« 周枳城跡(京都府京丹後市) | トップページ | 但馬 土田城跡(兵庫県朝来市) »

2010年6月30日 (水)

呼称の訂正が必要と判明した城跡

今まで「山城賛歌」の趣旨として、無名に近い山城にも光を当てるべく、個人的にも敢えて城跡としての情報が乏しい山城ばかり訪ねてその現状をリポートして来ました。個人的には情報量の少なさを理由に、誤認あるいは呼称の取り違いなどを出来るだけ避けるために、訪問後も追跡リサーチは継続しておりましたが、今回はその中にあって追跡リサーチ及び外部で得られた情報などによって、公に公表されたものとは所在地が異なる城跡が、京都府丹後地方における山城の中で四城判明しましたので、ここで呼称の変更と同時に訂正に及びたいと思います。

1) 京丹後市久美浜町友重 「友重城跡」

Tomo_1この城跡は現地で明確な堀切(空堀)四本、郭を構成する三連の土塁壇が窺えた事から、現地名をそのまま採用して友重城としてリポート掲載に及んだものですが、その後の外部から得られた情報によって、本来の公的呼称を名乗る友重城は別の山に存在する事をリークしました。まだ場所の確定までには至っておりませんが、出城と本城の取り違いがあるかも知れない山城として、一応念の為にお知らせしたいと思います。別の山に友重城が存在するのであれば、現段階ではこの紹介した城跡は利便性から考えてその出城、あるいは支城とも考えられそうですが、この城跡の更に西側には坂井城の名を持つ山城があるらしい事を思えば、この坂井城の出城とも推察されそうに思われます。リポート掲載に関しては明確になるまでは城跡呼称は訂正せず、そのまま掲載は据え置く予定ですが、先にリポート掲載を終えた天寧寺城跡も、現地ネタあるいは色んな外部情報が交錯して、城跡呼称が二転した事を思えば、今回は判明するまで気長にリサーチを続けるつもりです。

2) 京丹後市久美浜町油地 「意布伎城跡」

Obuki_1この山城も友重城と同様に、訪問後の追跡リサーチ及び外部情報によって公的呼称の付けられた本来の「意布伎城跡」は、この地より直ぐ西側に聳える山の山頂(ルート図に記した)にあるらしい事が判明しました。となれば、以前紹介した城跡の呼称は、、、? と言う事になりますが、紹介した城跡は集落を挟んで直ぐ麓に隣接する事、縄張りの中には明確に堀切や土塁が窺える事、そしてこの館城としての形態から考えれば、当然城跡遺構(居館跡か?)としてまず間違いは無いものと思えますが、麓を居住空間(推察)とするのであれば、自ずと山上郭と併せたものが意布伎城跡であるとも考えられます。二城セットとして考えれば、山上は当然詰城的な機能が考えられそうに思われますが、山上郭にはまだ訪れていないので現状では何とも言えません。追跡リサーチはこれからも継続しますが、別に呼称があって既に城跡として認知されているのであれば、判明次第報告の予定です。尚、リポート掲載においては、取り合えず本来の意布伎城跡と混同を避ける為に、仮名にはなりますが、城跡呼称は「意布伎東城跡」に変更させて頂きます。

3) 宮津市田原 「田原城跡」

2この山城は以前田原集落にある龍燈寺背後の丘陵上を田原城として紹介しました。寺院案内板にもこの地を田原城とする記述があった事や、地元での軽い聞き込み、地形から遺構と見受けられた切り通し、郭切岸跡、段郭群などから見ても城跡遺構としてまず間違いの無いものであり、更に築城環境なども考慮した上で、この地が田原城であると決め付けておりましたが、本来(公的資料にある)の城跡は、この地より道路を隔てた西側に聳える山の山頂にあることが判明しました。ただこの山城はまだ遺構も踏破確認していないので、現段階では所在地はまだ推定と言う事にはなりますが、ほぼ断定してよいものと思われます。当然前回城跡遺構と断定して掲載に及んだ山城の呼称は、、? と言う事になりますが、現時点では資料も乏しく未だ判明しておりません。ただ個人的には田原城を本城とした場合の出城、あるいは当時の居住空間であったものと見るのが妥当かとは思えます。取り合えず前回田原城跡としてリポート掲載に及んだものは、仮)田原東城と訂正して掲載は据え置きたいと思います。

4)京丹後市久美浜町芦原 「芦原城跡」   

1route_2 3as この城跡は概念図でお分かり頂ける様に、城跡遺構としては一見の価値に値するとも思われた、見応えのある三本の薬研堀を備えており、規模も大きく、現地名を採用した芦原城跡として昨年リポート掲載に及びましたが、この度公的に認知された芦原城は別に存在する事が判明(ルート図に記した)しました。外部情報では二城で成立した城跡と言う事もリークしていますので、特別呼称を変更するまでには及ばないとも思いましたが、既に公的に認知された本来の芦原城との混同を避けるために、ここでは芦原西城」と改訂した上で、リポート内容はそのまま据え置きたいと思います。

個人的には現地で得た情報を重要視した訪城を心がけているので、城跡呼称の取り違えは少なからずあり、更に文献などに多く眼を配る方でもないので、この城跡が既に認知されて既に呼称の付いている城跡かどうかまでは、現時点では把握出来ておりません。しかしこれだけ明確な城跡遺構が現存していながら、公的に調査もされず城跡として認識されていないとは思われず、取り合えず呼称が判明するまでは上記の呼称を使用しますので、柔軟に対応して頂きたいと思います。判明次第報告の予定です

(総括) 但馬地方から丹後地方にかけての山城巡りの最中には、過去三人の先輩方と偶然ですが現地で遭遇しました。何れも自分の様に無名に近い山城ばかりをチョイスして訪ねておられる山城ファンの方の一人でしたが、共通する話題は必ず無名に近い城跡を訪ねる際の苦労話などになります。特に丹後地方は情報量の少ない山城の数が圧倒的に多く、半端な数ではない事も聞き及びました。尾根一つ変われば別の城跡名になったり、それらしい砦跡なら無数にあるとの情報も得ましたが、それならば何とか「山城賛歌」で所在地を明確にし、これから赴かれる山城ファンの方々の為にも、出来るだけ迷わず城跡に訪れやすいルートを開拓したいと、益々意欲を燃やしている今日です。現地で遭遇した先輩諸氏には、これからも自分の今まで養って来られた眼力を頼りに、情報の少ない山城巡りを是非末永く続けて頂きたいものと改めて思った次第です。これは自分自身に言い聞かせている部分も多少はあるのですが、、、

« 周枳城跡(京都府京丹後市) | トップページ | 但馬 土田城跡(兵庫県朝来市) »

城跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 呼称の訂正が必要と判明した城跡:

« 周枳城跡(京都府京丹後市) | トップページ | 但馬 土田城跡(兵庫県朝来市) »

無料ブログはココログ