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2010年1月

2010年1月31日 (日)

諏訪山城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町船岡諏訪にあって、山陰本線「船岡」駅の直ぐ西側の、ほぼ独立した低山山上に位置しており、既にリポート掲載を終えた円錐形の山の山上に位置する藁無城は、府道を挟んで北西側に直ぐ望める位置にある。真南には蜷川城がある事からも、その関連性は窺われるも、城史に関しての詳細は不明。ただ個人的に麓まで達する三方尾根上全てを踏破した訳では無いが、山上における縄張りは変化に富んだものであり、規模も三百mに渡って郭が展開されるもので、山上郭間に高低差は余り無いが、尾根を遮る合計四本空堀、あるいは規模の大きい郭跡は非常に見応えが感じられた。しっかりした縄張りプランは、蜷川城の縄張りとは比べるべくも無く、削平及び切岸は長年の風化によって曖昧となってはいるが、現状でも縄張りは充分把握可能な状態にある。この山城は南丹地区においては、巨大城塞群である八木城を除けば、大型の山城が少ないだけに貴重な城跡とも目に映ったが、是非訪問をお薦めしたい城跡の一つに加えられた。

1_1_2 登城ルート

8tozanguti 墓地のある登山口

1_3_2 城跡概念図

城跡へ国道9号より向えば、園部に入って府道19号へ進路変更、京都縦貫自動車道を利用すれば園部ICが最寄の乗降口となる。取り合えずルート図の如く船岡駅を目指せば分かり易いが、城跡への進入口は無人駅のホームから線路を隔てて直ぐ西側に見える墓地からで、ルート図の赤線を辿れば迷わず辿り着けるだろう。墓地からは山道が左手側(画像に注目)に見えるが、そこから踏み跡程度の山道に任せれば、途中尾根上の削平地を通過しながらも難なく主郭には到達出来る(墓地から15分程度)ものと思われる。

16_horikiri_dorui 主郭東土橋付き空堀、土塁見所

20_shukaku_minami_horikiri_dobasi 主郭南土橋付き堀切見所

22_shukaku_dorui 主郭土塁見所

25_2maru 城中最大規模の二の丸見所

26_2maru_dorui_1 二の丸の土塁見所

31_kita_horikiri_dobasi 北側の土橋付き空堀見所

37_minamikaku_hakohori_3 南郭の箱堀見所

38_minamikaku_hasi 南先端郭

現状(一月)城跡は、主郭周辺だけは密生する矢竹によって見通しは利かず、外見から全体像は窺えない状態にあるが、概念図に示した他の山上における郭群は、移動にも難渋せず比較的見学し易く、付随する遺構も充分判別確認可能な状態(良いとは言えない)にある。その中で目に留まったものとしては、主郭三方を囲む土塁、便宜上の二の丸先端の土塁、先に触れた土橋を伴った空堀縦堀に繋がる堀切などが挙げられるが、これらは遺構としては分かり易い、削平の行き届いた郭跡と並んで城跡の見所でもあるので、決して見逃してはならない。

この山城に関しては、郷土史には載せられているのかも知れないが、現状情報は皆無に近いものであり、これからも新たな情報が得られるとは思い難く、こうしてブログに掲載しない限りは、絶対に表には登場して来ないような気もするのである。個人的には是非この素晴らしい遺構の現存する山城を知って頂きたいし、山城ファンにおいては期待は裏切られないものとも思えたので、状態が良いとは決して言えないが、この山城の醍醐味を是非味わって頂きたいと思うのである。  尚、ルート図中にある太鼓山城は次で掲載の予定

2010年1月30日 (土)

杉生城跡(兵庫県川辺郡)

城跡はは兵庫県川辺郡猪名川町杉生(スギオ)にあって、先にリポート掲載を終えた若城からみれば、府道12号を隔てた直ぐ東側の低山山上に位置している。この山城も付近にお住まいの年配の方に訪ねたら御存知であった様に、町内においては、ある程度知名度があるのかも知れないが、若城と同様に詳細は不明との事でもあった。尚、南西山麓にある定星寺付近が当時の屋敷跡であったらしいと伝わっているそうでもあるが、確証のおける話かどうか分からず、現状定かではないので参考までに、、。

1_2 登城ルート

8 直登取り付き口

1_3 城跡概念図

城跡へは若城を起点とすれば、直ぐ真東に聳える山塊がそれであり、確認は容易くルート図にある景福寺を目指せばよい。取り付き口は先に南西山麓にある定星寺を考えたが、外見から察するに雑木が蔓延っており、山道があったとして山頂までは随分距離も長く、山道も当然消えていると考えられたので、事前に用意しておいた、最初の想定ルートでもある景福寺からの直登を敢行した。結果的には上り斜面は少々きついが、藪漕ぎも無く、最短距離あるいは最短時間で上れる事もあって、これから臨まれる方には迷わず此方からの直登をお薦めしたい。寺院南側から枝尾根先端部に取り付き(画像に注目)、目の前の谷状地形を跨いだ形で右手の尾根に沿って登れば、尾根上削平地を通過して、北側の堀切付近には10分内で到達出来るはずである。

12_shukaku_gawa 主郭側の切岸見所

15_horikiri_dobasi 13_horikiri_1 北堀切土橋見所

17_shukaku_noboridorui 主郭上り土塁

19_nisikaku_yori_shukakuheki 西郭より主郭切岸

23_minami_dankaku_gun 南段郭群

現状(一月)城跡は、藪化は当然進行中ではあるが、冬季ともあってか見通しが利き、移動に難渋もせず、現存する遺構はほぼ判別確認が可能な状態にある。概念図に示したものが現状目に留まった遺構という事になるが、古い形態の山城とみえて、技巧を有した遺構にはお目にかかれなかった。見所としては主郭北側の土橋付き堀切は真っ先に挙げられるが、他に南側には無数に重なり合う段郭群が刻まれてはいるものの、これといって特徴がないのもこの山城の特徴かも知れない、、、 最高所に位置する主郭の規模も物見程度のものであり、周囲に切岸跡は充分窺えて、それなりに見応えは感じられたが、内部で土塁などは眼にする事は出来なかった。山上郭群だけを採り上げれば単調な縄張りプランでもあり、是非お薦めとまでは行かないものの、主郭北側に刻まれた堀切から自然谷状地形に縦堀が落ち込む様は中々見応えは感じられたので、取り合えず興味を持たれた方には移動距離も少ない事から、若城と併せた二城同日訪問はお薦めしたい。

2010年1月28日 (木)

若城跡(兵庫県川辺郡)

城跡は兵庫県川辺郡猪名川町島/杉生(スギオ)にあって、県道「川西篠山線」12号の信号のある「杉生」交差点からみれば、真北側に望める丘陵上に位置している。この山城も先にリポート掲載を終えた笹尾城と同様に、無名に近い山城でもあり、情報は皆無に近く、城史に関しての詳細は不明でもある。

城跡へ向うには笹尾城を起点にすれば分かり易いが、県道12号をそのまま北上すればよい。「杉生」交差点手前付近からは、左手前方に山城らしき風情の丘陵が見えてくるはずであり、ルート図に示した様に登山口は「杉生バス停」のバス旋回場からも直ぐ見える位置(登山口画像に注目)にあるので、位置確認は容易いとは思われる。そこからは金刀比羅大権現神社への参拝登山道を利用すれば、主郭の位置する山上までは10分程度で迷わず辿り着ける筈である。

