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2010年5月13日 (木)

明石愛宕山城跡(京都府与謝郡)

城跡は京都府与謝郡与謝野町明石にあって、既にリポート掲載を終えた、明石城塞群北城(便宜上)とした城域の、集落を挟んで東側の低丘陵上に位置している。前回の明石城訪問後に、この巨大城塞群はまだまだこれだけで終わるとも思われなかった事から、再び当地を訪れて未踏地に当たる箇所の探索となった訳であるが、予想通り、しかも城址標柱まで設置された城跡と遭遇する事になった。もちろん城址標柱に「明石愛宕山城」と記されてあったので、そのままの呼称で掲載に及んだが、機能からすれば明石城塞群の支城として考えれば良いのかも知れない。この城跡も明石城同様に情報は皆無に近いものであり、城史に関しての詳細は不明。

1_2_3  登城ルート

5 城跡進入口

1_1 城跡概念図

城跡を訪れるには、明石城を起点とすれば直ぐお分かり頂けるとは思うが、ルート図の如く赤線を辿れば迷わず辿り着けるだろう。進入口となるのは概念図(画像に注目)に示した「明石ハイツ」の東向い側の山道からで、空堀道(現状)を通過して右手に向えば、直ぐにでも虎口に設置された城址標柱が目に留まる筈であり、この虎口から左右に広がる高低差のある切岸からも、スケールの大きい館城は直ぐ想像出来るものとは思われる。

10_koguti_1 虎口見所

12_heki 虎口西切岸見所

15_shukaku 主郭の現状

16_shukaku_dorui 主郭大土塁見所

17_horikiri 堀切見所

18_horikiri 主郭背後の切岸(堀切側)

20_higasi_karahori_dorui 東空堀土塁跡見所

現状(四月)縄張りと察せられる全域が自然任せの荒れ放題と化しているが、雑木密生までには至っていないので、歩き回れば遺構の判別確認はほぼ可能とは思えた、しかし縄張りに関しては、主郭周辺を除いて北側丘陵上は、恐らく近世において農地として転用されたものとも窺えるものであり、見た者の想像に委ねられるのが現実でもある。とにかく主郭から北側に向うほど自然風化も激しく低草木も蔓延り、地形から当時の郭形状、あるいは縄張りを想像するのは非常に困難を有する状態となっている。その中で見所を挙げれば、丹後地方の山城では通常とも言える、郭を形成する高低差のある直立に近い切岸、あるいは深く掘削された堀切は真っ先に挙げられるが、他の主郭南端に備わる大土塁、東側には埋もれて浅いが空堀跡?、それに付随する土塁なども充分目は楽しませてくれよう。概念図には地形が複雑すぎて描ききれなかったが、北端には内壁周囲が切岸化された広い削平地も窺えたので、これを機に訪れる方はついでにこの付近までは是非足を延ばして頂きたいとは思うのである。個人的にはこの城跡の規模、あるいは縄張りから考えても城域は広いものであり、この周辺の地形が当時のままの状態であるのなら、当然出郭跡地と考えても良さそうには思えたのである。

個人的に城跡を評価すれば、状態は決して良いとは言えないが、無難に薦め出来る城跡と言う事にはなろうか、、、まだ未訪の方には明石城は言うまでも無いが、後で掲載予定の「小峠城」との同日訪問は、是非お薦めしたい処ではある。

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