木々が多少伐採されていたりして、以前より数段状態に改善が見受けられ、やっと枝尾根上に展開される郭群まで足を延ばす事が出来たが、それでも城域が末端枝尾根にまで広がる巨大山城という事、あるいは遠距離訪問ということも重なって滞在時間も制限され、今回も枝尾根上の全ては踏破は出来ずに終わってしまった。三度の訪問でも現地縄張り図の三分の二程度を踏破しただけに過ぎない結果にはなったが、今回は非常に充実した、充分満足感の味わえる訪問となった事だけは付け加えておきたい。

1route2 登城ルート

2x_1 3 現地「城跡案内板」より

4_minami_tozanguti_1 南登山口

3_z 城跡概念図(山上本郭周りのみ)

簡単に城跡の現状(11月)を報告させて頂ければ、主郭は相変わらず枯れかけた夏草(腰まで届くカヤ)にほとんど覆われた(画像に注目)状態にあるが、眺望は利くので当時に思いを馳せる事は容易い状況にある。他の郭跡に関しては、そのほとんどが雑木で覆われている状態と思って頂ければよいが、かろうじて西郭群は最近整備されたものと見えて、木々は少なく、土塁跡や堀、あるいは二十mにも及ぶ凄い高さの切岸などは、草木が伐採されている事もあってか、全体像が拝める状態にあり(画像に注目)、まるで当時が甦った様な様相を呈している。もちろん見学においては、一番状態の良いこの西郭群の遺構見学が最優先となろうが、山上の本郭群だけで満足せず、時間に余裕のある方は是非概念図に示した範囲までは踏破して頂きたいのである。

10_tatebori 縦堀見所

22_shukaku_heki 北より主郭切岸

18_shukaku 主郭の現状

33_daihorikiri 西郭群の大堀切見所

35_kirikisi20m 堀切より西郭群の切岸見所

33_hokutan_horikiri_3 北斜面の堀切見所

39_nisikaku_gun 西郭群の端

ちなみに概念図に示したまでが個人的に南登山口から上り(主郭まで約10分)、山上主郭から枝尾根を上り下りして踏破した範囲でもあるが、宗鏡寺砦跡の見学も含めれば、正味二時間(余裕を持たせたもの)あれば、概念図に示したまでの遺構群の見学は可能な筈である。更に時間に余裕のある方は、北登山口付近から展開される北郭群まで足を延ばされる事を是非お薦めしたいが、、、現地案内縄張り図から判断可能な様に、とにかく城域の広い山城なので、最初から全体踏破は望まない事が大切とは思われる。「国史」にありながらも状態は良いとはとても言えないが、残存する遺構群に関しては、中世山城の風情も味わえ、推奨に値するものとも見受けられた事から、史跡ファンまで含めた全ての方に、是非訪問をお薦めしたいと思えるのである。

2010年11月21日 (日)

此隅山 宗鏡寺砦跡(兵庫県豊岡市)

かつて山名氏の本拠が置かれていた事で、全国的にも名を馳せている此隅山城は、個人的には今回で三回目となる訪城となったが、但馬地方では最大規模及び最大城域を誇る事、あるいは「国史」として認定されている事で有名な山城の一つでもある。

今回訪れたこの宗鏡寺(スキョウジ)砦跡は、此隅山(山上本郭部)から見れば南西側に派生する尾根先端部に位置しており、地形図から窺っても直ぐ傍まで民家が迫っており、自分としては現地縄張り図から存在は充分認識にありながらも、遺構はほとんど消失しているものと勝手に決め付けて、過去二回の訪問時にはほとんどノーマークに近い状態にあった。今回のリポートに関しては、此隅山城には既に多くの山城ファン及び史跡ファンの方が数多く訪れているものと思われるので、その現況報告は後回しにさせて頂き、先にこの隠れた素晴らしい砦跡の紹介をする事に及んだ。当然此隅山城と並んで是非お薦めしたい城跡の一つと言う事にはなるだろう。

1route 登城ルート

4_1 案内板より此隅山

5 城跡進入路

3sukyouji 城跡概念図

城跡は兵庫県豊岡市出石町宮内にあって、京阪神側から訪れるには国道426号へ進入する事が先決となるが、出石に入ればルート図を参考に、鳥居城のある尾根先端部を左手に望みながら「鳥居橋」で針路変更し、スタート地点でもある「出石神社」を目印として目指せば良い。神社東側背後の道路沿いには、此隅山城跡案内板(画像に注目)が掲げられており、車はこの付近の空きスペースを利用して停めれば問題はないだろう。ここから左手に望める城跡を確認すれば、後は概念図に従って墓地まで向かい、そこから山道に従って上れば、直ぐにでも見応えのある大堀切が迎えてくれる筈である。

