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2010年2月

2010年2月28日 (日)

石生西河原城跡(兵庫県丹波市)

この山城は「水分れ公園」の東奥に位置する山上尾根に位置しているが、個人的にはこの公園は丹波地域における山城巡りの際に、今まで休憩食事あるいは憩いの場として時々利用していた。今回も上三井庄城の帰り道に寄った事から話は始まるが、今回は余裕を持たせた山城巡りになった事から、今までは覗いた事もない公園より少し上った先にある、休憩テラスまで立ち寄ってみた、そこには偶然にも、何と古城跡の案内板が設置してあり、当然直ぐ上って確認に及んだ事は言うまでも無いが、その結果として、自分にとっては今までの山城の一般常識を覆すほどの、他に類を見ない形態を持った城跡に巡り合える事になった。正に灯台下暗しとはこの事で、今回の偶然は必然性が生んだものかも分からないが、この山城はずっと自分の記憶に残る存在となりそうには思われた。案内板には城跡呼称は記されていなかったのだが、更に偶然(正に偶然!)は重なるもので、山城巡りを終えて帰宅後に、自分より一日早い訪城をされていた、何時も有難い山城情報を頂いている読者の方から、この山城に関してのコメントをブログに頂戴しており、この山城は、「石生西河原城」と直ぐ確定するまでに漕ぎ着ける事が出来たのである。(感謝)。

1_2 登城ルート

8 登山口

1_1 登山口の古城案内板より

1_3 城跡概念図

この山城は先に触れた様に、他に類を見ない形態が全てとも言い切れる城跡と感じられたが、自作概念図を見ればおよそお分かり頂けるとは思われるが、極端に狭い痩せ尾根の山上主郭までは、ほぼ踏み段に近い狭小段郭群の連続(中腹に広めの郭跡があるが、他では余りお目にかかれないもの!)、その便宜上の主郭と言えば、人二人が並べば精一杯の幅3mにも満たないもの、その郭跡には更に土塁が付随、更にその背後には分厚い土塁を挟んで二重堀切、更に東山上側には分厚い土塁道に沿って小郭(城跡中では最大)と、とにかく全てに「狭い!」が連呼出来るほどの城跡なのである。にもかかわらず、大胆に刻まれた縦堀まで繋がる深い堀切が物語るように、本格的な縄張りプランによる普請は随所に窺われ、「この物見程度の山城になぜここまで?」と言った、つい疑問も生まれて来そうな城跡なのである。(険峻な山城の普請を得意とした、赤井氏ならではのものか、、?)

13_tatebori_2 西側縦堀見所

18_tenbou_sho_1 展望所

26_nobori_dorui 段郭群の上り土塁見所

30_shukaku_dorui 主郭土塁見所

31haigo_horikiri1_1 主郭背後の堀切見所

34_higasi_yori_nijyuu_horikiri 東より二重堀切見所

38_dorui_dou 分厚い土塁道見所

この山城を当時どの様な機能で用いていたのかは、全て見る者の想像に委ねられるが、少なくとも人が常駐可能な空間は存在しないとも思えた。更に詰城としては狭すぎ、物見としては本格的過ぎる、これら全てを含んだ上で、冒頭に山城の一般常識からかけ離れた城跡と呼んだ訳であるが、まだ未訪の方には、小規模この上ないものではあるが、残存状態もよく、更に遺構残存度も高い、中々他で見る事の出来ない山城の常識を逸脱した本格的山城を、是非訪れて体感して頂きたいと思うのである。個人的にも山上に残された遺構の数々は、山城ファンはもちろん、城跡ファンあるいは山登りの好きな方まで、想像も含めて充分楽しめる事は請け合いとも思われたのである。

城跡は兵庫県丹波市氷上町石生にあって、ルート図に示した通り「石生駅」の東側に位置する、「水分れ公園」を目指せば分かり易く辿り着けるだろう。公園の沢筋を少し東に上った付近に登山口があるが、前述の城跡案内板も直ぐ目に留まるはずであり、ここからは向山連山への登山道が山上まで繋がっているので、迷わず山上主郭までは辿り着ける(登山口から15分程度)筈である。尚、丹波を訪れた時に個人的によく利用しているこの公園は、人工的な滝も流れ、清潔なトイレもあり、近代的な装いではあるが、非常にくつろげる空間となっているので、山城と並んでこれも是非お薦めしたい憩いのスポットの一つでもある。5

2010年2月27日 (土)

鶴首山城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市八木町八木にあって、内藤氏の居城でもある、八木城の山上本郭から遠く北方に向いて突き出した尾根先端部に位置している。城史に関しては皆無に近いが、木城巨大城塞群の一角としてみれば、その北部を監視する砦という事になるのかもしれない(推察)。

城跡へ京阪神から向う場合は、京都縦貫自動車道「八木東」ICが最寄の乗降口、国道9号を利用したなら、国道沿いにある巨大な南丹病院を過ぎて、ルート図の如く進行すれば難なく付近までは到達出来よう。城跡への進入口は概念図に示した道路沿いの稲荷神社(画像に注目)からで、その背後は崖状急斜面となっているので、図の如く背後から左側へ斜行しながら僅かな踏み跡を辿って上れば、5分程度で便宜上の南郭付近には到達出来るものと思われる。

1_1_2 登城ルート

7 進入口

1_2_2 城跡概念図

現状(12月)城跡は、主郭を除けば部分的に植林地となっているので、ある程度見通しは利き、南北尾根上を自然に任せて削平して築かれた郭跡、方形状の土塁壇空堀地形、縦堀に繋がる堀切地形などの遺構は、地表風化は激しいが想像を働かせれば何とか判別出来そうには思えた。ただ堀切、空堀などは明確に判別可能な状態にはないので、個人的に必然性も含めて概念図中では堀切地形としたが、これらは見学者個人の判断に委ねればよいものと感じられた。主郭北側には現状低い高低差で切岸の曖昧な郭群が設けられているが、一部に明確な切岸跡が窺える事からも、本来は切岸処理がなされていたようには窺われたのだが、、。

10_minami_kaku 南郭

12_dorui_dan_1 土塁壇見所

11_horikiri 南堀切地形

14_1 主郭虎口見所

15_shukaku_1 主郭内の巨岩見所

17_kita_rinkaku_gun_1 北段郭群

この城跡の形態(概念図参考)からも、見応えのある遺構には巡り合うことが出来なかったが、主郭南側には門石の代用とも思える自然岩を利用した虎口跡、あるいは土塁の代用とも思える巨岩が侵入者を威圧しており、山城の風情は充分醸し出している。城跡を個人的に評価したなら、直線的なその形態には縄張り妙味は感じられず、見るべき城跡遺構も数少ないのだが、自然風化に任せたまま、ほぼ当時のままの完存とも見受けられた城跡遺構の価値、同時に訪問し易いお手軽感も含めれば、充分お勧め出来る城跡の様には目に映った。

2010年2月25日 (木)

坂室城跡/正後寺城跡(京都府福知山市)

城跡は京都府福知山市正後寺西谷にあって、既にリポート掲載を終えた三俣城からみれば国道9号と土師(ハゼ)川を挟んだ形で、南西対岸に位置する丘陵先端に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、谷を挟んで直ぐ東側に隣接する正後寺城が市田氏の館跡と伝わっている事からも、自ずと市田氏との関連は推察されようが、推察の域は出ないものでもある。尚、この正後寺城に関しては、直接地元の方に接触して呼称と所在地を確認した訳ではなく(誰一人として出会うものがいなかった)、個人的には外部で得た情報だけに頼った訪問でもあり、概念図に遺構(居館?)らしき跡は記載したが、その背後の山上(尾根上までは踏破)までは、日暮れに近い時間に訪れた事、あるいは密生する雑木藪地でもあった事から踏破に及ぶ事が出来ず、所在地を含めてこの地が正後寺城であると確証に及んだ訳では無く(ほぼ断定は出来るが、)、今回は推定地あるいはこれから臨まれる方の参考までとして頂きたい。

