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2010年10月31日 (日)

延利城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市延利(ノブトシ)にあって、ルート図を拝見して頂ければお分かりの様に、既にリポート掲載を終えた明田城を訪れた方には、川を隔てた東側の低山山上に城跡はあるので、その位置は掴み易いかも知れない。この地区には余りにも藪で踏み入る事が出来ず踏破断念した入谷城(旧明田城、これからリポート掲載を予定している高森、あるいは菊谷城と、狭い地域に少なくとも五城かつての山城跡が現存しているが、この山城は向山城あるいは緑多山城の別称があり、当時は吉田吉助の居城が伝わっている。

1_1 登城ルート

6 入山口

1nobutosi 城跡概念図

城跡を訪れるには、先に触れた明田城を起点とすれば分かり易いが、日本三景の一つでもある「天橋立」に向かう国道178号を経由すれば、男山(男山城がある)で県道53号へ針路変更して向かうルートが分かり易いとは思われる。目印となるのは高森城の城域ともなる「高森神社」で、概念図を参考にすれば今回の直登取り付き地点でもある、猪捕獲オリのある入山口(僅かに山道がある)は直ぐ見つける事が出来るだろう。地元で出くわした年配の方に登山道を尋ねれば、かつては北麓から山頂までは山道で登れたが、今となっては村の管理する城山(手入れが全くされていない)でもあり、山道の状態までは判らないとの事で、最短ルートでもあるこの谷筋を紹介して頂いた経緯がある。とにかく谷筋を山上目指して上れば主郭に到達可能ではあるが、ここでは概念図に示した様に、入山口左側尾根の先端部には、居住空間あるいは出郭とも想像出来そうな削平地が残っているので、この地を経由してそのまま尾根伝いに上れる、藪漕ぎまでは至らないルートをお薦めしたい。ちなみに主郭背後の堀切(かつての山道が通過)までは10分内で到達可能となっている。

8_kitayasiki_1 北西出郭(推察)

11_saigedan 出郭最下段

16_horikiri_1 堀切見所

21_shukaku_1 主郭の現状

20_shukaku_dorui_2 土塁見所

現状(十月)城跡は、事前に手入れのされていない山城と聞いていた通り、全域に低草木が蔓延り非常に見学し難い状態にある。その中で判別確認出来た遺構は、山上主郭と察せられる広い削平地、堀切、主郭背後に備わる土塁、切岸と言った程度になるが、主郭から東尾根上あるいは西側尾根上まではとても移動して踏破確認出来る状況にはなかったので、城跡遺構もその形態もリポートした限りではないものと思って頂きたい。これを機に訪れる方は、冬枯れ後であれば多少状態もましかとは想像が付くので、是非それに期待したいところではある、、、状態は決して良くはないが、自然に任せたままの状態で手入れがされていない分には、遺構残存度は非常に高いものと目には映ったのである。

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京都(丹後地方)の山城」カテゴリの記事

コメント

TAKUさんひさしぶりです。
延利向山城のレポート拝見しました。
この城の状態をよく知っていますので大変御苦労されたのが目に浮かぶようです。私たちもこの春より三回訪れてようやくこの城の状況がつかめて来ましたが5月を最後に、この秋まで調査を中断していました。現在まで判明している事を総合して言えることは。山頂から東にかけての郭群に興味深い遺構が残されています。また西側の谷筋にも広い削平地が有りこの部分については、全容をまだつかんでいません。TAKUが北西郭とさせている郭は地元では「家老屋敷」と呼ばれており奥(南)には櫓状の土塁とその手前に虎口(かなり明確な)が有りました。
山頂の主郭部分は背後(東)に櫓状の土塁が有り(その周辺の笹藪を私が切り開いて置きましたので分かって頂いたと思いますが)虎口が開いています。その外には虎口受けの郭が有り、この先に深い
堀切を隔てて東側の郭群が存在します。この城の一つの特徴として横堀を多用しており結果として郭の切岸も高くなっています。この11月遺構調査を再開し縄張り図の作成を考えています。
「入谷城」は、道路わきの泉の公園寄り崖を無理やりに登ると広大な数段の平坦面が有りその北側は3重の堀切が見られます。このどちらの城も藪もさることながら倒木(ダニ被害の可能性)に悩まされます。

TAKUです、ショウカンさんお元気そうでなりよりです。
この向山城に関しては、「三回の調査でもまだ全貌がつかめていない」とコメント中にもありましたが、私自身が途中で踏破を断念した様に、郭跡における藪化には相当なものがあり、藪を切り開いて移動するのも大変な事と感じられます。
今回の訪問では、主郭の背後の堀切と土塁周辺に多少でも草木が少なかったのは、ショウカンさん自ら切り開かれたものだったのですね、お陰様で何とか土塁周辺と堀切までは辿り着く事が出来ましたが、東尾根側にまだそれだけの遺構が残されていたとは、、、当然予想は付きましたが、未踏に終わったのは非常に残念な限りです。
次でリポート掲載を予定している高森城も、山上の藪化には凄まじいものがあり、自ずと全体踏破は出来ませんでしたが、かなり規模の大きい山城の様には見受けられました。
丹後の山城巡りで最近感じられた事なのですが、比較的状態の良い城跡と、とんでもなく状態の悪い城跡との差がはっきりしており、後者に当たれば折角の訪問も残念な結果と終わりますが、以前紹介した永留城や友重城などの様に、無名に近い城跡でありながら、まだまだ見学出来る状態が自然保持されている山城も数多く残っており、これからの山城巡りの楽しみとしている処でもあります。
最近民家周辺にまでクマが出没しており、新聞を賑わせる日が続いておりますが、先日の綾部の山城巡りでは、50m程度は離れておりましたが、ついに私もクマを目撃してしまいました。これからはクマに充分気をつけた山城巡りが要求されそうに思われます、、、。

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