1  登城ルート

4 登山口

1_1_3 城跡概念図

現状(12月)城跡は、主郭に社殿が建立されているお蔭で、ある程度整備されており、非常に見学し易い状態にある。ほぼ直線的に南北に延びる丘陵地形を縄張りとして、尾根上を削平して築かれた山城と窺えるが、目に留まった遺構は郭跡を除けば、便宜上の三郭の斜面手前の縦堀地形(かつての堀切かも?)、主郭北背後の大堀切であるが、この大堀切は主郭壁の高低差がある事からも、非常に見応えが感じられるものであり、城跡の唯一の見所と言えるものでもある。郭内部に土塁あるいはその周囲に横堀などは確認出来なかったが、技巧を伴う虎口(土塁の備わる平虎口は斜面上に確認)も備わっていない事からも、い形態の山城(山城の初期形態)とみてまず間違いのない処ではあろう。尚、大堀切から更に北尾根上を移動すれば、ルート図に示した付近に相当大きな規模の削平地が数段に渡って見受けられ、堀切までは確認出来なかったが、此方も同じ尾根を共有している事からも、当然若城の城域としても、若城北山上郭群と呼んでも差し支えないものとは思われた。

11 南端の空堀土塁地形

17_3maru_1 三郭

18_2maru_sita_koguti_1 二郭への虎口

20_2maru_yori_shukaku 二郭より平虎口

22_shukaku 主郭内

23_horikiri_5 大堀切見所

個人的には北尾根側は、ルート図に示した緑色の削平地付近までは踏破したが、この山城は便宜上の北山上郭をも取り込めば、相当な城域を持つ大規模な城跡であり、この島/杉生地区においては、守備としての要、あるいは中枢となったであろうと思われる城跡の様にも窺えたのである。城跡を個人的に評価すれば、縄張り妙味には随分欠けるが、登山道で迷わず主郭まで到達可能な事、見学し易い状態にある事、唯一ではあるが見応えのある大堀切が拝める事からも、充分お薦め出来そうな山城の様には目に映った。

2010年1月26日 (火)

佐切城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市園部町佐切にあって、先にリポート掲載に及んだ片山城から見れば桂川を隔てた東側丘陵上にあり、片山城側からは充分望める位置にある。この城跡も桂川沿いに多く点在している砦跡を含んだ城跡と同様に情報は皆無に近く、詳細は不明でもある。

城跡へは片山城を起点とすれば分かり易いが、ルート図より城跡の位置を確認すれば、北東に架かる橋を渡れば直ぐの距離にある。直登口は概念図に示した様に、府道25号沿いからも見える「佐切手造り工房」の手前左手の斜面に取り付けばよいが、木々の少ない裸に近い斜面をそのまま上り切れば、5分とかからず山上南側の空堀までは到達出来る筈である。

1_1 登城ルート

8 直登取り付き口

1_2 城跡概念図

城跡の形態はほぼ概念図に近いと思って頂けばよいものとは思われるが、片山城と同様に100m前後の城域を持つ小規模な山城でもある。此方も尾根北先端には見応えのある片堀切(縦堀)が現存し、更に便宜上の副郭南側には相当埋もれてはいるが、空堀(横堀)が備わっており、僅かではあるが付随する土橋も見て取れた。更に主郭北側にも判別はし難いが、空堀に見える地形も窺われ、小規模ながらも決して安普請に終わっていない城跡の様には感じられた。個人的に概念図に縦堀と記したものは、見る人によってはただの自然地形に映るものでもあることから、見学者が見たままを想像を膨らまして楽しんで頂ければそれで良いものとは思われる。現状(12月)山上郭群は比較的木々も少なく、山城としては良い状態とも言えるので、まだ探せば縦堀などは斜面に存在しているのかもしれない。

17_sita_karahori 土橋付き空堀見所

21sanjyou_kaku 山上主郭

27_karahori 主郭北壁

32_kitakaku 北郭

35_horikiri_1 35_horikiri_3 北端堀切(縦堀)見所

個人的には山上を削平しただけの山城に終わっていない事からも、充分お薦め出来そうには思えたが、片山城と同日訪問とすれば一層山城巡りが充実したものになるのではないかとも思えた。尚、ルート図に示した東側尾根上の東城(便宜上)には、直登取り付き付近に直ぐそれと分かる豪快な縦堀(当時のものと断定はし難い)が、二本(画像に注目)並んで存在しているので、余裕のある方は山上まで上らずとも、それだけ窺うだけでも、決して無駄足には終わらないだろう。もちろん山上は規模の大きい削平地が存在しているだけで、内部にそれと分かる土塁も空堀も窺われなかった事から、敢えて見学には及ばないものとも思えたが、取り合えず参考までに、、、。個人的には更に東に繋がる尾根上を歩き(眺望は楽しめる)、山上最高所まで足を延ばしたが、僅かにそれらしい削平地が尾根上に点在しているだけで、土橋状の尾根(両サイドは空堀に見えた)以外では、はっきりそれと分かる堀切遺構などは確認出来なかった。二城で成立したかの様なその形態は、一城別郭とも見受けられるもので、東に延びる谷合の入り口(東西)を二城で固めたものとも推察されるが、、。

4 東城取り付き地点

8_2 二連の縦堀見所

2010年1月24日 (日)

園部 片山城(京都府南丹市)

この城跡は城域全長100mにも満たない小規模なものであり、山城ファンにおいては少なくともノーマークとも言える、無名に近い砦規模の山城でもあるが、遺構残存度は高く、状態も山城としては非常に見学し易い状態にある事からも、個人的には是非お薦めしたい城跡の一つである。

立地環境から考えれば西側山上には蜷川城が存在する事からも、蜷川城の出城とも窺えるが推察の域は出ない。当然城史に関しても詳細は皆無である。尚、この蜷川城は一応山上最高所まで踏破したが、明確に判別出来そうな遺構は尾根上には目に留まらず、地表風化は相当激しく藪化も深刻化しており、どこまでが縄張りなのかも掴み難くく、余りにも中途半端な山城と思えた事からも、個人的には敢えてリポート掲載までには至らなかった。

1_1_2 登城ルート

8 進入口

14 削平地より直登口

1_2 城跡概念図

城跡は京都府南丹市園部町大戸にあって、小さな神社の直ぐ背後の丘陵上にあるが、神社名は判明しない。京阪神側から訪れる方は国道9号で北上、京都縦貫自動車道を利用すれば「園部」が最寄のIC乗降口となるが、そのまま下りれば府道19号と合流、その後、船岡の信号で25号へ右折針路変更するが、後はルート図を参考にすれば難なく神社駐車場までは到達出来るだろう。社殿背後より開閉フェンスを潜り、崖状急斜面を直登すれば直ぐにでも北端郭が迎えてくれるはずであるが、ここでは安全面を考えて、概念図に示した様に、東側に開閉フェンスのある箇所からの登城(神社より主郭まで10分内)をお薦めしたい。

21_horikiri_2

北堀切見所

23_kitakaku_dorui_2 北郭1土塁見所

31_kaku3_yori_2heki 北郭3

36_shukaku_1 主郭

33_shukaku_heki 主郭切岸

39_minami_horikiri 南堀切見所

現状(12月)城跡は先に触れた様に、山上は植林地にあらずとも木々は少なく、小規模な山上郭の全体像が窺えるほど見通しが利き、見学し易い素晴らしい状態(山城としては高いレベル)を誇っている。そのお蔭もあってか、山上における遺構は全て判別確認可能な状況となっており、遺構が目白押しと言う訳ではないが、中でも特に目を引いた主郭南北を断つ二本の堀切、便宜上の北郭の大土塁は非常に状態が良い(抜群!)ものであり、当時に思いを馳せる事は容易いものとも感じられた。この挙げた三箇所の遺構見学だけの為に訪れたとしても、決して後悔はしなさそうにも思えたのである。

