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2010年8月22日 (日)

但馬 轟城跡(兵庫県豊岡市)

この山城は山名四天王と呼ばれた中の一人でもある、垣屋氏一族の居城でもあるが、山名氏の衰退と共に主家に取って代わる勢力となった垣屋氏の勢いは、この山城を覗くだけで充分窺えるものの様には感じられた。垣屋氏本城ともなる楽々前城はまだ未訪ではあるが、支城とも言えるこの山城でさえこの規模であるのなら、本城は相当な巨大山城とも想像出来よう。この垣屋氏に関しては歴史書物、あるいは城跡関連の文献には頻繁に登場するので、ここでは多くは語らないが、今まで訪れた宵田城、養父神社城、更に日高地方において垣屋氏の息のかかった城跡も含めれば、その実態は戦国大名のそれに限りなく近いものであり、一族の拠ったこの山城を窺うだけで、垣屋氏は山名氏に取って代わるに相応しい、正しく戦国大名と呼べる一族と感じられるのである。

同じ山名四天王の中の一人でもあり、最終的には垣屋氏によって滅亡の道を辿った、田結庄氏の拠った大型の城郭「鶴城」と比べても同等か、あるいはそれ以上のものは感じられた。もちろんこの鶴城も垣屋氏によって占領後、改修拡張されたものかも分からないが、、、とにかく訪問結果としては、推奨に値する素晴らしい城跡と眼には映ったが、この残存度の高い遺構群、あるいは自然任せではあるが、この時期でもほぼ全体踏破可能な誇れる状態からすれば、史跡ファンも含めてあらゆる城跡ファンの方にお薦め出来る山城の一つとも感じられたのである。1_1

登城ルート

6_1 登山口

1_2 城跡概念図

城跡は豊岡市竹野町下塚にあって、豊岡市内を通過して訪れる場合は、国道178号を経由して県道1号へ針路変更し、竹野川に沿って日本海を目指して北上を続ければよい。取り合えずルート図に示した「蓮華寺」を目指せば分かり易いが、そこまで行けば通り過ぎてしまうので道路沿いにある道標「蓮華寺」が目に留まれば、逆に戻る形で登山口まで向かった方が分かりやすそうには感じられた。入山口は県道からも目に留まる木橋(画像に注目)で、橋を渡れば廃屋の背後にある墓地脇から、登山道が山上尾根までは一気に繋がっているので、山道に任せれば迷わず主郭までは辿り着ける筈である。ちなみに南郭までは所要時間15分らずと思って頂ければ良いだろう。

14_minami_horikiri1_2 南二重堀切1見所

13_minamikaku_daidorui_1 南郭群の大土塁見所

29_shukaku 主郭内部

33_shukaku_heki_2 美しい主郭東壁

31_2maru 二の丸

41_kita_horikiri_2 北二重堀切1見所

43_kita2ren_hoerikiri_1 北二重堀切見所

55_toutankaku_isi_1 東端郭の石垣跡見所

57_toutan_horikiri 東端堀切見所

46_kita_daidorui北郭奥の大土塁 見所

この山城を語り出せば限がなくなるが、山上における郭占有面積には相当なものがあり、狭小段郭は皆無、その規模は通常の山城三城分には軽く匹敵しそうには思われた。形態は縄張り妙味に満ち溢れ、櫓台とも呼べる大型の土塁、深く刻まれた縦堀が付随した堀切(薬研堀)、更に二重堀切、直接斜面に刻まれたV字形の堀切(縦堀)と、見応えを感じる遺構は目白押しとなっており、とにかく山城を形成する最低限の城跡遺構は、この山城を見学するだけで充分事足りそうには思われたのである。更に主郭周りの切岸、あるいは一部の郭壁に残存石垣、郭壁随所に石垣痕が窺われる様に、崩落石も含めれば全てとは言わないまでも、主要な箇所はほぼ石垣で覆われていた様にも感じられた。特にこの城跡を語る際に忘れてはならないのは、直立に近い形で屹立する切岸で、とにかくこの高さを伴う状態の良い郭切岸には圧倒されそうには思われた。いずれ垣屋氏本城(楽々前城)も訪れるつもりはしているが、遠距離訪問を思えばまだまだ先延ばしになりそうとも思えるのである。

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