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2009年6月28日 - 2009年7月4日

2009年7月 4日 (土)

芦原城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市久美浜町芦原にあって小幡氏の居城が唯一伝わるが、資料も皆無に近いことから城跡の成立した時代背景も分からず、当時丹後攻略軍の細川氏の傘下にあった武将なのか、一色氏の配下にあった武将なのかは確かな情報も得られず、詳細は全く不明。

城跡へは先にリポート掲載を終えた佐野城を起点にすれば分かり易いが、国道312号は久美浜に向いて西進、後は目印となるものがないのでルート図を参考に、谷地区より一般道703号へ左折針路変更すればよい。芦原地区に入れば橋を渡る手前より右手側に城跡は視界に入る事からも、直ぐに確認する事は出来るはずである。城跡への進入口は概念図に示したように小橋を渡って直ぐに竹林地に入り、そのまま郭壁となる急斜面を上り切れば主郭までは5分とかからず到達可能である。(付近を探せば車の路駐スペースはあり)

現状(六月)城跡は住宅地が迫っている事からも竹林地が占める割合も多いが、山上における主要な郭群、あるいは現存する大堀切(三箇所の薬研堀)、北郭に備わる土塁、切り立った郭切岸などは判別確認出来る状態でもあり、遺構見学においては充分満足の出来るレベルにある城跡と言ってよいものと思われる。ただ東側あるいは北東側に踏み入るほど身動きも取れないほどの雑木竹林地となるが、本命はあくまでも山上本郭群なので見学する分には大して影響はないものと感じられる。城跡の形態としては余り高低差のない主要四郭を、地形に任せて大堀切を挟みながら掘削形成されたもので、地形上からか直線的に郭が配されていないところが非常にユニークな縄張りプランと感じられた。

1route_2 登城ルート

6 城跡進入口

3as 城跡概念図

10_kosi_yori_shukaku_heki 腰郭より主郭壁

15_shukaku 主郭内

20_kita_gedan_yori_shukaku 北中郭より主郭側

21_dai_horikiri_3 北堀切(薬研堀)見所

22_kitakaku_dorui 北郭土塁見所

26_higasi_dai_horikiri 主郭東堀切見所

29_fukukaku_higasi_horikiri 副郭東堀切見所

13 主郭南下段

25_yasiki_ka 屋敷跡か?

城跡最大の見所は郭間を遮る三箇所の大堀切で、直立に近い様相でもあり、高低差がある事からも見応えは素晴らしく、この城跡にあっては抜群の存在感を誇っており、正に一見の価値のある遺構と目には映った。他では丘城(ほぼ独立した低山)ならではの鋭角に切り立つ高い切岸も未だ健在であり、見学者にとっては非常に目を楽しませてくれる材料ともなっている。

丹後地方に於いてある程度知名度のある山城(丘城)として挙げられるのは、まず吉原山城、久美浜城、弓木城、少しランクが下がって下岡城と非常に数は少ないが、今回訪れたこの城跡は佐野城、意布伎城などと並んで知名度は無きに等しく、ほぼ無名に近いと言えるが遺構残存度は非常に高いものがあり、これから先は指定史跡として見直されても良いのではないか、とも思える城跡の様に感じられるのである。先に挙げた城跡の何れとセットで訪れても、充分満足感の味わえる山城訪問になるのではないだろうか。個人的には充分お薦め出来る城跡の一つである

2009年7月 2日 (木)

意布伎城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市久美浜町油地にあって、北近畿丹後鉄道宮津線「甲山」駅の一つ山を隔てた真南側の、独立して見える山の山上に位置している。先にリポート掲載を終えた佐野城の支城とも窺われ、当時丹後平定中の最中にあった細川氏の牽制あるいは攻撃から本城を守る為に築かれた城跡と伝わっている模様、詳細は不明

城跡へは佐野城を起点にすれば分かり易いが、国道312号を久美浜に向いて西進し、久美浜高校付近で一般道669号へ針路変更後、「甲山」駅を目指して北進する、後はルート図の如く道標は無いが、意布伎(イブキあるいはオブキ)神社を目指せば難なく登城口付近までは辿り着く事が出来る。