1_2_2 登城ルート

10 進入口

1_3 城跡概念図

坂室城跡へは三俣城を起点にすれば分かり易いが、国道9号からルート図に記した赤線を辿れば難なく、目印でもある正後寺公民館までは辿り着けるとは思われる。概念図には二ルートを記したが、民館に駐車スペースがあるものとは思わなかった事から、麓の道路空きスペースに駐車して「Aルート」で上って、下山を上った反対側の主郭からBルート(墓地経由)を利用して下りた。どちらから上っても反対側に下山する事になるが、公民館をスタート地点とするならば、この紹介したAルートの方が効率が良いとは思われる(ほぼ縄張りの全てが確認可能)。

14_dorui_koguti_1 土塁虎口見所

20_karahori_dorui_1 主郭西側の空堀土塁見所

22_nisikaku_1 西郭

17_shukaku_1 山上主郭

現状(二月)城跡は、冬季にも拘らず全域にかけて藪化は進行しており、山上主郭も含めて特に東側の緩い斜面上は、密生する矢竹あるいは低草木の為に、視認にも移動にも難渋する状況にある。よって歩き回って何とか判別確認出来た遺構が概念図に記したものになるが、郭跡(削平地)を除けば、登城道とした空堀道の突き当たりに備わる土塁虎口跡、そして概念図に示した二箇所の空堀土塁跡一部の郭壁に切岸跡が確認出来た程度でもあり、当然縄張り妙味などは求めようもなく、ただ「陣城の様相を呈した大味な山城」、と言ったところが、自身の訪問後における素直な感想でもある。

Seigoji_2 Seigoji_3 (推定)居館跡地

Seigoji_1 背後尾根削平地の土塁

推定とした正後寺城の方は、住宅直ぐ背後に周囲が切岸化された居館跡に相応しいと思われた広い削平地、あるいはその周辺の緩い斜面上の広大な台地もそれらしく思えたが、地元で確認には及べず、、、その背後は概念図に記した付近までは上ったが藪化は激しく、尾根上に土塁で囲まれた空間と尾根上の削平地だけは確認する事が出来た。ただこれも現状の荒れ放題の地形から、個人的に遺構であると読み取っただけ(推察)に過ぎないので、断定は出来ないものでもあるが、、、尚、麓の墓地には市田姓の名が刻まれた墓石が多く建ち並んでいたが、城主の子孫の方のものかも分からない、、、

2010年2月23日 (火)

京北 宮城跡(京都市右京区)

城跡は京都市右京区京北宮町にあって、京都市内にありながらも、遠く北の山間部まで車を走らさなければならない。市内から向う前提であれば、周山街道と呼ばれる国道162号を経由して、周山城のある周山町で国道477号へ針路変更すればよいが、そこから更に国道に任せて東へ向う。以前中江城をリポートした事があるが、その城山を右手に見て更に国道に任せて進行すれば、京北下黒田町から宮町に入る境にトンネルが見えてくるが、そのトンネルを境にして南北丘陵上に城跡が形成されているのが宮城跡である。城史に関しての詳細は不明

1_1 登城ルート

9 登山口

1_2 城跡概念図

登山口となるのはトンネル直ぐ手前に設置された「京都一周トレイル」の標柱(画像と概念図に注目)からで、ここから左上に直ぐ望める小さな砂防ダムを通過して、大堀切(当時のものとすれば最大見所、当時の切り通しか?)まで上ればよい。ここから北に向う稲荷神社参拝登山道に任せれば、本郭までは迷わず到達出来る筈である、南城へは、これも山道が繋がっているので迷わず尾根上までは到達出来るが、概念図に示した付近(山道沿いとその斜面)には、当時のものとも思える石垣跡(土留め石)が部分的に残っているので決して見逃してはならない。この石垣跡が当時のものかどうかは、素人目では非常に判別は難しいが、個人的には事前に石垣跡が残っているという外部情報(京都府で既に調査済みらしい)を得た事、あるいは比較的小さな川原石で構築(野面積み)されている事もあって、近世の治山事業によるものとは考え難いので、間違いなく当時のものと思えたが、、、。

17_tyuuou_horikiri_4 大堀切見所

25_minami_kaku_2 南郭

31_dobasi 中央の尾根上

35_tatehori 中央縦堀見所

37_nakaku 中郭

42_nisikaku1_1 北城山上郭群

形態としては、大堀切(トンネル上付近)を境にして北側の丘陵が北城、南側丘陵上には百m以上はあると思われる広大な削平地のみを南城とした、一城別郭とも考えられる比較的城域の広い山城ということになろうか。ここでは少し縄張りが複雑に思えた事から北城を本城と考えたが、議論に及ぶまでの事ではないだろう。まず北城は、現状(一月)城跡が神社敷地となっている事もあって、見通しはある程度利き、ほぼ全域に渡って見学し易く遺構も判別し易く、縄張りも掴み易い状態にある。古い形態の山城とみえて特別技巧が施された部分は御目にかかれなかったが、中央の尾根幅の狭い箇所(土橋状)に施された、自然地形を取り込んだ縦堀が一番目に留まった部分ではある。

20_minamijyou_isi_2 南城斜面の石垣跡見所

47_minami_jyou_3 南城郭内

便宜上の北城南郭に関しては、近世において明らかに造成拡張された形跡が窺えたので、当時の形状は見た者の想像に委ねられるが、社殿の建つ中郭は郭跡地の転用とみてよいものとは思われた。南城は先に触れた様にほぼフラットな空間が連続するだけのものであり、実際に歩き回って規模を体感する程度にはなるが、郭中央付近の南側には当時のものとも思える虎口跡(少し空堀状)が窺えたので参考までに、、、。城跡を個人的に評価すれば、遺構が完存に近いものではないが、見学し易い状態にあるので山城の風情は充分味わえる事、5分程度で到達可能なお手軽感も含めれば、充分お薦め出来る城跡という事にはなるだろう。

2010年2月22日 (月)

山城ファンへの重要なお知らせ

今日、「細野城跡」へのコメントとして、ブログ読者の方より貴重な山城情報を頂戴しました。それによると、京都府亀岡市では3/6日より3/22日まで猟友会による害獣駆除が始まるそうです、最近の山城リポートは、個人的にも亀岡市が多いのですが、くれぐれもその周辺の山城を訪れる場合は注意が必要かと思われます。

むしろその間の亀岡市内の山城巡りは、避けた方が良いかも知れません。もちろん亀岡だけに限らず、篠山市、丹波市、福知山市も含めて近畿圏内では異常とも思えるほど、鹿あるいは猪が繁殖しております、よって他の地域でも狩猟シーズンに山に入られる場合は、上られる事前には、絶対に地元の方と接触しての確認は不可欠となりますので、是非注意して山城巡りを楽しんで頂きたいと思います。

尚、山城巡りにおいて一年中鹿を見ない日はほとんどありませんが、尾根上あるいは郭跡には相当数の鹿の糞が落ちています、糞を踏み付けながらの登城は止むを得ませんが、糞の存在する場所の周辺の草木には必ずダニも繁殖していますので、特に下山した後で自宅に持ち込まないように工夫する事が肝心と思えます(ペットに付いたら最悪!)。先頃の福知山から綾部周辺の山城巡りにおいても、寒さをものともせずダニは動き回っていますで、季を問わず注意する事が必要だと思われました。

2010年2月21日 (日)

京北 細野城跡(京都市右京区)

この山城は以前から外部情報により、存在の認識も所在地も特定出来ていたのだが、後でリポート掲載予定の宮城跡同様に、阪神側から向うには少し不便でもあり、京都市内から向うには相当遠回りになる事からも、個人的には長い間訪問を避けていた。しかし今回は積雪のない事も分かり、亀岡市内の山城巡りを含めて、更に遠方に位置する京北宮城跡まで足を延ばした城跡訪問をやっと計画に移す運びとなった。

