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2010年8月29日 (日)

日高八代城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は兵庫県豊岡市日高町八代/谷にあって、谷集落の背後に聳える標高約180mの山頂を主郭として、南麓に向いて迫り出した三方尾根上が城域となるもので、その縄張りは尾根の末端にまで達するものであり、山上における郭占有面積は非常に大きく、日高地方における戦国大名の一人でもある、垣屋氏(山名四重臣の一人)の居城と並び称されてもおかしくはない、「大型の城郭」と呼ぶに相応しい山城と感じられた。名が語る様に八代氏の居城としてもよいのだろうが、文献の類では藤井氏の名が挙がっている様に、明確にされている訳ではないので、これから先も城主の特定は難しいと地元で聞くに及んだ。当然乱世を思えば何度かの城主交替劇はあって然るべきとも考えられるので、ここでは敢えて追求はしない。

城跡を訪れるには、既にリポート掲載を終えた宵田城を起点とすれば分かり易いが、国道312号から県道1号へ針路変更し、そのまま谷集落にある「谷公民館」を目指せば良いだろう。ここが登山スタート地点となるが、画像に示した進入口から民家の間を通過して、谷状地形を真直ぐに北に向いて上って行けば、南郭には15分程度で辿り着ける筈である。かつてこのルートで山上までは登山道が繋がっていたと聞いたが、現状夏草や低草木で覆われた荒れた状態(削平地が重なる)でもあり、登山道と感じられる様な踏み跡は最初だけなので、とにかく山上に向いて谷状地形をそのまま上る事が肝心である。

1route2 登城ルート

7_tozanguti 登山進入口

3ya 八代城南郭群の概念図

2 未踏に終わった「奥八代城砦群」の所在地

訪問後の結果から先に述べれば、現状(七月)時期も悪いのだが、自作概念図における範囲外は、密生する矢竹あるいは低草木で移動も視認も困難を極める状況にある。よって移動可能な範囲は限られており、主郭と思われる直立に近い切岸とその郭内部を少し覗いただけで、主郭及び以北の縄張りは、流石に踏破確認する事が叶わなかった。よって今回の概念図におけるものは、踏破可能であった南麓まで展開される南郭群だけと言う事になるが、未踏の地(主郭から以北)を含まなくとも、南枝尾根上の広域に渡る郭の展開は、正に大型の山城のそれであると自分の眼には映ったのである。下山後、地元にお住まいの年配の方に、数十年前に描かれたと思われる縄張り図を見せて頂いたが、未踏地には規模の大きそうな主郭、及び付随する郭群、東西の尾根を遮る堀切、更に数本の縦堀まで描かれてあった。やはり想像通りの山城と確信が持てたのである。

12_minamikaku_2 南郭1と2見所

13_tatehori_dobasi 南郭中央の土橋付き空堀見所

15_dai_horikiri_1 南郭背後の大堀切見所

17_nisikaku_horikiri_2 西尾根郭の堀切見所

23_higasi_one_kaku 東尾根上郭

21_higasi_horikiri 東尾根郭の堀切

南麓に展開される郭群の見所遺構は概念図には記したが、本郭群と南郭群との境を断つ、状態の良い大堀切と付随する縦土塁、更に南側の枝尾根上に施された堀切は挙げられるだろう。此方の郭群は南へ向かうほど削平は甘く、堀切は浅く、更に郭切岸も曖昧なものとなっているので、形態も含めれば山上郭群あるいは便宜上の南郭1より先に成立した郭群と言う事にはなるだろう(推察)。見る限り徐々に山上へ向いて縄張りを広げていった様には感じられたのだが、、、、山上本郭群の実態が把握出来ていない以上、推察のままで終わりそうとも思える。この現状を見れば、これから先良い方に城跡が改善されるとはとても思われず、このまま山城ファンの方々からも忘れ去られて行く運命にあるのかと思えば、城跡遺構も非常に勿体無いばかりではある。冬枯れ後の城跡に期待したい処ではあるが、矢竹は枯れてもそのままの状態で残るので、一掃しない限り城跡の縄張りはずっと把握出来そうにないだろう、、、、残念!

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