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2009年6月14日 - 2009年6月20日

2009年6月20日 (土)

広瀬城跡(京都府南丹市)

この城跡は南丹市八木町北広瀬にあって、国道9号より八木町に入れば八木交差点より477号へ針路変更、その後は桂川を渡れば直ぐ川沿いに左折し、目印となる「阿弥陀寺」あるいは隣接する「岡神社」を目指せばよい、直登取り付き地点は概念図の如く神社すぐ背後にある墓参道からで、道が途切れてもそのまま山上を目指して上れば、山上主郭までは10分内で藪漕ぎもなく辿り着く事が出来る。

この山城を訪問するきっかけとなったのは、昨年の刑部城跡訪問の際に西に聳えるなだらかな山容を持つ低山が、刑部城跡と同様に城山の風情を充分過ぎるぐらいに醸し出していた事からも、何時か機会があれば踏破探索してみようと思っていた事によるもので、今回はたまたま付近を通過した事も重なり、事前から描いていた南北二通りの直登想定ルートの中、南側に位置する岡神社側より直登を敢行した。(ちなみに北側先端に下山したが、この逆ルートでも分かり易く上れる)

結果的には昨年推察した通りに、山上には古い形態を持つ明らかに山城跡と呼べる遺構群北側に繋がる尾根上には数100mにも及ぶ郭群(削平地)、何れも地表風化によって埋もれて判別し難い状態にはあるが、堀切あるいは土塁などを伴って北尾根先端にまで縄張りは展開されていた。山上に向うまでには僅かな期待はあったが、これほどまでとは思っていなかったせいもあり、久し振りに味わう嬉しい大誤算にテンションの上がる訪城と相成った。しかし、これだけの城跡遺構がありながら手元に所有する資料の中からは城跡呼称を見出す事が出来ず、今回は是非山城ファンの方達に存在を知って頂く為に仮名としてリポート掲載に及ぶ運びとなった。当然既に訪問されて遺構の確認あるいは城跡呼称の確認まで行なわれた方も居られるかも分からないが、間違いなく城跡と断定出来る遺構群と見受けられたので、今回はまだ未訪の方の為に迷わず現況(六月)リポートさせて頂いた。

1route 登城ルート

8 進入口

3h 城跡概念図

現状、山上郭群においては長年の地表風化によるものか、最初から安普請で築かれたものかは判断出来かねるが相当地形は曖昧でもあり、部分的に切岸などは窺えるが高低差を伴う切岸は皆無、周囲はなだらかな斜面とあって当然縦堀なども設けられておらず、明確に判別出来る遺構も限られてくる状況にはある。それでも山上における僅かな土塁跡、あるいは他に類を見ない形態とも見受けられる土塁壇での本郭構成など、非常に見学者にとっては想像を掻き立てられて、推察も含めて楽しく見て回れる城跡と目には映った。連続する起伏の少ない北尾根上には、相当埋もれてはいるが堀切(空堀)跡や土塁壇なども目に留まり、連続する削平地を通過して先端部には城中最大とも見受けられる北出郭があり、相当距離を歩く事にはなるが充分目は楽しませてくれる様には感じられた。

個人的には今回(過去)の様に城跡として資料にあらずとも、外見から城山と感じれば直ぐに踏破探索してみたくなる性分でもあり、城跡呼称に関しては暫定あるいは仮名として既に掲載を終えた、京都府内に限れば桐村城、千手寺城、川北城などは今もって呼称確定にまでは漕ぎ着けていない現状なのだが、この山城も自ずとその中の一つに加えられそうな気もしてくる、、、。自身で歩き回った末、作成した概念図(当然正確ではない)に少しでも興味を持たれた方のみが対象となる山城かも知れないが、現状藪漕ぎ見学までには至っておらず、付近を通過したついでに寄る程度ならば見応えは少ないかも知れないが、縄張りを縦走して体感した見返りは決して少なくはないと感じられるのである。

13_minami_doruikaku_1 山上南土塁壇見所

15_doruidan 北土塁壇

16_dorui_ato 僅かな土塁跡

21_doruidan_kuboti 本郭群窪地

38_horikiri_dobasi 北郭群へ堀切土橋見所

41kitakaku_gun_horikiri_ato 僅かに残る堀切跡

44_kitademaru 北出丸

2009年6月19日 (金)

吉末城跡(広島県東広島市)