城跡は京都市右京区京北細野町にあって、国道162号(周山街道)を走り長い笠トンネルを抜けた後、363号へ左折して細野集落を目指せば難なく辿り着ける筈である。登山口は概念図に示したが、橋手前の道路沿いに上り口があるので、山上までは10分内、屋敷跡までは5分内で到達出来るとは思われる。

1_1 登城ルート

7_tozanguti 登山口

1_2 城跡概念図

城史に関しては細野藤十郎直(尚)国の居城と伝わっているが、これは16世紀中頃から終わりまでの話であり、現在眼にする事の出来る城跡遺構は、明治維新まで続いたとされる二条家の屋敷跡と呼ばれる遺構でもある。細野氏の時代の遺構は山上に詰城程度の削平地が存在するだけで、中腹に位置する御殿山遺構と呼ばれているものは、先に触れた様に二条家時代の屋敷跡地とされるものであり、個人的には本来の細野氏の城跡遺構を代々改修を重ねて来たものだとも見受けられた。細野氏に関しては一般の文献資料などにはほとんど記述もないが、この二条家に関しては多くの文献に記述があるので、各々でリサーチして頂きたい(長過ぎる話になるので)。ただし、この細野一帯を領有化した二条家に関しては資料も乏しいようで、中々その記述が見つからないのが現状でもある。

30_sanjyoukaku_9 31_sanjyoukaku_hokutou_one 細野氏時代の山上郭

個人的には細野氏時代の山城の方に重きを置いて訪ねたが、現状(一月)山上主郭には送電鉄塔が建ち、地表は全て下草と伐採された木々で覆われているので、内部の遺構に関してはとても窺う事が出来ず、郭切岸の確認すら出来ないのが現状でもある。自ずとどこまで地形改変があったのか、あるいは内部に土塁などが存在したのかは想像に委ねるしかなさそうでもある。しかし画像からお分かり頂ける様に、見応えのある堀切は目に留まらなかったが、山上はほぼ全体像の見通しは利ので、かつての城域も山城としての風情も充分感じられそうには思えた。

13_saijyou_bu 屋敷跡最上段の郭跡

16_gedan_yori_isi_1 石垣跡見所

25_haigo_dorui 社殿背後の土塁見所

27_tate_hori_miti_2 空堀道見所

22_yasiki 屋敷跡地の現状

御殿山屋敷跡に関しては、見た限り大中小三段の郭で形成されるもので、屋敷跡と窺われた削平地は両翼最大70mにも及ぶもので、その最上段には現在小さな社殿が建立されており、その北背後では土塁あるいは急斜面に刻まれた空堀道を眼にする事が出来た。尚、概念図に描いた様に郭壁には石垣跡も窺えたが、近世における社殿建立時におけるものではなく、個人的には荒い石積みの間に隙間もなく土が入り込んでいる事などからも相当古さを感じさせるものであり、二条家時代(江戸時代)に構築された石垣の様にも見て取れたが、、、その確証は得られず。城跡を個人的に評価すれば、山城として訪問すれば落胆する事は必至とも思えるが、江戸期の長きに渡って営まれた二条家屋敷跡は、多少でも中世城跡の形態を成すものであり、充分値打ちのある遺構とみたが、、、。

2010年2月20日 (土)

内山城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市八木町八木内山にあって、先にリポート掲載を終えた川関城と八木城との中間に位置しており、北側に単独で迫り出した丘陵上から山上中腹までが城域と見受けられる。川関城同様に八木城の支城あるいは出城とも窺えるが、全体の規模は川関城の倍以上のものであり、広大な主郭だけみても規模の違いは歴然としており、山上中腹に至るまでの城域は、300mに達しそうにも見受けられた。

城跡へは先に触れた川関城を起点にすれば分かり易いが、此方は八木駅東側にある二箇所の踏み切りの内、駅側の踏み切り(信号がある)を通過してルート図の如く西側(八木城の方向)に向えばよい。付近に到着後は概念図(進入口は画像に注目、住宅地の直ぐ横から)を参考にすれば、難なく便宜上の主郭までは到達出来るだろう。車は京都縦貫自動車側の高架寄りに充分空きスペースはあるので、自己責任において停めれば良いものとは思われる。

1_1_3 登城ルート

8_2 進入口

1_2_3 城跡概念図

17_sita_gedan_koguti 北郭2の虎口

16_kita_gedan_1 北下段郭

18_gedan2_yori_koguti_1 北虎口より北郭切岸

14_shukaku 主郭見所

23_shukaku_kirikisi_1

主郭東側の切岸見所

28_karahori 南尾根郭の空堀

30_minami_sanjyou_kaku 南尾根最高所郭跡

現状(一月)城跡は、便宜上主郭とした居館跡とも呼べそうな広大な郭跡から、北側先端部の郭跡には重機が入って、住宅地傍付近までの斜面は掘り返されて破壊されつつあるが、肝心の主郭から山上に至るまでは、ほぼ当時のままとも窺われ、概念図に示した様に北側二段の郭跡や、主郭から南側に繋がる尾根上郭群の縄張りプランは、充分把握出来そうには思われた。南尾根側は相当雑木も蔓延っており、現在では落葉樹の為にほぼ枯れ木となっているが、枯れ木の隙間を縫っての移動は余儀なくされる状態にある。更に風化に任せて荒れ放題の様相でもあり、地形の変化から遺構を判別する事は中々難しい状況にあるが、それでも岸処理のされた郭群、虎口跡、土塁壇、空堀地形などは傍まで寄れば何とか判別可能な状態にある。概念図に示したまでが個人的に遺構と目に映った箇所であり、踏破確認に及んだ場所でもあるが、流石に現状を考えれば、南側標高180m地点にある山頂までの踏破は断念せざるを得なかった、山上郭の存在は充分想像出来そうには思われたが、、、。

この城跡は川関城同様、城跡の中枢となる切岸処理のされた規模の大きい主郭が特徴であり、ここまで全体像の窺える主郭を拝める城跡も数少ない事から、充分見学する価値はあり、貴重な城跡である様にも自分の目には映ったのである。

2010年2月19日 (金)

川関城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市千代川町川関にあって、国道9号沿いにある八木駅からも望める、桂川に向いて突き出した南東側の丘陵先端に位置している。この山城も小規模な城跡が無数に点在している亀岡にあっては、情報は皆無に近いものであり詳細は不明。ただ城跡は八木本城から東側に派生した尾根上末端に位置する事からも、自ずと出城と呼ぶに相応しいものかとは思われるが、推察の域は出ない。

城跡へは国道9号を利用して向えばよいが、ルート図の如く八木駅手前(東側)にある二本の踏み切りの内、東側の踏み切り(城跡側)を渡る事になる、駅側の踏み切りを通過した場合は、恐らく辿り着く事が出来ないと思われたので、迷わず此方の踏切を渡って向かう事をお薦めしたい。踏み切りから城跡は直ぐに望める事もあって、城跡の位置は容易く確認出来るはずであり、車は川を渡った左手側に小さな神社があるので、そこの空き地を借りて停めれば良いものとは思われた。城跡への登山口は概念図と画像を載せたが、社殿(謎の神社)に向う石段より山上を目指せば、5分もあれば難なく辿り着けるはずである。

1_1_2 登城ルート

5 進入口

1_2_2 城跡概念図

現状(一月)城跡は植林地となっている為に見通しが利き、下草も無く見学し易く、非常に見て回りやすい良い状態にある。ほぼ単郭で形成されている城跡と見受けられたが、主郭の規模は非常に大きく、全体の見通しが利くので更に大きいもの(全長60m前後ある)に見えてしまう。ただこの広いフラットな空間は、後世に神社(現在は無い)として造成整地された様な気がしないでもないが、、、これは見たままを凄いと思って楽しめばそれで良いものとは思われる。東側には風化によって切岸は曖昧であるが、数段の段郭は確認出来たが、東下段郭には土塁跡あるいは上り土塁の痕跡も僅かに残っており、色んな想像を掻き立てられて楽しめる要因とはなっている。

9 郭転用地か?

