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2009年7月5日 - 2009年7月11日

2009年7月11日 (土)

鳥居城跡(兵庫県豊岡市)

この城跡は豊岡市出石町鳥居にあって、以前より国道426号を利用して出石町から豊岡市内へ向かう度に城山の位置確認はしながら通過していたが、ここ最近になって山肌がむき出しになっている事から、どうも発掘調査あるいは住宅造成工事の掘削跡とも見受けられたので、遺構が破壊されない今の中に覗いておこうと思い立って現地を訪れたものである。

城跡へは国道426号よりほぼルート図通りで到達出来るが、426号から鳥居橋を渡る事は現状出来ない(東西通行止め)ので、一旦通り過ぎて北側から国道482号に向いて車は進行しなければならない。現地に到着すれば車の路駐スペースは鳥居橋付近に充分あるので心配はないと思われる。そこからは概念図に示したように歩いて城跡まで向えばよいが、道路上から東側の植林地を覗けば、木々の隙間からもはっきりと分かる主郭切岸と大堀切が直ぐ目に留まるはずである。

結果的に城跡の傍には隣接して新しい住宅地が建っており、多少遺構は造成工事によって消失したものとも予想されたが、いざ城跡まで上ってみると見事に発掘調査の跡(掘削穴)が一部の郭跡に残っていた。どうやら推察通りに近年発掘調査がなされた模様であるが、見る限り余り破壊も受けておらず遺構もほぼ当時のままの様には感じられた。もちろん調査後のリサーチはしていないので、どの様な調査結果が出たのかは知る術も無いし、調査後に数100年間に渡って風雪を凌いで来た当時の構築物を確実に後世まで保全して行くといった姿勢が見えて来ない限りは、個人的には余り期待も興味も持ってはいないのではあるが、、、。(当時の土木技術の凄さを窺い知る為にも是非このまま遺構は保存し遺して頂きたい)

1route 登城ルート

5 鳥居橋より遠望

3to 城跡概念図

個人的には当時における縄張りプランと優れた土木技術を伴う遺構の見学だけが目的であり、目の前にした遺構だけが真実であり、その醍醐味を素直に味わう事に全てをかけているので、何時もの事ながら現状(六月)見たままをリポートさせて頂くが、結論から先に言えばこの城跡は道路側から5分とかからず直立に近い凄い堀切(切岸が美しい上に主郭までの高さが凄い)まで到達出来る事、あるいはコンパクトにまとまっている為に縄張り妙味は余り感じられないが、状態も比較的良い事を踏まえれば、充分見学に値し是非訪問をお薦めしたい城跡と言うことにはなりそうである。城史に関しての詳細は不明

13_horikiri 13_horikiri_1 南大堀切見所

16_shukaku_yagura_1 主郭南櫓台?見所

18_shukaku_dorui 主郭西側の土塁見所

21_higasi_koguti_1 主郭東虎口跡

27_fukukaku_1 副郭内

26_fukukaku_tatebori_2 副郭東の縦堀地形

30_higasi_kaku 東郭

33_minami_one_tatebori 南尾根上の縦堀

城跡を歩き回った結果、自作概念図に示したものが自身で判断した遺構と呼べそうなものになるが、明確に判別出来る遺構としての見所は前述の大堀切、南郭に備わる縦堀、主郭東半分を巡る土塁(南端には櫓台土塁)、便宜上副郭とした東側虎口に備わる三本の縦堀地形が挙げられる。副郭には一部土塁跡は窺われたが、北西側に設けられた配水施設跡の造成土盛の様な気がしないでもない。ただ北斜面下方側に現在住宅地が建っているので、本来の郭跡がどこまで削り取られて、どれ位消失したものかは想像に任せるしか無い様にも思われた。尚、ここから南へ尾根沿いに上れば形態の明らかに違う城跡遺構が山上にかけて残っているが、そちらの現況報告は次で掲載予定

2009年7月 8日 (水)

樋口城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市庄境にあって鶴城跡からは東南直線3km内の距離にある、もちろん樋口氏の居城として良いものと思われるが、詳細は不明。ただ鶴城とは至近距離にある事からも、支城あるいは出城としての機能を担っていた可能性は非常に高いものと見受けられた。

