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2010年9月22日 (水)

海士城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市久美浜町海士(アマ)にあって、海士集落の東側に聳える低山の山上に位置しており、その愛宕山と呼ばれる愛宕神社のある山上からその西側中腹尾根、更にその末端に至るまでが城域と見受けられる。実際の海士城としての遺構は、中腹尾根に存在する居住空間とも見受けられる広大な削平地で、文献資料などによっては居館跡あるいは殿屋敷跡と認識がある様に思われる。愛宕神社のある山上郭群は「愛宕山城」として別に城跡呼称があると聞いたが、尾根を共有している事あるいは詰城として考えれば、個人的には山上郭群(愛宕山)とその中間に位置する物見的な郭群、更に居館跡を併せたものが海士城に相応しいものと思われたのだが、、、、当時の城主として仲原権之太夫の名は挙がっているが、城史に関しての詳細は不明である。

1route 登城ルート

6_tozanguti 進入口

3a 城跡概念図

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた油池(ユイケあるいはユケ)城(以前意布伎東城としてリポート掲載した城跡)あるいは友重城を起点とすれば分かり易いが、国道312号を経由して一般道669号へ進入する事が先決となる。久美浜高校を目印として車を走らせ、久美浜高校からは今回車を預けることになるルート図に示した海士公民館を目指せば良い。後は城跡への登山口(画像に注目)まで歩き、消えかけた参拝登山道の踏み跡を辿れば、今回の海士城と呼ばれる広大な遺構を経由して、間違いなく社殿のある愛宕山山上までは辿り着ける筈である。

この城跡は館城と呼ぶに相応しく広大な規模を誇るものでもある。屋敷跡とも窺える広い空間の背後を守備する、一部を櫓台とした分厚く高低差のある大土塁と数段の郭跡、帯郭で城跡は成立したものであり、現状明確に判別可能な堀切跡は目に留まらなかった。ただ西側に位置する長い土橋地形は、その両サイドが人為的に削り落とされてあった事と、そこに縦堀地形が見て取れたので、ここが堀切と呼べる防備の要とした箇所かも知れない、見所となるのはもちろんこの縦堀が窺える土橋地形と、そこから主郭に向かう為には避けて通れない土塁虎口で、特にこの虎口跡は状態が良い事からも、見応えは抜群!と言っても差し支えはないだろう。ここから更に山道に任せて上れば愛宕神社までは難なく辿り着けるが、この神社敷地も整地されてはいるが、かつての郭跡地と思えば良いのだろうか、、、?   更にその背後は削平跡の窺える広い空間が、多少の傾斜を伴って山上を連続支配しているが、その最高所までは踏破していないので、本来愛宕山城としたものの縄張りまでは把握出来ずに終わってしまった。恐らく規模は大きいが削平地程度の城跡と考えれば良いのかも分からない、、、、形態は謎

13_dobasi_1 両サイドが削り落とされた土橋見所

17_koguti_dorui 17_koguti_dorui_1 土塁虎口見所

18_dorui 主郭切岸と手前の土塁

21_koudai_yasiki 屋敷跡地の現状

26_daidorui 大土塁見所

29_higasi_one_kaku

主郭背後の東尾根上の郭跡

現状、時期的(八月)にも仕方がない事だが、土塁上や郭内部は特に低草木が蔓延っており、全体像の見通しは利き難く、郭形状あるいはその形態などが分かり難い箇所も多々ある。ただ幸運にも移動に差し障るまでには至っていないので、多くは無いが歩き回れば概念図に示した遺構はほぼ見学可能な状態にあり、無名に近い城跡の一つではあるが、興味を持たれた方が覗く分には、決して期待は裏切らないものと見た。3

愛宕神社

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