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2010年3月

2010年3月31日 (水)

夜久野 荒神城跡(京都府福知山市)

城跡は福知山市夜久野町額田由利にあって、文献資料などによっては所在地を採用して「額田由利城」として記載されているものもあり、額田地区に多く点在する山城の中にあっては、探して訪れる分には多少紛らわしくも思われるのだが、ここでは府の遺跡データに記載されている呼称、荒神城」を採用してリポート掲載に及んだ。恐らく過去において山上に荒神が祭られてあった事から、この呼び名が付けられたのだとは思われるが、これから訪問される方は、同地区に全く呼称の違う二城が別に存在する訳ではないので、別城として勘違いしないよう注意が必要とは思われる。ただこの額田地区の山を個人的に探索した結果、別の山上に削平地(城跡遺構らしきもの)が見受けられたり、文献資料の類には登場していない城跡遺構らしき跡も目に留まったので、荒神城=由利城の図式が成立するのかどうかは、現在断定が下せるまでには至っていないのでどうぞ悪しからず。城史に関しては唯一夜久氏の居城が伝わる程度であり詳細は不明でもある

1route_2 登城ルート

5 東光寺より登山口遠望

1a_5 城跡概念図

1a_4

推定城跡との位置関係

 城跡へは国道9号沿いにある山陰本線「下夜久野駅」を目印として目指せば分かり易いが、駅前からはルート図を参考に西側にある「東光寺」を目指せば分かり易いだろう。寺院の駐車場に車を預ければ、概念図の如く住宅の隙間にある登山口となる金属梯子まで歩き、そこからは山道に従って上れば、迷わず山上郭群までは到達出来るとは思われる(寺院から10分程度)。

13_kaku 南郭

16_yagura_gawa_1 主郭より櫓台側

24_dobasi_horikiri_1 北側、土橋付き堀切見所

26_kita_sanjyou_kaku 北山上郭

29_sizen_horikiri_1 北端の自然堀切地形

城跡は少し複雑な地形に任せて山上を削り出して築かれたもので、眼にする事の出来る遺構は、郭跡を除けば土橋付き堀切、山上郭群の櫓台機能と見受けられる土塁壇、北側の自然地形を取り込んだ形の大空堀と、多くはないがそれなりに山城の風情は味わえよう。現状(三月)地表は荒れるがままではあるが、植林地化されているお蔭で山上は見通しも利き、木々の隙間からは集落も見通せる状況にあるので見学もし易く、楚々とした山城の良さは充分堪能出来そうには思われた。個人的には後でリポート掲載予定の鳴岩城、神谷城も併せた山城巡りとなったが、三城における移動時間は少なく、更に綾部まで寄り道した訪問が可能であった事からも、非常に充実した一日を過ごす事が出来た。

尚、この城跡の東側の妙龍寺背後に、個人的に城跡と見受けられる遺構の存在が地形から確認されたが、今回は推定「荒神東城跡」として同時リポートさせて頂いた。これから訪れる方には是非寄り道してでも一度足を向けて頂きたいと思うのであるが、既に城跡として認知されているのであればご容赦願いたい(現状リサーチ中にあるが判明せず)。取り合えず概念図を同時掲載したが、山城ファンなら直ぐそれと分かる堀切、土塁(移動を含めた)、切岸は明らかに存在しているので参考までに、、、

Photo推定)城跡遺構

1_3 直登切岸

2 主郭

3 土塁見所

2010年3月30日 (火)

八津良城跡(京都市右京区)

城跡は京都市右京区京北周山町にあって、周山城の城域でもある北東尾根を東側に下り切った山麓に位置しており、「八津良神社」のある境内から府営住宅敷地も含めた、その周辺に至るまでが当時の城域とされている。

城跡へは先にリポート掲載を終えた宮城あるいは周山城と同様のルートで、京都市内からであれば国道162号を経由して、目印でもある「八津良神社」あるいは警察署を目指せば分かり易いとは思われる。神社参拝上り口に佇めば、その敷地及び府営住宅の建つその周辺は既に城域でもあり、集落が見通せる丘状地にある事からも、どことなく城跡の雰囲気は漂ってくる。ただ現状から考えれば、付近は集落が直ぐ傍まで迫っており、近世における地形改変は相当なものが予想され、遺構の大部分は消失したものとも思われた。しかしルート図に示した社殿から東側にかけての地域は、ほぼ当時のままとも見受けられ、広大な規模の郭斜面端には切岸跡、内部には浅いが空堀跡、あるいは土塁までが現存しているのである。もちろんこの広大な規模の郭跡は、中世から近世にかけては城跡としてではなく、屋敷跡として相当手は加えられている様には感じられるのだが、どれが当時の遺構なのかは、見たままを個人が想像して楽しめばそれで充分とは思われるのである。個人的には先に触れた土塁、切岸、空堀跡などは全て当時のものと思えたが、、、。

1 登城ルート

4 神社参拝口

15_tunagaru_dorui12_kita_dorui_1 北端の土塁見所

17_hokutou_heki_1 切岸

24_kaku_nai 広大な削平地

22_karahori 空堀地形

現状、城跡で土塁跡の存在する大規模な郭跡(100m近いほぼフラットな空間)地は植林地あるいは竹薮となっており、比較的見通しも利くので全体像を把握する事も可能となっている。ただ城跡を感じさせる部分は、更に北側の谷状地形から先は踏破していないので想像も付き難いが、この一帯だけと言って良いのかも分からない。地形図から察すれば更に北側の山上もそれらしく感じられたのだが、今回の山城巡りの中では最終に訪れた事もあって、そこまで足を延ばすことは叶わなかった。

個人的にはこの城跡に対して深くリサーチはしていないが、古事記にも登場する「ヤツラの舞」と同じ珍しい名前を持つ、「八津良神社」(イザナギ、イザナミ命を祭る)が建立されている事からも、郷土史などでは神社と併せて紹介されているのかも知れないが、現状城史に関しての詳細は不明。周山城が直ぐ隣接している事を考えれば、自ずとこの城跡は当時においては明智光秀の居住空間として改修利用されたものとも考えられるが、それを想像するだけで充分ロマンには浸れそうには思えた。この城跡の存在を今まで知らなかった方、あるいはこれから周山城を訪れる準備のある方には、立地環境なども含めて、城跡としての風情を味わう程度に終わるとは思われるが、神社参拝ついでに寄っても決して無駄足には終わらないとは思えたのである。

2010年3月28日 (日)

上林日置谷城跡(京都府綾部市)

綾部市の上林川に沿っては多くの山城が点在しているが、三度目の訪問となる今回も三月の半ばであるにも拘らず、まだ多くの積雪が山上には残っていた。遠距離訪問でもある為に当然訪れた以上は予定を変更する訳には行かず、今回も滑りやすい急斜面の直登は余儀なくされたが、その山城の中にあっては斜面も穏やかで比較的上り易く感じられた事、遺構としての畝状空堀、あるいは堀切を含んだ空堀群の見応えは素晴らしく、更に縄張り全域に及ぶ遺構残存度も非常に高と目に映った事からも、今回は上林川沿いに点在する山城の中でも、特に推奨に値する山城、あるいは是非訪問をお薦めしたい山城としてリポート掲載に及ぶ運びとなった。

1_4 登城ルート

6tozanguti 直登口

3he 城跡概念図

城跡は京都府綾部市八津合町にあって、既にリポート掲載を終えた赤道城、沼ヶ谷城などと同様に、上林川あるいは県道1号線に沿った山上に位置しており、城跡公園にもなっている上林城とは、上林川を挟んで丁度真北側に対時している。直登口となるのは上林(ジョウリン)禅寺で、城域ともなる背後の丘陵上までは、観音堂背後を上り切れば直ぐにでも到達出来る。そこからは概念図の如く尾根を西側に上れば、便宜上の東出郭、更に上れば主郭に到達(10分程度)出来る筈である。城史に関しての情報は乏しく詳細は不明、更に当時の城主も不明であり、当然各々において推察して頂く事になるが、呼応する形となる上林城との位置関係からも、上林氏との関連性は充分窺われるのかも知れない。