1route 登城ルート

7 進入墓参道

3ib 城跡概念図

神社もかつては砦跡とも窺え、背後には空堀とも見受けられる堀切地形が郭切岸(神社敷地)と並んで城跡の雰囲気を唯一醸し出している。目指す本郭へは概念図に示した墓参道よりかつての大堀切へ合流して向かう事になるが、堀切から北側が本命となる本郭群であり、便宜上の広大な二の丸を通過すれば山上郭までは低山なので直ぐにでも到達出来る。現状(六月)遺構として目に留まったものは集合墓地(南郭とした)との境にある大堀切、二の丸堀切側に備わる土塁、二の丸北側の空堀土塁跡、主郭の櫓台大土塁、櫓台北斜面上の堀切(縦堀)などであり、藪化は進行しており地表も荒れ放題と化してはいるが、これらは現状全て判別可能でもある。先に寄った佐野城が素晴らしかったので多少の期待を胸にして訪れたが、この時期でも藪漕ぎ箇所はほとんどなく、丘陵地形の為に山城としての醍醐味までは味わう事が出来なかったが、期待以上の城跡遺構に巡り合える事は出来た。概念図におけるまでが踏破した範囲であり、個人的に遺構と判別出来たものであるが、東西斜面上までは生い茂る雑木の為に外見からの視認も踏破も困難な状況でもあり、縦堀の有無までの確認には至れなかった。

8 堀切へ

10_horikiri_1 南大堀切見所

15_2maru_dorui_1 二の丸土塁見所

16_2maru 二の丸内

17_2maru_kita_karabori_1 二の丸北側空堀跡見所

22_shukaku 主郭内

25_shuaku_yagura 主郭櫓台土塁見所

28_kita_horikiri_1 北堀切

ほぼ無名に近く情報も皆無に近い城跡ではあるが、遺構残存度は非常に高く、5分程度あれば主郭まで到達可能なお手軽感、久美浜城からも約4km程度の距離でもあり、後でリポート掲載予定の芦原城も含めれば、三城同日訪問で充実した山城巡りを堪能する事が出来るのではないだろうか。

2009年6月30日 (火)

佐野城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市久美浜町佐野にあって、同じ町内にあって既にリポート掲載を終えた竹藤城跡からみれば南へ直線約3kmの位置にあり、それほど遠くの距離にはない。ほぼ無名に近い城跡ではあるが佐野備前守の居城と伝わっており、後で丹後を支配する事になる細川氏によって落城した模様である。付近にお住まいの年配の男性からその当時の話を聞いたところ、「佐野城側では川沿いに面した急斜面に油をまいて滑りやすくする事によって、更に攻め手から城を防備する作戦に出たそうであるが、逆に火を放たれて城は炎上し落城した」との事であり、今となっては失笑するばかりの嘘のような当時の戦模様である。

城跡へは京阪神から向う場合、国道426号より482号を経由して久美浜を目指して車を走らせれば良いが、国道482号と国道312号の交わる交差点の川を挟んで直ぐ東側に聳える低山が目的地となる城跡であり、国道からも直ぐ確認する事は出来る。ルート図に示した様に312号へ右折して数100m東側の国道沿いにある、僅かに入り口と見られる入山口(夏草に覆われているが探せば分かる)に向えばよいが、夏草を少し掻き分けて中に進入して行くと、自ずと屋敷跡にも窺える無数の段状に連なる削平地が目に留まる、それと平行して山上まで連なる東段郭群に沿って上れば難なく主郭までは到達出来る(10分程度)。

1route_2 登城ルート

6 入山口

3sa 城跡概念図

現状(六月)城跡は藪化及び風化は進行中にあるが、この時期でも縄張り内の移動に難渋する事は無く、遺構も全体を通してほぼ判別可能な状態にある。外見から全体像を見渡す事は当然無理ではあるが、案外箇所によっては見通しも利くので見学し易い状態にあると言っても良いだろう(冬季に訪問すれば更に良い状態と思える)。城跡の形態としては川に沿った尾根上の東西に跨って郭が展開されるもので、最高所に位置する主郭から東側に数十段にも及ぶ郭群、更に家臣団の屋敷跡にも窺える無数の段郭群、主郭西側は急斜面を下りれば主郭と占有面積がほぼ同等かそれ以上とも窺われる規模の大きい西出郭が配されており、縄張り変化にも富んでおり非常に目を楽しませてくれる山城である。

