備後衆山砦跡(兵庫県豊岡市)
この備後衆山(ビンゴスヤマ)砦は兵庫県豊岡市日無にあって、現在かつての縄張り(城域)には「正福寺」が建立されている。この城は既にリポート掲載は終えているが、鶴城の真南に位置する事からも、その出城(砦)とも窺えるものであり、規模は小さいものである。もちろん今となっては寺院建設や道路造成の為に遺構の多くは消失したものと考えられるので、かつての規模は見学者の想像に委ねられるが、尾根先端部を本郭群と考えればそれなりに察しは付きやすいとは思われる。
城跡を訪れるには、まず豊岡市内に入り国道132号へ進入する事が先決、鶴城を既に訪れられた方には、それを起点とすれば位置関係は把握し易いが、梶原の信号手前で左折しルート図の如く向かえば、自ずと目印となる「正福寺」へは迷わず辿り着ける筈である。(駐車場は完備されている)
この城跡の形態はほぼ概念図に示した通りと思って頂ければ良いが、先に触れた様に造成新設された真新しい寺院の為に、本郭部と見受けられた南側の遺構はほぼ消失したものと察せられる。個人的には道路造成工事によって西側は削り取られ、極端な痩せ尾根と化した真南まで踏破したが、そこでは僅かにかつての堀切と思われる縦堀地形を目にする事が出来た。恐らく南尾根先端までが縄張りの一部であったものと思えるが、発掘調査後の結果はリサーチしていないので自身の推察という事にはなる。しかしこの城跡に残された見応えのある遺構は、多くはないが寺院の北側に集中しているのである。本郭部の背後を断ったと思われる、片側が縦堀に繋がる堀切(薬研堀)、北東側に繋がる郭端には土橋を伴う堀切と、およそ半分以上の遺構が消失したにも拘らず充分目は楽しませてくれている。この屹立した堀切壁上部には現在小さな祠(画像に注目)があるが、城跡の形態から推察すれば、かつてはこの祠の建つ敷地が櫓台であったかのようにも窺えるのである。他ではかつては「大石りく墓」まで繋がった横堀が備わっていたのではないかとも思わせる、土塁の残欠も南側で窺われたが、推察の域は出ないものである。
城跡を個人的に評価すれば、外見から城跡に当時の風情はほとんど感じられないが、寺院内には指定史跡ともなっている「大石りくの墓」があり、その見学も含めた訪城であれば、圧倒的お手軽感からも充分お薦め出来る城跡の一つではなかろうか。状態も良く更に見応えのある二本の堀切は、個人的にはその見学だけの為に訪れたとしても、決して無駄足に終わるものとは思われなかったのである。
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