22_minami2_dorui_kaku 南郭の土塁

23_higasi_dai_karahori 東側の大空堀見所

36_shukaku_dorui 主郭土塁

47_shukaku_kita_dorui_1 主郭北端の土塁

45_shukaku_nisi_une_1 西斜面の畝堀見所

42_hokusei_une_2 主郭北西の畝堀見所

43_nisi_horikiri 西堀切見所

50_kita_horikiri 北端の堀切見所

この上林地区の山城は個人的には既にリポート掲載を終えた城跡も併せると、十城以上見て回った計算になったが、この山城だけが特に規模が大きく、主郭周囲を全て取り囲んだ土、あるいは大型の土塁で囲まれた連続する南郭、馬出しにも見受けられる虎口と郭、更に空堀群は深く幅を持たせたものであり、多くの山城を訪れた方であれば、自ずと織豊系の縄張りに通じる何かを感じ取れる様には思われるのである。城跡はほぼ三峰に跨ったものであり、寺院背後の東先端丘陵上(70m以上に渡る)に位置する、明らかに切岸跡の残る小規模な郭群から始まり、便宜上の東出郭を併せると城域は相当広いものであり、規模の大きい山城と言ってもよいものだろう。

10_higasi_demaru_1 12_dobasi_horikiri_1 東出郭と土橋付き堀切見所

城跡は先に触れた様に遺構残存度は図抜けて高く、そのお蔭で積雪の中での遺構見学も容易く、個人的に今回踏破した範囲の中で、遺構と判別出来たものは全て概念図には示したが、この山城の醍醐味は畝堀を含んだ空堀群に尽きると思えるものであり、随所に窺われる技巧を伴う遺構(横矢、仕切り土塁、食い違い土塁虎口など)は縄張り妙味にも富んだものであり、飽きることなく見て回れそうには思えるのである。もちろん戦国ロマンに浸ることも容易く、限りなく広がる機能の想像は山城冥利に尽きるとも思われた。この山城を語り出せば限がなくなるが、まだ未訪の方は是非一度訪れて、縄張り妙味に富んだ山城の醍醐味を充分味わって頂きたいと思うのが本音でもある。

2010年3月27日 (土)

綾部 野山城跡/茶薄山城跡(京都府綾部市)

この山城は綾部市安場町野山にあって、丹波三大山城の一つでもある、あの巨大な八木城を居城とした内藤氏一族にとっては、実質的に「最後の砦」となった甲ヶ岳城の東出城(砦)に相当するものでもある。個人的には既に甲ヶ岳城はリポート掲載を終えているが、あの八木城を普請した山城を得意とする内藤氏の居城であれば、この甲ヶ岳城も山上郭群だけでは決して終わるものではないものと思っていた。以前から外部情報によって、山頂から四方に渡る枝尾根上の一部には、砦跡が存在していると言う事は知っていたが、今回はやっとその東側枝尾根に位置している、野山城、茶薄山城を訪ねる機会に恵まれた。

結果的には二城どちらも砦に相応しい小規模な山城ではあるが、特に野山城の方は、その縄張りには予想を超えた遺構が凝縮されており、山城ファンにおいては無名に限りなく近い為に、ほとんどノーマークの山城とも思えた事から、今回はその現況あるいは実態を知って頂く為に、是非訪問をお薦めしたい城跡の一つとしてリポート掲載するに至った。

1a_1 登城ルート

4 登山口案内板

1a 城跡概念図

ここでは野山城を中心にリポートさせて頂くが、城跡へ訪れるには道標の設置されている「甲ヶ岳城」登山道を利用する事になる。登山口までは甲ヶ岳城と同ルートなのでここでは割愛させて頂くが、ルート図の如く案内板のある登山口からスタートすればよい。しばらく上れば空堀状の地形が登山道の一部となっている箇所に到達するが、既にここは茶薄山城の大堀切でもあり、「甲ヶ岳まで765m」の道標でそれを確認して頂ければ良いだろう。道標の設置された部分は土橋状になっており、茶薄山城へはその左手方向の山道に従って上り、左斜面に取り付いて直登すれば、直ぐにでも山上主郭に辿り着けるとは思われる。野山城へは更に道標から上り続けるが、最初の尾根上削平地を越えて次の削平地までの、登山道が突き当たる箇所で左手(東側)枝尾根に向いて下ればよい。ここまでは約20分は要すが下りれば直ぐにでも右手に縦堀、あるいは城跡中一番醍醐味を感じられる遺構の一つでもある二重堀切が迎えてくれる筈である。

8_tatehori2 西縦堀見所

12_seitan_2jyuu_horikiri_2 土橋付き堀切1見所

13_dobasi_horikiri_3 土橋付き堀切2見所

17_shukaku 主郭内

17_shukaku_heki 帯郭より主郭

22_une 畝状空堀見所

この山城の特徴であり魅力は、ズバリ「空堀群だけにあると言っても過言とは思えないもので、概念図に描いた如く縦堀、畝状空堀、二重堀切から繋がる豪快な縦堀まで含めれば、少なくとも15本の空堀は目に留まる筈である。この小さな山城になぜここまで?と言った疑問も当然生じるが、この地が防備に置いてよほど重要な地であったものか? これは当時縄張りプランを考えた者にしか分からないので、各々で想像して頂くより他ないだろう。現状(三月)、郭内は冬枯れしてはいるが木々で覆われており、藪化は相当進行している状態にある。ただ移動に差し支えるまでには至っておらず、概念図に描いたまでの空堀群は何とか判別確認可能な状態にあり、これから訪れる方には堀切まで含めた空堀の醍醐味を是非味わって頂きたいと思うのである。これから甲ヶ岳城を訪れる準備のある山城ファンの方にとっては、当然野山城も見学の対象となるのは言うまでもないが、、、

尚、茶薄山城の方は藪化が深刻な状態にあるので全域踏破は出来ず、現状山上本郭周辺の遺構確認が精一杯であり、その斜面に畝堀あるいは縦堀は窺われなかった。

Photo 茶薄山城の登城ルート

2 大堀切

3 主郭内の現状

4_2 腰郭

2010年3月26日 (金)

高内城跡(京都府福知山市)

城跡は福知山市夜久野町高内にあって、育英小学校の直ぐ北背後の尾根先端部に位置している。乏しい文献資料の中では夜久氏の居館跡とも伝わり、長者屋敷」とした別称もあるらしいが、現状を見る限りでは山上郭群の規模は小さく(物見程度)、とても居館が営まれた様には思われず、山上郭は詰城あるいは物見機能とも想像されるものである。個人的には地元に伝わる郷土史などに目を通している訳では無いので、実際には居館跡地と比定される場所、あるいは当時の支配者でもあった夜久氏に関しての詳細までは分からないが、恐らく立地環境から考えれば、当時の居館跡は小学校周辺にあったものとは察せられる、もちろん推察の域は出ないものではあるが、、、。

1 登城ルート

4 城跡

7 直登進入口

1_3 城跡概念図

城跡へ向うには、先にリポート掲載を終えた日置谷城を起点とすれば分かり易いが、国道9号をそのまま西進すればよい。ルート図の如く目印となるのは「育英小学校」であり、敷地西端にある職員駐車場背後の谷状地形から少し奥へ進み、右手急斜面の上り易い場所から取り付いて上れば、5分程度で山上主郭が迎えてくれる筈である。尚、下山の際に山道が社殿経由で麓民家敷地脇まで繋がっているのが分かり、個人的にはそれを利用して下りたが、現実問題として狭い私設道を通過したり、敷地脇にある畦道を部分利用したりの、非常に分かり辛く説明し難いルートなので、これから訪れる方は実際には山上までは山道で上れる(東側の神社付近から畦道経由で上れるかも?)が、登山口を探す手間の省ける、前者の最短直登ルートで迷わず上られた方が良いものとは感じられた。

10_shukaku_nisigawa 主郭西側

12_shukaku 主郭内

15_horikiri 15_horikiri_2 堀切見所

25_yamamiti_kaku 中腹の郭跡か?