16_koguti_1 16_koguti 枡形虎口見所

18_shukaku_1 主郭内

20_yagura_2 櫓台か見所

23_nisi_sakuheiti 西削平地より土塁側

当時の遺構として目に留まったものは概念図に記したが、西端にある土塁壇を伴った、枡形虎口の様にも窺えた遺構が城跡一番の見所とも思われるが、その虎口郭(虎口としての断言は出来ないが縄張りプランあるいは必然性によるもの)には一部自然岩を削って虎口内壁を形成したと思われる形跡も残っており、技巧を伴った遺構に興味のある方には、目をを楽しませてくれる事は請け合いとも思えた。西側には広大な馬場跡とも見受けられる緩い傾斜面が連続しており、城域は意外に広いものの様にも感じられるのである。

城跡を個人的に評価すれば、この枡形にも見受けられた西虎口は、一見の価値に値するものでもあり、ルート図には記したが、後でリポート掲載予定の内山城と併せた同日訪問とすれば、訪ね易さも加わり、更に満足度の高い城跡巡りとなる様な気はするのである。

2010年2月17日 (水)

木間生城跡(兵庫県川辺郡)

城跡は兵庫県川辺郡猪名川町木間生(コモオ)にあって、県道12号沿いにある天沢寺の北背後に聳える標高323mの山頂に位置している。この山城も猪名川町ではある程度知られた存在なのかも知れないが、先に寄った清水愛宕山城で偶然出くわした地元の方は、御存知ではなかったので、城山と知って山頂まで上られる方は、最近では皆無に近い様には感じられた。詳細は不明の山城

城跡へ京阪神から向うには県道12号(川西篠山線)を天沢寺を目指して北上すればよいが、ルート図に示した様に寺院の手前で左折、突き当たりの小学校を右折すれば道路に任せて進行し、トンネルのある峠に向えばよい。トンネルを過ぎて直ぐに右手に山道があるが、ここからが登山スタート地点になる。車は一台程度なら付近にスペースが確保出来るので、ここから山道に沿って行き止まりとなる巨大な岩盤まで向えばよい。行き止まり地点が直登開始地点でもあるが、右手に(画像に注目)治山事業によって僅かに石垣跡が残る谷状地形を、左手尾根に沿う形で上り切ればそのまま山頂へ到達出来る筈である(車を置いて山頂までは20分)。藪漕ぎ箇所は無く登り易いが、崖状斜面は相当きつい(正味は15分程度)ので覚悟は必要!

1_1 登城ルート

6 城跡遠望

11_tozanguti 直登取り付き地点

1_3_2 城跡概念図

現状(一月)城跡は近年人が入った形跡は見受けられず、当然自然任せの風化進行中にあるが、意外にも山上主郭だけはフラットな状態が自然保持されており、木々も比較的少ない(画像に注目)ので見通しも利き、山城としてみれば見学し易い状況にある。概念図に示したまでが踏破確認した遺構群になるが、全長60mにも達する大規模な主郭と物見程度の出郭で形成された山城でもあり、遺構に多くは期待は出来ないものでもある。主郭中央には土が長年の風化によって流失し、ほぼマウンド地形だけになっているが、形態から櫓台は想像出来そうには思えた。見所を挙げれば主郭南北斜面に設けられた堀切という事になるが、北側の堀切は自然岩を取り込んで形成されたものであり、縦堀に繋がる様の全体像が窺える事もあって相当な見応えは感じられた。他で見応えのある遺構には巡り合えなかったが、この険峻極まりない山頂(比高約200m)を制覇した達成感と、遺構に巡り合えた喜びは言葉では中々言い表せないものがある。尚且つ城跡の佇まいを残すフラットな空間に佇めば、自ずと当時に思いを馳せる事も出来、ここまで険峻な地に城跡を築かなければならなかった当時の事情も、自ずと見えてくる様には思われるのである。

13_shukaku_1 山上主郭

16_kita_horikiri_3 16_kita_horikiri_6 北堀切見所

18_minami_horikiri 埋もれた南堀切見所

24_minami_demaru 南出郭

城跡を個人的に評価するなら、足腰に不安の無い方には是非トライする事をお薦めしたいのだが、崖状地形の上り下りは多少のリスクは背負う事にもなるので、険峻な山城に登り慣れた方だけにお薦めしたいのである。険峻な地にある山城が好きな方には絶対期待は裏切らない、満足感にも充分浸れる城跡の一つとみたが、、、。

2010年2月16日 (火)

山城ファンに向けて

個人的に今までの山城巡りの中では、敢えて情報の乏しい無名に近い山城ばかりをチョイスして、城跡(史跡)ファンも含めた山城ファンの方々に、是非その存在を知っていただく為、あるいは訪れて同じ感動を味わって頂く為に、訪城リポートを掲載して来ましたが、特に地方に行けば地元では文献などと全く異なる城跡呼称、あるいは単純に地域名でそのまま呼ばれている山城も多々見受けられます。それゆえに尾根一つ間違えば城跡呼称が異なる山城も数多く見受けられ、呼称の混同は避けて通れないのが現実でもあります。

特に自分も含めて、無名に近い山城を探索するのをライフワークとする方には、所在地を探し当てる際には色々な呼称が飛び交い、混同して非常に難渋しているものとも感じられます。私よりも先達となる山城大好き人間の方々も、恐らく私と同じ道を歩んで来られた様には思われるのですが、これから訪れる方には、ブログ内ではルート図で分かり易く記しているつもりではありますが、出来るだけ訪城における煩わしさをなくす為、あるいはピンポイントで城跡に辿り着ける様に、今回は今まで訪れた中の城跡呼称で気が付いた点(注意事項)を挙げました。

個人的には、混同や呼称の取り違いを出来るだけ避ける為に、訪問した山城に関しては、常に現地在住の方との連携した追跡リサーチを心がけておりますが、今回はその追跡リサーチなどによって、同じ城跡でありながら文献資料などに登場している呼称と、一般に呼ばれていたりするものと異なるもの、更に個々の文献によっても多少異なる呼称の山城が幾つか判明しましたので、これから訪れる方々にとっては、混同を避ける為に是非参考にして頂きたいと思います。その中でも今回は但馬地方における山城が中心となりますが、幾つかの城跡名をお知らせしたいと思います。

1)但馬の山城 「加保城」2_1_2

地元では加保地域にある事から、そのまま加保城と呼ばれているが、文献などによっては田和城とも記載されており、正確に言えば地元ではほとんど知られていないが、「加保の城山」として呼ばれるものは別にあるらしい事が判明。個人的には、現地で手を尽くして田和城を訪ね回り、ついに探し出す事が出来ず断念した記憶があるのですが、やっと加保城と呼ばれていたものが、本来の田和城であった事が判明しました(断定は出来かねるが95%の確立で)。私同様「田和城」を探しておられた方にとっては、少しばかり朗報かも分かりませんが、、、。

2)但馬の山城 「土田城」

地元で訪ねれば、土田(ハンダ)城はリポート掲載に及んだ城山を指すらしい(規模が大きいからか?)のですが、実際の呼称は「土田観音山城」が正解、一部の文献資料などに登場している土田城は、別の尾根上にある山城を指す事も判明。ただこの山城は広大な城域を持っているので、紹介した便宜上の規模の大きい一城にも匹敵する東出郭(居館跡か?)は、文献資料などによっては更に別の城跡呼称があるとも考えられます、もしそうであれば、本来の山上郭群と混同しないよう注意が必要と思われます。