11_horikiri 大堀切見所

13_yagura_1

櫓台傍の城址標柱

12_shukaku_yori_yagura_1 主郭と奥櫓台切岸見所

16_kosikaku 腰郭

17_horikiri_yagura 堀切と櫓台

25_horikiri 北堀切跡

現状(11月)城跡は、見学し易いまずまずの状態にはあるが、「国史」である事を理由に此隅山城と同様、決して整備の行き届いた城跡を期待して訪れてはならない。砦跡とある様に百m足らずの規模なので、縄張りは把握し易く、更に全体をくまなく見て回る事も充分可能な状況にあるが、主郭櫓台と堀切付近を除けば、郭跡は矢竹や低草木に覆われているのが現状でもある。ただ移動には難渋しないので、概念図に示したまでの遺構は全て判別確認可能と思って頂ければ良いとは思われる。この城跡の見所あるいは醍醐味は、砦跡として現在に至るまで人の手が加えられず、当時に直ぐ思いを馳せる事が可能な残存度の高い遺構群(堀切、切岸)及びその風情も含めた全と言っても決して過言とは思えないものでもあり、特別見応えのある遺構が現存している訳ではないが、先に触れたように砦跡として醸しす風情は最高!」と呼べるものの様には感じられたのである。

2010年11月20日 (土)

拝師城跡(京都府福知山市)

城跡は福知山市拝師稲葉谷にあって、拝師(ハヤシ)集落の南端に位置する「福聚寺」の南背後の丘陵上がそれにあたる。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには既にリポート掲載を終えた山崎城跡を起点にすれば分かり易いと思われるが、まず国道429号へ進入する事が先決となる。福聚寺」を目印として目指し、到着後は駐車場のそば付近(画像に注目)から藪の中に入れば、そこは直ぐに城跡でもある。

1_1 登城ルート

4 進入口

1_2 城跡概念図

10_kita_yasiki 北麓の屋敷跡か?

13_higasigawa_dankaku_1 郭跡

16_kitadankaku 北段郭群

22_horikiri_2 堀切見所

20_shukaku 主郭内の現状

この城跡の形態は概念図に示した様に、丘陵上に小規模な山上本郭を構え、北側斜面に規模の小さな段郭を重ね、麓の屋敷跡とも見受けられる規模の大きい削平地(居住空間か?)から成立したものと見受けられたが、現状分かり易い当時の遺構としては、郭跡を除けば山上主郭の埋もれて浅い堀切と僅かに窺われる土塁跡程度と思って頂ければ良いだろう。山上郭群は風化が激しく地表は荒れ放題となっており、朽ちた小さな祠がかつての神社敷地を想像させてくれてはいるが、今となっては訪れる者はマニアックな城跡ファンのみとも窺われた。現状(六月)周辺は植林地となっている事からも、比較的動き回りやすい状態は自然保持されており、数少ない遺構ではあるが、ほぼ判別確認可能な状況にある。低丘陵上に築かれている事からも、切岸などの醍醐味に触れる事は余り出来ないが、単純でシンプルな縄張りは充分把握する事は可能となっている。見応えのある遺構は皆無に近いものでもあり、見所を探すのには中々苦労するが、敢えて挙げれば先に触れた土塁を付随した堀切と言う事になろうか。

城跡を個人的に評価すれば、国道429号を利用すれば訪問可能な樽水城跡、山崎城跡、今安城跡、半田城跡などの何れかとセットにした同日訪問なら、何とか充実した山城巡りとなる様には思われた。

2010年11月18日 (木)

栃江西谷城跡/丸山城跡(兵庫県豊岡市)

この二城は兵庫県豊岡市栃江にあって、奈佐川を挟んで福田城(既にリポート掲載済)も併せて東西に対峙している。丸山城は狼煙台としての伝承が残っている様であるが、西谷城に関しての詳細は現状不明である。

城跡を訪れるには、既に福田城を訪れた方なら察しは付きやすいが、福田城を起点とすればルート図からも位置確認は容易い筈である。豊岡市内を通過して向かうのであれば、国道178号を進行してローソンのある交差点で242号へ左折針路変更すればよい、後はルート図に示した赤ラインさえ辿れば、丸山城は「九龍神社」、西谷城は名が不明ではあるが、どちらも目印となる神社が城域にあるので、難なく辿り着けるものとは思われる。