郭間に高低差がほとんどない事からも、山城としての本来の切岸の醍醐味までは求められないが、郭周囲は非常に急峻な地形、あるいは木々が少ない事からも、切岸が下まで落ち込む様は中々迫力もあり、見応えは充分感じられるはずである。この城跡の値打ちは先に挙げた遺構もさることながら、現状における城跡の佇まい、及び状態の良さそのものであり、、年々藪化が深刻化しつつある山城においては、非常に貴重な存在と自分の目には映ったのである。

2010年1月23日 (土)

神前城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市宮前町神前馬谷にあって、宝林寺の直ぐ西側の丘陵上にある。城史に関しての情報は皆無でもあり詳細は不明であるが、内藤氏の居城である巨大城塞群の八木城からみれば、南西に位置するこの城跡は、その傘下にあった城跡か、あるいは出城と推察して良いのかも知れない。この城跡は神前東城と呼ばれているが、直ぐ西側(ルート図参考)に位置する低山には神前西城と呼ばれる砦規模の山城も存在する。

城跡へ京阪神側から向うには京都縦貫自動車道「千代川」ICが最寄の乗降口となるが、降りて府道73号を西に5分も走れば、目的地でもある宝林寺には直ぐに辿り着ける。国道9号を利用した場合は「千原」の信号で左折して府道73号に進入すればよい。寺院から山上まで向う進入路は概念図(住宅地側なら画像に注目)に示したが、墓地の背後を上りきっても良いし、どちらから上っても5分もあれば山上主郭までは到達可能である。

1_2_2 登城ルート

6_tozanguti 進入路

1_3 城跡概念図

10_nisikaku_1

西郭

13_shukaku 主郭

13_shukaku_higasi_heki 主郭東切岸

14_dorui_1 土塁見所

16_karahori 空堀見所

現状(一月)城跡は、一部が植林地となっているので比較的見学し易い状態にあり、山上における遺構はほぼ全て判別確認可能な状態にある。形態としては背後に土塁及び空堀が備わる事から、丘陵先端に位置するのが主郭と見受けられたが、規模は小さいものであり、南側に向いては更に削平地(便宜上の南郭)が尾根上百mに渡って連続している、小規模な山城の定番とも言える形態である。見所は当然先に触れた土橋を伴う空堀と付随する土であるが、個人的には充分観賞に耐えうる遺構とみた。尚、寺院東丘陵上にも広大な削平地が仕切り土塁を伴って存在しているが、現在の寺院を当時の居住空間と考えれば、当然これを東西で挟んだこの形態は、此方も当時の城跡遺構としてまず間違いは無いものと思えたが、、、(推察)。

西城へはルート図の如く向えばよいが、山上は自然に任せたままの地表は荒れ放題と化しており(画像に注目)、削平地及び切岸は明確に窺われたが、見応えのある堀切などは目に留まらなかった。個人的には状態が良くない事、あるいは見応えのある遺構が存在しない事もあって、敢えて西城の訪問はお薦めしないが、二城で成立したと見受けられるこの城跡の本質を知る上では、興味のある方は覗いても、決して無駄足には終わらないだろう。東城はお手軽感あるいは見学のし易さからも充分お薦めは出来るが、

1 西城遠望

3 5_2 山上郭群

2010年1月21日 (木)

笹尾城跡(兵庫県川辺郡)

城跡は兵庫県川辺郡猪名川町笹尾にあって、笹尾集落においては猪名川を隔てた東側に聳える低山山上に位置している。城史に関しての詳細は不明

城跡へ京阪神から向う場合は、川西篠山線12号を利用して北上を続ければよいが、目印となるのはルート図中にある笹尾地区にあるコンビニ「ローソン」先にある「JA六瀬」が良いだろう、その県道沿いから右手に望める低山がそれであり、確認は直ぐ出来る筈である。そこを過ぎれば橋の手前を直ぐ右折、この先には小型車なら多少の路肩スペースはあるので、自己責任において車は停めればよいと思われる。後は概念図(画像に注目)を参考にして右手斜面に取り付けば直ぐに踏み跡程度の山道となるので、それに従えば迷わず山上主郭までは到達可能である(車を停めた場所からは10分内)。

1_1 登城ルート

6 進入口

1_2 城跡概念図

9_kita_demaru 北出郭切岸

15_horikiri 土橋付き堀切見所

15_horikiri_1 縦堀見所

16_shukaku 主郭内

19_horikiri 南東側の堀切

20_higasi_kaku 東郭

現状(12月)城跡は自然任せの藪化は進行中にあるが(郭内は荒れ放題)、移動に難渋するまでには至っていないので、コンパクトにまとまった小規模な城跡の遺構は、ほぼ判別確認可能な状態にある。概念図に示したまでが個人的に判別出来た遺構群であるが、二箇所の縦堀に繋がる堀切が唯一の城跡の見所となっている。この堀切は長年の地表風化によって非常に浅い空堀(縦堀)となっているが、主郭北に位置する堀切は土橋が備わっている事からも、見学する値打ちは充分ある様には感じられた。小規模であり砦規模の山城ではあるが、堀切あるいは縦堀が備わっている事からも、決して安普請に終わってはいないので、探せば藪化が深刻な東西斜面上には、それなりに縦堀が刻まれている可能性はありそうには窺われた。全体を通して見応えのある城跡とはとても呼べないが、山上は人の手が入らず、遺構は少ないながらも完存とも窺われるものであり、楚々とした山城の風情は充分味わえると思われた事からも、興味を持たれた方には、丹波方面への山城巡りの移動中に少し立ち寄っても、決して無駄足に終わるものとは思えない様な気はしたが、、。

2010年1月19日 (火)

姫城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市中筋町阿古谷にあって、八田川の西側に位置する丘陵先端部分にある。既に昨年リポート掲載を終えた大槻氏の居城でもある高城(あるいは高城城)は、ここから東に聳える山の山上にあり、そこを頂点として四方に広がる枝尾根上には、数多くの砦跡が点在しており、未だに現存(まだ未訪)している模様。当時その支城とも伝わるこの城跡は、家臣あるいは大槻一族の一人とも見受けられる、赤松左近の居城を唯一伝えているが、現状詳細は不明

城跡へ訪れる為に利用する国道27号までの道程は割愛させて頂くが、「淵垣」で市道484号へ針路変更後そのまま北上すればよい、城跡周辺に目印となる建物も見当たらない事からも、城跡への進入口は「舞鶴若狭自動車道」が目に留まる手前付近にある、道路沿いの小さな給水ポンプ所(画像に注目)を目印にして頂くより他はない。付近には充分な駐車スペースはあるが、そこから既に西側に望める低丘陵がそれであり、橋を渡れば概念図を参考にして入山出来そうな林に進入、その竹林地斜面を一気に上り切れば、直ぐにでも東堀切あるいは規模の大きい東郭が迎えてくれる筈である。(道路沿いのポンプ施設からは10分内

