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2010年9月14日 (火)

女布城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市久美浜町女布(ニョウあるいはニョウフ)にあって、売布(ヒメフあるいはメフ)神社のある女布集落から見れば、丘陵を間に挟んで北側に聳える標高132mの低山山上に位置している。当時、森脇氏の居城が伝わっているが、城史に関しての詳細は不明。

城跡を訪れるには、色んなルートが考えられるのでここでは割愛させて頂くが、既にリポート掲載を終えた竹藤城跡からは程近い距離にあるので、ここを起点とすれば位置関係は分かり易いものとは思われる。国道312号経由して向かえば、まず一般道668号へ進入する事が先決となるが、売布(ヒメフ)神社を目指して進行し、付近まで到達すればルート図を参考にし、広い農道を経由して入山口となるフェンス開閉口(画像に注目)を目指せば良いだろう。車は概念図中に示した付近に自己責任において停めれば問題は無いだろう。フェンス開閉口から先は、谷状地形(山上まで繋がる縦堀かも?)に沿う形で左手側斜面を直登すれば、10分足らずで西郭には辿り着ける筈である。

1route 登城ルート

5 入山口

8_sugoi_tatehori_tikei 直登口にあたる縦堀地形

3hi 城跡概念図

この城跡は、ほぼ自然地形に任せて山上を削平し築かれており、全体的にクネクネした地形そのままが縄張りとして取り込まれており、山上郭群における郭間には僅かな段差が窺えるだけのものである。よって丹後地方特有の築城形態でもある、郭境となる高低差のある切岸は僅かに西郭の一部で窺われるだけで、ほとんど眼にする事は出来ない状況にある。郭外壁にも切岸跡が見受けられなかった事からも自ずと安普請は窺われるが、現在に至るまでの数百年に及ぶ長い自然風化を考えれば、当時鋭角なまでの郭切岸は、その多くの土が流出したものとも考えられよう。現状城跡は藪化進行中にはあるが、この時期(八月)でも移動あるいは見学に差し支えるまでには至っておらず、概念図に示したまでが藪漕ぎもなく移動可能な範囲であり、その中で目に留まった判別可能な遺構と思って頂ければ良いだろう。郭跡を除けば「三箇所の堀切見学がこの山城の全て」とも言い切れそうに思われたが、特に東端に備わる二重堀切は土橋を伴ものであり、その全体像が窺える状態からは相当な見応えを感じる事が出来た。

11_one_dobasi_1_2 南尾根上の土橋見所

14_minami_horikiri 南尾根を断つ堀切見所

13_nisikaku_kita_horikiri_dorui_2 西堀切、大土塁見所

17_shukaku_nisigawa 主郭西側

24_2jyuu_horikiri_1 二重堀切の全体像見所

26_horikiri2_1 東端堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、丹後地方の山城に共通して言える、屹立する切岸の醍醐味に触れる事はほとんど出来ないが、既に紹介した久美浜町に存在する山城、あるいはこれから紹介する形となる山城と併せた訪問とすれば、充分山城巡りも楽しめそうには感じられるのである。

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