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2009年6月21日 - 2009年6月27日

2009年6月26日 (金)

森津城跡(兵庫県豊岡市)

この城跡は先日のブログで現地訪問後に詳細をお伝えした様に、先にリポート掲載に及んだ森津城は規模が小さく本来の城跡(本城)は、谷を挟んだ直ぐ東尾根の山上に位置している事が判明した。掲載する上においては前回訪問した規模の小さい城跡を森津西城として、今回訪れた此方が本来の森津城としてリポート掲載に及ぶ運びとなった。どちらにしても二城一体とした形態が森津城でもあり、これから訪問する方には是非二城を同日訪問として訪れるのが効率も良く見て回れそうに思われる。西城より更に西側に隣接する呼称不明の城跡(海老手城と誤認した)も森津三城(城塞群)として考えれば、自ずと規模が大きい事からも屋敷跡あるいは居館であったとも考えられるが、個人的推察の域は出ないものである。城史に関しての情報は現状一切不明である。

城跡は豊岡市森津にあって前回リポート掲載に及んだ西城を起点にすれば、そこから東に見える先端尾根上が城跡でもあり、直ぐに確認することは出来る。当然登山道などは無いので、概念図に示す某建設会社の手前側にある住宅地横の畑地に向う山道(写真に示した)から背後に回り、そのまま直登する形で斜面を上る事になるが、直登口付近で多少の藪漕ぎが必要とされるだけで、15分もあれば山上南堀切までは容易に辿り着く事が出来る筈である。

1route_2 登城ルート

6 城跡遠望

7_tozanguti 進入口

3_1 城跡概念図

現状(六月)城跡は当然の如く藪化進行中にあるが、高低差の少ないほぼ二郭で形成される山城である為に縄張もシンプルであり、この時期でも難渋する事も無く移動出来るので、現存する遺構はほぼ判別確認出来る状態にはある。郭内の全体像などは生い茂る雑木の為に外見から判断する事は出来ないが、郭に設けられた土塁などは確認可能でもある。城跡最大の見所は山上郭の南北尾根を断つ大堀切(薬研堀)で、直立に近く切り立つ堀切壁は状態も良く、高低差もある事から存在感あるいは見応えも抜群なものがあり、他に遺構として目を引くものがある訳でもない事を思えば、この二本の堀切見学がこの山城の全てと言っても過言ではない様にも感じられた。全長100m前後、幅の狭い痩せ尾根上を削平して目一杯築かれたこの山城は、西城よりは当然規模では勝るが、砦規模でもあり個人的には城跡としての醍醐味を感じるまでには至れなかった、しかしこの状態の良い二本の堀切だけは、一度覗いて見ても決して期待を裏切られる事は無いような気はするのである。先にリポート掲載に及んだ海老手城あるいは森津西城との同日訪問においては、充分満足感の味わえる有意義な山城巡りになるのではないだろうか。 

15_fukukaku_heki_1 南副郭堀切壁

17_minami_horikiri_1 18_horikiri 南大堀切見所

21_fuku_dorui_2 副郭土塁

21_fuku_yori_shukaku 副郭より主郭

25_shukaku_kita_dorui 主郭北側土塁見所

28_kita_horikiri_5 北大堀切見所

尚、既にリポート掲載を終えた森津西城は今回訪れた森津城とも重なり紛らわしい事からも、一旦記事は削除して森津城の出城(西城)として今回こちら側に同時掲載しました。一応概念図は掲載しておきましたので参考までに、、。

Nisi 森津西城概念図と前回記事

3_1_2 海老手城と誤認した城跡概念図

2009年6月24日 (水)

海老手城跡(兵庫県豊岡市)

6/21のブログで詳細をお伝えした様に、最初にリポート掲載した海老手城跡は本来の城跡ではない(誤認)事が判明しました、今回は確かな現地情報を元に前回のリベンジをするべく実際の海老手城跡を訪問しました。結果的には予想を上回る規模、状態としては相当藪化進行中にはあるが、手付かずの為にほぼ完存とも言える遺構群の残存度の高さには素晴らしいものがあり山城としての醍醐味あるいは見応えもかなりレベルの高いものと目に映ったので、是非お薦め出来る山城として現況をリポートさせて頂きました。

1route 登城ルート

8 城跡進入口

(本文) 城跡は豊岡市滝にあって、鶴城の支城として栗坂氏の居城が伝わるが、丹後に居城を持つ垣屋氏によって攻略されている模様である。前回誤認した城跡からは水田地帯及び国道178号を隔てて、ほぼ南対岸側の低山山上に位置している。城跡へは豊岡市内より国道178号で福田西の信号を越えれば「豊岡市清掃センター」を目印として向えばよいが、途中で崖が崩れており一般車両は通行不可となっているので、車はその手前に路駐、後は歩いてルート図の如く清掃センターを目指せばよい。ゲートまで到達すれば概念図あるいは写真に示すルートで直登口まで向かい、そこから斜面に向いて取り付けば10分程度で主郭までは辿り着く事が出来る。ただし個人的には平日に訪れた事もあって、ゲートが開いていたので難なく直登口までは行けたが、祝日あるいは土、日にゲート(車両用)が開いている確証は無いので、事前に確認した方が良いかもしれない、ただ人は脇からでも通り抜け出来た様には思えたがこれも確証はない。この城跡へ上るには北側からは橋が全く無いので、ここ以外から直登口まで辿り着くことはほぼ無理な様にも思われる。