1_3 登城ルート

5_2 城跡進入路

1_2_2 城跡概念図

8_sanjyou_e 山上東郭壁

10_higasi_horikiri 東堀切見所

12_higasi_kaku3_1 状態の良い東郭

22_shukaku 主郭内

23_shukaku_dorui_3 主郭土塁見所

25_nisi_daihorikiri_2 西大堀切見所

26_shukaku_heki 主郭西堀切壁

現状(12月)城跡は、山城としては木々が密生していない事、あるいはある程度見通しは利く事からも、比較的見学し易く見て回りやすい状態(良い状態とは言い難いので史跡見学者には少しきつい)にあり、概念図中に示した二本の堀切主郭背後を囲む土塁(高さはないが分厚い)など、少ない遺構ではあるが全て判別可能な状況にある。縄張りプランが直線的で単純である為に、技巧を有した複雑な遺構は見当たらなかったが、東西に刻まれた堀切の中、東側に刻まれたものは大土塁を伴い、西側に刻まれたものは切岸が充分な高低差を伴う(10m近い)ものでもあり、非常に見応えは感じられた。

城跡に縄張り妙味は感じられなかったが、砦規模では終わっていない事、あるいはほぼ存とも言える遺構残存度の高さ、更にお手軽感も含めれば、当然お薦め出来るレベルにある城跡と目に映ったが、個人的にもこの二本の堀切見学の為だけに訪れても、決して悔いは残らない様にも思えたのである。

2010年1月17日 (日)

有岡若宮城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市有岡町桧山にあって、丘陵先端部に位置している。綾部にあって本格的に築かれた山城としては、その数も大槻氏の城跡が他を圧倒している様にも見受けられるが、この城跡も他で無数に点在する多くの山城と同様に、現状情報も皆無に近く、ほとんど無名に近い城跡の一つでもある。この地域にあっては形態のユニークさ状態の良さ、ほぼ全体像が窺われる連続縦堀が存在している事、あるいは山道を利用すれば5分とかからず迷わず主郭まで到達出来るお手軽感からも、一般城跡ファン、史跡ファンも全て含めた上で、是非お薦めしたい城跡の一つとしてリポート掲載に及んだ。

城跡へは舞鶴若狭自動車道「綾部」ICが最寄の乗降口、インターを降りれば直ぐに府道77号に合流するが、その合流地点から望めて直ぐの距離にある、南西にある丘陵が城跡でもある。車は公民館に預ければよいものと思われるが、そこからは概念図及び画像に示した様に、細い農道を通って、お地蔵さんのある場所から山道に入れば、迷わず城跡西端の凄い堀切道まで到達出来るはずである。

1_1 登城ルート

7_2  進入路

1_2 城跡概念図

11 14_daihorikiri_2 大堀切見所

15_dorui_1 大型土塁見所

17_shukaku_yagura_2 主郭(大型土塁上)

20_yokobori_une_6 横堀が絡んだ連続縦堀見所

22_inu_basiri 本郭東側切岸と犬走り見所

25_shukaku_heki 主郭南側切岸見所

26_minami_kaku_2 南郭

現状(12月)城跡は、郭跡(主郭)を転用地として社殿が建立されており、その南側に位置する郭跡も公園化の一環としてか、ある程度整備された様にも窺われるものであり、非常に見学し易い状態にあるとは言えよう。縄張りは主郭を中心としてコンパクトまとまったものであり、城域全長は東西に100m足らずの砦規模とも思える小規模なものにも拘らず、先に触れた横堀を絡めた五本の連続縦堀(畝堀と呼べるかも、、)、あるいは便宜上の主郭部における大型土塁(櫓台の機能か?)は、伊賀で見受けられる方形館城の土塁をも想像させるものであり、西端の大堀切(現状堀切道)と並んで見応えは充分感じられよう。他では主郭東側の大規模な郭跡に溝の様な地形が目に留まったが、当時のものとも後世におけるものとも素人目には判断は付き難いものである。個人的に遺構と判別出来たものはほぼ概念図には記したが、北斜面の一部は草木に覆われている事からも、案外縦堀はこの限りではないのかも知れない。少なくとも人家のある南側斜面では目に留まらなかったが、、、。尚、縦堀に関しては、下から見上げれば一部は全体像が窺える箇所がある事からも、満足感には充分浸れそうとは思えた。

2010年1月16日 (土)

北谷城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市淵垣町北谷にあって、綾部工業団地を背後にした低山山上に位置しているが、城史に関しての情報は皆無に近く、詳細は不明でもある。

城跡へ京阪神側から向う場合、舞鶴若狭自動車道を利用してもよいし、国道27号を北上してもよいが、スタート地点によっては色んなルートが考えられるので、ここでは割愛させて頂く。国道27号で淵垣町に入れば、交差点「綾部工業団地」で左折針路変更、後はルート図の赤線を辿って「本田味噌工場」を目指せば分かりやすいだろう。味噌工場横を通過するまでには、左手に赤い鳥居(画像に注目)が目に留まるはずであるが、ここからが参拝道を利用しての登城開始地点となる。尚、付近に駐車スペースは充分あるので、車の駐車に心配はないとは思われるが、ここから大土塁を背にした稲荷神社までは、5分内で辿り着けるはずである。

1_1_2 登城ルート

4 登城口

1_2_3 城跡概念図

9_kita_horikiri

北堀切見所

23_minami_kaku 南出郭内

22_yasiro_kaku_1 社殿

18minami_karahori 空堀と大土塁見所

20_karahori_dobasi 空堀土橋見所

13_shukaku_dorui_1 主郭土塁見所

7_shukaku_heki 主郭西切岸斜面

現状(12月)城跡は、社殿の建立された小規模な郭転用地を除けば、相当藪化は進行しており、便宜上の規模の大きい南出郭は矢竹密生地でもあり、内部を覗く事は非常に困難、当然踏破は無理な状態にあるが、社殿背後の土塁及び空堀から北側を目指せば、低草木は蔓延ってはいるが、ある程度見通しが利くので、それなりに地形から縄張りを把握する事も、歩き回って遺構の判別確認も可能な状況にある。目に留まった遺構は概念図に示した主郭北側を断つ堀切、主郭三方に巡らされた土塁、先に触れた土橋を伴う空堀、社殿背後の大土といった事になるが、これらは全て城跡における見所でもあり、歩き回れば当然目に留まる遺構群でもあるので、決して見逃してはならない。

非常にコンパクトにまとまった城跡なので、あっと言う間に見学も終えてしまうのだが、山上に遺された土塁で囲まれた方形に近い郭跡は、この地方にあっては中々珍しいものとも思えた(主郭の背後だけに備わる土塁が圧倒的に多い)事、小規模ではあるが要所に見所箇所がある事、山上までは参拝道で上れる事などから、取り合えず訪問をお勧め出来そうには思えた。これで土塁で囲まれた主郭内部の状態さえ良ければ、推奨に値する城跡と言うことにもなるのだが、この荒れ放題の様相では、とても是非お薦めとまでは言えないのが現状でもある。

2010年1月15日 (金)

八海山城跡(山口県光市)

城跡は山口県光市光井西八海(ヤカイ)にあって、標高233mの山頂に位置している。古くは(時代までは把握出来ていない)海賊衆であった光井氏の居城とだけは伝わっているが、大内氏傘下の海賊衆であった可能性は高いと思われる、詳細は不明。尚、この光井氏はその後(庶流かも、、)安富氏を名乗っている模様。

城跡へは山陽自動車道「熊毛」ICが最寄の乗降口、県道8号で南下して向えば良いが、ややこしいので割愛させて頂く。最終的に市道346号を走る事になるが、直登口付近には目印となるものも見当たらないので、ルート図を参考にして訪ねて頂きたい。ルートは三通り考えられるが、個人的には多少の藪漕ぎは必要とされる、Aルート(15分)より直登してBルートで下山した。もちろん下山においては東側に展開される縄張りも覗いておきたい気持ちがあったから、敢えて別ルートで下山したのだが、結果的には郭跡と断定可能な削平地、あるいは堀切遺構などは目には留まらなかった。

1_5 登城ルート

4 Aルート進入口

1_2_2 城跡概念図

6higasi_kuruwa_1 東郭

9_shukaku_gawa 主郭側切岸

10_nisi_sekimon 西郭石門か?

