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2010年2月 9日 (火)

松原城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市向田町松原にあって、先にリポート掲載を終えた天王山城とは、東へ車で数分ばかり移動した向田町にあり、小川(天然の水堀)を北に従えた低丘陵上の先端に位置している。ルート図には天王山城を起点としたルートを記したが、図中に記した砦跡かも? とした場所に「志賀の七不思議」とされる旧跡「志津久松」があるので、これを頼りに訪ねれば、位置関係からも分かり易いかも知れない(地元では城跡は知らなくても、この「志津久松」に関してはご存知のはず)。この城跡も城史に関しては不明であるが、天王山城との位置関係などからも、その出城あるいは支城が推察されよう。

城跡へは先に触れたが、天王山城を起点としたルートが説明し易く、車は付近を探せば路駐スペースは充分確保出来るとは思われる。進入口は画像に示した場所(休耕地)のどこからでも藪を越えれば可能となっているが、ここでは少し遠回りかも知れないが多少でも藪漕ぎの必要がない事から、概念図に示した墓地まで向い、そこから東郭へ進入するルートをお薦めしたい。当然当時はこの墓地周辺からその東側丘陵上に至るまでは城域と思えるので、更にこの付近までも探索してみるのが正当な見学の仕方なのかも知れない。

1_1_2 登城ルート

Enbou 城跡遠望

1_2_2 城跡概念図

現状(一月)城跡は藪化は進行中にあるが、冬季ともあって案外見通しは利き、主郭南側(休耕地)は近世においての開墾の形跡がある為に、当時の縄張りは予測が付かないものの、主郭周囲に付随する空堀跡、土塁、堀切などは明確に判別可能な状態にある。中でも主郭と東郭を分断している堀切(空堀)は比較的状態もよく、土塁も含めて全体像が拝める事もあって、城跡最大の見所遺構となっている。空堀(横堀)などは相当深さは失われているが、はっきりそれと分かるものであり、数少ない遺構にあっては充分目は楽しませてくれる筈である。

12_higasi_dorui 東郭の土塁見所

14_horikiri 堀切見所

16_shukaku_dorui_1 主郭の土塁見所

18_shukaku_2 主郭の現状

20_minami_dorui 主郭中央の大土塁見所

28_minami_karabori 空堀見所

この城跡は周囲の環境(北側は天然の水堀)をも取り込んで築かれた縄張りプランと窺われたが、更に「志津久松」のある丘陵上に位置する松のある小高い土塁(画像に注目)は、櫓台の様にも見えて丘陵全体に削平跡が窺える事もあって、この立地環境を考慮に入れれば、自ずと砦跡として機能していた様にも思えるのである(近世においての盛り土かも分からないが、、)。この松原城に赴かれる際には、ついでとするには地元の方に失礼かも知れないが、「志賀の七不思議」とされる旧跡を同時に訪ねるのも、情緒があって楽しめるかも知れない。これから赴かれる方には天王山城と併せた同日訪問をお薦めしたいのだが、一般城跡(史跡)ファンの方には、前者の状態が余り良くない事もあって同日訪問はお薦めし難いので、この城跡単独訪問を是非お薦めしたいと思うのである、シンプルで大味な形態ではあるが、個人的には城跡としては縄張りも含めて、考えさせられる技巧が随所に施されている事からも、充分見学の価値があるものとみた!

