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2010年7月27日 (火)

宮川城跡/養源寺城跡(京都府亀岡市)

この宮川城跡猪倉養源寺城跡の二城は同じ亀岡市宮前町宮川にあって、国道372号及び本梅川を挟んで東西に対時しており、前者は北西背後に聳える神尾山城の砦あるいは出城と伝わっているが、後者に関しては真南側丘陵上には井内氏の居城、猪倉城(井内城)がある事からも、当時においては猪倉城との関連、あるいは丹波五大山城の一つでもある神尾山城との関連性も窺われそうには思えたが、詳細は不明である。ただ神尾山城の城主は柳本氏から始まり、数度の領主交代劇が窺われる模様であるが、最終的には丹波を平定した明智光秀のものとなっているので、この二城は自ずと平定される前まで機能していただけの山城とも思えるのである(推察)。

城跡へはスタート地点によって様々なルートが考えられるのでここでは割愛させて頂くが、取り合えず国道372号へ進入する事が先決となる。どちらもルート図で確認して頂ければ分かり易いとは思われるが、まず宮川城跡の登山進入口は画像に示した神尾山金輪寺の案内板のある箇所で、ここから山道に進入して、そのまま山上へ向いてだらだら続く斜面を上り切れば(途中から踏み跡程度)10分程度で山上主郭には到達可能である。養源寺城跡の方は養玄寺を目指せば分かり易いが、寺院左手にある墓地より尾根に向いて直登(他からの進入口は厳重なフェンスによって困難)すれば、5分程度で山上主郭には到達出来るはずである。

1_1 登城ルート

1 宮川城付近詳細図

7 宮川城進入口

20_kita_karahori 僅かに空堀跡

22_shukaku 主郭内の現状

23_shukaku_heki 主郭切岸

現状(三月)、両城共に郭内は長年の風化によって自然任せの荒れ放題と化しており、案外見通しは利く状況にはあるが、地形の変化から遺構を判別するのは中々難しい状態にある。どちらも安普請で築かれた山城と見受けられるが、宮川城は風化が激しいものの、郭周りで切岸跡北郭では僅かに空堀跡(画像に注目)は窺う事が出来た。規模も尾根上の削平地を取り込んだとすれば比較的大きいもので、砦の域は充分出ている様には感じられた。尚、未踏に終わったが、麓には居館跡(場所の特定は出来なかった)があるらしいので参考までに、、、。猪倉養源寺城の方は全域が自然地形をそのまま削平しただけに終わっており、堀切も切岸跡も窺う事が出来ず、自ずと郭の境界が判別出来ないので、どこまでが縄張りであるのかは非常に見当が付き難い状態でもある。しかし規模(城域)は意外に大きいものである。

1_2 猪倉養源寺城2

個人的にこの二城に関しての評価は難しいが、遺構の見応えあるいは縄張り妙味などを期待して訪れるならば、落胆する事は必至の様にも思われた。この山城の所在地あるいは現状が気になっていた方にとっては、多少でも値打ちのあるリポートになったものと思いたいが、数百年の時を経て現在に至る山城遺構は、見応えには欠けても史跡としての価値が下がるものではないので、興味を持たれた方にとっては、宮川地区における山城巡りの一環としての訪問ならば、何とか面目は保たれそうには感じられるのである。

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