11_nisi_kyoseki_dan_1 段状になった巨石

20_minami_kaku 南郭

現状(11月)城跡は、ここ数年人の手の入らない山として藪化も進行しており、見通しも利き難く、郭全体像も中々見渡せない状況となっている。古い形態の山城と窺える様に、空堀といったものは存在しておらず、ただフラットな削平地が存在する程度でもある。山上における縄張りは、ほぼ概念図に描いた通りと見てよいものとは思われるが、主郭切岸跡は明確に現存、主郭西側には自然石を利用した門石らしきもの自然大岩群で遮られた郭跡などは想像に委ねられるが、当然防備の一環として機能していたようにも窺われた。東側には規模の大きいほぼフラットな空間が100m近く連続しており、これも自ずと郭として機能していたものとして、まず間違いは無いだろう。

相当古い時代に築かれたものとも窺えたが、初期山城の形態を色濃く残すものでもあり、堀切などの見応えのある遺構は当然皆無であったが、当時のままを今に伝える城跡としては、ほぼ完存とも見受けられる様相でもあり、史跡価値は充分なものと目には映ったが、、、。自作概念図を見て、興味を持たれた方のみが対象となる城跡と言っても良いだろう。

2010年1月14日 (木)

実勢城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町実勢にあって、ニュータウンの形成が進められている地区の、真北側の丘陵上に位置している。この山城も船井郡に多く見受けられる小型の山城と同様に、情報は皆無に近いものであり、現状詳細は不明でもある。

城跡へ向うには、目印となるものが近くに見当たらない為に非常に説明し難いが、国道9号を経由して一般道445号に進入し、道路沿いにある「下実勢」バス停を目指して頂くしか方法は思い浮かばない。現地に到着すれば、画像に示したバス停横から奥の空き地へと進入、少し進めば厳重なネットがあるが、一部壊れて倒されている箇所があるので、そこから中に入り、左手斜面に取り付いて、だらだらと連続する斜面を一気に上り切れば、山上主郭までは10分内で到達可能となっている。

1 登城ルート

9 進入口

1_2 城跡概念図

現状(11月)城跡は藪化も進行中で、更に追い討ちをかける様に地表風化も激しく、荒れ放題ではあるが、密生藪あるいは移動に難渋する状態までには至っていないので、木々の隙間からでも充分郭内部の見通しは利く状況(画像に注目)にあり、概念図に示したまでの遺構は全て判別確認は出来そうに思われた。山上は起伏も少なく郭高低差もない事から、見応えのある遺構は皆無に近いが、目に留まった遺構としては、堆積物によって深さは全くないが、郭をほぼ一周する空堀(横堀)、それに付随する土塁(高さは失われている)、主郭北背後を断つ連続した空堀(僅かに窺われる)、土塁の横矢構造と、それなりに目は楽しませてくれている。縄張りプランとしては非常に大味と言わざるを得ない様相でもあり、一見すれば陣城に見えそうにも思われたが、個人的推察の域は出ない。

13_shukaku_4 主郭内部

17_dorui_karabori_2 17_dorui_karabori_3 土塁及び空堀見所

18_yokoya 横矢構造の土塁見所

22_obi_yori_shukaku_heki 東帯郭より主郭壁

20_shukaku_kita_heki 主郭北切岸

城跡を個人的に評価すれば、城跡を深く追求したい方にとっては、非常に興味深い山城として自分の目に映った(土塁に横矢があるので、比較的新しい山城とまでは判断可能)ので、充分満足してもらえそうには思えたが、遺構の見応えを期待して赴くと、必ずや期待外れに終わりそうとも思えたので、ここは自作概念図を見て興味を抱かれた方のみに、訪問はお薦めしたい山城としてリポートは終えたい。

2010年1月13日 (水)

綾部田野城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市田野町山王にあって、室町後期の城跡と伝わっており、福山氏の居城を唯一伝えるも詳細は不明。

城跡を訪ねる際にあたっては、綾部駅を起点にするのが一番分かり易いとは思える。府道8号から駅前の道路である一般道709号へ進入、これよりずっと南下すればよいのだが、狭い上に途中から道路標識もなくなり、道路も自然に別れているので非常に迷い易い道路でもある。とにかく709号を走り続ければ、ルート図あるいは概念図に示した目的地ともなる愛宕山参拝道付近(画像に注目)には辿り着けるはずである。。愛宕山参拝道の道標のある箇所からは、途中まで参拝道を利用すればよいが、数十m歩けば右手側に山に入れる畦道があるので、そこから進入して竹林地を上り切れば、直ぐにでも堀切までは到達可能となっている。尚、車の駐車スペースを確保するには道路が狭いので相当難渋するが、探せば小型車なら何とかなるだろう。

1route 登城ルート

6 城跡進入路

3t 城跡概念図

12_karahori_1 大空堀見所

15_dorui_horikiri 南土塁1見所

20_horikiri1_4 17_horikiri2_1 二重堀切1と2見所

22_shukaku_dorui 主郭大土塁見所

21_shukaku 主郭内部の現状

城跡の形態としては、ほぼ二郭で成立したものであり、城域全長50mにも満たない砦規模の城跡と言うことにはなるが、主郭背後には状態は悪いが大型の土塁、更に大土塁を挟んだ形の二重堀切(段違い)と充分目は楽しませてくれている。更に南郭側の現在堀切道となっている箇所は、地形からも当時は大空堀であったと想像出来そうでもあり、小規模な城跡にしては中々守りに固い、安普請には終わっていない城跡である様には思えた。現状(12月)主郭内は竹及び雑木が蔓延り、自然任せの荒れ放題と化しており、状態は相当悪いが、肝心の堀切だけは見学に値する状態にあるので、一般城跡ファンには敢えてお薦めしないが、唯一の見所でもある、二重堀切と土塁に興味を持たれた方だけにはお薦めしたいと思えるのである。個人的には砦規模でありながらも、決して安普請に終わってはいない城跡の佇まいに惹かれたのだが、、、。

2010年1月11日 (月)

丸山/茶屋城跡(京都府亀岡市)

城跡は京都府亀岡市稗田野町佐伯にあって、個人的に城跡遺構「茶屋城」として、昨年誤認してリポートを終えてしまった謎の山城からみれば、道路を隔てた直ぐ南西側の丘陵上に位置している。ただ今回リポートしたこの丸山城に別称として茶屋城があるのか、現状では資料も乏しく外部から得た情報だけでもあり、まだ確証には至っていないのだが、先に触れた謎の山城と同様に、城跡遺構は明確に現存しているので、今回は間違いのない呼称でもある丸山城として掲載に及んだ。所在地からすれば茶屋地域は謎の山城の方側にあたるので、此方の方が茶屋城という事になるのだが、何れにしても二城で細い谷筋を挟み対時した形態は、他で見受けられる山城の多くと共通するものでもあり、丸山城あるいは柿花城との関連性も窺われるのである。