1_3 登城ルート

まず西谷城は、道路沿いからも目に留まりやすい場所に参拝道入口があり、それに従えば5分程度で小さな社殿の建つ主郭までは達する事が可能となっている。この城跡は形態はほぼ概念図に示した通りと思って頂ければ良いが、神社敷地として転用された郭跡(本郭部はほぼ三郭構造)と、丘陵上最高所にある物見機能(狼煙台程度)が窺える痩せ尾根を利用した削平地から成立したもので、堀切などの様にインパクトの感じられる遺構は目には留まらなかった。郭側壁の切岸跡と広い削平地が唯一砦規模の城跡を物語るものと言ってもよいとは思われるが、この地を城跡として訪ねる方は、一部の山城ファンを除けば非常に数も限られて来るようには感じられた。しかし神社敷地として見通しの利く削平の行き届いた地に佇めば、充分臨場感は味わえ、更に楚々とした山城の風情も充分味わえる様には感じられたのである。

1_2_2 西谷城概念図

4 参拝道入り口

15 社殿

10_shukaku_2 13_sentan_kaku 本郭部

20_sanjyou_yagura 山上郭

丸山城への道順は付近詳細図には示したが、九龍神社への石段手前付近より左手の山道に入り(画像に注目)、そのまま山道に任せて上れば難なく主郭までは辿り着けるだろう。ただ現状(十月)時期も悪いが、城域のほとんどが矢竹あるいは低草木で覆い尽くされており、藪漕ぎの進軍は余儀なくされる状況にある。自ずと視認による遺構確認は困難を極めるが、山上本郭は比較的規模の大きい二郭構造?それに付随して帯郭が数段重なっているのだけは確認する事が出来た。他では主郭と帯郭を形成する西側壁部分の切岸跡、空堀道にも見えた堀切跡(近世のものかも知れない)と、何とか判別確認可能な遺構も残っているので、多少ではあるが目は楽しませてくれている。更に堀切を期待して主郭背後の尾根まで足を延ばそうとしたが、首まで届く草木(山道まで蔓延る)によって、ついに踏破断念せざるを得なかった。この城跡に今後(冬季訪問)を期待するのは少し辛いかも知れないが、狼煙台としての伝承が伝わる山城にしては、充分砦の域を出た城跡と目には映ったのである。これから訪問の準備のある方には、冬枯れ後の城跡に僅かに期待したい処ではある、、、

2 丸山城概念図

4_2 入山口

5_3 山上本郭部

6 郭切岸

2010年11月16日 (火)

長野城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市睦寄町泉山にあって、既にリポート掲載を終えた弓削城から見れば、真東側に望める標高311mの山頂に位置している。上林川沿いに多く築かれた他の山城と同様に、現状城史に関しての詳細は不明でもある。

城跡を訪れるには、先に触れた弓削城や上林川を隔てた北側にある山内城(奥上林城)と訪問ルートは共通するが、県道1号から二王公園へ向かう分岐地点(交差点)からは、既にその山塊は目に入るので、確認は容易い筈である。直登取り付き地点は概念図には記したが、道路からも直ぐ目に留まる民家背後の墓地を目印(画像に注目)とすれば良いだろう。その横をかすめてそのまま山上を目指す事になるが、藪漕ぎのない厳しい斜面を一気に登ったとすれば、便宜上の北郭までは山裾からは15分程度の所要時間と思って頂ければ良いだろう。

1_1 登城ルート

5 城跡遠望

8 直登取り付き地点

1_2 城跡概念図

現状(十月)城跡は、意外に藪化までには至っておらず、山頂部と北尾根上の主要二郭で形成された縄張りプランも分かり易く、遺構の判別確認も容易に出来る状態にある。踏破した範囲内で当時の残存遺構として目に留まったものは全て概念図には記したが、郭跡を除けば堀切(一箇所)、土塁、郭切岸と言ったところになろうか。その中でも南尾根を断つ堀切は、片側が縦堀に繋がって落ち込む様(画像に注目)の状態が良い事もあって、非常に見応えを感じる事は出来た。

14_dorui 北郭の土塁見所

17_dorui_haigo_horikiri 土塁より北郭

23_shukaku 主郭北側

22_shukaku_heki_1 主郭西切岸見所

25_horikiri 堀切見所

26_tatebori_1 見事な縦堀

この山城に縄張り妙味を求める事は形態から察しても難しいが、比較的見て回りやすい状態にある事、シンプルな構造が故に縄張りプランの想像が付き易い事、遺構判別のし易さ、更に楚々とした山城の風情が充分味わえる事を思えば、間違いなく山城ファンの方にはお薦め出来る物件の一つとは言えよう。もちろん規模の大小を最初から問わない事が前提とはなるが、これから冬季にかけては更に見学し易い状態になるものと思われるので、既に上林地区においてリポート掲載を終えた、他の城跡と併せた同日訪問とすれば、更に城跡巡りも充実するのではないだろうか。