現状(三月)山上郭には配水施設?が建ち、周囲は植林地化されているのでそれなりに見通しは利き、遺構の判別確認は容易な状態にある。城跡の形態は小規模な山上主郭に付随した腰郭を含んだ、ほぼ三郭で成立したものであり、前述した様に詰城あるいは砦規模の山城と表現すれば、まだ未訪の方には分かり易いかも知れない。主郭の北背後には縦堀に繋がる堀切が設けられており、城跡にあっては唯一存在感は示しているが、他で見応えのある遺構に巡り合える事は出来ず、個人的には少し期待していたせいもあったが、残念ながら随分消化不良の訪城と相成ってしまった。山上郭を詰城と考えれば、自ずと麓に根小屋(居館)の図式は成立しそうには思われたが、予備知識もなく訪れた(情報が非常に少ない)事もあり、居館跡と推察される場所の確定までは漕ぎ着ける事が出来なかった。もちろんこれは山上郭の規模が屋敷としては余りにも狭小過ぎるので、別に長者屋敷と呼ばれていたものが存在するのではないかと、個人的に推察しただけであり、現状における僅かな情報源では、その場所を特定するのは至難の技でもある。 案外山上が居館跡とされるものかも分からないが、、、、この山城を個人的に評価すれば、先に訪れた日置谷城と併せた訪問であれば、山城ファンにおいては何とか面目は保たれそうには思えるのである。

2010年3月24日 (水)

夜久野 日置谷城跡(京都府福知山市)

城跡は福知山市夜久野町日置/日置(ヘキ)谷にあって、谷筋より西側にあるほぼ独立した低山山上に位置している。夜久氏居館跡(長者屋敷)と言われている高内城が直ぐ西側に控えている事からも、自ずと高内城にとっての出城、あるいは夜久野町で展開される夜久氏城塞群の支城とも見受けられる(推察)が、周辺に数多く存在する小型の山城を思えば、どれが本城であっても、規模からみた上での判断は少し難しい様には思えた。

城跡へ向うには、福知山市内を経由するルートなら、国道9号で牧川あるいは山陰本線に沿って西進すればよいが、ルート図に記された様に目印となるのは国道沿いにあるガソリンスタンド(出光)で、その手前の道を北へ進路変更すれば、登城口ともなる墓参道へは直ぐにでも合流可能である。付近に車の路駐スペース(画像に注目)は充分あるので、ここからは墓参道を利用して、最奥に備わる自然地形を取り込んだ大堀切まで歩いて向えばよい、堀切堀低部にある墓地(画像に注目)からは、そのままその背後を直登で上り切れば、直ぐにでも主郭に到達する事が可能である。尚、墓参道からはどこから取り付いて上っても比較的上り易いので、直登口に拘る必要は無いものとは思われる、、。

1_1 登城ルート

6 登城墓参道

1_2 城跡概念図

現状(三月)城跡は全域が植林地化されており、主郭内は見通しが良く利き、更に下草も少ない事からも、遺構の判別確認にはほとんど支障は来たさない状況となっている。現状判別確認可能な遺構群は見所と共に概念図には記したが、一番見応えのあるゾーンは主郭周りで、切岸跡、明確なものを拝める縦堀、高低差は余りないが分厚い櫓台土塁、東側の上り土塁虎口、更に主郭背後を断つ大堀切と、山城を形成する上で欠かす事の出来ない最低限の構築物は、ほぼ眼にする事が出来る状態でもある。特に印象に残ったのは主郭背後の直立に近い切岸で、崖状斜面となって数十m下まで落ち込む様は、「正に圧巻!」とも言える様相となっており、自然地形を取り込んだ形の巨大堀切と並んで、更に目を楽しませてくれる事は請け合いと思えた。

1_tatehori_1 縦堀見所

8_dai_horikiri 大堀切見所

11_obi_yori_shukaku 帯郭より主郭切岸

13_shukaku 主郭内

14_shukaku_yagura_dorui_1 櫓台大土塁見所

20_koguti 上り土塁虎口見所

砦規模の山城で遺構が目白押しと言う訳ではないが、国道沿いから歩いても数分の距離にあるお手軽感、あるいは見学し易い状態の良さを加味すれば、充分お薦めの城跡と言う事にはなるだろう。次でリポート掲載予定の高内城と併せた同日訪問であれば、更に充実した山城巡りとなるのではないだろうか。

2010年3月22日 (月)

梨子ヶ岡城跡(京都府綾部市)

この山城はルート図を見ればお分かり頂ける様に、既にリポート掲載を終えた赤道城とほぼ隣接しているが、前回の同日訪問時には積雪で、上るには多くのリスクを感じたので踏破を断念した経緯がある。今回は積雪のない事を確認した上での再訪となったが、結果的に山上では無数に刻まれた畝状空堀、スケールの大きい二重堀切、三重堀切と素晴らしい空堀群に巡り合う事が出来た。城跡自体は砦規模の小さな山城なのだが、急斜面に掘削された技巧を伴う畝状空堀、大土塁を伴って縦堀に繋がる連続堀切などの様相は、正しく険峻な山上にある山城でなければ味わう事の出来ないものであり、その醍醐味は半端なものではないとも思えた事から、是非訪問をお薦めしたい山城としてリポート掲載に及んだ。尚、城史に関しては坂田氏の居城が伝わるだけで、詳細は不明となっている。

1 登城ルート

7_jiin 登城口「玉泉寺」

1_2 城跡概念図

城跡は綾部市武吉町梨子ヶ岡にあって、訪れるにはルート図の如く赤道城を起点とすれば分かり易い。登城口となる「玉泉寺」を目指せば、道路沿いにはその道標も設置されているので迷わず辿り着けるとは思われるが、寺院(無住?)からは墓地背後をそのまま上り切れば、5分とかからず堀切までは到達出来るはずである。この山城の形態そのものは、以前但馬の山城で紹介した大江堀城、あるいは浅間小城と比較すれば分かり易いとは思われるが、何れも低山山上にある事、小規模な事、畝状空堀が郭壁全面に刻まれている事などからも、相通じる部分が多く見受けられ、機能としてもこの防備に優れた堅固な様相を思えば、当時の支配者にとっても重要な城跡であった事は充分窺えそうに思える。

9_kita_horikiri_dorui 北堀切見所

9_kita_horikiri_dorui_1 北側、縦堀に繋がる堀切見所

15_higasi_une_5 東側畝状空堀見所

21_shukaku_gedan 山上郭の現状

20_3jyuu_horikiri_1 20_3jyuu_horikiri_7 三重堀切見所

23_nisi_2jyuu_horikiri_1 西、二重堀切と土塁見所

現状(三月)城跡は当然藪化進行中にあるが、冬枯れしている状態(常緑樹は多く蔓延る)でもあり、見学に支障を来たすまでには至っておらず、概念図に示したまでが踏破確認出来た範囲だと思って頂ければよい。当然ほぼ全ての遺構が判別確認可能な状況にあるが、畝堀に関しては斜面に木々も多く蔓延り、更に長年の風化あるいは堆積物によって相当埋もれており、よく見れば単純に縦堀として削られただけには終わっていない、技巧を伴う箇所も存在するので、注意深く目を凝らして窺う必要はあるだろう。尾根を断つ堀切群は南、北、西壁にそれぞれ備わっており、特に主郭南側に設けられた重の堀切は、大土塁を間に挟んだものであり、高低差を伴う事からも正に圧巻と呼ぶに相応しい遺構と目には映った。もちろん三方に備わる堀切は、どれも高低差のある切岸の醍醐味に触れる事が出来るので、自ずと見応えがある事は言うまでも無いが、、、。規模の小さな山上郭群は大小交えた四郭構造であり、現状相当雑木が蔓延っているので見通しも利かず、全体像を拝む事は出来ない状況にあるが、この山城は空堀群の見学、あるいは突出した山上郭の切岸の醍醐味が全てとも言い切れるので、大して問題にはならないだろう。

個人的には悪天候の為に、沼ヶ谷城、赤道城と、三城併せた同日訪問は出来なかったが、これから訪れる方には、同日訪問する事によって明確に縄張り形態の違い、あるいは機能の違いにまで目を向ける事も出来るので、是非三城併せた山城巡りを楽しんで頂きたいと思うのである。

2010年3月21日 (日)