1_1_2 登城ルート

6 直登進入口

1_2 1_3 城跡概念図

城跡へは国道372号を利用して、湯の花温泉「渓山閣」方面を目指せば分かり易い、「渓山閣」の真南の丘陵上がそれであり、車は付近に中々路駐スペースが見当たらない事から、苗秀寺の広い駐車場を一旦借りればよいものとは思われる。ルート図の如く少し歩けば大きな貯水池があるが、それに沿って南側へ歩けばよい。直登口は画像に示したが、池傍の白い外壁の住宅手前から取り付いて上れば、山上までは5分(比較的上り易い)で辿り着けるはずである。尚、下山口に利用した北側の本来の遊歩道(利用して上る人はいないと思われた)からテラス経由でも上れるが、一旦管理用地を通過しなければならない事と、登山口とする小川にかかる木橋が、腐りかけて非常に危険を感じた為に余りお勧めは出来ない。

12_gedan1_koguti 主郭下段郭の虎口

16_gedan_yori_shukaku_heki 下段より主郭切岸

19_horikiri_1 北斜面より堀切見所

14_shukaku_1 主郭内

23_tatehori_2 凄い縦堀

21_nisikaku_heki 西郭の切岸

22_nisihasi_tatehori

北西端の縦堀見所

現状(一月)城跡は、本郭周りのみであれば比較的見学し易い状態にあるが、北西側の大規模な尾根上の郭跡は、冬季にも拘らず低草木が蔓延り、移動にも外見からの視認にも差障る状態にある。ただ削平地だけには終わらず切岸処理がされているので、斜面から覗けば充分切岸の醍醐味は味わう事が出来るが、、個人的に判別確認出来た遺構群は概念図に示したが、郭跡を除けば岸跡、堀切、縦堀は挙げられる。特に主郭下段郭から北東斜面に刻まれた縦堀は、深く状態の良い(凄い!)もので、一見の価値があるようには見受けられたが、縦堀に関してはブログの中で何度か述べている様に、数百年レベルの風化による自然地形の可能性も充分在り得るので、それを見た者が判断を下して楽しめば良いものとは思われる。ちなみに個人的には必然性からも縦堀と目には映ったが、、。

尚、外部情報から得た範囲では、この丘陵上が城域とされるといった事でもあり、遅くに訪れた事もあって北西側の山上までは踏破出来なかったが、山上まで踏破すれば遺構もこの限りではなかったのかも知れない。窺う限りでは特別技巧を採り入れた遺構が存在する城跡では無かったが、お手軽感からも興味を持たれた方にはお薦め出来ようか、、。個人的には謎の山城の方が探索心を煽られた事もあって、山城としての醍醐味は感じられたのだが、、、

2010年1月10日 (日)

利鎌山城跡(広島県福山市)

今回この城跡に関してのリポートを編集している最中に、自身のミスにより記事を全て消失してしまいました。よって念の為にコピーしていた記事を載せる事になり、少々見辛いかも分かりませんが、これぞ山城と感じられた素晴らしい城跡であり、空堀をここまで多用した山城もそう多くは見られな事もあって、、是非訪問リポートは拝見して頂きたいと思います。内容に関してはリポート内容」をクリックの事

1_4 登城ルート

1_3_3 城跡概念図

2 リポート内容

15_horikiri_dobasi_2 西堀切土橋見所

16_nisi_daihorikiri_1_2 17_2 西大堀切見所

20_shukaku_1_2 主郭内

24_3maru_3_2 三の丸

36_unebori_1_2 畝状空堀見所

26_horikiri_dorui_1_2 東堀切土塁見所

31_3maru_heki_2 堀切より三の丸壁

32_horikiri2_1_2 西堀切2見所

2010年1月 9日 (土)

殿奥城(広島県福山市)

城跡は広島県福山市芦田町下有地にあって、標高174mの山頂に位置している。現状、城史に関しての情報は皆無(郷土史では採り上げられているとは思われる)でもあり、詳細は不明であるが、備後における在地国人衆の中では名の知れた、有地氏の居城が伝わっているようである。

城跡へ向うには国道486号を利用する事になるが、非常にややこしい道路(目印となるものが少ない)なので割愛させて頂くが、取り合えず市立動物園を目指せば、近辺までは到着した事にはなる。ルート図から動物園と城跡の位置関係を判断して頂きたいが、付近の詳細地図も一緒に載せたので、城跡までは赤線を辿れば迷わず辿り着けるだろう。車の駐車に関しては、集落最奥までは幅の狭い生活道路なので、駐車スペースはなく、少し歩く事にはなるが、図中の集会所を利用すればよいとは思われる。尚、山上主郭までは明確な山道が繋がってはいるが、左右から草木が迫り出して少し歩き難い状態なので、夏場の訪問は出来るなら避けた方が良いと見受けられた。(池の傍からは10分内で到達可能)

1 登城ルート

1_2 城跡概念図

13_2 進入路

15_daihorikiri 東大堀切見所

16_horikiri_dorui 堀切土塁

22_unebori_5 22_unebori_7 畝状空堀群見所

28_shukaku 主郭内

Toride_1 北の砦跡

Toride 砦背後の堀切

この山城は現状(11月)、全域が自然任せの雑木天国となっており、藪化は相当深刻化している状態にある。しかし明確に判別可能な畝状空堀群だけは健在でもあり、概念図に示した範囲内だけではあるが眼にする事が可能である。山上はほぼ二郭で形成されているとだけは分かったが、郭内移動及び内部の視認は非常に困難でもあり、形状あるいは内部の遺構などは、流石に読み取る事が出来なかった。更に南側斜面も身動きが取れないほどの雑木密生地でもあり、踏破確認すら叶わなかったので、畝堀あるいは郭跡の確認などは当然出来なかった。推察ではあるが、この山城の規模あるいは地形から考えても、規模の大きい郭跡が存在する様には思えなかった。

見所を挙げれば、当然主郭から放射状に無数に連続する畝堀という事になるが、周囲の状態が良いとは言えないので、縦堀の落ち込む先までは分かり辛いのが現状でもある。ただ犬走り状の帯郭から窺える、縦堀あるいはそれを形成するコブにも見える大土塁は、一部は全体像が窺えるものでもあり見応えは抜群、更に東西に備わる4本の堀切の中、東側の大堀切は高低差がある事からも、壁の如く迫ってくるものでもあり、目を楽しませてくれる事は間違いなしとみた。とにかく状態が悪いので、一般の城跡ファンの方には余りお薦め出来ないが、この畝状空堀群は、山城ファンにおいては一見の価値に値するものとも見受けられた事から、概念図を見て興味を持たれた方だけには、是非お薦めしたいと思うのである。ただし夏季訪問は絶対に避けるべし! 尚、図中には示したが、郭跡(神社敷地)及び堀切が現存する、砦跡が集会所の直ぐ背後の神社にあるので、ついでに見逃してはならない。

2010年1月 8日 (金)

氷所城跡(京都府南丹市)

城跡は京都府南丹市八木町氷所(ヒドコロか?)にあって、氷所集落に北から迫り出した丘陵先端部に位置しているが、この城跡も南丹市には数多い砦規模の山城と同様に情報は皆無に近く、詳細は不明(郷土史には掲載されているとは思われる)。