3)但馬の山城 「尾崎天王山城」

地元ではほとんど正式な名前で呼ばれていない(ただの城山)が、文献資料などによっては別に「横尾城」と呼ばれる事が判明しました(公的資料に関しては分からず)。これも別にもう一城が同地域に存在する訳では無い事を踏まえる必要があります。尚、直ぐ東に隣接した尾根上に位置する城跡は、上ノ山城と呼ばれるもので、既に踏破はしましたが、明確に残る遺構は郭跡程度でもあり、敢えてリポート掲載はしておりません。

4)但馬の山城 「大谷向山城」3_2

この山城は共有する別枝尾根上に位置するものが大谷向山城であり、本来この山城は谷山崎城とした呼称があるらしく、同じ尾根を共有しているので判別し易くした為とも思われるのですが、探し当てる分には非常に紛らわしく思われます。個人的には大谷城として統一(一部の文献資料では向山城として統一されている)して欲しいとも思いますが、ここでは敢えて追求するつもりはありません。混同を避ける為にも、これから訪問される方には注意が必要だとは思われました。現状位置確認までは出来ていませんが、聞いた話では、ほとんど一城として考えてよいものらしいのですが、、、

5)丹後地方の山城 「温江城」

この城跡は温江谷垣地区にある事からも、一部の文献資料においては谷垣城としているものもありますが、現地の城址碑では「温江城」となっていた事からも、別城と勘違いしない必要があります。ただし、この山城は裾野が相当広いので、末端の砦跡も含めた総称としての「温江城」なのかも分かりませんが、、、、地元で探せば他で谷垣城なるものが存在していても何ら不思議はなく思えますので、柔軟な対応が必要だと思われます(現状はっきりとは把握出来ていない)。地元の方にとっては、文献資料などに記載された呼称は問題ではなく、地方に存在する城跡のほとんどは、その所在地を採用して呼ばれているように見受けられます。

以上が、今回城跡を訪ねる上で特に気付いた注意事項になりますが、個人的にも呼称に関してはまだ曖昧に思っている山城が二、三ある事からも、今まで同様に追跡リサーチは続けて行くつもりでおります。いずれにしても、個々で所有される文献資料などによっても多少異なるのも事実であり、どれが正解であるのかは答えの出しようがありません。取り合えず、私を含めて無名に近いマイナーな山城を求めて訪問される方々には、柔軟な対応で城跡を探し当てる他無い様には思われます。

保津谷川城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市保津町保津山にあって、福性寺の真東にあたる丘陵先端部に位置している。城史に関しての詳細は不明ではあるが、保津城を本城とした場合、規模から考えれば出城あるいは砦とすればよいのかも知れない(推察)。

城跡へはルート図の如く福性寺を目指せばよいが、登山口となるのは寺院敷地駐車場傍にある鳥居の建つ牛松山登山口(画像に注目)で、ここから登山道を利用して上る事になる。10分足らずで右手(次の鳥居の手前付近)に鉄塔が見えてくれば、登山道を外れてそちらに移動すればよい。鉄塔の建つ削平地も、更に北側の登山道が繋がる周辺までも広大な削平地となっているが、明確に城跡遺構と判別可能な地域は鉄塔より南側で、城域は相当広いものと感じられた。

1route

登城ルート

4tozanguti 登山口

14_karahori 14_karahori_3 主郭土塁、空堀見所

17_shukaku_dorui 主郭内より土塁

20_minami_yori_shukaku_gawa 南郭より主郭側

現状城跡は倒木も多く荒れ放題ではあるが、見通しが利く事から見学し易い状態にはある。残存遺構としては切岸跡、空堀及びそれに付随する土塁が直ぐ目に留まったが、ここを主郭とすれば南側に緩い斜面上に削平地が繋がっている主要二郭だけで形成された山城とも見受けられ、他に多くの遺構には期待出来ない山城である様には感じられた。

城跡を個人的に評価すれば、縄張り妙味に欠ける大味な城跡でもあり、この山城単独での見学とすれば、わざわざ覗いて見る価値があるかどうか躊躇してしまうが、保津城あるいは請田城と併せた山城巡りとすれば、三城共に充実した山城巡りとなるのではないだろうか。興味を最初から持たれた方には単独でもお薦めは出来るが、、。

2010年2月14日 (日)

請田城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市保津町保津山にあって、保津川沿いに建つ「請田神社」の直ぐ北背後に聳える、標高250mの山頂に位置している。城史に関しての詳細は不明であるが、登山口となる神社敷地(画像に注目)には思いもよらず、「請田砦登山口」の案内道標が設置されていた事からも、この保津町においては保津城と同様に、充分名の知れた山城なのかも分からない。訪問結果としては保津城と同じレベルにはないが、比較的状態が良く、移動距離が少なくて済む事、山上までは一部山道(鉄塔巡視道か?)を利用して迷わず上れる事から、まだ未訪の方には保津城と併せた同日訪問を是非お薦めしたいのである。次でリポート掲載を予定している保津谷川城と併せても、保津山三城の全てを堪能出来るものとは感じられた。

1_1_3 登城ルート

12_tozanguti

請田神社

12_tozanguti_1

登山口

1_2_2

城跡概念図

城跡へは既にリポート掲載を終えた保津城と同様に、国道9号から保津橋を渡るルートで赴けばよいが、橋を渡ればルート図の如く直ぐに右折、後は道路に任せて保津川沿いに進行すればよい。ただ現在はルート図中に記した様に、途中から落石の危険性がある為に、車両は通行禁止となっているので、民家付近の路肩スペースに車は停めて、請田(ウケダ)神社まではハイキング気分で歩く事は余儀なくされる(約15分)。神社から山上までは途中の鉄塔までは上り易い山道があるが、そこからは踏み跡程度の斜面を上る事になる(登山口から15分程度)。

20_one_kaku_1_3 尾根南郭

24_naka_kaku 中郭

22_karahori_3 中郭東空堀見所

30_shukaku_1 主郭内

32_dobasi_horikiri 土橋付き堀切見所

現状(一月)城跡は相当な藪化を覚悟して臨んだが、郭移動もし易く、ある程度見通しが利く状態にあるので、山上における遺構は郭跡を除けば、空堀、土塁跡、土橋付き堀切といった具合に、ほぼ判別確認可能な状況にある。山上郭群には高低差が余り無い事から、切岸の醍醐味には余り触れる事は出来ないが、険峻極まりない山頂に位置する城跡は、この様相も加味すれば、規模は小さいが正しくこれぞ山城と呼ぶに相応しくも感じられたのである。 と同時に、風化されるがままの手付かずの遺構群は、史跡としても非常に価値の高いものの様には目に映った。ただ付け加えれば、遺構そのものに見応えは余り感じられないので、立地環境を含めた中世山城の風情を是非感じて楽しんで頂きたいのである。

2010年2月13日 (土)

上村城跡(京都府福知山市)

この城跡を訪れる事になったきっかけは、以前リポート掲載に及んだ(推定)山ヶ市城を訪ねた後、ブログ外情報から同じ川北地区にある「川北上村城なら東側の丘陵上にほぼ隣接している」と言った情報を得た事から始まったが、今回は地形図から考えても直ぐ東側の丘陵上にあるとはとても思えなかったので、自分の勘だけを頼りに一つ丘陵を隔てた、より高龍寺城に近い丘陵上から踏破する事を始めた。

結果的には自分が最初に予測した通りの丘陵上で、比較的規模の大きい上村城の遺構を眼にする事が出来たが、城跡は冬季にも拘らず非常に状態は悪く、全域に渡って常緑樹あるいは枯れ枝が密生しており、場所によっては身動きも取れない箇所が多々見受けられ、当然見通しは利き難く、外見から全体像の視認も困難を極める状態にあった。近年この山城を訪ねられた方は皆無である様にも感じられたのである。自ずと歩き回って傍に寄っての遺構確認は余儀なくされたが、取り合えず踏破出来た範囲内で目に留まった遺構は概念図に記した。ただ地形図から考えても、未踏に終わった東側にも郭群はまだまだ延びていそうにも思われたので、遺構あるいはその実態も決してこの限りではないものと思って頂きたい。