高岡下村城跡/水戸城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町高岡下村にあって、竹野小学校付近から南西側に望むことが出来、独立して見える低山山上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡へ京阪神側から向うのであれば、国道9号を経由して「丹波水戸」の信号を左折、一般道702号へ針路変更後は、竹野小学校を右に見て大規模な建物と駐車場のある「丹波食彩の工房」を目指せば分かり易い。車は広い駐車場に預ければよいとは思われるが、そこからルート図の如く直登進入口まで歩き、画像に示した消火栓の先にある民家横から墓地までは山道が繋がっており、そこから先にある開閉フェンスを通過して、更に山上を目指せば迷わず辿り着ける筈である(10分程度)。尚、ルート図中に記した水戸殿谷城は、規模も小さく尾根上に削平地と僅かに土塁と空堀が確認される程度でもあり、同日訪問すれば効率は良いとは思われたが、個人的には見応えからは程遠いものでもあり、興味を持たれた方の参考として、取り合えず直登口までのルートだけは記した。

1_1 登城ルート

6 進入口

1_2_3 城跡概念図

9_minami_one_kaku 南尾根上郭

15_shukaku_3 主郭内

16_shukaku_kirikisi 主郭マウンド地形の切岸

17_shukaku_kita_haigo 主郭北背後

現状(一月)城跡は相当藪化が進行しているが、概念図に示した様に南尾根上の郭と山上における三郭で形成された砦規模の山城と見受けられ、複雑な遺構も皆無である為に、遺構見学においてはほぼ差障りのない状態にある。明確に判別可能な残存遺構は切岸跡だけと言っても過言とは思えないものであり、それは主郭背後の切り立った崖状斜面、あるいは主郭内における僅かな郭境が僅かにそれを物語っている。山上主郭の周囲は非常に急峻な地形となっており、更に雑木が密生しているので縦堀の有無までは確認出来なかったが、尾根を遮る明確な堀切も存在していない現状を考えれば、この山城の単純な縄張りプランも自ずと見えてきそうには思われるのである。主郭背後の急斜面を北に下りれば、堀切の代用とも思える鞍部に到達するが、その付近で一箇所だけではあるが、縦堀地形(推察)を確認出来た事が唯一の収穫か、、、。

水戸殿谷城へは、ルート図の如く向えば迷わず山上主郭までは辿り着けるが、先に触れた様に僅かに残る窪み(堀切)と土塁の高まりが窺えるだけであり、今回のリポートにおいては所在地の確認、あるいは多少でも存在が気になっていた方への現況報告、あるいは道案内程度として、リポートは終えたいと思うのである。ただ縄張り妙味にも欠ける単純すぎる形態は、自然任せのほぼ完存と呼んでも差し支えなさそうには思えたが、本音を語ればこの地形を山城(城跡遺構)とするならば、まだ呼称の確定には及んではいないが、城跡遺構と呼ぶに相応しい山城は、少なからず存在している様には感じられたのである。

2 登城ルート

3_2 進入路

4 山上郭

5 堀切

2010年3月20日 (土)

東本荘市谷城跡(兵庫県篠山市)

城跡は篠山市東本荘市谷にあって、先リポート掲載を終えた口県守城からみれば、遠く北西側の山上に位置しており、自ずと出城と本城の関係は成立しそうには思われる(推察)。この山城は個人的にも存在の認識は充分ありながらも、地形図から見ても登り難く、時間も相当有する事が考えられたので長い間登城を控えていた、今回は口県守城との同日訪問でやっと訪れる事が出来、自然任せの藪化進行中にはあるが、訪問時期が多少良かったせいもあり(積雪はあるが見通しは効く)、山上に現存する遺構群及び縄張りの把握までは何とか漕ぎ着ける事が出来た。結果的に状態は悪いが「これぞ山城」と呼ぶに相応しい城跡と感じられた事、あるいはこれから春先までの訪問であれば、山上における遺構はそれなりに見学可能な事が予想(夏季の訪問は困難が予想される)されたので、まだ未訪でこの山城に少なからず興味を抱いていた山城ファンだけを対象とした前提でリポート掲載に及んだ。

1 登城ルート

10 直登取り付き口

1_2 城跡概念図

城跡へ訪れるには、ルート図の赤ラインを辿れば分かり易いとは思われるが、麓におけるスタート地点となる寺院横からは林道が衣笠山に向いて繋がっているので、それを途中まで利用して上る事になる。この林道は未舗装ではあるが道幅があるので中型車までなら充分直登口までは上れそうには思えたが、、、、今回の登山で直登取り付き口として目印となるのは概念図に記した小橋(画像に注目)で、その右手側の踏み跡から山上まで繋がる凄い縦堀(人為的に見えた)に沿って登れば、時間も距離も最短で到達出来るとは思われる。ちなみに個人的には小橋先から取り付いて(Bルート)、下山をAルートで下りたが、Bルートの登り後半は地表も見えないほどのシダで覆われているので(ただし一部で車を路駐した場所まで見通せる、麓まで眺望の利く箇所がある)、これから訪れる方には分かり易いAルートで登られる事をお薦めしたい。縦堀に沿って急斜面を登れば、小橋から20分程度は要すが、間違いなく東出郭から東端の堀切付近には到達出来る筈である。もちろん城跡南側斜面は、どこから直登しても楽に登れる箇所は絶対になさそうに思えたので参考までに、、、

12_minami_tatehori_2 東端の沢まで繋がる縦堀見所

14_monomi_horikiri 東端物見、堀切跡見所

17_higasi_demaru_1 東出郭

19_horikiri 中央堀切見所

20_3maru_1 三郭

23_obi_yori_2maru_heki 二郭の切岸

30_nisikaku_doruidan 西郭の土塁壇見所

33_nisi_horikiri_1 西端の堀切見所

現状(二月)城跡は、先に触れた様に積雪はあるが移動にも見学にも差し支えるまでには至っていないので、山上において現存する遺構群は余すことなく見て回れそうには思われた。取り合えず概念図に記したまでが個人的に踏破した範囲であり、その中で目に留まった遺構を記したものになるが、周囲の崖状急斜面までは確認していないので、遺構もこれだけには止まらないものと思って頂きたい。見所は険峻な地にある山城の様相、あるいはその形態も含めた全てと言っても過言とは思えないが、特に東端の物見と見受けられる付近の様相(土橋、埋もれて浅い堀切、縦堀など)は、機能を想像するだけで充分楽しめそうには思われた。城跡にあっても状態は決して良いものではないが、この周辺の遺構は絶対に見逃してはならない。他では堀切、縦堀、土塁、虎口跡、溜池跡?比較的状態の良い切岸跡などが挙げられるが、切岸跡は帯郭などで明確に判別可能ではある。全体を通しても特別見応えのある遺構(薬研堀など)が存在している訳ではないが、要所に備わる遺構を機能を想像しながら見て回るのが、この山城を楽しめる一番の方法ではないかとは思われるのである。

2010年3月18日 (木)

口県守城跡/県守城跡(兵庫県篠山市)

城跡は兵庫県篠山市県守(アガタモリ)にあって、次にリポート掲載の予定でもある東本荘市谷城からみれば、その山上郭から南東に派生する枝尾根先端部に位置しており、この地域においては有名な、「雲部車塚古墳」の北側に位置する尾根先端部がそれでもある。地理的においても立地環境においても、東本荘市谷城の出城とも見受けられるが、細工所城を居城とした荒木氏に関連した城跡と推察される程度で詳細は不明でもある。尚、今回同じ地区にある事から同時掲載とした県守城は、この口県守城と比べるレベルにはないほど大味な縄張り(堀切は備わるが郭切岸は曖昧)を持った城跡であり、二城の関連性は未だ分からず詳細は不明となっている。ただこの口県守城の方は東本荘市谷城と同様に本格的普請によって築かれており、小規模ではあるが防備機能として最小限必要とされる堀切、土塁、切岸などは備わっている事、明確に遺構の判別が可能である事、更に状態も比較的良く、車を停めて10分もあれば山上主郭まで到達可能なお手軽感からも、是非訪問をお薦めしたい城跡としてリポート掲載に及んだ。