城跡へは国道312号を利用すれば色んなルートが考えられるので、ここでは割愛させて頂くが、登城ルート図を参考にすれば現地近くまでは難なく辿り着く事が出来ると思われる。(探せば付近に路駐スペースあり) 山上主郭(比高100m)まで上るルートは偶然付近で出くわした城山を一部保有する方に教わる事が出来た上、更に上り口の案内までして頂いたが、写真に示した空き地の直立に近い鉄梯子(怖くて腰が引けそうになる)を上り、更に山上までは急斜面(激斜)を登り切らねばならず、個人的には余りお薦めする事が出来ないので、これから訪問される方はできるなら別ルートを探して上られた方が良いのではないかと思われる。ましてこれから先この空き地に住宅が建ってしまえば、当然この梯子を利用して上るのは不可能とも予想され、南西側(全て崖状地形の上、ネットが張り巡らされている)からの直登は避けた方が良いものと感じられた。地形から考えれば南側から遠回りに上れば何とかなりそうには思われたが、、、。

1route 登城ルート

6_2 リスクを背負う参考直登口

3hi 城跡概念図

8_shukaku_nisi_gedan 南西下段郭

9_shukaku_dorui_dan 主郭内の土塁壇

11_minami_yori_shukaku_gawa 主郭南より

15_karabori_ato 南郭空堀跡

18_dorui_dou 片堀切と土塁道見所

21_horikiri_3 南堀切見所

26_nisi_horikiri 西郭群堀切見所

28_horikiri_nisikaku_2 西郭群

現状(六月)城跡はこの時期にしては状態も比較的まし(藪漕ぎは無い)であり、ある程度見通しも利く事から山上における遺構はほぼ判別確認可能な状態にある。郭跡を除けば明確に判別可能な三本の堀切、相当埋もれているが判別は可能な空堀跡、土塁、土塁土橋、連続する土塁壇(マウンド)といったところが、現状見て回れた範囲の中で地形から個人的に判断出来た遺構群でもある。砦規模の城跡なので縄張り妙味まで求める訳には行かないが、山城としての風情あるいは醍醐味は充分感じられる城跡と目には映った。状態も良い部類に入る事からも四季を問わず訪問が可能であるとは思われるが、安全面を重視すれば今回は自分でも納得の行く直登ルートが紹介出来なかったのが少し残念な処ではある。下山後には直登口を案内して頂いた城山所有者(歴史には詳しい)にお礼を述べた上で状況を報告したいと思い訪ねたが、自分の山がかつて戦国期において城跡であった事実を、自身が現地で描いた簡単な縄張り図を示して説明しても「今までそんな事は先祖から聞いた事も無ければ、他で耳にした事も無い」の一点張りで、とうとう最後まで信じてはもらえなかったのが非常に残念でもあり、改めて400年に渡って現在に至る「城跡の価値」を現実として知らされた思いでもある。尚、城山所有者は自分の事を山の風景写真を撮影しに訪れた者とどうやら勘違いされていた事も後の話で分かった。

2009年7月 6日 (月)

上郷城跡(兵庫県豊岡市)

今回は当方の不手際により、折角編集した上郷城跡のブログ記事が失われてしまいました。よって少し見苦しいかも分かりませんが、最初に記事を作成した時における原稿のコピーを載せる事にしました。詳しい城跡の現況リポートに関しては、「城跡の詳細」をクリックして読んで頂ければ幸いです。

2kami2 城跡の詳細

1rpute 登城ルート

4a 城跡遠望

6 直登進入口

3ka 城跡概念図

9kitaone_horikiri 北尾根上の堀切

15_kitakaku_kirikisi_1 上方北郭の切岸

19_sita_kaku_2 下方郭跡

20_sita_kaku下方北側の腰郭

24_kita_dankaku_1 下方北段郭群

28_shukaku_1 主郭内

30_shukaku_yori_kita_yagura_1 北櫓台土塁見所

34_horikiri_1

南堀切

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