2010年11月14日 (日)

縄張りがユニーク 羽水城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市佐野にあって、地域名を採用したものとは思われるが、過去出版された城郭関連本においては佐野城とされている様でもある。ここではウスイ城?と呼ぶのかも分からない公的呼称を採用したが、本来山城呼称なるものは、この城跡の様に古来から使用されている名称を使用した方が、情緒や趣きが感じられて更に探索心も煽られるような気がするのではあるが、それは自分だけなのかも、、、、城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた雷(イカズチ)神社前館城を起点とすれば、ルート図から見れば一目瞭然とも言える位置にあるが、まずは国道312号へ進入する事が先決、目印となるのは「但馬技術大学校」で、この南西背後の丘陵上に城跡は位置しており、現地付近に到着すれば、ルート図に記した集合墓地奥より竹林地を通過して、そのまま右手尾根上を目指せば、東側の末端尾根にある便宜上の東出郭大堀切までは、難なく辿り着けるとは思われる(5分程度)。

1_1 登城ルート

5 進入路

1 城跡概念図

このブログ記事に興味を持たれて訪れる方には、先に触れた雷神社前館城とはほぼ至近距離にある事からも、自ずと二城併せた同日訪問は是非お薦したいが、特にこの山城は丘陵上における複雑な地形を活用して築かれたもので、縄張り変化にも縄張り妙味にも富んだものであり、訪れて期待はずれに終わる事は決してないと自分の目には映ったのである。縄張り変化に富んだ山城なので、郭形状あるいは方向性に今回は少し自信が持てないが、踏破した範囲で目に留まった遺構群は全て概念図には記したつもりである。

7_higasi_horikiri_2 東大堀切見所

15_shukaku_higasi 主郭東側

17_shukaku 主郭内のマウンド地形

18_kosikaku_yori_shukakuheki 腰郭より主郭切岸

25_nakakaku_nisi_horikiri 中郭背後の堀切

27_dai_karabori_kita_dobasi_1 28_minami_dobasi 西端巨大堀切の土橋見所

30_minami_dorui南側の二連の土塁地形

この山城の醍醐味は縄張りプランそのものにある様な気はするが、一番見応えが感じられた遺構は、状態は悪い(画像に注目)が最初に到達した東大堀切、縄張りの西端に施された自然地形を取り込んだ巨大堀切(更に空堀が掘削されて両端に土橋が備わる)で、どちらも地表風化は激しいが判別し易く残っている。他では人為的なものかどうかまでは判別し難いが、自然地形を取り込んだ巨大空堀(縦堀)地形が概念図に示した三箇所で窺われた。これらが人為的なものかどうかは分からないが、縄張りとしての必然性から考えれば自ずと見所遺構と言う事にはなるだろう。当時の遺構としての正否の判定は別にして、それなりに見応えは感じられたので、個人的には決して見逃してはならないものと見たが、、、城跡全体の状態としては、この時期(十月)でも移動に差し支えるまでには至っておらず、郭切岸などにおける地表風化は激しいが、更に大堀切より西側尾根上へは、尾根道としてかつての山道が通じており、山城としてみれば良いとは言えないが、比較的見学し易いものとは感じられた。尚、西尾根上には当時の遺構としての判別は難しいが、空堀を挟んだ形で七連以上の小さな土塁郭が連なっていたので、これから訪れる方の参考までに、、、、(連続する古墳とはとても思えなかった)

2010年11月12日 (金)

左坂城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市大宮町周枳(スキ)にあって、既にリポート掲載を終えた周枳城を起点とすれば、位置関係はルート図を見れば一目瞭然とは思えるが、周枳城の真南側に位置するほぼ独立した低山山上にある。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、現在郭転用地の一部に「荒塩神社」が建立されているので、それを目印として目指せば分かり易いだろう。家屋の密集する神社入り口付近には僅かに路駐スペースはあるが、住民の迷惑を考えれば余りお薦めはできない。南側の集合墓地付近に墓参用の駐車場があったのかも知れない、、?

