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2010年4月15日 (木)

大油子/段城跡(京都府福知山市)

この城跡は福知山市夜久野町大油子(オオユゴ)/段にあって、文献資料などで眼にする事が出来る範囲内では、一般的には「大油子城」と呼ばれている様だが、大油子地区にはこれからリポート掲載の予定の山城が、少なくとも別に三城(熊野城、秋葉城、西山城)は存在しているので区別もし辛く、探して訪れる方にとっては非常に紛らわしいのが現実でもある。現状城史に関しての情報も皆無に近く、詳細はほとんど不明ではあるが、当時は藤岡氏の居城が伝わると聞いた。

1_4 登城ルート

4zenbou 城跡進入口

1_1_2 城跡概念図

実際には大油子地区の字「段」にあるので、この城跡は「段城」と呼ばれているのだとは思われるが、個人的に過去色んな城跡を訪ねた経験から判断すれば、段(ダン)は訛りを加えるとデン(殿)にも繋がり、字「段」にある多くの城跡が支配者における居館跡であった事を思えば、この城跡も殿(デン/ダン)と呼ばれている以上、当時の居館跡であった可能性は非常に高いものと見受けられる。当然、字「段」の名が示す場所は、間違いなく過去に殿(デン)のあった場所であり、城跡であった場所とも言える(もちろん断定は出来ないが、、)ので、これから山城に興味を持たれた方で、無名に近い山城を訪ねる際には、これを知っておくと多少探し出す手間も省けると思われるので、是非情報の少ない山城を訪ねる際の参考にして頂きたい。地元に残された地名は城跡遺構と同様に、唯一過去を探る事の出来る無形の遺とも思えるのである。

12_shukaku_1 主郭内

15_dorui15_dorui_2  中央仕切り土塁見所

17_nisi_heki 西側切岸

19_nakakaku_1 中郭

24_nantan_horikiri 南端の堀切地形

城跡は先に触れた様に館城の如く規模が大きく、南北に渡る丘陵上の全域が縄張りとも見受けられ、遠く外見から望んでも郭壁を形成する切岸は直ぐ目に留まるので、非常に確認し易い城跡ではある。縄張り内においては多少の郭段差は見受けられるが、限りなくフラットに近く、丘陵上の中央に仕切り土塁を挟んで北が主郭、中郭、南郭、東郭とほぼ四ブロックで形成されている様には見受けられた。現状(三月)遺構として判別確認可能なものは郭跡、切岸跡、土塁、南端の堀切地形だけに限られてくるが、事前情報から遺構はほぼ完存と聞いていたので、現在眼にする事の出来る遺構、あるいは縄張りの全てが風化はしているが、ほぼ当時のままのものと見て良いとは思われる。自ずと当時に思いを馳せる事も容易く、見応えのある遺構は存在しないが、便宜上の南郭から見通しの利く北西側の集落、更に川に沿った西側を見渡せば、限りなく戦国ロマンに浸れそうには思えるのである。

城跡を訪れるには、先にリポート掲載を終えた高内城を起点とすれば分かり易いが、位置的にはその背後の巨大な山塊を越えた北側にあり、育英小学校の南側の交差点を右折して県道56号へ進路変更、後はルート図を参考にすれば難なく辿り着けるとは思われる。概念図及び画像に示した箇所からそのまま上れば、直ぐにでも主郭が迎えてくれる筈である。

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