1_2 登城ルート

4tozanguti 登山口

1_2_2 城跡概念図

城跡へ阪神側から向うには、国道173号を利用して細工所城のある「細工所」の信号でルート図の如く702号へ左折、後はルート図中の古墳を右手に見ながら赤ラインを辿れば、迷わず目印としたポンプまでは辿り着けよう。車は傍には空き地がある事からも、少しの間この場所を借りて停めればよいものとは思われる。入山口は概念図に記した付近に害獣避け高圧電線が備わっているが、フック式になっているので容易に外す事が可能であり、ここからそのまま山上を目指せば迷わず主郭までは到達可能である。

8_higasi_obi_yori_koguti_1 東帯郭より三郭虎口

20_2maru_dorui_1 二郭の土塁見所

18_shukaku_minami_heki_1 主郭南切岸見所

22_shukaku_yaguradai_2 主郭櫓台土塁見所

25_shukaku_kita_kaku_1 北小郭の土塁見所

29_horikiri_2 北端の堀切見所

現状(二月)城跡は悪い状況(積雪)にも拘らず、三郭で形成される郭跡を始めとして、全ての遺構が判別可能な比較的良い状態にある。見所は遺構も含めたコンパクトにまとまった城跡全てと言っても過言とは思えないが、先に触れた北端の堀切、状態の良い郭切岸、主郭の櫓台土塁、あるいはその直ぐ北側に位置する小郭の土塁と、小規模な城跡である事を忘れさせてくれるほど目を楽しませてくれる。更に充実した遺構群は、間違いなく見る者を魅了してくれそうには思われたのである。もちろん郭占有面積が小さい事からも、短時間で見学を終える事が可能ではあるが、山上で佇む凝縮された時間の流れは、ある意味長くも感じられるのである。

県守城跡のリポート

Agata 登城ルート及びミニリポート

A0_2 城跡概念図

A1_horikiri_1 南堀切跡

A2_shukaku 主郭

A3_horikiri_1 北端の堀切見所

2010年3月16日 (火)

西山城跡/荒神山城跡(京都府福知山市)

この城跡は福知山市堀西山の地にあって、標高150mの低山山頂に位置しているが、山上で形成される防備機能としての土塁空堀遺構の形態は非常にユニークなもので、機能をあれこれと考えさせられるものでもあり、近畿圏内でも他で類を見ないものと思われた。縄張り形態としては山上最高所に櫓台程度の小規模な主郭を構え、三方の枝尾根に郭が配されるオーソドックスなものであるが、主郭東西における狭い痩せ尾根上には、土塁で周囲が覆われた内部が空堀構造の遺構(一見空堀道の様には見えるが、)は直ぐ目に留まるはずである。概念図(画像に注目)だけでは分かり難いかも知れないが、特に西側に展開されるものは状態も比較的良いので、その構造も分かり易く、西端には出入り口とも思われる虎口まで備わっていた。一般の山城の形態から考えれば、この痩せ尾根上に土塁などは全く必要とは思われず、これがこの城跡の特徴でもあり特異と感じた部分になるのかも分からない。

1_2 登城ルート

5 登城進入口

1_4 城跡概念図

9_shukaku_heki 主郭切岸

11_shukaku_kubomi_1 主郭内部

22_nisikaku_karahori_4 22_nisikaku_karahori_5 西郭の土塁空堀見所

17_dorui_karahori_1 北側斜面の空堀跡見所

18_higasi_karahori_1 東空堀跡見所

とにかく狭い尾根に30mに渡って展開される、土塁内部(空堀状)を移動して守備にあたったとも思える、土塁で覆われた狭く連続する空堀(武者隠し的なもの)は、城跡にあっては一番の存在感を示すものであり、上ってまで窺う値打ちのある遺構と目には映ったのである。雨でも降れば郭内部は水浸しになったものとも思われ、当時は簡易的に屋根があったものとも想像出来るが、、、。もちろん東側にも同様なものが40mに渡って構築されてはいるが、こちらは長年の風化によって空堀跡は十分窺われるが、周囲を覆う土塁の土は随分流失しており、高さはほとんど失われているので見応えには多少欠ける。他では小規模な主郭内部に形成された穴蔵状の二箇所の小さな窪地は、一見炭焼き施設の様にも思われたが、周囲に炭焼き跡としての黒ずみも石積みも見受けられなかった事から、個人的には当時のものとも思えたのだが、機能の想像が付き難いので断定は出来ないものでもある(推察)。

全体的に規模は物見程度で小さいものであるが、山上で目に留まる城跡遺構は他では中々お目にかかることが出来難いものでもあり、とにかく遺構にウエイトを置いて見学される方には、薬研堀などの様にインパクトのあるものではないが、是非覗いて頂きたい遺構であると同時に、決して期待は裏切らない遺構とも思えるのである。

城跡へは国道9号から福知山女子高あるいは京都創成大学を方面に向いて南下し、直登進入口(画像に注目)とした集合墓地を目指せば迷うことなく辿り着ける筈である。そこからは鉄塔を目指して谷状地を上れば、10分程度で山上に到達可能である。

尚、ルート図には記したが、福知山女子高の南背後の丘陵上には荒神山城があるので、これも同日訪問とすれば、更に山城巡りも充実する様には思われた。西山城の方の城史に関しては詳細は全く不明であるが、此方の山城は仁木氏の居城が一応伝わっている(詳細は不明)。進入口は福知山女子高職員駐車場の脇からで、そこから上に向いて直登(上り易い)すれば、5分内で山上主郭には到達可能である。現状藪化は深刻化してはいるが、空堀跡、縦堀跡は充分窺える筈である。

1_koujinyama 荒神山城直登山口

1_koujinyama_2 山上空堀跡

1_koujinyama_1 縦堀跡

2010年3月14日 (日)

沼ヶ谷城跡(京都府綾部市)

城跡は綾部市十倉中町沼ヶ段にあって、集落の北背後の丘陵先端に位置している。先にリポート掲載を終えた赤道城とは同じ渡辺氏(渡辺隠岐守俊久)の居城と伝わっている事からも、本城(居館)と出城の関係は推察されようが、詳細は不明でもある。現状の形態を窺う限りでは、此方の城跡の方が規模では数段勝っており、丘上地にある事からも、利便性を重視した館城を想像させるものである。

城跡へは赤道城を起点とすれば位置関係も把握し易いとは思われるが、これから訪れる方には、自ずと二城同日訪問は考慮に入れたい処でもあり、個人的には赤道城に先に寄ったが、本城とも見受けられるこの城跡から見学した方が良いものとは思われた(色んな理由による)。城跡への進入路は府道1号を走り、ルート図中に示した様に「るんびに学園」の看板を目印として左折、車は左折した付近に路駐スペースはあるので、自己責任において駐車すれば良いとは思われるが、そこから歩いて集落北最奥最上段の民家まで辿り着けば(5分程度)、概念図に示した民家横から山道が繋がっており、それを利用して墓地まで向えばよい。恐らく当時の縄張りは民家敷地周辺まで及ぶものとも思われるので、既にこの付近から山城の風情は充分感じられるはずである。

1_1 登城ルート

8 城跡進入口

1_2 城跡概念図

現状(二月)城跡は先に訪れた赤道城同様に、積雪によって非常に地形も把握し辛く、斜面も滑りやすい状況から、全域を探索するまでには至れなかったが、概念図に示したまでが踏破確認出来た範囲であり、判別確認可能な遺構と思っていただければ良い。積雪に阻まれなければ大堀切の堀低部分まで下りて、斜面に備わるかも知れない縦堀まで確認したかったのだが、それも出来なかったのが唯一心残りではある。しかし全体像はおよそ掴む事が出来たので、この状況を考えれば良しとしなければならないだろう。見所は概念図中に示したが、未だ健在でもある主郭背後に備わる規模の大きい櫓台土塁、その背後の尾根を断つ大堀切、主郭に向うまでの大土塁(縦土塁)を脇に伴った空堀状の上り虎口は当然挙げられるだろう。ただ南側民家直ぐ傍まで広がる大規模な削平地は、後世において開墾あるいは農地として造成整地された形跡が窺えるので、当時の縄張りは見たままを想像して楽しむのが一番良いものとは思われた。個人的には墓地周辺までが地形改変されていない、当時のままの縄張りとは思えたのだが、、、。