18_dorui_1 東郭群の土塁見所

23_higasikaku_jyoudan_dorui_3 東郭群最上段の土塁見所

37_nisidemaru_heki_1 西出郭へ

39_demaru_minamigawa 出郭南側

50_shukaku_1 主郭内

54_kita_yakenbori_4 北大堀切見所

56_saihoku_horikiri 北出郭の堀切

61_yasiki最上段の屋敷跡とも窺われる平地  

見所としては東郭群の最上段に備わる郭を仕切る二連の状態の良い大土塁、主郭北側尾根を分断する高低差を伴う素晴らしい堀切(薬研堀)、西出郭の鋭角な切岸、居館とも見て取れた広い削平地上の土塁郭など探せば遺構は目白押しでもあり、飽きを来させず見て回る事が出来る状況でもある。自作概念図に示した様に地形を活かしたユニークな縄張りプランそのものも見所であり、最近コンパクトな縄張り形態の山城を多く訪問しているせいもあってか、この山城は縄張り妙味もあって特に素晴らしいものの様に目には映った。山上主郭までは急斜面を上る必要も無く、この時期でもそれなりに動き回れる状態の良さ、あるいは遺構の醍醐味を考えれば当然推奨に値する城跡でもあり、丹後地方に訪れた際には是非覗いて頂きたい、これぞ山城と呼べる本格さの漂う城跡である。

2009年6月28日 (日)

福田城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市福田にあって、国道178号の信号「福田」の交差点からは直ぐ西側の丘陵先端に位置しており、国道からも充分確認出来る位置にある。当時この城跡もこの周辺に点在する城跡(海老手城など、、)と同様に山名氏の傘下にあったとは思われるが、当然秀吉による但馬攻略軍によって落城あるいは投降したものと察せられる。城史に関しての詳細は不明

城跡へはルート図あるいは概念図の如く「福田」交差点で針路変更後、集落西最奥にある住宅までは直進、その横をかすめて進めば自ずと登城道でもある墓参道に合流する事が出来る。住宅地背後からはそのまま道に任せて上り、集合墓地に到達後は尾根上を北進すれば、主郭までは10分程度で難なく辿り着く事が出来る。(車は交差点直ぐ西側の小川の流れる側道付近に空きスペースあり)

現状(六月)城跡はこの時期にも関わらず雑木密生状態までには至っておらず、それなりに動き回れる事を考えれば比較的ましな状態と言えるかも知れない。ただ低い下草は登城道から墓地を過ぎれば、南郭群から主郭にかけては地表も見えないほど蔓延っているので、細部における地表の変化から遺構を判別するのは非常に困難な状況にはある。それでも埋もれて判別し難い二連に見える堀切跡(縦堀は明確に判別可能)は判別可能でもあり、主郭の南壁を巡る土塁と共に城跡唯一の見所となっている。主郭より北側には細い土塁道が櫓台とも言える北出郭の大土塁(推察)に向いて繋がっている様だが、視認による外見からの確認だけで、密生する雑木藪の為に出郭内部まで踏み入る事は非常に困難でもあり、踏破して広さ(土塁上から見れば相当広く見えた)などを体感する事は叶わなかった。

1route 登城ルート

5 進入口

3fu 城跡概念図

17_horikiri_tatehori_3 南側堀切跡

17_horikiri_tatehori 縦堀

19_shukaku_minamigawa_dorui 主郭の土塁見所

22_fukukaku_1 副郭内

28_kita_kaku 北郭

29_kita_shukaku_heki 主郭北切岸

城跡の規模は小さいが明確に判別出来る土塁、直立に近く削られた主郭の切岸、縄張り変化には富んでいないが、住宅地が城跡直ぐ傍まで迫りながらもこれだけの遺構残存度、以上の点を踏まえれば見学する分には充分なものでもあり、10分足らずで主郭まで到達出来るお手軽さを加味すれば、自ずとお薦め出来る城跡と言う事になろうか、、、400年前後に渡って厳しい風雪を凌いで来た、主郭南半分を巡る土塁は一見の価値のあるものとみた!

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