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2010年1月 7日 (木)

高屋城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市物部町高屋山にあって、既にリポート掲載を終えた物部城の東側に聳える、四方に裾野を広げた低山がそれであり、山上から四方尾根上が縄張りでもあり城域とも見受けられる。この山城は戦国期においては、物部城を居城とする上原氏(当時は丹波守護代)が、12世紀初め(鎌倉時代)に遠い諏訪の地より地頭職を与えられて、この地に来て最初に築いた山城と伝わっているが、この上原氏は最終的には黒井城主でもある赤井氏によって滅ぼされている。

城跡へは物部城を起点にすれば分かり易いが、ルート図の如く「高屋寺」を目印として目指せば難なく辿り着けるとは思われる。寺院駐車場からは、北側にある忠魂碑経由で山道が山上までは繋がっているので、山上主郭までは迷うことなく10分内で到達可能となっている。

Takaya_2 登城ルート

5 高屋寺

Takaya_1 城跡概念図

この山城は先に触れた様に鎌倉期に成立したものであり、その後新たに物部城が築かれるまでは、上原氏の居城(本城)として機能していたものとも察せられるが、当然山城の初期形を成すものであり、残存遺構などの見応えに期待をする事は出来なものでもある。現状(10月)山上に佇めば木々が伐採されている事もあって、尾根上はある程度見通しも利き、北側集落までは充分見渡す事も可能であるが、目に留まる城跡遺構は郭跡程度でもあり、尾根上には堀切さえも窺われなかった。寺院に近い南西側に展開される枝尾根上が中枢と成す郭群とも見受けられ、郭規模は相当大きく、数段に渡って折り重なる郭群の境は、風化によって相当曖昧なものにはなっているが、その側面では随所に切岸は見て取る事が出来た。最終的に南東枝尾根までは踏破には至れなかったが、踏破した三方尾根上の削平地は、恐らく当時の郭跡である様には思われた。尚、見学に際しては、この南西郭群は長年の風化、あるいは倒木などで荒れ放題でもあり、移動もし難く視認もし辛いので、山上郭から東側尾根上と比較的状態のましな南郭の二郭までを押さえれば良いものとは感じられた。

12_nisi_onejyou 西尾根上

14_shukaku_1 15_shukaku_nisigawa 山上主郭

17_shukaku_gawa_1 東より主郭側

22_minami_one_kaku 南尾根上

24_minamikaku2 南郭2

この城跡を個人的に評価すれば、風化に任せたままで縄張りは手付かずとも見受けられ、遺構残存度は非常に高いものとも感じられたが、遺構の見応えあるいは山城の醍醐味を求められれば、はっきり言って「ナイ!」と返答は出来そうには思える。しかし当時を物語る史跡として考えれば、ここまで初期形態を伝える山城も少ない事から、初期形態の山城を探る上では申し分のない、貴重な城跡とは言えるのかも知れない。

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