現状(六月)城跡は前述の様に相当藪化進行中にあるが、この時期においても縄張り内の移動、あるいは遺構見学がし難い状態までには至っておらず、縄張りも掴み易く残存度の高い遺構群はほぼ判別確認が出来る状況にはある。自作概念図に示したまでが自身で見て回れた範囲であり、確認に及んだ遺構であるが、郭周囲の急斜面は密生する雑木藪地でもあり、外見からの縦堀の判別は非常に困難(但馬地方の山城には畝状縦堀が多く見受けられるが、、)、よって当然備わっていると思われる縦堀の確認までには至れなかった。城跡最大の見所は西尾根を断つ大堀切(薬研堀)が真っ先に挙げられるが、この遺構は主郭からの高低差が20m近くもあり、相当な醍醐味と見応えを感じる事が出来る、他では便宜上の三の丸及び二の丸の土塁、東斜面に連なる段郭群、堀切、郭壁における石垣痕などは挙げられるが、北側は崖状急斜面あるいは天然の水堀(大浜川)とし、山容(地形)も縄張りとして取り込んで築かれた様は、正しく戦国期における山城の様相ではある。現状植林地でもなく、人の手の入らない山城として考えれば、400年余りの自然風化の割には非常に良い状態にあるとも言え、これだけでも貴重な城跡とも言えよう。これだけの遺構が残存しているのであれば、個人所有とも見受けられる城山に対しては少し失礼かも知れないが、是非市に訴えかけて指定史跡として後世まで遺して頂きたいと願うばかりである。

3eb 城跡概念図

12_3maru_dorui 三の丸土塁見所

13_3maru_nai_1 三の丸の現状

19_2maru_dorui_heki 二の丸土塁壁

22_shukaku_naka_dan 主郭内

27_dai_horikiri_4 西大堀切見所

37_horikiri_2 東郭堀切見所

40_isigaki_ato 東郭壁石垣痕

尚、最初の訪問により海老手城と誤認した方の城跡(明確な堀切、郭跡と土塁が残存)は、城史に関しての情報も現状皆無である事からも未だ呼称が判明していないが、仲良く三城が並ぶ様相はとても向城(付け城)とは考えられず、規模も比較的大きいものでもあり、森津三城(城塞群)の中の一つとすれば充分納得の行く城跡なのかもしれない。

2009年6月21日 (日)

TAKUよりお知らせ

先月「城跡呼称に関して訂正」の必要があると掲載しました、兵庫県豊岡市にある海老手城並びに森津城が、今回の現地訪問によって本来の城跡の場所の確定、及びその実態まで明らかになりましたのでお知らせしたいと思います。

まず海老手城跡の方は前回現地情報より推察お知らせした通りに、最初に海老手城と紹介した城跡より南側の国道及び川を隔てた対岸の低山に位置している事が判明しました。とすれば最初にリポート掲載に及んだ城跡の呼称は、、?と言う事になりますが、この地域には城跡(砦)が密集しているといった現地情報からも、未だ呼称の特定までには至っておりません。もちろん付近住民の方数人に訪ねても存在すら知られていない状況でもあり、当然出版物あるいは資料にも登場していない無名の城跡とも見受けられ、これから先も城跡としての呼称の特定は期待出来そうにないのが現実でもあります。ただ深く但馬史あるいは郷土史に関わっておられる方であれば、明確に判別可能な土塁あるいは堀切が残存している事からも、案外知っておられる可能性はあるとは思えますが、、。

取り合えずこの城跡に関してのリポートは、現在編集中の本来の海老手城とも紛らわしくなって来るので一旦削除したいと思いますが、城跡概念図の方はこれから山城巡りの一環として訪れる方もおられるかも知れず、森津城に隣接している事からも登城ルートと共に、引き続き呼称判明までは森津城と同時掲載をし続けるつもりでおります。もちろん呼称が判明次第報告はしたいと思っておりますが、お薦め出来るほどの見応えのある遺構が残っている訳でもなく、余り深く追求する必要は無いのかも分かりません、、、

一方森津城跡の方は最初にリポート掲載をした城跡の谷を隔てた直ぐ東側の山上に本来の森津城(今回のケースでは便宜上本来の、、と呼ばせて頂きました)があることが判明しました。此方の城跡は一部の城跡に詳しい方の話によれば「どちらも森津城であり別に城跡を分けて考える必要もなく、二城一体とした形態であるなら規模の小さい方が出城かも知れない」と言った見解でもあり、取り合えず既に紹介した規模の小さい森津城は掲載する分には紛らわしいので、差別化する意味合いで森津西城と訂正し直して、新しくリポート掲載に及ぶ森津城跡の中にそのまま掲載する形にしたいと思います。どちらの城跡も現況リポートに関しては現在編集中でもあり、近日中に掲載に及びたいと思っております。

尚、開設以来ほぼ毎日更新を続けて来ましたブログですが、流石にここに来てプライベートも含んだ諸事情により、毎日の更新が困難となりました。訪問はしたものの掲載が追いつかず未掲載のままになっている近畿圏外の山城もまだ数多く残しており、これから毎日の更新が困難ともなれば、当然リポートとしての鮮度も落ちる事にも繋がるので、これから先も日の目を見ることも無く終わってしまいそうかと思うと少し残念な気はします、しかし拠点に近い京都府、大阪府、兵庫県の中に限っては、訪れた山城はほぼリポート掲載に及ぶ事が出来ましたので非常に満足はしております。

これからのブログ掲載は不定期になるものと予想されますが、数十年来続けて来たライフワークとしての山城巡りの回数が極端に減る訳ではありませんので、時間の許す限り編集しながら情報鮮度が落ちない程度に城跡リポートは発信して行くつもりでおります。ブログ更新回数は減るとは思われますが、これまで同様山城訪問におけるアシストとして「山城賛歌」を活用して頂ければ、自分にとってもこれ以上の喜びは無いものと思えます。

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