27_nisikaku_dorui_1 西郭の空堀状の土塁見所

29_nisikaku_gun_heki 西郭群の切岸

15_nobori_koguti_1 上り空堀道見所

16_nobori_daidorui 三郭より縦土塁見所

22_shukaku_nai 積雪で分かり難いが主郭内、奥土塁

21_daihorikiri 大堀切見所

城跡を個人的に評価すれば、赤道城と併せた二城同日訪問に於いては、同じ渡辺氏の築城による山城と丘城の縄張りプランの違いも分かり、更に二城が川を挟んで呼応し合う環境まで考えれば、当時の状態に思いを馳せる事も容易く、充分満足の行く山城巡りとなるのではないだろうか。

2010年3月13日 (土)

赤道城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市十倉向町にあって、集落の南背後に聳える低山山上に位置しており、現在山上主郭には小さな祠が祭られている。府道1号線に沿って流れる上林川沿いには、多く山城が点在しているように見受けられるが、その数多い山城の中では、当時の城主でもあった渡辺氏の存在は分かっており、一応素性の分かる城跡とは言えるが、詳細は不明でもある。次でリポート掲載予定の沼ヶ谷城は、ほぼ対岸に呼応する形の丘陵地にあるが、地理的環境を考えれば、そこを居城とした渡辺隠岐守俊久の出城とも考えられるかも知れない。どちらにしても渡辺氏一族の城跡とみて良いものとは思われるが、、、

城跡へ向うには、スタート地点によっては色々なルートが考えられるので、ここでは割愛させて頂くが、国道27号を経由して取り合えず府道1号線に入る事が先決となる。既にリポート掲載を終えた山家城を起点とすれば分かり易いが、そこから5kmも小浜に向いて走れば、付近までは難なく辿り着けよう。麓からみて最上段に位置する民家横からが参拝用登山道となっており、ルート図の赤ラインを辿れば迷わず山上主郭までは到達出来るとは思われる。尚、車は付近の道路は狭いが、探せば路駐可能な場所は見つかるはずである。

1route 登城ルート

6 登山道進入口

3ak 城跡概念図

現状(二月)城跡は訪れた時期が悪かったのか、一面が積雪で白く覆われており(途中の丹波周辺までは積雪はなかった)、折角の登山道がありながら滑りやすい勾配のきつい山道を慎重に上ることを余儀なくされた(この状態で登山を敢行するのは自分も含めて限られるだろう)。しかし民家横から15分程度で主郭まで辿り着けた事を思えば、通常では10分もあれば上れるのかもしれない、、、

12_shukaki_minami 主郭背後の片堀切見所

13_shukaku 主郭内

15_2maru_dorui 主郭より二郭の土塁見所

16_2maru_yori_shukaku 二郭より主郭

17_3maru_1 三郭内

城跡の形態は郭高低差のほとんどない、ほぼ三郭で形成されたものであり、全長100m足らずの小規模なものであり、目に留まった遺構は郭跡を除けば土塁、虎口跡、切岸跡程度で、主郭南背後に片堀切地形を確認した程度でもある。ただし現在の状況(積雪に覆われて地形が把握出来ない)を考えれば、この積雪で滑りやすい急斜面上に佇んでまで地形を観察する事は不可能に近かったので、概念図に描いたまでが本来の城跡の姿ではない事は分かって頂きたい。周囲の地形から考えても、更に畝堀とまでは言わないが、多くの縦堀が刻まれている様には感じられたのである(当然推察)。全体の印象としては、切岸がしっかりしている事もあって、コンパクトにかっちりまとまった山城と言う事になろうが、この状況でなければ周囲に木々の少ない斜面を、上り下りしながら楽しめた事は充分予想される。結果的に積雪でも難渋せずに上れた(スニーカー)事、あるいは山上は木々が少なく見通しが利く事を思えば、充分訪問をお薦め出来そうな山城とは思えるのである。個人的には再訪の余地を少し残してしまったがこれからの楽しみとしたい。

2010年3月11日 (木)

奥野部段城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市奥野部にあって、既にリポート掲載を終えた奥野部城から見れば、集落に取り囲まれた真西側の丘陵先端部に位置している。奥野部城と直ぐ隣接している事からも出城としての機能は充分窺われるが推察の域は出ず、詳細は不明

城跡へは奥野部城を起点とすれば分かり易いが、ルート図の如く国道9号よりインテリアショップ「インテルナモリイ」の手前で西へ川沿いに針路変更、後は概念図に示した登城口まで車を走らせればよい。小型車なら付近に路駐可能なスペースもあるので、車の駐車には難渋しないだろう。登城口は画像に示したが、農機具小屋の傍から主郭に向う現状の空堀道は、既に城域でもあり当時の堀切とも察せられるものである。

1_1_3 登城ルート

9 西より城跡

11tozanguti 道路沿いの進入口(堀切)

1_2_3 城跡概念図

13horikiri 堀切(現状進入路)見所

30_minami_kaku 南郭

23_shukaku 主郭内

22 民家側の空堀末端部

現状(二月)城跡の東西南北は、傍まで住宅地あるいは農作地が迫っている事から、近年に於いて相当な地形改変は窺われるものであり、当時の状態は見学者の想像に全て委ねられるのが現状となっている。城跡の縄張り形態も見る限りでは想像も付き難いものであるが、主郭跡堀切、あるいは僅かに残る土塁跡だけが当時のままとも見受けられた。特に南郭と北堀切より北側は、先に触れた様に相当郭外壁は切り刻まれた様子が窺われるので、当時の面影は余り残っていないようにも思われた。状態としては規模の大きい主郭は低草木に一面が覆われており、地表が露見している箇所が少ないので、土塁などの遺構は僅かな地形の変化(盛り上がり)で推察するしかないのが現状でもある。少ない遺構ではあるが、見所を挙げるとすれば唯一堀切程度と言った処かも知れない。

この城跡の評価は難しいが、山城巡りの移動中に寄り道程度で訪問可能なお手軽感(車を下りて直ぐにでも到達可能)も加味して、純粋に城跡を史跡として楽しむのであれば充分お薦め出来ようが、遺構の醍醐味を問われれば少し返答に困るのが現実でもある。奥野部城とセットとした訪問であれば間違いなくお薦めは出来るが、、、。

2010年3月10日 (水)

清水愛宕山城跡(兵庫県川辺郡)

城跡は兵庫県川辺郡猪名川町清水にあって、巨大な敷地を所有する「猪名川霊園」から南西側に高く聳える、ほぼ独立した山塊の標高414mの山頂に位置しており、現在では上る人は皆無に近いものとも見受けられたが、山頂主郭には朽ち果てる寸前の愛宕神社の小さな社(画像に注目)が、更に人の途絶えた様子を物語っている。地元で城山を訪ねれば、20数年前までは山頂の愛宕神社で火を焚いた祭りが行われていたので、登山道も充分利用出来たが、現在では利用できる状態には無いと言うことでもあり、迷わず最短距離で上れそうに思えた霊園側からの直登を敢行した。

1_2_2 登城ルート

8_2鞍部への進入口

1_3_3 城跡概念図

城跡へ京阪神側から向うには、府道12号を北上して猪名川霊園を目指せば迷わず辿り着けるはずである。車は一旦霊園の最奥最上段の駐車場借りれば良いものと思われるが、ここから更に上段に位置する墓地まで歩き、最奥の墓地より低いフェンス(画像に注目)を乗り越えて、目の前に見える鞍部に出れば良い。ここからが登山開始となるが、山頂までは確かな踏み跡もあるので迷わず辿り着けるとは思われる。ただこの山城は麓から望んでも険峻さは相当なものであり、霊園内の150m付近までは車で上れるが、そこからは最終主郭に至るまでの、下から望めば直立に見える60度近い(高低差約60m)斜面を登り切るには相当体力は消耗させられるので、ある程度覚悟は必要。それでも駐車場から15分もあれば山上までは到達可能となっている。