1_1 登城ルート

7 直登進入口

1_2 城跡概念図

城跡は福知山市川北上村にあって、推定(まだ判明に至らず)山ヶ市城を起点とすれば分かり易いが、ルート図でお分かり頂ける様に、府道74号から直ぐにでも城跡の存在する丘陵が確認可能な距離にある。進入口とした場所は画像あるいは概念図に示したが、この石段からそのまま谷状地を上れば、いきなり主郭の西側切岸に辿り着ける(5分程度)はずである。

10_shukaku_3 主郭内

11_dorui_1 主郭土塁跡見所

13_shukaku_kita_heki 主郭北側切岸

14_kita_dorui 北郭土塁

16_kitakaku_gun_dorui_heki_1 北郭群より土塁壁見所

21_tatehori_1 堀切道(縦堀?)見所

現状(一月)城跡は先に触れた様に、縄張り形態の複雑さも相俟って、とても満足の行く見学が出来る状況にはない。その中でも見学に値すると思われた遺構は、主郭北側を巡る高さの失われた土塁横矢の設けられた箇所(明確に判別可能)、更に北郭群(凹状地形)における土塁縦堀(当時の堀切道かも?)、空堀を境にして東郭側の枡形にも見えた土塁虎口が挙げられようが、これらは地表風化が激しい事もあって、眼を凝らさないと中々判別し難いのが現状でもある。結果的に概念図に示したまでが踏破確認に及んだ範囲でもあるが、山上における郭占有面積は非常に大きいものであり、未踏の地は残したが城域は相当広いものの様には感じられた。城跡を個人的に評価すれば、この現状を見ればとてもお薦めとまでは言えないが、自分を始めとして山城が好きな者にとっては、山上で窺う事の出来る土塁、あるいは切岸だけでも充分満足出来る様にも思えるのである、従ってこのリポート、あるいは概念図に興味を抱かれた方だけにでもお薦めしたい。

2010年2月11日 (木)

石井城跡(京都府福知山市)

この城跡は、以前「城跡呼称の訂正」が必要として既にお知らせした様に、個人的に篠尾向段城を石井城として呼称を取り違えて掲載していた事が判明した。よって今回は外部から得た情報を元に、直ぐ南側に隣接している丘陵上にあるとされる、本来の石井城跡を訪ねるに及んだが、この二城の形態(互いに隣接している事、あるいは石井城は規模が相当大きく館城の様相)からすれば、既にリポート掲載を終えた篠尾向段城は石井城の出城とも窺えるものであり、結果的にはどちらも石井氏の築いた城跡と考えて良いのかも分からない。尚、城史に関しては名が語る様に、石井氏の居城とだけ伝わるのみであり、詳細は不明でもある。

訪問結果としては、堀切を境として三ブロックに分かれて形成された城域(縄張り)は相当広いもので、当然丘陵上における郭占有面積も大きく、自然地形を上手く取り込んで築かれた縄張りは非常に形態がユニークでもあり、更に状態も比較的良い事からも、出城とも窺える篠尾向段城と併せた訪問とすれば、間違いなく充実した山城巡りが可能な様にも感じられた。既に篠尾向段城は訪問された方もおられるとは思うが、ここでは単独で訪れたとしても充分満足感には浸れそうと思えた事からも、是非訪問をお薦め出来る城跡の一つとして、いち早くリポート掲載に及んだ。

1_1_2 登城ルート

6 進入口

1_2 城跡概念図

城跡は福知山市篠尾にあって、ルート図を見れば直ぐお分かりの様に、国道9号より西側にある熊野神社(篠尾向段城と同じルート)を目印として目指せば分かり易い。神社南側の小川沿いにある広い空き地が専用駐車場とも思えたが、確証が持てなかったので自己責任において車は駐車して頂きたい。ここからは概念図通りに歩いて向えばよいが、進入口は城跡に隣接する一軒の住宅に向う道より左側の畦道にそれた箇所からで、かつての祠参拝道を利用すれば、5分とかからず主郭までは到達可能となっている。

19_shukaku_1 主郭内

22_shukaku_kita_dorui 主郭北土塁見所

23_kita_horikiri_heki 北堀切見所

28_shoujihori_dobasi_3 障子堀状の堀切土橋見所

30_nantan_dobasi_horikiri 南端の土橋付き堀切見所

33_shukaku_sokuheki 主郭切岸

36_hokutan_kaku_1 北端の郭跡

現状(二月)城跡は先に触れた様に状態が比較的良いので、山上で形成される遺構は余すことなく見て回れる状況にある。見所は主郭(北側)端にある土塁及び北出郭との境を断つ堀切、南端に備わる障子堀に近い形の堀切(二箇所に分かれて空堀跡が窺える)、更に南側に連続する土橋付き堀切は挙げられるが、連続する堀切は現状相当堆積物によって埋もれているので、多少見応えには欠けるかも知れない、何れにしても主郭南北に備わる堀切が、主郭を形成する切岸と並んで、この城跡において一番醍醐味として感じられる部分ではある。尚、南堀切を境として南側にも広大な山上郭(一部の郭に切岸が窺えるが、状態は荒れ放題でもあり相当悪い!)が見とめられるが、東西に連続するだけで、堀切などの様に分かり易い遺構は現存していなかったので、歩き回って規模を体感する程度に終わってしまった。

2010年2月 9日 (火)

松原城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市向田町松原にあって、先にリポート掲載を終えた天王山城とは、東へ車で数分ばかり移動した向田町にあり、小川(天然の水堀)を北に従えた低丘陵上の先端に位置している。ルート図には天王山城を起点としたルートを記したが、図中に記した砦跡かも? とした場所に「志賀の七不思議」とされる旧跡「志津久松」があるので、これを頼りに訪ねれば、位置関係からも分かり易いかも知れない(地元では城跡は知らなくても、この「志津久松」に関してはご存知のはず)。この城跡も城史に関しては不明であるが、天王山城との位置関係などからも、その出城あるいは支城が推察されよう。

城跡へは先に触れたが、天王山城を起点としたルートが説明し易く、車は付近を探せば路駐スペースは充分確保出来るとは思われる。進入口は画像に示した場所(休耕地)のどこからでも藪を越えれば可能となっているが、ここでは少し遠回りかも知れないが多少でも藪漕ぎの必要がない事から、概念図に示した墓地まで向い、そこから東郭へ進入するルートをお薦めしたい。当然当時はこの墓地周辺からその東側丘陵上に至るまでは城域と思えるので、更にこの付近までも探索してみるのが正当な見学の仕方なのかも知れない。

1_1_2 登城ルート

Enbou 城跡遠望

1_2_2 城跡概念図

現状(一月)城跡は藪化は進行中にあるが、冬季ともあって案外見通しは利き、主郭南側(休耕地)は近世においての開墾の形跡がある為に、当時の縄張りは予測が付かないものの、主郭周囲に付随する空堀跡、土塁、堀切などは明確に判別可能な状態にある。中でも主郭と東郭を分断している堀切(空堀)は比較的状態もよく、土塁も含めて全体像が拝める事もあって、城跡最大の見所遺構となっている。空堀(横堀)などは相当深さは失われているが、はっきりそれと分かるものであり、数少ない遺構にあっては充分目は楽しませてくれる筈である。

12_higasi_dorui 東郭の土塁見所

14_horikiri 堀切見所

16_shukaku_dorui_1 主郭の土塁見所

18_shukaku_2 主郭の現状

20_minami_dorui 主郭中央の大土塁見所

28_minami_karabori 空堀見所

この城跡は周囲の環境(北側は天然の水堀)をも取り込んで築かれた縄張りプランと窺われたが、更に「志津久松」のある丘陵上に位置する松のある小高い土塁(画像に注目)は、櫓台の様にも見えて丘陵全体に削平跡が窺える事もあって、この立地環境を考慮に入れれば、自ずと砦跡として機能していた様にも思えるのである(近世においての盛り土かも分からないが、、)。この松原城に赴かれる際には、ついでとするには地元の方に失礼かも知れないが、「志賀の七不思議」とされる旧跡を同時に訪ねるのも、情緒があって楽しめるかも知れない。これから赴かれる方には天王山城と併せた同日訪問をお薦めしたいのだが、一般城跡(史跡)ファンの方には、前者の状態が余り良くない事もあって同日訪問はお薦めし難いので、この城跡単独訪問を是非お薦めしたいと思うのである、シンプルで大味な形態ではあるが、個人的には城跡としては縄張りも含めて、考えさせられる技巧が随所に施されている事からも、充分見学の価値があるものとみた!