城跡へはどの様な道順で訪れても国道9号を経由して府道408号へ進入しなければならないが、付近に目印となるものもなく、少しややこしい説明になるのでここでは割愛させて頂く。取り合えずルート図で判断して頂きたいが、大きな池を目指して進行すればよい。池傍には「氷室の里」と刻まれた石碑と休憩テラスが建っており、狭いスペースだが若干駐車可能な場所も傍にあるので車はそこに停めればよいものと思われる。そこからは概念図に示した辺り(画像に注目)から直登を敢行する事になるが、斜面は急だが山上までは木々の密生した箇所もなく、10分内で到達可能となっている。ただ下山に関しては山容からも方向を間違いやすいので、必ず登って来た道の所々にマーキングしておく事が肝心と思えた。個人的には方向感覚に絶対の自信を持っている事と、出来るだけ個人の所有する城山はありのままにしておきたい気持ちから、余程でない限りマーキングは施した事はないが、常に方向磁石で直登箇所と山上到達箇所での方角チェックだけは怠らない様にはしているが、、。

1_1 登城ルート

6_1 直登進入口

1_2 城跡概念図

10_shukaku_1 山上主郭

13_shukaku_heki 本郭部の切岸

15_karahori 大空堀見所

15_rinkaku_4 15_rinkaku_2 輪郭群

25_kita_kaku 北に繋がる削平地

現状(12月)城跡は冬枯れともあってか、枯れ枝は多いが見通しもある程度利き、比較的見学し易い状態にはある。ただ城跡遺構は概念図に示した通り、多くは望めないものでもあり、形態としては山上最高所を主郭として三方に輪郭群が連なり、北側尾根上は数100mに渡っての削平地が延々と繋がっているだけのものであり、縄張り妙味はほとんど感じられなかった。遺構としても二箇所の空堀らしき地形を除けば、ただそれと明確に判別可能な大型空堀(縦堀)が目に留まっただけでもあり、見応えのある遺構は他では皆無に近いものとも見受けられた。もちろん切岸跡程度は無数に重なり合う輪郭群の随所に窺われて、形態のユニークさと併せて若干でも目は楽しませてくれているが、遺構の見応えだけを望まれて訪れる方には、落胆する事は必至であるとも思われたので、これから訪れる方には最初から期待を捨てて臨む事が肝心であろう。個人的には今回の訪城リポートは、まだ未訪で概念図を見て興味を抱かれた方だけ対して、よりタイムリーな現況報告となったものなら良しとしたい。

2010年1月 7日 (木)

高屋城跡(京都府綾部市)

城跡は京都府綾部市物部町高屋山にあって、既にリポート掲載を終えた物部城の東側に聳える、四方に裾野を広げた低山がそれであり、山上から四方尾根上が縄張りでもあり城域とも見受けられる。この山城は戦国期においては、物部城を居城とする上原氏(当時は丹波守護代)が、12世紀初め(鎌倉時代)に遠い諏訪の地より地頭職を与えられて、この地に来て最初に築いた山城と伝わっているが、この上原氏は最終的には黒井城主でもある赤井氏によって滅ぼされている。

城跡へは物部城を起点にすれば分かり易いが、ルート図の如く「高屋寺」を目印として目指せば難なく辿り着けるとは思われる。寺院駐車場からは、北側にある忠魂碑経由で山道が山上までは繋がっているので、山上主郭までは迷うことなく10分内で到達可能となっている。

Takaya_2 登城ルート

5 高屋寺

Takaya_1 城跡概念図

この山城は先に触れた様に鎌倉期に成立したものであり、その後新たに物部城が築かれるまでは、上原氏の居城(本城)として機能していたものとも察せられるが、当然山城の初期形を成すものであり、残存遺構などの見応えに期待をする事は出来なものでもある。現状(10月)山上に佇めば木々が伐採されている事もあって、尾根上はある程度見通しも利き、北側集落までは充分見渡す事も可能であるが、目に留まる城跡遺構は郭跡程度でもあり、尾根上には堀切さえも窺われなかった。寺院に近い南西側に展開される枝尾根上が中枢と成す郭群とも見受けられ、郭規模は相当大きく、数段に渡って折り重なる郭群の境は、風化によって相当曖昧なものにはなっているが、その側面では随所に切岸は見て取る事が出来た。最終的に南東枝尾根までは踏破には至れなかったが、踏破した三方尾根上の削平地は、恐らく当時の郭跡である様には思われた。尚、見学に際しては、この南西郭群は長年の風化、あるいは倒木などで荒れ放題でもあり、移動もし難く視認もし辛いので、山上郭から東側尾根上と比較的状態のましな南郭の二郭までを押さえれば良いものとは感じられた。

12_nisi_onejyou 西尾根上

14_shukaku_1 15_shukaku_nisigawa 山上主郭

17_shukaku_gawa_1 東より主郭側

22_minami_one_kaku 南尾根上

24_minamikaku2 南郭2

この城跡を個人的に評価すれば、風化に任せたままで縄張りは手付かずとも見受けられ、遺構残存度は非常に高いものとも感じられたが、遺構の見応えあるいは山城の醍醐味を求められれば、はっきり言って「ナイ!」と返答は出来そうには思える。しかし当時を物語る史跡として考えれば、ここまで初期形態を伝える山城も少ない事から、初期形態の山城を探る上では申し分のない、貴重な城跡とは言えるのかも知れない。

2010年1月 5日 (火)

塩田城跡(京都府船井郡)

城跡は京都府船井郡京丹波町塩田谷にあって、塩田谷を守備するが如く東西の丘陵上端に位置しており、塩田北城と塩田城の二城から成立している。城史に関しては不明

城跡へ京阪神から向う場合は国道9号を北上し、「須知」交差点で444号へ左折針路変更、後は目印となるものがないので、ほぼルート図を参考にして頂く以外ないが、塩田谷へは、444号沿いに小さな道標もあるので、分かり難い事はないだろう。どちらの城跡も現地に到着すれば、民家脇からの直登という事にはなるが、取り付き口は概念図中に示したので、それを参考にすればどちらの城跡も、5分もあれば郭跡には到達可能となっている。車の駐車に関しては道幅が狭いので特に気を使うが、付近を探せば何とか駐車スペースは確保出来るだろう。尚、最近の山城はこの地もそうである様に、どこも高圧電流線(夜だけ流れる)が獣避けとして山麓に張り巡らしてあるので、ネジがあれば、それを一旦緩めて越えて山上まで上らなければならない。当然マナーとして必ず元通りにしておく事が大事となるが、、念のために。

1a 登城ルート

9 塩田本城進入口

1a_2 1a_4 城跡概念図

14_kita_kaku 北郭

15_nobori_dorui 北郭の上り土塁見所

22_shukaku_dan 主郭内

23_dobasi 空堀土橋見所

25_sanjyou_monomi 山上物見郭か

現状(11月)、どちらの城跡も比較的見学し易い状態にあり、現存する遺構の判別確認は全て可能な状況にある。見所となるのはどちらも堀切周辺の遺構と言う事になるが、北城の堀切は麓から上っても、見上げれば直ぐそれと分かる縦堀にまで繋がる空堀で、かなり見応えは感じられるが、本城の堀切は、土橋(明瞭)は備わっていても空堀の深さは失われているので、見応えはさほど感じられないものである。しかしどちらも、主郭背後(堀切側)の大土塁は、それなりに高さも自然保持されているので、充分目は楽しませてくれる様には感じられた。二城どちらも縄張りプランは直線的で、堀切で主郭背後を断った単純なものであるが、規模としては当然本城の方が大きく、麓、中腹、山上とそれぞれに機能が別れた郭構成とも見受けられた。