城跡は広島県東広島市豊栄町安宿にあって、椋梨川に沿う形で走る国道486号からは「吉末城跡」と掲げられた大きな看板が目に留まるので、場所及び位置は直ぐ確認する事は出来る。個人的にも国道を移動中に偶然この大きな看板が目に入り思わず立ち寄ったものでもあり、僅かな期待を胸に秘めての訪問となった。当然城跡に関しての詳細は不明ではあるが、城跡の規模あるいは地理的環境から推察しても、村の城あるいは物見の域は出ず、当時この一帯は毛利氏あるいは小早川氏の支配する所でもあり、自ずとその傘下の武将あるいは家臣の城であった可能性は高いと見受けられる。

城跡へは前述の様に国道486号を走ってさえいれば、川沿いの低山麓に掲げられた大きな看板は直ぐ目に留まる筈であり、ルート図の如く椋梨川を渡ればどこから取り付いても山上主郭までは5分内で到達出来る。個人的には写真に示す川沿いから看板の見える山道より山上を目指したが、途中からは雑木藪地となったのでそのまま藪漕ぎで山上まで上る羽目になった。主郭に佇んでも麓まで通じる山道は見当たらなかったのだが、下山時に下り立った付近にある東側の畑地を通過して上った方が、未訪の方には分かり易く無難かも知れない、、、。

現状(四月)城跡は植林地なのであるが、下草や草木が相当蔓延っているので非常に歩き辛く見学し難い状態にあり、場所によっては密生する草木あるいは伐採された木々の放置によって地表も見えず踏み入る事も出来ないので、郭形状あるいは郭内の地形は当然掴めない状況でもある。規模の小さな城跡なので推察でも充分事足りるかもしれないが、削平地、土塁跡、切岸などは部分的にしっかりと残っており、大きな看板が目ざとく設置されている史跡として考えれば、この状態では随分勿体無い気もする。当然自分の様に看板を見て訪れる見学者も多数いる様には思われるが、現状を見る限り少し落胆は隠せないのが現実でもある。次の予定地までの移動中でもあり、急いで見て回った為に正確な城跡概念図は描けなかったが、図中に示したまでが目に留まった遺構であり今回歩き回れた範囲でもある。訪れた時期がまずかったと言えなくも無いが、個人所有の城山と察せられる事からも、これ以上多くは望めないような気もするのである。今回の様に国道移動中に少し立ち寄る程度の訪問なら、納得した訪城になるとは思えるが、、、。

1 登城ルート

3tozanguti_2 城跡遠望

3x 城跡概念図

15_fumoto_3 城跡東側

10_shukaku_nai 主郭内の現状

8_shukaku_heki 主郭切岸

7_minami_gedan_1 主郭南下段郭

10_obi 東帯郭

15_fumoto 現状休耕地 郭跡か?

2009年6月18日 (木)

石山城跡(福井県大飯郡)

城跡は福井県大飯郡おおい町石山にあって、当時は若狭武田氏(後瀬山城主)の重臣でもあった武藤氏の居城と伝わっているが詳細は不明。

城跡へは舞鶴若狭自動車道「大飯高浜」ICが最寄の乗降口であるが、綾部市内からは県道1号を利用すれば道路も相当空いており、遠回りでもある自動車道とは時間に大差なく到達出来るものとは思える。現地に於いては当然登山道は無いものと思われるが、舞鶴若狭自動車道と県道1号の川を隔てた側道の交わる付近が今回の直登取り付き地点とした場所であり、ルート図あるいは概念図の如く、集合墓地横から背後に回り竹林地からそのまま山上を目指せば、急斜面ではあるが僅かな踏み跡も窺えるので、15分もあれば迷わず便宜上の三の丸までは辿り着く事が出来る。

