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2010年7月17日 (土)

小貝城跡(京都府綾部市)

この山城は綾部市小貝町にあって、先にリポート掲載を終えた石原城から見れば真南に聳える山塊の山上がそれにあたる。当時は川北石見守の居城と伝わるが、綾部一帯の多くの城跡と同様に、明知光秀の攻略により落城の歴史あり。その後の詳細は不明

城跡を訪れるには石原城を起点とすれば位置関係も分かり易く、ルート図通りに林道から茶畑を経由して向かえば、迷わず山上主郭までは辿り着けよう。現在この一帯は「綾部市創造の森」といった、広域に渡る自然公園になってはいるが、過去城跡であった事を示す案内板は設置されておらず、城跡としてここを訪れる史跡ファンあるいは城跡ファンの方は、皆無に近い様には感じられた。更に公園としながらも徐々に荒れ果てていく様は、非常に忍びないものも感じられた。折角公園として整備されながらも、城跡を認識させる案内板がないのでは史跡として訪れる方はおらず、非常に勿体無いばかりである。近年の城跡ブームに乗って無名に近い城跡の一つではあるが、是非城史を載せた案内板の設置を希望したい処ではある。

1route 登城ルート

7_3 東からの林道進入口

3ko 城跡概念図

現状(六月)城跡は訪れる人も余りなく、自然任せの荒れた状態、あるいは下草や夏草に全て覆われた状態となっているが、まだ近年整備された公園とあってなのか、歩き回るには余り支障は来たさない状態にある。ただ備わる当時の遺構となると、見通しの利く便宜上の二の丸付近から主郭にかけては、流石に当時の郭跡らしく感じられるが、斜面に至っては雑草や雑木が蔓延り、とても遺構探索は困難な状況となっている。その中にあって当時の遺構と眼に映ったのは、今にも腐って朽ち果てる寸前の木橋の下の堀切跡、主郭手前に備わっていたと思われる堀切跡、これは公園化の為に埋められた縦堀跡だけが両サイドに僅かに残っている程度なので判別は少し難しいが、何となくそれらしくは感じられた。全体を通して見れば、どこまで公園として造成地形改変が行われたものかは想像も付かず、様相も含めた山城としての佇まいを味わう程度の訪問となる様には感じられた。せめて山上に佇んだ時、周囲の眺望が利くのであれば、また違ったものになるとは思われたが、、、

12_3maru 三の丸(便宜上の)

13_horikiri 堀切跡(下)に架かる木橋

18_horikiri_ato 堀切跡と見受けられる地形

20_shukaku 主郭内の現状

この記事をきっかけとして城跡に赴かれる方には、「堀切に備わる腐りかけの木橋を渡る場合には細心の注意が必要」なので、渡る前には是非この記事を思い出して頂きたいのである。城跡を個人的に評価すれば、公園化が行き届いているので史跡ファンの方には別な意味でお薦め出来ようが、山城ファンの方には風情を味わう程度の訪問として納得して訪れて頂きたいのである。石原城と併せた同日訪問であれば、ついでに伺う価値は充分あるものとは思われたが、、、

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京都(綾部)の山城」カテゴリの記事

コメント

TAKUさん今晩は。
小貝城のレポート拝見しました。
私自信は、公園化されてからしか行っていませんが、ろくに調査もされず適当に公園化され遺構が破壊されてしまった城との印象をもって帰ってきました。ただしTAKUさんも見られたと思いますが、主郭南側にある凹形(2か所)のくぼ地ですが、第2次世界大戦中の対空銃座(おそらく機銃と思います)の後です。
小貝城の南にはかって川西航空機(現在の新明和)の疎開飛行場が有りその関係施設の様です。ですから戦時中にもかなり改変があったようです。
この様な対空銃座の遺構?は舞鶴の山城でたくさん見ましたが、綾部ではここだけと思います。
中世の山城と、大戦の銃座が共存している中々興味深いものがあると考えます。