Toride Toride_7 「志津久松」

2010年2月 7日 (日)

天王山城跡(京都府綾部市)

この山城は綾部にあっては将監城と同様に、存在の認識は充分ありながらも所在地が判明せず、長い間不明山城として自分の中では片付けられていた、今回の綾部地区の山城巡りの中では、個人的に城跡の目星だけを地図に付けての訪問となったが、やっと所在地及びその実態を把握する事が出来た。ただ現地で城山を訪ねた結果、間違いなく(字)城山の地にあるという事からも、この山城を天王山城、あるいは城跡遺構と断定してよいものとも察せられたが、流石にこの仰々しい呼称(天王山)までは知る人はおらず、残り1%の呼称の誤認はあるかも知れないので、この縄張り妙味に満ち溢れた素晴らしい城跡遺構を目の当たりにした方が、その全てを把握した上で個人的に判断して頂きたいと思うのである。

現状におけるリポートとしては、冬季にも拘らず状態は相当悪ものと言えるが、それを差し引いても余りある遺構の見応えは、先に触れた将監城より弱冠落ちるかも知れないが、ほぼ同レベルにありそうと思えた事からも、山城ファンに向けては自ずと是非お薦めしたい山城の一と言う事にはなるだろう。一部の文献及び資料などには、当時における城主として「吾雀入道安盛」の名が挙げられてはいるが、この城主の活躍が記された文献を眼にする事も出来ず、現状から察する限りでは、これからもこの吾雀氏に関しての情報は期待出来そうに無いものとも思われる。現状情報は皆無に近く、城史に関しての詳細は不明でもある。

1_1 登城ルート

5 遠望

9 登城口

1_2 城跡概念図

城跡は綾部市志賀郷町城山にあって、かつて物部城、北野城をリポートした事があったが、それらと同様の訪問ルート(府道9号から物部町で490号に右折コース)で訪ねる事が可能である。(ちなみに北野城はここより北へ1km程度の距離)登山口となるのはルート図中にある無住の寺院で、名前までは分からなかったが、これを目印として目指せば分かり易いとは思われる。寺院の直ぐ裏山が城跡でもあり、背後の山道を上り切れば直ぐ(5分内)にでも山上主郭には到達可能である。

15_daidorui 寺院背後の大土塁見所

23_shukaku 主郭の現状

25_higasi_koguti_1 主郭南東虎口見所

37_shukaku_dorui_3 主郭土塁見所

38_higasikaku_dorui 東郭大土塁見所

34_une_hori 畝状縦堀見所

現状(一月)城跡は、郭内(主郭及び便宜上の二郭)においては藪化は相当深刻化しており、見通しも利き難く、遠く外見から郭内部の遺構、あるいは形状などを把握することは非常に困難な状況にある。それでも比較的移動には難渋しないので、郭内に限れば、歩き回れば残存状態の良い主郭南虎口、主郭背後の分厚い土塁などは明確に判別可能であり、二郭に現存している大型の土塁なども眼にする事が出来るはずである。概念図に示したものが個人的に踏破した範囲であり、目に留まった遺構をそれなりに記したものでもあるが、主郭西側の直立に近い切岸斜面には畝状空堀、縦堀あるいは土塁まで伴った空堀状の郭跡、、、などと非常に縄張り妙味(城跡全体が)に富んでおり、地形から当時の機能を想像するだけで充分楽しめそうには思えた。

城跡を個人的に評価すれば、規模も大きくこれだけの城跡遺構が揃っている(山上郭群だけみれば完存に近い)にも拘らず、ほとんど世間に公表されていないのが現実でもあり、非常に残念であると同時に、これから町興しの一つとして是非見直して頂きたいと思うのである。状態が良く無いので全ての城跡ファンにお薦め出来ないのが難点でもあり、少し残念な部分でもあるが、山城ファンにおいては是非リスペクトして頂きたい城跡の一つである。

2010年2月 6日 (土)

富田愛宕山城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町富田にあって、宇津木寺西背後にほぼ単独で聳える愛宕山と呼ばれる山上に位置しており、山頂には愛宕神社の社殿が建立されている。城史に関しての詳細は不明

城跡を訪ねるには、既にリポート掲載を終えた豊田城と同じルートで向えばよいが、京阪神からでは国道9号あるいは国道173号を北上すればよい。京都縦貫道を利用したなら「丹波」ICが最寄の乗降口となるが、須知の信号を過ぎれば豊田付近で一般道446号へ右折、後はルート図の如く登山口となる「宇津木寺」を目指せば難なく到達出来るものとは思われる。寺院の本堂傍の観音堂には愛宕山登山口の道標もあるので、一部が遊歩道となっている上り易い登山道に従って上れば、10分程度で山上には辿り着けるだろう。

1_1 登城ルート

5 8 登山口

1_2 城跡概念図

現状(12月)城跡は社殿のある付近だけはそれなりに整備されているが、他は倒木や長年の風化によって地表は荒れ放題と化している。幸い冬季である事から下草もなく、樹木も枯れているので見通しも利き、少ない遺構群ではあるが、ほぼ判別確認可能な状態となっている。数少ない遺構の中で確認出来たものは主郭周囲と北郭に巡らされた高低差の失われた土塁、もちろん切岸は風化が激しい中でも外見から充分見て取る事が可能であり、縦堀としては一箇所だけそれと分かるものを窺う事が出来た。広大な規模を誇る主郭内部は、社殿の建つマウンド地形を最高所として、輪郭の様に僅かな高低差で四方に広がっているのだけは確認可能であるが、この地表風化の激しさでは中々地形からその郭境を読み取るのは難しい状況にある。個人的には社殿付近を除けば、ほぼ当時のままで現在に至ったものの様にも見受けられ、遺構はほぼ完存であるものとみたが推察の域は出ない。

11_tyuufuku_kaku 東中腹郭

17_yasiro_haigo_1 主郭

13_higasi_heki 東郭切岸

20_dorui_2 20_dorui_4 土塁跡見所

個人的に城跡を評価すれば、非常に大味な城跡なので縄張り妙味、あるいは技巧が施された遺構には全く期待出来ないが、山上までは上り易い登山道がある事、比較的見学し易い事、縄張りは手付かずでもあり、ほぼ当時のままとも窺えた事などから、一般城跡ファンあるいは軽い山登りを楽しまれる方にはうってつけの山城とみた。尚、見応えのある遺構の期待を捨ててかかれば、山城ファンにも充分お薦め出来る様には思われたが、、。

2010年2月 4日 (木)

上木崎城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町上木崎町にあって、既にリポート掲載を終えている、黒田城(別称、片山城あるいは木崎山城)山上本郭より、園部川に沿って東側に延びる丘陵先端部に位置している(黒田城史に関しての概略は地元案内紙をクリックの事)。黒田城と同じ丘陵を共有する事から考えれば、当然その出城であるか、本来は黒田城の城域の一部として東側を守備したものか、自ずと東西広域に渡る黒田城塞群としての城跡の機能は窺えそうには思われる。

