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2010年7月 6日 (火)

河辺古城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市大宮町河辺にあって、既にリポート掲載を終えた周枳城からは北西側に少し移動した低山山上に位置しており、当時ここを居城としたのは三宅美作守と伝わっているが、後に河辺(新)城として現在の「皇大神社」のある場所へ移動した模様、よって此方は辺古城と呼ばれている。城史に関しての詳細は不明であるが、この城跡を見る限りでは規模(城域)も相当大きく、三宅氏の当時における勢力も充分窺えそうには思われた。

城跡を訪れるには周枳城を起点とすれば分かり易いとは思われるが、ルート図には国道からの道順を示した。先に周枳城を見学して赴くのであれば、一般道656号から詳細図を参考にして、未舗装農道(画像に注目)を東進して城跡へ向かえばよい。車は小型車なら何とか突き当たりにある橋の手前付近に駐車は可能であり、その小橋を渡って竹林地に進入すれば、そのまま城域に達する事にもなる。

Kawabekojyou 登城ルート

4 城跡進入路

10_kaku_heki 16_kaku 規模の大きい郭跡

19_heki 郭切岸

18_dorui_heki 郭跡と奥大土塁見所

21 主郭の切岸

23 主郭背後の堀切見所

現状(五月)城跡は、全域がほぼ竹林地、あるいは雑木や低草木が郭跡全てに蔓延り、自然任せの荒れ放題の様相となっている。自ずと見通しも利き難く、判別確認可能な遺構も限られてくるが、山上主郭までは幾段にも及ぶ大小の郭群がひしめき合っており、自分の向かう山上主郭の方角すら分からなくなってしまいそうにも思われる。とにかく主郭から山裾にかけての西、南、北の三方は、現状竹林で覆われてはいるが全て削平あるいは切岸化されている。取り合えず山上主郭までの移動範囲内で目に留まった遺構は、郭跡を除けば土塁、主郭背後を断つ堀切と限られてくるのが現状ではあるが、この移動にも難渋する状況においては、城域全てを踏破する事は非常に困難でもあり、流石に今回は城跡概念図すら描く事が出来なかった。取り合えず状態がましな箇所の画像だけは掲載したが、まだ未訪で興味を持たれた方には、周枳城を訪ねたついでにでも訪ねて頂きたいと思うのである。ただ竹林地にありながらも直立に近い形の切岸の醍醐味や、全体的に広々とした空間は、城跡の臨場感だけは充分味わえるとは思えた、、、、今回は状態が悪過ぎて一気に山上郭群を目指したお陰で、縦堀や空堀(横堀があるかも?)など見逃した遺構も数多いものとなってしまったが、それにしてもこの城跡の規模だけは、推察も含めて相当な規模と思えるのである。

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