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2010年5月14日 (金)

小峠城跡(京都府与謝郡)

城跡は京都府与謝郡与謝野町明石にあって、先にリポート掲載を終えた愛宕山城から見れば、北端の古墳群から直ぐ東側に望める位置にあり、その低丘陵上の先端部が城跡となっている。城史に関しての詳細は不明であるが、明石城あるいは愛宕山城との位置関係から考えても、その出城機能は推察出来そうには思われる。

城跡へ訪れるには、ルート図を見れば直ぐお分かり頂けようが、先に触れた二城を起点とすれば、その位置の確認は容易いものとは思われる。以前紹介したこの周辺の山城をまだ訪れていない方には「作山古墳」、あるいは「蛭子山古墳」を目指して車を走らせれば、難なく辿り着けるとは思われるが、城跡への進入口も概念図を参考にして頂ければ、車を路駐した場所からは直ぐにでも到達可能となっているので、非常に訪れやすい城跡と言う事にはなるだろう。

1_1_2 登城ルート

4 城跡遠望

1_2_4 城跡概念図

この城跡は、外見あるいはルート図から直ぐ判断出来るように、直ぐその脇を走る道路は近年造成されたとも見受けられるものであり、城跡の南側における当時の縄張りは、ほぼ見た者の想像に委ねられるのが現状となっている。ただ見る限り、主郭から南側にかけての遺構は削られて消失した可能性はあるが、他の北側に展開される遺構群は、ほぼ当時のままとも見受けられるもので、郭を形成する美しい切岸は未だ健在、更に郭跡も一部を除いては比較的状態が良いものであり、主郭周辺だけに限れば縄張りはほぼ掴める状況にあると言っても良いものである。取り合えず概念図には判別確認可能な遺構も含めて、見たままの状態を記したが、インパクトのある深い堀切は施されておらず、当時を物語るものは郭跡と切岸跡だけと言った処が現状でもある。城跡西端側には、現在では切り通しを挟んで西出郭とした形で住宅背後まで郭跡が迫っているが、これが当時の堀切か否かの判断は、見た者の想像に委ねられるだろう。個人的には必然性から考えて、出郭を遮るべく当時の堀切として間違いないものとは思えたが、、、

10_nisikaku_2

西郭

12_nisikaku_yori_higasi 西郭より主郭側

15_shukaku_kita_heki_3 15_shukaku_kita_heki_1 主郭北側の美しい切岸見所

16_kitakaku 北郭

18_kita_obi_dan 北側帯郭

城跡を個人的に評価すれば、道路沿いから直ぐにでも到達可能な圧倒的お手軽感は、城跡を訪れるにあたっては非常に有利な条件の一つでもあり、多少の地形改変はあったとしても、これだけ当時の遺構を拝める事が出来るのであれば、充分観賞に耐えられる城跡とも自分の目には映ったのである。先に愛宕山城を訪れた方には、決して無駄足に終わるとは思われなかった事からも、是非足を向けて頂きたいと思うのである。

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