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2010年9月18日 (土)

丈ヶ岡城/立石城跡(兵庫県三田市)

この二城は三田市寺村町にあって、南北二方を川で挟まれた東西に長く連なる丘陵上の、谷状地形を挟んで北側に位置するのが立石城南側に位置するのが丈ヶ岡城とされており、観世寺の北背後の広大な集合墓地の西側丘陵上に位置するのが丈ヶ岡城とされるものである。

何の予備知識も無く、その実態も分からぬまま訪れる分には、起伏のない丘陵上にある事からもその所在地は分かり難く、ピンポイントで城跡に辿り着くには非常に苦労するのが現状ではある。個人的には二回目となる今回で、やっと確かな城跡遺構と遭遇する事が叶えられたが、この二城の実態が気になっていた方には、ルート図には明確に進入口、あるいは入山口を示したので是非参考にして頂きたい。どちらも城史に関しての詳細は不明であるが、大味な縄張り形態から窺える様に、陣城あるいは付け城として考えれば良いものか、、、

1_1_3 登城ルート

7 丈ヶ岡城進入ルート

1_2_3 城跡概念図

この二城を訪れる為には、まず国道176号へ進入する事が先決となるが、JR「三田本町駅」東側にある信号より、ルート図の如く寺村公会堂」を目印として目指せばよい、ここに車を預ける事になるが、まず丈ヶ岡城へは詳細ルート図に記した赤ラインを辿れば、迷わず「観世寺」集合墓地の見える鉄塔までは辿り着けるだろう。直ぐ傍にある小さな池の西側に見える丘陵上に城跡はあるので、城跡の位置確認すればフェンス脇から大池まで向かい、その土手の端(画像に注目)からそのまま上に向いて直登すれば、直ぐにでも山上北郭が迎えてくれる筈である。ここでは丈ヶ岡城へ向かう為の一番分かり易いルートを説明したが、ルート図に記した下山道を逆に上っても、難なく辿り着けるとは思われる。ただし下山においては前者で上った場合、草木で覆い尽くされた現状(八月)を思えば、自身における方向感覚は全く当てには出来ないので、方位磁石の携帯は必須条件とも思われた。尚、丈ヶ岡城跡単独の訪問であれば、観世寺までは南側から車で直接駐車場まで乗り付ける事が出来るので、墓地側から向かわれる事をお薦めしたい。

9_kitakaku_1 北郭の現状

12_daihorikiri_5 12_daihorikiri_2 中央の堀切見所

15_minamikaku 南郭の現状

この城跡は幅のある土橋付き堀切を挟んで、規模の大きい北郭と南郭の二郭で形成されたものと見受けられた(推察)が、北側から西側にかけて僅かに土塁を伴う空堀跡は窺えた。もちろん郭外周を一周した訳ではないので郭周囲全てに渡って空堀が巡っていたかどうかまで判断は出来ない。この草木に覆われた現状では、視認にも移動にも差し支え、自ずと郭形状も遺構の判別も見学者の想像に委ねられるが、南郭の南端までは踏破出来る状況には無かったので、自ずと残存遺構も含めてリポートしたものが城跡の全てではないものと思って頂きたい。

立石城へは詳細ルート図を参考にして、公会堂を出て目印となる「心光寺」まで歩いて向かい、ここから参拝道で城跡の中心部(推察)となる山王社を目指せば、迷わず城跡へは辿り着ける筈である。この城跡は社殿の建つ付近が主郭であったものと思われるが、神社敷地として整地された現状からは、推察するしか方法はないものと感じられた。遺構としては数箇所に郭境となる切岸跡、縦堀とも窺われる空堀地形、土塁を伴う空堀地形は確認出来たが、草木に覆われた状態の中ではどれも判別は難しいものであり、当時の遺構と断定するまでには至れなかった。尚、この城跡も丈ヶ岡城と同様に藪化は深刻化しており、城域は広大なものとも見受けられたが、その全域を踏破出来る状況にはなかったので、城域も残存遺構も自ずと推察に委ねられる事になるとは思われる。冬枯れ後の城跡に期待をしたい処ではあるが、、、、、難しいかも。

10_jinnjya 山王社敷地(主郭か?)

10_jinnjya_1 社殿背後壁

12 社殿北側の郭跡

19 土塁地形

20_boti_minami_kaku_1 墓地南郭跡

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兵庫(三田~播磨地方)の山城」カテゴリの記事

コメント

TAKUさんこんばんわ。
ひさしぶりです。
今日、鳥取の城郭調査に行ってきました。
夕御飯を終わりゆっくりして「立石城」のレポート拝見しました。
立石城は秀吉の三田攻めの陣城の可能性が有ると言われているので行ったことが有りますが、写真を見る限りでは私が行ったときに比べ藪がきつくなっているようですね。
三田の城では、他に「桑原城」「道場城」「大原城」「宅原城」「内神城」などが印象に残っています。
老婆心かもしれませんが「丈ヶ岡城」とされていますのは、「立石城」と通常呼ばれている城では無いでしょうか。(三田市史第三巻抜刷 中世城館資料)「丈ヶ岡城」については私は知識が有りませんので確証が有りませんが。
失礼かとも思いましたが、申し訳有りません。
今後も楽しみに御待ちしています。

TAKUです、コメント拝見いたしました。
最近は鳥取まで足を延ばしておられるのですね、ショウカンさんにとっては移動距離も長く、猛暑の中での城跡調査は大変だとは思いますが、これからも是非頑張ってください。
このリポート掲載に及んだ二城は、現状その実態も城史まで含めれば情報は皆無に近いものであり、私自身も呼称を確定するまでに非常に苦労しました。今回は現在ショウカンさんと並んで、一番信頼出来うる方からの情報を採用させて頂きましたが、呼称も所在地もまずルート図に示した通りで間違いは無いものと考えております。
この丘陵上には立石城、丈ヶ岡城と、ルート図には今回は場所を特定出来なかった為に、城跡遺構かも?と記しましたが、それも含めれば三城あると聞き及びました。
もちろんこの三城はその方が過去に踏破確認された上での情報であり、公的資料に元付いたものと言う事にもなるので、所在地あるいは城跡呼称に関しましては、信頼度は非常に高いものと考えております。
ショウカンさんには何時もの事ながら、情報のご提供非常に感謝しております。有難うございました。

TAKUさん、ご返事ありがとうございます。
よく調べず、メールしまして申し訳有りません。
確かに兵庫県の遺跡地図には塩田神社北の丘に「立石城(遺跡№20361)」、西側には「丈ヶ岡城(遺跡№20297)」とあり、三田市史とは見解が異なるようです。

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