1 登城ルート

1_1_2 詳細図及び城跡概念図

5_2 神社

 

この城跡は形態から平山城とも呼べるもので、低山山上部を主郭として一山全体が城砦として機能していたものの様にも見受けられたが、最高所に位置する主郭から裾野に広がる斜面上には、大小併せた無数の郭群がひしめき合っている。低山である為か郭間に高低差は余り見止められず、堀切も現状では目に留まらなかった。よって長年の風化による切岸の曖昧さも含めれば、見応えのある遺構は当然望めないと言う事にはなろうが、近年まで営まれていたものと思われる、民間の屋敷跡地(現状竹林地)、あるいは地形改変は窺われるが、広い集合墓地の一部も縄張りとして取り込めば、山上まで至る郭占有面積には相当なものが感じられたのである。

8_dorui_1 社殿背後

10_shaden_haigo_heki 社殿背後の切岸

14_1 中央部切岸

18_sanjyou_shukaku_1 山上主郭の現状

23_karabori_tikei 空堀地形

25_hokuseikaku 広い削平地

郭を形成する切岸は、近世まで手が加えられたものかも知れないが、社殿背後の切岸屋敷跡地(本来は神社敷地かも?)を形成する切岸などは、鋭角さが未だ保持されている事からも、非常に見応えは感じられた。山上郭群の風化の状態(切岸は曖昧)を考えれば、これらの切岸は唯一城跡を物語るものと言う事にはなるのだろうが、斜面上の一部で空堀地形(画像に注目)が唯一目に留まった防備機能と言う事になるのだろうか、ただこれは個人的に必然性を含めてそう感じられたものであり、決して断定は出来ないので、これから訪れる方の参考程度に、、、

城跡を個人的に評価すれば、堀切や土塁などの様に分かり易い城跡遺構は皆無、更に状態も良いとは言えないので、余りお薦めはし難いが、圧倒的お手軽感も含めれば、この佇まいからだけでも充分戦国ロマンに浸る事が出来ると感じられた事からも、周枳城あるいは小杉山城と併せた訪問とすれば何とかお薦め出来ようか、国道移動中に寄る程度の訪問であれば、決して時間の無駄には終わらないものと見たが、、、。

2010年11月10日 (水)

雷神社前館城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市佐野にあって、名が語る様に「雷神社」が城域となるものであり、はっきりそれと分かる当時の遺構は社殿の北背後に残る。兵庫県の遺跡名の中では「前館」となっている様に、形態としては館城の認識があるのかも知れないが、、、謎。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪れるには、もちろん「雷神社」を目印として目指せば自ずと城跡に辿り着けるが、国道312号へ進入する事が先決となる、佐野地区に入れば県道50号へ針路変更して、ルート図の如く向かえば迷わず神社駐車場までは到達出来るとは思われるが、駐車場まで向かう林道は一部ではあるが非常に狭いので、直接乗り付けるなら小型車(コンパクトカー)が無難と思われた。

1route 登城ルート

9_shaden_1 進入口

3i 城跡概念図

この城跡の形態は、但馬地方の山城ではよく眼にする事になる、空堀を挟んだ三連の郭(土塁郭)を特徴とするものであり、つい最近リポート掲載を終えた小谷城にもある程度共通している。ただ此方は中郭(三連郭の中心郭)は空堀で周囲が囲まれており、ほぼ孤立した状態に置かれている事からも、今までの山城巡りの中においては、ありそうではあるが中々お目にかかれないユニークな構造と感じられた。かつてはこの空堀跡も4,5m下まで掘削されていたものと想像するだけで充分山城ロマンに浸れそうには思えた。もちろん多少ではあるが縄張り妙味も感じられたのである。現状(十月)空堀は数百年レベルの堆積物によって深さは相当失われてはいるが、山城ファンの方であれば誰でも判別は可能な状態にはある。

10_nobori_karabori_dou_1 東側の空堀見所

13_minami_karabori_1 南側の空堀見所

13_kaku_higasiheki 郭跡

14_kita_karabori 北側の空堀見所

22_dorui 西郭の土塁見所

28_yasiro_nisi_tatehoritikei 縦堀地形

城跡全体を見れば高い切岸、あるいは深い堀切などの様に、見応えのある遺構には遭遇出来なかったが、これから訪れる方には、この空堀遺構と形態のユニークさだけで充分満足感は得られる様な気はしたのである。現在神社敷地として造成拡張整地された境内に、当時の遺構がどこまで残存していたものかは見学者の想像に全て委ねられるが、前館の名が語る様に、この広大な敷地の一部分には当時屋敷が構えられていたのかも分からない、、、?

