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2010年4月21日 (水)

上林比丘尼城跡(京都府綾部市)

城跡は綾部市五津合町弓削にあって、先に訪れた瀬尾谷城とは上林川を挟んで真北側の丘陵上に位置している。当然この山城を既に訪問された方ならルート図を見れば直ぐお分かり頂けようが、上林中学校を東へ過ぎれば正面にそれらしい丘陵が直ぐ目に留まるので、位置確認は容易い筈である。尚、城史に関しての詳細は不明であるが、古い時代に蔵持氏の居城が唯一伝わるようである。

主郭まで上るには、ルート図に記した二通りのルート(民家に挟まれた参拝道と東側の参拝山道)が考えられるが、どちらも墓地経由の参拝道で迷わず丘陵上までは到達可能である。個人的には直ぐ北側の山上に位置する「姥ヶ城」に寄る事も考えていたので、東端の参拝山道を利用して訪れたが、結果的には後の姥ヶ城のリポートで触れる事にもなるが、直接谷間の休耕田を越えて向かう事が叶わず、これから訪れる方には二城同日訪問を前提とするなら、1号線沿いの橋の手前付近(路駐スペースあり)に車を停めて、そこから歩いて向われる事をお薦めしたい。

1_1_2 登城ルート

6 進入路B

1_3_2 1_2 城跡概念図

この城跡は堀低部に墓地のある東端に備わる自然巨大空堀地形(堀切道)を境にして、東側へ大規模な郭を三郭並べたものであり、内部に郭段差は見とめられるが、アバウトに表現すれば大土塁とそれに付随する箱堀を挟んで、東西に分かれた二郭構造でもある。全長二百mにも及ぶ丘陵上はほぼフラットに近いものであるが、大土塁より西側の広大な削平地を便宜上の主郭として考えれば、一番納得が行きそうには思われる。巨大空堀地形のある東端には櫓台を想像させる三段構造の段郭が備わっているが、この部分が城跡中一番高低差のある突出した部分であり、堀切側の見張り機能とも推察出来そうである。広大な規模を誇る主郭内には連続土塁、あるいは部分的に土塁痕が残るが、後世から近世にかけては屋敷が営まれていた可能性も考えられるので、土塁はその残欠なのか、土塁そのものは当時の状態のままなのかの判断は非常に難しいのが現状でもある。ただ郭を東西に分断する大土塁は、ほぼ当時のままとも思えるものであり、直線で横たわる様は全体像が拝める状況にあるので、非常に見応えが感じられた。

8_toutan_sizen_karabori 東端の自然巨大空堀地形

12_higasi_yagura_1 東端の三段郭

18_daikarabori_1 大空堀(箱堀)見所

20_dorui_koguti 中央土塁虎口

25_shukaku_yori_daidorui 主郭内より大土塁見所

28_kita_obi 北帯郭見所

26_seitan_dorui_1 西端の大土塁見所

現状(三月)郭内は倒木も多く自然任せの荒れ放題となっており、移動し難い箇所も多々あるが、ある程度見通しが利く事から、遺構の判別確認に支障を来たすまでには至ってはいない。ただ後世における地形改変までは分からないが、、、取り合えず概念図に示したまでが個人的に踏破した範囲であり、その地形から遺構と判別したものと解釈して頂ければ良いだろう。現在これだけの広さを所有する館城は中々御目にかかることも叶わず、個人的には非常に値打ちのある城跡とも思えたが、もちろんお薦めしたい城跡の中の一つでもある。

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