Toride Toride_7 「志津久松」

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コメント

TAKUさん今晩は。
天王山城、さほど広くはない志賀郷には不釣り合いぐらいの規模には驚きですね、入口のお寺は無住になっていましたか、私たちが行ったときには住職がいたと記憶がありましたが。
先の日曜日、瀬加山城に行ってきました。
TAKUさんの記事を参考にさせていただき迷うことなく注目の畝堀を確認してきました。
畝堀(竪掘り列)は今から約20年前、城郭研究者セミナー第3回(だったと思います)のメインテーマとして取り上げられ、一時は毛利氏、朝倉氏が多用した築城技術と言われましたが、最近ではその存在が多数報告されるようになり一部地方や一部の戦国大名に限られたものではないような気がします。私の知る限りでは京都府北部(綾部の位田城は昔より知られています)、兵庫県北部、奈良県西部等に沢山分布しているような気がしています。先にお知らせしたと思いますが、舞鶴郷土資料館が発行しました「舞鶴の山城」では11城報告しています。他には北九州(長野城)岐阜県(大和村篠脇城)の周辺には畝堀の城は存在するのでしょうか。先日TAKUさんは広島の畝堀の城を紹介されていましたが、やはり毛利氏に関連した城には畝堀は沢山存在するのでしょうか。御存じであればお教えください。今回の瀬加山城周辺ではあまり畝堀の城の存在を知りません、近くでは加西市の山頂に妙な展望台のある(名前忘れました)城に3~4本ぐらいの竪掘り列がありました。佐用には上月城の東に仁位山城、南の飯野山城、山崎には篠の丸城がありますが、さほど多くない様な気がします。この地方には瀬加山城以外に畝堀の城はまだ他にありますでしょうか。お教えください。瀬加山城の畝堀についてですが緩斜面に比較的短い堀となっています。本来この場所は主郭下の腰郭(であったかもしれません)を作るはずのところですが畝堀となっています。他でも見かけられる状況ですがこの意味について色々考えますが結論は自分自身まだ出ません。今後ともブログの記事楽しみにお待ちします。

TAKUです、コメント拝見致しました。
瀬加山城のリポートが少しでもお役に立てたのであれば嬉しい限りでもあります。私も最近畝堀の備わる城跡に魅せられて、但馬地方では少ないながらも、結果的にそれが備わる山城を見てきましたが、その多くは情報の乏しい無名に近い山城(畝堀の存在までは資料に記されていない)である事から、瀬加山城も含めて探索結果として偶然目に留まったものばかりであり、中々これまでの様に偶然遭遇する機会に恵まれるとは思えないのが現状です。
個人的には瀬加山城のある、この周辺地域までの訪問にはまだまだ至っておりませんが、少なくとも過去に訪問した山城の中では、畝堀は見止められませんでした。もちろん藪城が多いので見逃していた可能性は充分考えられますが、、。
中国地方の山城においては、まだ多く訪問した訳ではありませんが、過去の山城巡りの中で感じられた事は、毛利氏が中国地方を制覇するまでの、国人の築いた山城の多くに、畝堀が共通して見受けられる様な気がします。毛利氏一族の関連した山城の多くは石垣が用いられており、その形態からも敢えて防備としての畝堀は必要なかったと考えるのが妥当かも分かりません。
先に触れた但馬地方の畝堀の備わる山城に関しては、既にご存知でもある伊賀谷城を筆頭として、そのほとんどが訪問リポートとして掲載を終えたものばかりで、現状知る限りでは情報としては持ち合わせておりません。
以前は遠距離になりますが、信州まで出かけては真田氏あるいは武田氏に関連する山城の多くを踏破して来ましたが、築城における傾向として石垣城あるいは連続する薬研堀を特徴とする山城は数多く目に留まりましたが、畝堀の備わる山城にはまだ御目にかかっておりません。険峻さゆえに畝堀を施す必要がなかったものとも見受けられますが、、、。
私自身は但馬地方から丹後地方にかけての山城巡りをこれから春先にかけてウェイトを置きたいと思っておりますが、かつて山名氏関連の山城に畝堀を多く見止められた事からも、これから積雪のない季節の訪問が楽しみになってくる今日ではあります。
ただ今回のコメントの中にある、位田城に関しては二回訪れてはおりますが、山上はともかくとして、周辺は凄まじい藪に覆われて、未だに全域踏破して実態を掴めていないこの山城に畝堀があったとは少々驚きました、、、

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