城跡へ向うには国道9号を利用するのが一番分かり易いが、園部に入ればルート図の如く府道477号へ針路変更、その後大きな橋の手前で右折すれば直ぐにでも城跡進入口(画像に注目)までは到達可能である。しかし車は周辺非常に狭い生活道路である事からも、橋を渡った西側の住宅地に自己責任において路駐するしか方法はないと思われる。画像に示した箇所から上れば、直ぐにでも城域でもある東端の物見と思われる小さな削平地が迎えてくれるはずであり、そのまま尾根上を西に歩けば自ずと主郭に到達出来よう。

1_1 登城ルート

8 進入口

Kuroda_21地元案内紙より

1_2 城跡概念図

現状(一月)城跡は登山口から主郭に至るまでは木々も少なく、冬季である事からも非常に見学し易く移動し易い状態にあり、概念図に示した遺構群は余すことなく見て回れそうには思える。形態としては直線的な尾根上を削平して築かれただけの城跡でもあり、縄張り妙味には期待出来ず、特に技巧を有した遺構は目に留まらなかったが、東端に近い痩せ尾根上に虎口とも窺える堀切主郭には土塁、主郭西背後には大規模な空堀箱堀状になった郭側面には土塁、あるいは縦堀と、見る者を楽しませてくれる事は請け合いと思えた。特に自然地形も取り込んだ形の、主郭背後を断つ空堀はスケールの大きいものであり、城跡にあっては一番見応えを感じられた部分でもある。

11_toutan_monomi 東端物見か

16_one_horikiri_1 東堀切(虎口かも)見所

22_nobori_dorui_kaku_1東郭群

28_shukaku 主郭内

30_shukaku_dorui 主郭土塁見所

34_nisi_hakohori_1 西大空堀見所

35_dorui 箱堀土塁見所

更に黒田山上郭群まで尾根続きとなる西側までは踏破出来なかったが、黒田城の城域の一部として、間違いなく城跡遺構が現存している様には窺われた。この城跡の呼称は、地域名を採用して近世に付けられたものだとも思われるが、明らかに黒田城塞群(一城別郭)としてみてよいものであり、自ずと当時この地を支配していた森氏の勢力も窺われるような気がするのである。まだ未訪の方には黒田城と併せた同日訪問、あるいは大村城とは移動距離が短い事からも、三城併せた同日訪問は間違いなくお薦め出来るが、単独としても訪れやすさ、状態の良さを考えれば、一般城跡ファンも充分楽しんで見て回れそうには思われた。個人的には砦らしい風情からか、なぜか少年時代の心に戻らされ、非常に探索心を煽られた山城の一つになったのである。

2010年2月 3日 (水)

越方城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町越方にあって、桂川東側にある越方集落より見れば、その背後の鉄塔の聳え立つ低山山上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡へは先にリポート掲載を終えた佐切城を起点にすれば分かり易いが、府道25号をそのまま川沿いに北上すればよい。左手に見えてくる橋(片山城へ向う橋)を過ぎれば、ルート図の赤線を参考に辿れば難なく付近までは到達出来るが、直接入山口までは部外車両の進入が禁じられている(看板がある)ので、車の駐車スペースの確保には少し難渋するとは思われる。入山口付近には鉄塔もある(画像に注目)ので場所は確認し易く、そこから急な鉄塔巡視登山10分程度かけて上り切れば、山上郭が迎えてくれるはずである。尚、この集落で到着後、地元の方に城跡の所在地を訪ねた処、快く教えてはもらえなかった(結果的には自力で城跡と目星を付けた山上まで上った)が、最近付近の寺院で大事な仏像の盗難にあったとの話でもあり、どうやらよそ者を歓迎出来る状況にはなかったものと察せられた。これから訪れる方は、地元の方の神経を逆撫でしない為にも、出来るだけ声はかけず、ルート図を参考に位置だけ確認出来たなら、そのまま山上を目指した方が良いものと思われた。

1_1 登城ルート

6 入山口

1_2 城跡概念図

8 登山道へ

12_gedan2 郭2

13_shukaku 主郭内

15_shukaku_higasi_heki 主郭東切岸

21_horikiri_dobasi 堀切土橋見所

23_horikiri_dobasi2 堀切2見所

現状(12月)城跡は、自然に任せたままの風化及び藪化は相当進行中にあるが、コンパクトにまとまった砦規模の山城である為に、郭移動を含めて見学に難渋するまでには至っておらず、ほぼ三郭で形成される山上郭群、二連の堀切、主郭背後に僅かな土塁跡とも見受けられるマウンド地形までは、明確に判別確認可能な状況となっている。主郭側の堀切には土橋が付随しているが、鉄塔側の堀切は巡視道として後で土橋が設置されたようにも見受けられた、、?

城跡を個人的に評価すれば、登山道があるので迷わず上れ、小規模な縄張りも掴み易い現状にあるのだが、山上遺構の見応えを問われると困惑するのは目に見えており、まだ未訪でこの概念図を見て興味を抱かれた方、城跡の存在あるいは所在地を確認したかった方にとっては、よりタイムリーな現況報告となったものと思いたい。楚々とした山城が好きな山城ファンには、充分お薦め出来る物件とは思えるが、、

2010年2月 1日 (月)

太鼓山城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町船岡池上谷にあって、先にリポート掲載を終えた諏訪山城からみれば、線路及び道路を隔てた直ぐ南東側の丘陵上に位置しており、ルート図を見ればお分かり頂ける様に、移動距離もほとんどなく位置確認も容易いとは思われる。もちろん諏訪山城と同様に城史に関しての詳細は不明でもあり、その城跡としての機能に関しても、見学者の想像に委ねられるのが現状でもある。

城跡へ向うには諏訪山城を起点とすれば非常に分かり易いが、個人的には先に此方の山城を見学して、月を改めて見逃していた諏訪山城の訪問となったが、これから訪れる方には、どちらを先にしても二城同日訪問をお薦めしたい。ルート図中に記した道路沿いにある、小さな神社の向い側の山裾(画像に注目)に取り付いて、そのまま尾根伝いに上り切れば、もあれば山上郭群が迎えてくれる筈である。

1_1 登城ルート

6 直登取り付き口

1_3 1_2 城跡概念図

現状(12月)城跡は見学に差障るまでの状態には至っておらず、木々も少なく植林地(手入れはされていない)のせいもあってか、比較的見通しも利き見学し易い状態にはある。ただ地表は自然任せの荒れ放題でもあるので、判別し易い主郭上の大型土塁(櫓台か)、削平された郭跡及び切岸、縦堀までが明確に判別可能な遺構群と言えるものだろう。ただ南側における縦堀(画像に注目)は当時の空堀道(入城道)とも受け取れるものであり、実際に堀切の機能であったかどうかまでは現状判別は不可能だが、見応えは城跡にあっては取り合えずナンバーワンと言った処か、、。南郭には配水施設が建てられており、明らかに造成整地された形跡が窺えるが、これも当時の郭跡地の転用と考えれば良いものとは思われた。全長100mにも満たない規模の山城なので、遠く南側山上にある蜷川城と尾根を共有している事から察しても、その出城、あるいは北側を監視する砦とも見受けられるのだが、推察の域は出ない。

12_kita_kaku 北郭

13_horikiri 北堀切(縦堀)見所

14_shukaku_kita_heki 主郭北切岸

20_shukaku_yagura_1 主郭内の土塁見所

24_tatehori_2 縦堀見所

25_minami_sakuheiti 南削平地

城跡は丘陵先端部の最高所にあって、丘城と呼ぶに相応しいのかも知れないが、形態あるいはその周囲が切り立った様相そのものは、明らかに山城のそれに近いものがあり、当然山城ファンにおいては充分見学する値打ちのある城跡と目には映ったが、、、。 尚、リポート掲載は少し後になるかも分からない(編集が訪城数に追いついていかない為)が、この山城の更に南側のほぼ独立した山上には、千妻山城なるものが現存しているので、編集の終わり次第掲載の予定。

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