城跡を個人的に評価すれば、結果的にこの城跡の後で訪れた東隣の丘陵上にある、羽水城(佐野城)と併せた同日訪問は是非お薦めしたいが、この山城のリポート掲載は次で予定。

2010年11月 8日 (月)

小杉山城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市大宮町周枳にあって、既にリポート掲載を終えた周枳城から見れば、北東側の山深き地に更に移動した丘陵上にある。当時の城主としては田中助八が挙がってはいるが、城史に関しての詳細は不明でもある。

城跡を訪れるには、周枳城を既に訪れた方ならその位置関係はルート図を見れば把握し易いものとは思われるが、周枳城傍にある「大宮売神社」を起点とすれば、周枳城進入路とした東側の道路をそのまま東に向いて車を走らせればよい。後はルート図あるいは概念図でお分かり頂けるとは思うが、当然登山道はないので先端尾根からの直登は余儀なくされる。二箇所の比較的分かり易い取り付き口を概念図には記したが、藪漕ぎのほとんどない最短ルートは、ルート図に示した山道(林道)を更に奥に入った、城跡から見れば南東側の先端尾根で、山道から直接取り付けば主郭までは10分程度あれば到達可能な筈である。個人的には南端尾根から取り付いたが、このルートは僅かに踏み跡は残るが、倒木や低草木が相当蔓延り、藪漕ぎ移動が余儀なくされた事から、これから臨まれる方には下山時に利用した前者のルートをお薦めしたいのである。

1_1 登城ルート

5 進入林道

1_2 城跡概念図

現状城跡は、この時期(10月)に無名に近い山城を訪ねるにあたっては仕方が無い事なのだが、見学においては中々厳しい状態にあり、結果的には小規模な城跡にも拘らず、全体像を把握するには木々に視界が遮られて困難を極めた事から、山上郭群の形態も残された遺構も概念図に示した限りではないものと思って頂きたい。取り合えず目に留まった分かり易い遺構だけは概念図に記したが、主郭背後の堀切(見応えのある薬研堀にあらず)、あるいは主郭の切岸跡程度で、風化中で郭切岸が曖昧な中にあっては、僅かに西段郭群の境が見止められる程度と思って頂ければ良いだろう。直登道中の南側尾根上には幾つかの削平地もあったが、当然歩いて体感する程度で終わり、蔓延る草木に遮られて見通しも利かず、佇む事も出来ない状況にあるのが現状でもある。

15_minami_kaku 南郭

10_shukaku 主郭の現状

11_shukaku_heki_1 主郭切岸

13_haigo_horikiri_1 北堀切

14 腰郭

城跡を個人的に評価すれば、見応えのある遺構は皆無、それでも人の手が入らず、自然に任せたまま数百年に渡って時を刻んだ城跡遺構は、史跡としての価値が下がるものとは決して思われないので、この訪問記事に興味を持たれた山城ファンの方にだけ、所在地の確認、あるいは訪問するまでのアクセス方法だけ分かって頂ければ、取り合えず価値のあるリポートになったものと思いたいのである。冬季訪問ともなれば多少状況も変わるものとは思われるので、僅かにそれに期待したい処だが、、、

2010年11月 6日 (土)

五十河城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市大宮町五十河(イカガ)にあって、この地方では有名でもある「小町寺」とも呼ばれている「妙性寺」直ぐ背後の丘陵先端部に位置している。当時の城主としては上田氏、榎並氏が挙がっているが、城史に関しての詳細は不明。

城跡を訪れるには、最終的に「小町寺」を目指せば自ずと辿り着ける事にはなるが、先にリポート掲載を終えた延利城、あるいは高森城を起点とすれば、共通する訪城ルートとなるので道順も分かり易いとは思われる。府道53号を走り、延利地区にある高森神社を過ぎて一般道655号へ針路変更、その後は道路に任せて小町資料館が建つ「小町公園」を目指せばよいだろう。公園脇からはそのまま小町寺に通じる狭い道があるので、それに任せれば迷わず寺院背後の墓参用駐車場までは辿り着ける筈である。ここからは城域ともなる集合墓地に向いて向かえば、主郭背後を断つ二重堀切までは直ぐの距離(5分内)にある。

1_1 登城ルート

9 城跡進入路

3ik 城跡概念図

現状(十月)、城域の大部分は概念図に示した様に、近年において造成拡張されたとも思える、規模の大きい整地された集合墓地と化しており、この一帯の縄張りはほぼ見学者の想像に委ねられるものと思われる。南東斜面全域を何段にも掘削して設けられた削平地は、一部は当時の郭跡地の転用とも窺われるが、その切岸などは比較的新しさを感じる部分もあり、近年墓地用に工事されたものの様にも見受けられた。もちろん全てがそうとも思えないので、本来の山城の姿(実態)は見学者が想像を働かせて楽しめばそれで良いのではないだろうか。