12_onekaku 北端物見か

25_kitakaku_yori_shukaku_heki 北郭と主郭切岸見所

28_shukaku_1 主郭内

30_shukaku_minami_gawa_2 主郭南側

32_minami_kaku_isi 南狭小郭

37_minami_horikiri 南堀切見所

現状(一月)城跡は、先に聞き及んだ様に藪化は相当進行しており、冬季ともあって唯一堀切の設けられた南側斜面までは、取り合えず移動には難渋はせず、山城としては比較的見学し易い状態にあるが、更に南出郭とも見受けられた地点までは、倒木や密生する雑木によって踏破は困難な状況にある。概念図に示したまでが踏破した範囲であり、目に留まった遺構を記したものであるが、堀切以外では見応えのある遺構には遭遇出来なかった。ただ主郭南側に展開される狭小郭群には、自然岩を利用して形成された虎口などの様に、佇まいが隠し砦の様でもあり、少年時代に戻っての隠れ家気分にはさせられた。山上は物見か狼煙台程度の規模の山城でもあるが、とにかく周囲が崖状になったこの様相は、正しく「天空の城」を感じさせてくれるのである。(木立の隙間から下界が覗けるので)

個人的には、砦規模の山城にしては堀切が備わる事、あるいは自然地形とは言え、登って来た主郭北側斜面の全体像が窺える崖状地形(凄い!)は、山城の風情を味わうには充分なものとも思えたので、是非訪問をお薦めしたいのだが、遺構の見応えを求めて訪問される方には、まず遺構の期待を捨ててかかる事が肝心である様には思われた。

2010年3月 8日 (月)

井脇城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町井脇にあって、井脇集落からみれば国道173号を隔てた西側の山上に位置しており、この山城も先にリポートを終えた実勢城と同様に、京丹波町にあってはほぼ無名に近い山城の一つでもあり、現状詳細は不明。

城跡へは国道173号を利用して向えばよいが、井脇地区まで到達すれば、ルート図を参考に国道からも直ぐ目に留まる、隣に消防施設のある公民館を目指せば良い。ここに車を預ければ真西側に望める山がこれから向う城跡なので、位置確認は直ぐ出来るはずである。後は概念図(画像)に記したお地蔵さんのある場所まで向い、そこから墓地経由で僅かな踏み跡を辿れば、迷わず山上主郭までは到達出来るとは思われる(公民館からは15分前後)。

1route 登城ルート

4 公民館側より遠望

7_tozanguti 進入路

3iw 城跡概念図

12_one_kaku 南尾根郭

13_karabori_ato 空堀跡

15_shukaku_minami_dorui_ato_1 主郭南の土塁跡

17_shukakudan 主郭

現状(11月)城跡は、藪化も相当進行しており、移動に難渋するまでは至っていないものの、部分的には枯れ枝などで視認も困難な場所も多く見られる、自然任せの地表風化も相当進んでいるので、土塁跡あるいは空堀跡などは、見学者が僅かな地形の変化で判別するしかない状況でもある。個人的に遺構と見受けられた箇所は概念図中には記したが、どれも明確に判別可能なものではないので、ほぼ見学者の想像に委ねられるのが現実でもある。ただ規模だけは砦の域は充分出ている様には感じられたが、見応えのある遺構は皆無に近いので、この山城は城跡の所在地、あるいは存在を確認出来ればそれでよいのではないかとも思われる。自ずと興味を持たれた山城ファンだけにお薦めの城跡と言うことになろうか、、。

2010年3月 7日 (日)

安口西砦跡(兵庫県篠山市)

この山城は既にリポート掲載を終えている安口(ハダカス)城の直ぐ西側に隣接する丘陵先端部に位置しているが、個人的にはアクシデントを含めた諸事情により、同日訪問をする事が叶わなかった。今回は計画した山城巡りの最終訪問としての機会に恵まれたので、心残りでもあったこの城跡へのリベンジも含めて、やっと現況をリポートする運びと相成った。訪問結果としては、安口城の連続する堀切の素晴らしさにも魅了されたが、この城跡の西端に施された二重堀切も決して負けてはおらず、全体的にはコンパクトにまとまった小規模な城跡ではあるが、見応えは同等かそれ以上とも見受けられるものであり、更に冬季ともあって全体像が窺える事からも、そのスケールの大きさまで感じ取る事が出来た。よってまだ未訪の方には、二城同日訪問は是非お薦めしたいが、既に安口城を訪れた方には単独として訪れても十分満足感の味わえる城跡と目には映ったので、これから訪れる方は是非この現況リポートを参考にして頂きたいと思うのである。

1 登城ルート

5a 登山口

3 3ha3 城跡概念図

城跡は篠山市安口北ノ谷にあって、訪れるには安口城と同じ訪問ルートでもある国道372号へ進入する事が先決となるが、進入口までは国道沿いに目印となるものがないので、ルート図で地形から判断して頂きたい。既に安口城を訪ねられた方なら直ぐお分かり頂けるが、登城口として目印となるのは墓地の直ぐ西側にある小さな農機具小屋(冬季なら国道から確認可能)で、その脇から山道が更に谷状地形の奥まで繋がっている。この道を途中まで利用しての訪城となるが、山道を奥に少し入り、少しばかり水の流れる沢を越えて、山上の郭切岸まで直接繋がる左手急斜面を一気に上り切れば、5分程度(国道から歩いても10分程度)で山上郭が迎えてくれるはずである。しかしこの激斜面は流石に山城を形成する一部分でもあり、上るには相当厳しいものがある。尚、西側の縦堀が最終落ち込事となる、小さな工場施設脇からも容易く上れる(此方の方が多少楽)ので参考までに、、

13_horikiri_1 東堀切見所

22_nisigawa 主郭内

19_shukaku_dorui 主郭土塁見所

26_horikiri1 西端堀切見所

29_2jyuu_horikiri_sokumen_1 32_2jyuu_horikiri_sokumen_1 二重堀切見所

現状(二月)冬季だけに限るのか、落葉樹が多い為なのか、元から木々が少ないのかは定かではないが、見通しもある程度利き、山城としてみれば比較的見学し易い良い状態(高いレベル)にある。隣接する安口城は六月に訪れた事もあって、主郭以外は相当藪化が進行していたが、この山城も春には葉が生い茂り、移動にも見学にも難渋する状態になるのかも分からない。見所としては先に触れた東尾根を断つ堀切と西端の大土塁を挟んだ形の二重堀切は真っ先に挙げられようが、主郭には櫓台機能とも見受けられる土塁、郭間の高低差は余りないがその切岸、あるいはフラットに近い形で自然保持されている郭跡も充分に目は楽しませてくれている。更に山上郭の周囲は直登すれば分かる様に、切岸がそのまま下まで落ち込む崖状急斜面であり、その険峻な様相も含めて山城としての醍醐味は充分満たしてくれている。個人的には、久し振りにこの砦規模の城跡に山城賛歌を贈りたい気分にさせられたのである。もちろん安口城が素晴らしい事は言うまでも無いが、、

2010年3月 5日 (金)

上三井庄城跡(兵庫県丹波市)

この城跡へは二度目の訪問となるが、前回は「東漸寺」北背後に聳える山の山頂が城跡と、勝手に目星を付けて上ったものの、山上における削平地だけを覗いて見応えのある遺構にも遭遇出来ず、肩を落としながら下山した苦い記憶が残っている。今回は以前山城巡りの中で知り合った方から、明確に残る遺構は寺院東側の丘陵上にある事を聞かされ、今回はそのリヴェンジも含めた再チャレンジとなった。

城跡は兵庫県丹波市春日町上三井庄殿地にあって、東漸寺」の直ぐ北東背後の丘陵先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明であり、この一帯を統治していた三尾山城主でもあった赤井氏一族と関連した城跡の様には察せられるが、推察の域は出ないものである。城跡へは、以前「東中城」をリポートしたが、途中までは同じルートでもあるが舞鶴若狭自動車道「春日」ICが最寄の乗降口、県道69号を経由して東中を過ぎれば、一般道709号へ針路変更、後はルート図を参考にすれば、目印となる「東漸寺」までは難なく到達できるだろう。山上までの山道は見当たらなかったので、自ずと直登となるが、概念図に示した寺院背後のダム手前右手斜面にある、害獣避けフェンスを開閉してそのまま山上を目指せば、多少の藪漕ぎは仕方が無いものの、10分内で山上主郭までは辿り着けるはずである。

