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2010年9月20日 (月)

まるで要塞の如き佇まい 大井城跡(京都府京丹後市)

この山城は、先にリポート掲載を終えた友重城と共通する氏家氏の居城と伝わっているが、規模も比較にならないぐらい大きく、察する限り氏家氏の本城とも思えた。この氏家氏は一色氏の一族と伝わっている事からも、自ずと城普請には多大な労力を注げたものとも思われ、急峻な急斜面を強引に掘削して郭を削り出して築かれたその縄張りは、丹後地方における山城の縄張り形態(連郭式が多い)とは少し異にするものであり、最高所に位置する主郭から、四方における斜面、更に南末端尾根上まで展開されている郭群は、見る限り梯郭式とも呼べそうに思われた。一山全体が要塞の如き佇まいを持つこの山城は、正に難攻不落の巨大山城と呼ぶに相応しく感じられたのである。

城跡は京丹後市久美浜町大井/一分にあって、低山ではあるが険峻極まりない標高164mの山頂に位置しており、その山頂は村境にある事から、別名「一分城」とも呼ばれている。今まで一分城と大井城を全く別城として考えておられた方は、同じ地域に名前の異なる山城が二城存在する訳ではないので、ここで改めて明確にしておきたい。地元で城跡の所在地を尋ねれば、直ぐに登山道のある入山口をアドバイスして頂いたが、意外にこの山城は地元では知れ渡っている様にも感じられた。丹後には過去紹介した山城も含めて、文献資料の類には余り顔を出さない、素晴らしいと思える山城がまだまだ沢山ある様にも見受けられたが、今回の山城巡りの中でも改めてそれを再確認した処ではある。

1_1 登城ルート

11_dorui_koguti 入山口となる南端堀切、虎口見所

1_2 城跡概念図

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた女布城を起とすれば分かり易いとは思われるが、国道312号から一般道668号へ進入して、一分集落にある「泰平寺」を目印として目指せば良い。女布城から向かえば、集落の手前付近で形の整った山は既に視界に入るが、この山頂が城跡でもあるので確認は容易いだろう。車は寺院駐車場に預ける事になるが、少し歩いた西側からルート図に示した様に山に入る道があるので、それに任せて真北側の山頂を目指せば、迷わず山上主郭には辿り着ける筈である、寺院からの所要時間は10分内と思って頂ければ良いだろう。

16_tetehori2 明確な縦堀見所

27_kakuheki 重なり合う郭壁

29 屹立する切岸跡見所

37_nisi_horikiri_dorui_1 西堀切見所

50_shukaku_heki_2 主郭切岸見所

53_shukaku_2 状態の良い主郭内部見所

55_shukaku_dorui 主郭土塁跡見所

41_kita_daihorikiri 北薬研堀凄い!

この城跡の魅力、あるいは遺構としての醍醐味が感じられた部分は、「縄張りプランも含めた要塞の如き佇まいを持つ様相そのもの」と言えば、まだ未訪の方には分かり易いかも知れない。高低差を伴う屹立する切岸跡から窺える様に、とにかく山上主郭に向いて無数に重なり合う郭群の醍醐味、あるいはその郭壁となる直立に近い形の切岸には、山城ファンならずとも全ての城跡ファンは圧倒される様にも見受けられた。現状、この時期(八月)でも郭跡などは藪化までには至っておらず、下草の少ない土がむき出しの郭壁や、豪快極まりない大空堀(薬研堀)などは充分当時に思いを馳せる事が可能とも思えた。見所遺構を挙げれば土塁、堀切、縦堀、切岸、石垣痕etc、、と、語り出せば限のない城跡ではあるが、個人的には遺構残存度、残存状態共に、人の手が入らない山城としてはこれ以上望めない状態と眼に映った事からも、自ずと推奨に値する城跡と感じられたのである。このリポートと共に、自身が踏破した範囲内で描いた概念図に少しでも興味を持たれた方には、迷わず訪問をお薦めしたいが、状態の良い山城遺構を堪能する事が出来る、史跡としても非常に価値の高い山城と見た。

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京都(丹後地方)の山城」カテゴリの記事

コメント

takuさん
今回の遠征ではこの城址も訪れました。takuさんは約6年前となりますが、記憶ありますでしょうか。
泰平寺に車を停めてすぐ近くの山道という事で油断をして山に入ってしまいました。先ず一番近い舗装の路地があったので、これだと早合点して
だらだら坂を上ったのですが、途中で倒木多数、更には竹藪が滅茶苦茶ひどくなって、登城不能となり、誤った道であることを実感。往復30分のロス。目の前に見える尾根沿いの山が正解と気が付きました。

偶にやってしまう尾根間違いです。登る気が少し失せましたところ、猛烈に便意を感じ、得意の野糞。これが快便で一気に元気がでてきてリベンジ。
踏みあと程度の尾根沿いを辿り、最後はそこそこの坂を駆けあがると、立派な切岸、土塁、大堀切が出迎え。石垣痕も少し見られ山城らしさを満喫できました。ありがとうございます。

ヒデさん、ついにこの山城も制覇されましたか、
自身この山城は忘れもしませんが、切り立つ見事な切岸と見応えのある堀切、その佇まいまで充分記憶に残っております。それほど自身にとっては印象に残る山城でした。
今、久々に訪れた当時の感動を味わうべく、当時描いた概念図や画像を引っ張り出して、余韻に浸っている次第ですが、丹後における山城としての印象度、見応えは私にとってはベスト5の中に入ると思えます。
こうして登城後のコメントを頂戴する度に、毎回ヒデさんと同じ感動共有出来た事に喜びを感じるのですが、自身膝に多少の故障を抱えている分、ヒデさんと同等の山城巡りは叶わないまでも、登城数や回数を減らしながらトライしていくつもりです。

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