12 墓地と化した郭転用地

14_2jyuu_horikiri_2 二重堀切見所

20_2jyuu_horikiri_3 二重堀切1見所

21_shukaku_dan 主郭の壇状地形

13_nisi_karabori_dorui_1 西斜面の空堀見所

15_nisi_tatebori 北西縦堀見所

16_nisi_yokohori_dorui 北西空堀、土塁地形見所

25_minami_horikiri_1 南堀切見所

この城跡の見所としては、最初に触れた二重堀切は真っ先に挙げられるが、これは主郭北西側の斜面下から望めば、巨大な土塁を挟んだその全体像(画像に注目)が窺えるものであり、多少の地表風化は仕方がないが、堀切及び切岸の醍醐味は充分味わえるものと見た。更に縦堀が北西斜面下に繋がる一帯は、機能の想像は少し難しいかも知れないが、縦堀が絡んだ土塁の付随する空堀(横堀)地形、あるいは西郭の空堀から繋がる縦堀と、何れも非常に見応えは感じられた。個人的にはこの斜面側の地形は機能を想像して楽しめた事からも、縄張りプランにおいては一番見逃して欲しくない地域と目には映った。現状郭内部は低草木や下草が相当蔓延ってはいるが、移動に差し支えるまでには至っていないので、その形態などはある程度掴み易く、概念図に示したまでが今回藪漕ぎも無く踏破出来た地域と思って頂ければ良いだろう。もちろん冬季訪問ともなれば、更に踏破可能な地域も増えるものとは思われるが、この山城は縄張りプランから考えても、これ以上多くの期待は望めない様な気はするのである、、、城域の多くが集合墓地と化している現状、遺構残存度は非常に低い山城と言う事になるかも知れないが、個人的には前述の遺構群の醍醐味、あるいは見所が多い事も考慮すれば、充分お薦め出来る城跡と目には映ったのである。

2010年11月 4日 (木)

連郭式山城の王道を行く城跡 市場城跡(兵庫県豊岡市)

この城跡は兵庫県豊岡市市場にあって、城郭に関連した文献や出版物には全く顔を覗かせない、ほぼ無名に近い山城の一つである。もちろん城史に関しての情報は皆無に近く、現状推察可能な範囲では、かつては但馬守護職にあって、此隅山城を本拠とした山名氏のお膝にある事から、その支城としての機能は充分窺えよう。

訪問結果から先に述べれば、連郭式山城の代表格とも言える分かり易い形態、山上主郭まで十段以上連なる郭間には堀切は一切施されてはいないが、その郭切岸は堀切を必要としないほどの高低差を誇るもので、主郭を頂点とした郭総数は三十にも及び、山上における郭占有面積も相当なものと目には映った。その城域は山上周辺にまとまったものではあるが、南北二百mには軽く達するものとも見受けられ、低山ではあるがその周囲は切り立つ崖状地形で、人馬も寄せ付けないほどの険峻さを誇っており、縄張りプランとも相俟って、地形そのものが更に防備に一役買っていそうにも思われた。

1route 登城ルート

4_1 城跡遠望

6 登山口進入路

Photo 城跡概念図

現状(十月)山上主郭まで展開される郭跡のほとんどが比較的見て回りやすい状態にあり、見所は遺構の判別し易さ、分かり易い形態(縄張り)、様相も含めた全てと言えるものでもある。今回踏破した範囲で目に留まった遺構は全て概念図には記したが、城としての機能を終えた時点から現在に至るまで、ほぼ手付かずとも見受けられた遺構群の残存度は非常に高いもの(ほぼ完存か?)であり、その状態も複雑な縄張りが施されていない事から見学し易く、戦国期山城の醸し出す風情、屹立する切岸の醍醐味は半端なものではないものと目に映った事からも、推奨に値する素晴らしい山城としてリポート掲載に及んだものである。山城ファンの方は言うまでも無いが、史跡ファンの方には多少辛い登山にはなるが、ほぼフラットに近い山上に佇めば、それまでの苦労は一掃されるものとも思われるので、足腰に不安がなければ是非訪問をお薦めしたいのである。