TAKUです、ショウカンさんには何時もの事ながら、城跡に関しての興味深いコメントを投稿して頂き、感謝の言葉も見つかりません、有難うございます。
確かにこの城跡の主郭内部では、草木に覆われてはおりましたが、二箇所ほど奇妙な形態の空堀遺構を確認しました。個人的にも城跡遺構にしては縄張りに必然性が感じられず、後世の構築物だと思われた事もあって記事には載せませんでしたが、ずっと気にはなっておりました。やっとこの妙な空堀遺構の謎が解けました。
それにしても、公園としてこれだけ整地造成したにも拘らず、危険な穴倉としか思えない銃座遺構を、そのままの状態で放置しているのも妙な話しではありますね。それほど多くの人が訪れないのを理由として、子供達が穴にはまった事故が無いのが救いとも言えますが、、、公園とするのであれば、埋めるなどといった改良の余地がありそうに思われました。
又、城跡に関しての興味深い話があれば、何時でも歓迎いたしますので宜しくお願いいたします。

熊本在住の河北石見の子孫です。石見は明智光秀の御家人になった後、玉(後のガラシャ)の婚姻に伴って細川藩の御家人になり、その子孫が熊本(肥後)に来ました。
小貝城の歴史資料は何で知ることができるかお教え願えませんでしょうか。

TAKUです、コメント拝見させて頂きました。
小貝城に関しては、他の綾部に存在する数多くの城跡と同様に、丹波の戦国史にもその名前すら登場せず、文献資料の類ではほとんど眼にする事が出来ないのが現状と言えます。
簡単な城史程度なら、綾部市役所の教育委員会に問い合わせてみれば良いのかも分かりませんが、これだけ知名度の低い城跡ともなれば、余り期待は出来そうにないと考えた方が良さそうには思われます。今私が思いつくのはこの程度の事ですが、取り合えず問い合わせてみる価値はあるのではないでしょうか、、、少しでも参考になったのであれば幸いです。

takuさま
ご推察の通り石原城址のついでに訪問しました。
たしかに公園として整備されていたはずなのに、今や殆ど訪れる人がいないのかかなり荒れ放題ですね。逆に公園の荒廃という意味では何故こうなったのか興味を持ちました。いつもありがとうございます。

対空銃座は一見の価値があると思いました。
あと地図を見ると遊歩道よりも距離的には北の方を直下すれば三柱神社までは近いと思って、道らしき道を北方面に捜したところ、ボロボロ階段があり、これはひょっとしたらと思ってその階段を下りました。これは大間違い。この階段は10mほどの比高のみで、消え、そのまま約50度ぐらいの激斜面を下る気にならず。左方面に10年以上誰も通っていない遊歩道跡あり、それをボロボロ手すりが一部残っているのを頼りに水平移動。ところが、これが凄い藪。顔にあざだらけ。

これからこの城址を訪れる方はには浮気せず、来た道をしっかり戻る方が急がば回れのようです。

ひょっとしたら北東方面に直登の方法あったかも知れませんが。

ヒデさん、小貝城はどうやら私が思うほどの息抜きにはならなかったようですね、、(小笑)
この城跡の主郭跡地に、綾部では非常に珍しい銃座遺構があるとは思いもよりませんでしたが、そのお陰で当時の遺構は随分消失したのかもしれませんね、、、
それにしても、公園化された城跡としては非常に残念な状況と思えます。当時綾部では相当予算が有り余っていたのでしょうね、、

私は河北讃岐守正綱の二男、河北石見守一成の長男、河北有宗の末裔です。
正綱と有宗は蒲生氏郷と共に伊勢から会津に1590年頃に移住しました。
kawakitaさんは私たちの親戚にあたると思います。

小貝城の情報ありがとうございます。

TAKUです、コメント拝見させて頂きました。
僅かな情報のご提供しか出来ませんでしたが、ブログで発信した事がお役に立てて何よりでした。

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