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2010年1月23日 (土)

神前城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市宮前町神前馬谷にあって、宝林寺の直ぐ西側の丘陵上にある。城史に関しての情報は皆無でもあり詳細は不明であるが、内藤氏の居城である巨大城塞群の八木城からみれば、南西に位置するこの城跡は、その傘下にあった城跡か、あるいは出城と推察して良いのかも知れない。この城跡は神前東城と呼ばれているが、直ぐ西側(ルート図参考)に位置する低山には神前西城と呼ばれる砦規模の山城も存在する。

城跡へ京阪神側から向うには京都縦貫自動車道「千代川」ICが最寄の乗降口となるが、降りて府道73号を西に5分も走れば、目的地でもある宝林寺には直ぐに辿り着ける。国道9号を利用した場合は「千原」の信号で左折して府道73号に進入すればよい。寺院から山上まで向う進入路は概念図(住宅地側なら画像に注目)に示したが、墓地の背後を上りきっても良いし、どちらから上っても5分もあれば山上主郭までは到達可能である。

1_2_2 登城ルート

6_tozanguti 進入路

1_3 城跡概念図

10_nisikaku_1

西郭

13_shukaku 主郭

13_shukaku_higasi_heki 主郭東切岸

14_dorui_1 土塁見所

16_karahori 空堀見所

現状(一月)城跡は、一部が植林地となっているので比較的見学し易い状態にあり、山上における遺構はほぼ全て判別確認可能な状態にある。形態としては背後に土塁及び空堀が備わる事から、丘陵先端に位置するのが主郭と見受けられたが、規模は小さいものであり、南側に向いては更に削平地(便宜上の南郭)が尾根上百mに渡って連続している、小規模な山城の定番とも言える形態である。見所は当然先に触れた土橋を伴う空堀と付随する土であるが、個人的には充分観賞に耐えうる遺構とみた。尚、寺院東丘陵上にも広大な削平地が仕切り土塁を伴って存在しているが、現在の寺院を当時の居住空間と考えれば、当然これを東西で挟んだこの形態は、此方も当時の城跡遺構としてまず間違いは無いものと思えたが、、、(推察)。

西城へはルート図の如く向えばよいが、山上は自然に任せたままの地表は荒れ放題と化しており(画像に注目)、削平地及び切岸は明確に窺われたが、見応えのある堀切などは目に留まらなかった。個人的には状態が良くない事、あるいは見応えのある遺構が存在しない事もあって、敢えて西城の訪問はお薦めしないが、二城で成立したと見受けられるこの城跡の本質を知る上では、興味のある方は覗いても、決して無駄足には終わらないだろう。東城はお手軽感あるいは見学のし易さからも充分お薦めは出来るが、

1 西城遠望

3 5_2 山上郭群

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京都(亀岡)の山城」カテゴリの記事

コメント

TAKUさんコンバンワ、先日お知らせいましたように今日、将監城に行ってきました。記事を参考にさせていただき城には簡単に迷うことなく行きつくことができました。まず注目の竪掘群を確認しました。
丹波では他に類例のないものだと思いました。(上林谷の日置谷城が竪掘り群では丹波では顕著だと思っていましたが)広域に遺構を確認するためTAKUさんが未確認とされていました尾根を登りました。とりあえず275mのピークを目指しましたが、200m位の尾根上(尾根の軸線が北西から南東に向いている)に10m前後の郭8個と堀切一条からなる城がありました。家に帰ってきたからこの城の性格について考えている最中です。
同行の友人と相談して、ここまで来たのなら275mのピークをを経由して高嶽へ足を延ばすことにしました。途中には明確に城郭遺構と判断できるものはなく尾根が高嶽山頂に西側から取り付くところに幅6mの片堀切(南側は土塁で遮断されている)がありましたが従来から高嶽は城と言われていましたが
他に顕著な城郭遺構は見られませんでした。
高嶽まで足を延ばしたおかげで、肝心の将監城の縄張り図をとることができず他日を期して今日は帰ってきました。
将監城の様な興味深い城を、TAKUさんのご報告がなけれは知ることがなかったと今思っています。
今後とも、貴重な報告をお待ちします。
お願いします。

TAKU です、コメント拝見いたしました。
訪問リポートがお役に立てた事で私も非常に嬉しく思っております。しかしながらショウカンさん自身が足を延ばされた、更に西側の尾根沿いまでも郭跡、更に堀切まであったとは驚くばかりです。流石に私はこの南西側の堀切が城域としての限界(境)と考えておりました。同じ大槻氏の居城とされる観音寺城も相当山上奥(高嶽の手前)までは遺構が点在しておりましたが、やはり大槻氏の山城に関しては、縄張り妙味も含めて凄いものを感じてしまいます。当然この将監城から軍用道として、城域は高嶽にまで繋がっていたと考えるのが妥当かも分かりませんね。コメント内容から察する限り高嶽は狼煙台程度だったのかも分かりませんが、、。随分前に訪れた高城も、四方の山麓にかけては出城あるいは支城、居住空間もあるとされる巨大城塞群とみておりますが、現在その城塞群を探索すべく計画を立てております。この山城は訪問時期が悪かったせいか、山上郭群の状態が非常に悪く、流石に麓に向いて踏破する気にはなりませんでした。三月までには山麓に展開される高城城塞群を何とか訪れてみたいとは思っております。

TAKU様
ご無沙汰しております。丹波の渡辺です。神前東城のレポート拝見しました。神前東城は、同じ山塊に2箇所あります。今回の報告は、村落に近い下の郭にあたります。概念図で言えば、南郭を通って更に頂上を目指して行くと、山頂に主郭があります。主郭の周辺に削平地が、稜線に沿って4箇所ほど見ることができます。規模は、下の郭より大きいと思います。残念ながら、ここに関する文献は、ありません。再度、チャレンジされることをお勧めします。登り口は、神社の横の道から上がるとわかりやすいと思います。

TAKUです、非常に興味深いコメントを頂き感謝しております、ただ個人的には中々再訪してまで赴ける状況にないのが現状なのですが、近くを通過すれば寄れる機会があるかも分かりませんので、一応頭には留めておきたいと思います。わざわざお知らせ頂き有難う御座いました。

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