15_tei_heki_1 郭間の低い切岸

24_2maru 二郭より奥主郭壁

28_shukaku_2 フラットな主郭見所

32_shukaku_nisi_heki 西郭より見事な主郭切岸

34_tatebori 北西斜面の縦堀見所

35_hokusei_kaku_heki_1 北西郭の見事な切岸壁

44_nantou_kaku_heki 南東段郭の切岸

46_nantou_sentan_1 南東先端郭

城跡を訪れるには、まず出石を通過して豊岡市内に向かう国道426号へ進入する事が先決となるが、既にリポート掲載を終えた三開山城を起点とすれば位置関係も把握し易く、訪問ルートも想定しやすいものとは思われる。国道426号と312号の交わる「円山大橋」より703号へ進路変更(東進)すれば既に三開山は視界に入るが、そのまま道路に任せて進行、後はルート図に示した入山口となる「有庫神社」を目印として目指せば良いだろう。今回車を預ける事になるのは、その参拝道の入り口道路沿いにある市場公民館で、山頂を目指すには社殿背後にある唯一の入山用フェンスを開閉する必要はある。そこからは山上主郭までは激斜面との格闘は待ち受けてはいるが、直登道中における藪漕ぎは一切ないので、反面上り易いとも言えるだろう。ちなみに山頂までは迷わず上れるが、一気に山頂を目指せば20分程度、主郭まで切岸の醍醐味に触れながらゆっくり見て回れば、30分程度の所要時間が必要と思って頂ければ良いだろう。

2010年11月 2日 (火)

菊谷城/高森城跡(京都府京丹後市)

この二城は何れも京丹後市延利(ノブトシ)にあり、先にリポート掲載を終えた延利城はかろうじて吉田氏の居城が伝わっているが、一般的には城史に関しての情報は皆無に近いものである。尚、この二城は郷土史(村史)には載せられている筈だと聞いていたので、興味を持たれた方は市役所を訪ねれば、ある程度までは照会出来るのかも知れないが、、、、?

この二城を訪れるには、ルート図に示した様に明田城あるいは延利城を起点とすれば位置関係は把握し易いとは思われるので、途中までのは道順は今回は割愛させて頂く。

高森城跡に関しては、まずは延利城と同様に「高森神社」あるいは「長福寺」を訪ねれば良いのだが、この山城の形態は寺院東側の丘陵上が山上郭群、同じ尾根を共有したその西端部の神社敷地が、縄張りプランを考慮する限りその西出城として良いものとはと思われる。見る限り城跡としての佇まいが強く感じられる方は、便宜上の西出城(出郭)の方と言う事にはなるが、山上本郭群へは寺院脇からの墓参道を経由した山道に従えば、山上の堀切(堀切道)跡とも見受けられる地点までは迷わず辿り着けよう。ただその間の山道は倒木などで荒れ放題と化しており、行き着くまでは中々難渋するのが現状となっている。

1 登城ルート

3 神社と寺院進入路

1_2 2 8 便宜上の神社敷地西出城

山上郭までは土塁が付随する空堀道にも見える地形(虎口か?)、その丘陵上では地形に任せた規模の大きい郭跡、その周囲の帯郭群や切岸跡は充分目にする事が可能ではあるが、郭内部はもちろん、その斜面に至るまでは蔓延る低草木によって移動もし難く、とても踏み入る事の出来ない状況となっている。反面先に触れた西出城(高森神社)の方は、現状神社敷地として整備が行き届いているので見学し易いが、近世における地形改変までは知る術もないので、当時の形態はほぼ見学者の想像に委ねられるとは思われる。取り合えず郭転用地であるものとは窺えるが、個人的に見る限りでは縄張り形態は当時のままとも思われ、整地されてはいるが、壇状になった社殿の建つ郭壁、あるいはその背後を形成する高い切岸などは、充分その当時のままの切岸と見て良いものとは思えたのである。

11koguti_karaboridou

空堀道(現状山道)

13_dan_heki 山上主郭と帯郭の切岸

15_sanjyou_kaku 山上主郭の現状

20_sanjyoukaku_horikiri_1 堀切

菊谷城へは「あゆみが丘学園」を目印として目指せば良いが、概念図を参考にすれば難なく丘陵上までは辿り着けるだろう(道路沿いからは5分程度)。ただ此方は砦の域は出ない非常に小規模な山城であり、見応えのある遺構は皆無に近く、僅かにかつて箱堀であったかの様な地形が、山上郭で目に留まるだけと思って頂ければ良いだろう。ただし踏破確認した範囲は、ある程度藪漕ぎもなく移動可能であった山上郭周辺だけに限られるので、本来の城跡全体像までは判らないのが現状でもある。

1_3 菊谷城跡概念図

Kikutani 入山口

Kikutani_hakobori 山上郭の箱堀

この二城を個人的に評価すれば、延利城を含めた延利地区の山城巡りの一環として訪れるのであれば、充分充実した城跡巡りとなる様な気はするが、単独の訪問とするのであれば、掲載記事に少しでも興味を持たれた方だけに限られて来るような気がしないでもない、それだけお薦め出来る状態にないのが現状なのではあるが、ただし冬枯れ後の訪問には僅かではあるが期待して良いのかも知れない、、、、?

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