1a_3

塩田北城概念図

Siota_kita_14 北城進入口

Siota_kita_6 北城堀切見所

Siota_kita_8 北城主郭内

この二城に対しては、個人的には山城としての醍醐味は余り感じられなかったが、両城共に遺構残存度は高く、状態も比較的良い事、あるいは二城併せたものが塩田谷を守備すべく、塩田城の本質であるとも窺えた事から、二城同日訪問とすれば自ずとお薦の城跡と言うことにはなろうか。

2010年1月 4日 (月)

天神ノ尾城跡(兵庫県三田市)

城跡は兵庫県三田市大原にあって、既にリポート掲載を終えた大原城からみれば、ほぼ真北側の丘陵先端に位置しているが、城史に関しての詳細は不明である。

城跡へは大原城を起点とすれば分かり易いが、ルート図に示した様に大歳神社」の背後が城となっているので、国道176号を走り、神社を目指せば自ずと城跡へ辿り着く事が出来るはずである。大原城傍の国道沿いにあるパチンコ店を過ぎれば北四筋目を右折、この道は大歳神社の参拝道ともなっており、道標もあることから直ぐ確認は出来よう。神社には車止め付近に車二台程度(画像に注目)の駐車スペースはあるので、ここで車を降り、神社背後からそのまま上れば、直ぐにでも郭跡へは到達可能である(南側の民家付近からも分かり易い登城口はある)。

1_1_4 登城ルート

6_2 城跡進入口

1_2_2 城跡概念図

10_karahori_dorui_1 10_karahori_dorui_3 空堀土塁見所

12_kaku_211_shukaku_heki 主郭内部

15_obi 帯郭

20_higasi_heki_1 西側切岸

現状、ほぼ単郭とみてよいと思われる主郭内は、地表風化が激しく分かり辛いが、郭段差(切岸)は僅かに窺われるだけの、ほぼ三区画から形成されている様にも窺われ、その一番高い場所には、櫓台と呼ぶに相応しい土塁壇が背後に土塁を伴い備わっている。更にその背後には随分埋もれてはいるが、明確に空堀跡は窺う事が可能となっている。ここから更に北東側へ足を延ばせば、藪化は相当深刻化しているが、踏み跡程度の山道から覗けば、丘陵の緩い斜面上には広大な削平地が延々と繋がっているのが分かる。この城跡の城域は相当広く、先ほどの空堀で分断された便宜上の主郭は、この規模の大きい城跡からみれば出郭の様にしか目には映らないものでもある。自作概念図には一番城跡として判別し易い郭跡及び遺構を示しただけのものであるが、縄張りは当然北東側の広大な尾根上も取り込んだものとも推察された。

尚、ルート図中に示した千ヶ坂城は、大原城から民家を経て東に延びる丘陵上に位置しており、青原寺」から僅かな踏み跡を辿れば(赤線ルート)直ぐにでも郭跡へは到達出来よう。現状城跡は藪化は進行中ではあるが、削平の行き届いた広大な郭跡を歩き廻って体感する事は可能な状況でもあり、丘陵上は平坦地が広がるだけではあるが、僅かな土塁地形(土塁と断言はし難い)から城跡を感じる取る事は可能ではある。個人的には寺院北背後周辺の別丘陵上まで足を延ばしたが、こちら側にも削平地と窺われる地形、あるいは規模の大きい空堀地形(当時のものかどうかは判別不能)は窺う事が出来た。ただここまで農作地及び民家が直ぐ傍まで迫っている事を考えれば、当時の状態はほぼ見学者の想像に委ねられるのが現実ではあろう。見学に関して本命となるのは当然、遺構の判別し易い概念図に示した郭群と言うことにはなろうが、大原城も含めたこの大原城塞群は中々規模は大きく、自ずと当時の城主の勢力も窺われそうには思われた。ちなみにこの天神ノ尾城は、大原城の遺構残存状態の良さとは、残念ながら比べるレベルにはないので、、、念の為に。

Sen千ヶ坂城跡 Sen_1

2010年1月 3日 (日)

段山城跡(京都府綾部市)

この城跡は、年末に素晴らしいと思えた将監城の紹介に及んだ事からも、その流れとして必然的に本年度のトップを飾るリポート掲載となったものだが、京都府綾部市高津町菅谷にあって、先にリポート掲載を終えた将監城からみれば、真北側の丘陵尾根先端部に位置している。この山城も高津八幡城、あるいは将監城とほぼ隣接している事からも、将監城を本城とした場合、出城として解釈しても良さそうには思われるが、高津八幡城とこの段山城で谷奥に位置する将監城の入り口を挟んだ形態は、正に中枢となるべく本城(将監城)を守備しているかの様にも窺われるのである。当時この三城がどの様に機能していたものかは、当然見学者の想像に委ねられるが、想像するだけで充分に楽しめる部分ではある。現状詳細は不明

城跡へは将監城を起点とすれば説明し易いが、将監城に向う途中の狭い道路三叉路に道標のある「隠龍寺」を目指して向えばよい。寺院駐車場に到着すれば概念図に示した様に、南側にある観音像の傍を通過して、南最奥から斜面を直登すれば5分とかからず山上郭群には到達可能となっている。

1 登城ルート

5 直登進入口

3dan 城跡概念図

現状(12月)城跡は雑木は蔓延ってはいるが、移動に支障は来たさない程度でもあるので、郭間を分断する堀切を含めた空堀は明確なものを拝む事が出来、縄張りが複雑でない事からも、歩き回れば充分全体像は把握する事が可能な状況にある。見所はもちろん空堀群と言う事になるが、主郭東側の空堀(横堀)は深さは相当失われてはいるが、数十mに達する事からも非常に見応えは感じられるものであり、主郭南北に横たわる堀切と並んで見学者の目を充分楽しませてくれている。土塁は主郭背後に窺う事が出来たが、当然高さは失われているので現状から見れば迫力を感じられるものではない、城域は南北200mにも達するほどのものであり、出城あるいは砦としてみれば山上における郭占有面積は比較的大きく、その域は充分出ている様には感じられた。尚、概念図中にあって、馬場跡の様にも窺えた北東側の規模の大きい削平地は、後世における開墾地(画像を載せた)であるような気がしないでもないが、これも縄張りとした方が更にロマンも広がって楽しめるかも知れない。

8_higasi_kaku_heki 東郭切岸

9_higasi_karabori_1 東空堀見所

13_kita_horikiri 北堀切見所

15_kita_hirati_3 北東側削平地

11_shukaku_2 主郭内

19_minami_horikiri 南堀切見所

20_karabori_dorui 南空堀土塁跡見所

個人的には先に将監城に寄ったこともあって、まだその感動の余韻も覚めやらぬ状態から、あっさりと見学を終えてしまった部分があったが、これから訪問される方には、二城同日訪問とした場合は先にこの段山城から見学する事をお薦めしたい。更にまだ高津八幡城も訪れておられない方には、この高津三城を含めた同日訪問を是非お薦めしたい。谷筋に形成されるこの三城は、大槻氏にとっては高津城塞群と呼ぶに相応しい城跡でもあり、それぞれが形態も違い、縄張りプランも異なり、更に特徴が異なるものでもある、午前中に出向けば三城同日訪問に及んでも、充分余裕をもって見て回れる事は必定でもあり、個人的には絶対に期待は裏切らないものとも思えたのである。

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