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2010年2月 7日 (日)

天王山城跡(京都府綾部市)

この山城は綾部にあっては将監城と同様に、存在の認識は充分ありながらも所在地が判明せず、長い間不明山城として自分の中では片付けられていた、今回の綾部地区の山城巡りの中では、個人的に城跡の目星だけを地図に付けての訪問となったが、やっと所在地及びその実態を把握する事が出来た。ただ現地で城山を訪ねた結果、間違いなく(字)城山の地にあるという事からも、この山城を天王山城、あるいは城跡遺構と断定してよいものとも察せられたが、流石にこの仰々しい呼称(天王山)までは知る人はおらず、残り1%の呼称の誤認はあるかも知れないので、この縄張り妙味に満ち溢れた素晴らしい城跡遺構を目の当たりにした方が、その全てを把握した上で個人的に判断して頂きたいと思うのである。

現状におけるリポートとしては、冬季にも拘らず状態は相当悪ものと言えるが、それを差し引いても余りある遺構の見応えは、先に触れた将監城より弱冠落ちるかも知れないが、ほぼ同レベルにありそうと思えた事からも、山城ファンに向けては自ずと是非お薦めしたい山城の一と言う事にはなるだろう。一部の文献及び資料などには、当時における城主として「吾雀入道安盛」の名が挙げられてはいるが、この城主の活躍が記された文献を眼にする事も出来ず、現状から察する限りでは、これからもこの吾雀氏に関しての情報は期待出来そうに無いものとも思われる。現状情報は皆無に近く、城史に関しての詳細は不明でもある。

1_1 登城ルート

5 遠望

9 登城口

1_2 城跡概念図

城跡は綾部市志賀郷町城山にあって、かつて物部城、北野城をリポートした事があったが、それらと同様の訪問ルート(府道9号から物部町で490号に右折コース)で訪ねる事が可能である。(ちなみに北野城はここより北へ1km程度の距離)登山口となるのはルート図中にある無住の寺院で、名前までは分からなかったが、これを目印として目指せば分かり易いとは思われる。寺院の直ぐ裏山が城跡でもあり、背後の山道を上り切れば直ぐ(5分内)にでも山上主郭には到達可能である。

15_daidorui 寺院背後の大土塁見所

23_shukaku 主郭の現状

25_higasi_koguti_1 主郭南東虎口見所

37_shukaku_dorui_3 主郭土塁見所

38_higasikaku_dorui 東郭大土塁見所

34_une_hori 畝状縦堀見所

現状(一月)城跡は、郭内(主郭及び便宜上の二郭)においては藪化は相当深刻化しており、見通しも利き難く、遠く外見から郭内部の遺構、あるいは形状などを把握することは非常に困難な状況にある。それでも比較的移動には難渋しないので、郭内に限れば、歩き回れば残存状態の良い主郭南虎口、主郭背後の分厚い土塁などは明確に判別可能であり、二郭に現存している大型の土塁なども眼にする事が出来るはずである。概念図に示したものが個人的に踏破した範囲であり、目に留まった遺構をそれなりに記したものでもあるが、主郭西側の直立に近い切岸斜面には畝状空堀、縦堀あるいは土塁まで伴った空堀状の郭跡、、、などと非常に縄張り妙味(城跡全体が)に富んでおり、地形から当時の機能を想像するだけで充分楽しめそうには思えた。

城跡を個人的に評価すれば、規模も大きくこれだけの城跡遺構が揃っている(山上郭群だけみれば完存に近い)にも拘らず、ほとんど世間に公表されていないのが現実でもあり、非常に残念であると同時に、これから町興しの一つとして是非見直して頂きたいと思うのである。状態が良く無いので全ての城跡ファンにお薦め出来ないのが難点でもあり、少し残念な部分でもあるが、山城ファンにおいては是非リスペクトして頂きたい城跡の一つである。

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