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2010年7月15日 (木)

綾部 石原城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市石原町坊ヶ谷にあって、集落北背後の丘陵上がそれにあたる。この城跡は個人的に見る限り、綾部一帯に数多く築かれた大槻氏一族の城跡とは形態が異なり、更に他の在地勢力の城跡とも形態を異にするものと眼に映った。さも織豊系の築城技術が採り入れられたかの様に、主郭には分厚い高土塁と空堀を張り巡らせ、更には土塁で囲まれた馬出しの様な郭跡まで存在している。もちろん城史に関しても情報は皆無に近く、見学者の想像に全て委ねられるのだが、綾部一帯では中々お目にかかれ難い縄張りプランを持ったこの城跡は、まだ未訪の方には是非訪問をお薦めしたいのである。

1_1 登城ルート

7_2 入山口

1 城跡概念図

城跡を訪れるには既にリポート掲載を終えた高龍寺山城、位田城などを起点とすれば位置は掴み易いが、府道74号を経由して「私市円山古墳」を目指して走ればよい、後はルート図の如く進行すれば難なく付近までは辿り着けるだろう。城跡進入口としての目印となるのは民家のひしめきあう中にある「三柱神社」で、概念図の如く神社西側家屋の隙間にある入山口から進入して、そのまま山道に従えば5分とかからず主郭には到達出来る筈である。

現状(六月)城跡は自然任せの藪化は進行中にあって、郭内の見通しは利き難いが、移動に差し障るまでには至っておらず、歩き回れば概念図に示した遺構はほぼ判別確認可能な状態にある。むしろこの時期の山城にしては状態は良い部類に入るかもしれない、、、この城跡の見所は最初に触れた様に、主郭を巡る高土塁及びそれに付随する空堀で、空堀は長年の堆積物によって相当埋もれてはいるが、高土塁は形は崩れながらも未だ健在でもある。更にその土塁の特徴としては横矢が設けられており、分厚い高土塁と並んで更に眼を楽しませてくれている。山上郭群はほぼ三郭構造と見てよいものと思われるが、主郭北側に広がる削平地なども城域とすれば、山上がほぼフラットに近い状態もあって、全長百m足らずの城跡ではあるがより巨大な城跡として眼には映ってしまう。土塁に覆われた主郭は特に大規模なもので、その中央に佇めば抜群とも言える臨場感を感じる事が出来よう。

15_fukukaku_dorui_koguti_1_2 副郭の北土塁虎口見所

19_fukukaku_nai_dorui_2_3 副郭土塁見所

23_shukaku_kita_dorui_heki_2 主郭北土塁壁

22_higasi_karabori_2 主郭東土塁壁と空堀見所

20_yokoya_karabori_2 横矢構造の土塁見所

30_dorui_2_2 主郭土塁

城跡を個人的に評価すれば、綾部一帯では中々お目にかかれない形態の城跡でもあり、はっきりそれと分かる判別し易い遺構群、あるいは山道を利用すれば直ぐにでも辿り着ける、圧倒的お手軽感もそれに加味すれば、先に触れた様に間違いなくお薦めできる城跡の一つと言えよう。状態がもう少し良いのであれば、推奨に値する城跡として扱わして頂けたのだが、、、ルート図には同時に小貝城跡を記したが、この山城も併せた同日訪問とすれば、更に山城巡りが充実したものになる様には感じられた。

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京都(綾部)の山城」カテゴリの記事

コメント

takuさま

先日綾部市訪問の時にこの城址も訪問しました。
無名の三柱神社の脇から少し上るわけですが、
こんな民家に近いところに城址があるのかしら?と半信半疑で閉会フェンスを開けると

入れ違い土塁を経て、ダイナミックな城郭が出迎え。2の丸にはでっかい空堀、主郭はまるで球場の様なスペックで土塁が高い主郭だ出現。

大感激でした。

私の目には伊賀地方の土豪の遺構に少し似ていると思いました。

ありがとうございます。
綾部市はまだ未訪の山城がいくつかあるので、楽しみです。

ヒデさん、石原城の土塁はコンディションも良く、高さ見応え共に抜群でしたね。
訪れた時はその遺構残存度の高さに驚きましたが、形態が舘城とよく似ていた事を記憶しております。もちろん伊賀の居館跡に近い部分も感じられましたが、、、どちらにしても綾部においては少し異色に感じられる城跡ですね。
小貝城もついでに寄られた事と思いますが、山城巡りとしての息抜きには、調度よかったのではないでしょうか、、

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