1_1_2 登城ルート

10 進入口

1_2_2 城跡概念図

現状(二月)城跡は、主郭を除けば相当低草木が蔓延っているが、冬枯れしている状態なので、主要二郭で形成された縄張り内の遺構は、ほぼ判別確認可能な状況にある。現状、副郭から下界を望む事は充分可能な状態でもあり、山上に佇めば当時の周囲の環境にまで思いを馳せる事が容易い様にも感じられた。城跡の見所を挙げるとすれば、主郭北背後に備わる三重の堀切と言う事になるが、大土塁を挟み、更に高低差を違えた堀切の構造は、目を楽しませてくれるには充分なものとも感じられた。もちろん空堀は西斜面側にそのまま縦堀として繋がっているので、山城としての醍醐味も充分感じられる事は言うまでもないが、、他で目に留まった遺構は、北端尾根上を遮る埋もれた堀切跡(僅かに縦堀跡が残る)、主郭北側に僅かに残る土塁跡、副郭の土塁跡程度ではあるが、個人的には上ってまで窺うに充分な遺構群(特に三重堀切)と目には映った。

15_obi 西帯郭

18_shukaku_oku_dorui 主郭、奥土塁見所

20_horikiri1_1 堀切見所

23_3jyuu_horikiri_2 三重堀切見所

26_hokutan_horikiri_ato_1 北端の堀切跡

城跡の現在の状態を考えれば、夏季訪問においては枯れ枝に更に青葉が生い茂り、直登中における藪漕ぎも更に厳しいものがあると予想されるので、訪城のタイミングとしては、梅雨時までと限定して良いのかも分からない。しかし山城ファンにおいては、お勧め出来る城跡である事は確かであると同時に、一般城跡ファンには、冬季でもこの状態では、見学に際しては少し厳しいものがある様には感じられた。尚、寺院を挟んだ反対側の西側丘陵上、あるいは遠く北側の山上付近にも、比較的規模の大きい削平地は見止められた(前回登山時)が、堀切などの様に判別し易い遺構は目に留まらなかった。しかし当然山上詰城と想定は出来るものとも思われるので、これは戦略的に城域と感じられる付近まで足を延ばしてみたい方の参考までに、、、

2010年3月 3日 (水)

仏南寺城跡(京都府綾部市)

城跡は綾部市里町小南にあって、名が語る様に仏南寺直ぐ背後の丘陵上先端に位置しており、丘陵上の主郭(東郭)には現在忠魂碑が建立されている。城史に関しての詳細は不明

城跡へ京阪神から向うには、舞鶴若狭自動車道「綾部」ICが最寄の乗降口となるが、降りれば直ぐ府道77号へ合流する事になる。先にリポート掲載を終えた有岡若宮城からみれば、南下すれば1kmの距離内にあって、これから訪れる方にとっては自ずと同日訪問は考慮に入れたい処ではある。南下すればルート図の如く城跡進入口となる妙泉寺、あるいは仏南寺を目指せば良いが、どちらも駐車場はあるので、少しの間利用させて頂けば良いものと思われる。個人的には仏南寺背後を多少の藪漕ぎしながら直登(5分内)したが、これから訪れる方には山道のある妙泉寺側から上られる事をお薦めしたい(概念図及び画像に示した)。

1_1_3 登城ルート

25_kita_jiin_gawa 妙泉寺からの進入口

1_2_3 城跡概念図

城跡の形態としては自然地形を取り込んだ形で、巨大空堀を挟んで東西に主要郭が配されているものであり、郭周囲に防備として優れた空堀が備わる事から便宜上東郭を主郭としたが、規模は西郭群の方が勝っており、此方は相当風化が進行しており地表は荒れ放題の様相で、土塁跡は窺われるが、土が流失してほとんど曖昧な地形と化している。見通しはある程度利くので歩き回って全体像から地形を把握する事になるが、概念図に描いたまでが個人的に地形から読み取った形状である。便宜上の主郭は忠魂碑が建立されている事もあって、郭跡に限れば西山上郭とは比較にならない良い状態にあるが、周囲は徐々に藪化も進行している。此方は郭周囲に空堀土塁が巡らされており、南側には二箇所仕切り土塁の様な形で上り虎口(推察)を見て取る事が出来た。現状(一月)空堀は堆積物などによって深さが随分失われているので、特別見応えがある訳ではないが、数百年の時を経た事を考えれば、判別可能な状態にあるだけましだとも思える(最初から深さは余りなかったのかも知れないが、、)。尚、主郭東端の空堀土塁先端部分から先は、道路造成工事による切岸処理などで本来の姿は予測出来ず、当然当時の縄張りは謎のままとなる。

9minami_nobori_koguti_karabori_1 上り虎口と空堀見所

19_higasi_hasikarabori 東端の空堀見所

15_shukaku 主郭(東郭)内

24_kyodai_karabori_1 巨大空堀(自然地形)

27_sanjyoukaku_dorui 西郭の土塁跡

33_sanjyou_kaku_1 西郭群

城跡を個人的に評価すれば、主郭(東郭)の方は状態も良く、郭形態も非常に分かり易いので充分お薦めは出来るが、西郭は興味のある方だけが覗けばそれでよいのではないだろうか。有岡若宮城と併せた同日訪問とするならば、非常に効率よく見て回れそうには思えた。

2010年3月 2日 (火)

東野城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市物部町東野にあって、既にリポート掲載を終えた物部城あるいは高屋城ともほど近い距離にあり、丘陵先端部が城跡となっている。城跡へ向うには物部城と同じコースでよいが、スタート地点によって色んなルートが考えられるのでここでは割愛させて頂く。まずは綾部市内から府道9号へ進入する事が肝心となる。城跡を目指すには、近辺に目印となるものがないので説明し難いが、ルート図から府道9号と城跡の位置関係を把握して頂ければよいだろう。付近に辿り着けば、府道から丘陵までは遮るものがないので確認は容易い筈である。尚、城史に関しての詳細は不明

この城跡への登城口は、結果的には個人住宅地(敷地内)背後を通過しての山道は確認出来たが、ここでは付近をウロウロせず、更に怪しまれずに済む、概念図及び画像に示した道路沿いからの荒地(もちろん個人所有地とは思われるが、、)を通過した直登をお薦めしたい(5分内で主郭へ到達可能)。

1_1_2 登城ルート

8 城跡進入口

1_2_2 城跡概念図

11_dorui_1 西郭の土塁見所

15_shukaku 主郭内

17_koguti_dorui_1 南土塁虎口見所

18_shukaku_higasi_heki 主郭東切岸

21_horikiri_1 大堀切見所

23_higasi_yagura

東出郭、櫓台か?

現状(一月)城跡は、その全域が藪化の進行中にあって、郭内部に関しては木々に遮られて遠くから見通せる状態にはあらず、歩き回っての遺構確認は余儀なくされる状態にある。それでもコンパクトにまとまった城跡に複雑な遺構も見当たらない事から、ほぼ現存する遺構は判別出来るものとは思われる。概念図に描いたものが現状遺構として判別出来たものになるが、見所としては主郭背後に備わる土塁及び大堀切は真っ先に挙げられるだろう。堀切は高低差を伴うものであり、竹林地にあるとは言え全体像が窺われるものでもあり、相当な見応えは感じられよう。主郭南側には土塁が付随する虎口跡も明確に窺われ、取り合えず充分目は楽しませてくれる様には思われた。大堀切から更に東側にも郭は展開されているが、個人住宅地のある主郭北西側と同様に、後世においての地形改変は充分窺われるものでもあり、当時を探る上においては、その形態は中々把握し難いのが現状でもある。

冬季においても常緑樹の蔓延る見学し難い城跡ではあるが、堀切、土塁、虎口跡などは未だ健在でもあり、明確なものを拝む事が出来る事からも、山城ファンにはお薦めの城跡とは言えるのだが、一般の城跡(史跡)ファンにとってはお手軽感はあるが、それを納得しての訪問は少し厳しいかも知れない。

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