今回は現地に向う途中から小雨が降り出した事もあり当然の如く斜面は滑りやすく、非常に悪条件下での厳しい登山になったが、山上主郭までの距離は長くはないので、何とか山上までは無事に辿り着く事が出来た。結果的には現状の安全面を考えて堀切があると推察出来た南急斜面、あるいは地形上からも縄張りと察せられる南西尾根までは踏破は出来なかったが、山上郭群における比較的状態の良い明確な遺構の数々を眼にする事は出来た。現状(六月)城跡は藪化進行中にはあるが充分遺構は判別確認出来る状態にあり、案外小雨の中でも快適に見て回れた事を考えれば、意外に四季を問わず訪問可能なのではないかとも見て取れた。山上郭群としての形態は規模の小さい主郭を最高所として、北東側尾根に沿って郭を段郭的に展開したもので、規模もさほど大きいものでは無く、郭高低差も余り無い事からも見応えには少し欠けるように思われたが、急峻な地形、遺構残存度の高さ、部分的に備わる縦土塁自然岩を利用した郭壁、主郭に備わる土塁など山城の醍醐味は充分感じられるものでもあり、縄張り妙味さえ問わなければ充分お薦め出来る山城の様には感じられた。

1a 登城ルート

7_tyokuto_kuti 進入口

3i 城跡概念図

15_3maru_1 三の丸

18_higasi_kaku_gun 北東段郭群

22_higasi_hasi_kaku 北東先端郭

30_2maru_2 二の丸

31_shukaku_ooiwa_heki_2 主郭大岩壁見所

34_shukaku_dorui 主郭内

33_dorui 主郭土塁見所

今回の訪問は悪条件下でもあり、事前に計画していた縄張りと推察出来る範囲の全てを踏破したわけではないので、当然遺構も縄張りも概念図に示した限りが全てではないと思われるが、これから訪問される方には、是非自分が踏破出来なかった箇所も踏破して頂いて、この山城の持つ本来の縄張りを極めて頂きたいと思うのが本音でもある。もちろん山上郭群以外の遺構(個人的には公的に作成された縄張り図は出来るだけ所有せず、尚且つ見ない様にしているので、実際の縄張り図が存在していたとしても分からないのが現状)に関しては推察の域は出ないのではあるが、、、。

2009年6月17日 (水)

大谷向山城跡(兵庫県養父市)

城跡は養父市関宮町大谷にあって、大谷集落より国道及び八木川を隔てた南対岸の低山山上に位置している。養父市内の八鹿地区から関宮地区あるいは大屋地区にかけては数多くの山城(砦跡)が点在しており、当然その中の一つに含まれるであろうこの山城も、ほぼ無名に近い事からも城史に関しての詳細は全く不明であるが、山上には小規模ではあるが比較的良い状態のままの城跡遺構が残存しており、是非とは言わないが関宮地区の山城巡りの際には、リスペクトして頂きたい城跡としてリポート掲載に及んだ。

城跡へは先にリポート掲載に及んだ尾崎天王山城と同様に国道9号(山陰道)より向えばよい、国道を大谷集落まで走ればルート図の如く南側へ左折、渓流展望所でもあり駐車場となる休憩所は橋を渡って直ぐ左手にある。ここを拠点として登山開始となるが、後はほぼ概念図通りに西側山道にある獣避けフェンスを開閉して、数10m歩いた後に沢を渡り斜面に取り付けばよい、直登斜面は植林地でもあり藪漕ぎの必要は無いので意外に急斜面も苦にはならない、なるべく左手側へ少し斜行しながら直登すれば15分もあれば縦堀の備わる北郭群に辿り着く事が出来る。(主郭までは約20分) 参考までに下山ルートも示したが、フェンス開閉口が何箇所もある訳ではないので急斜面を下りる際には必ず概念図付近に下り立つ事が大事となる。尚、逆にこの場所から取り付いても尾根に沿って上れば山上主郭までは到達出来る。

1route 登城ルート

5_inrijinjya_yori 城跡遠望

3oo1 城跡概念図

14_gedan2_tatehori 北郭群縦堀見所

16_kita_gadan1_1 北郭下段

21_horikiri_1 堀切見所

23_horikiri_ato 埋もれた堀切跡

28_minami_horikiri 南堀切

25_shukaku_1 主郭内

現状(6月)城跡はこの時期にあっても藪化はしておらず、見学し易く比較的見て回りやすい状態にあり、縄張りを把握する事も遺構の判別確認をする事も容易に出来る状況でもある。城跡の見所は堀切(縦堀)群であり、風化によって埋もれた箇所も含めて合計5本の堀切を眼にすることが出来た。形態としては主郭を最高所として北側尾根上に郭がほぼ直線的に展開されるだけで、縄張り変化には富んでおらず小規模な事からも見応えがあるとは言い難いが、この状態の良さ、あるいは遺構残存度の高さを加味すれば、充分満足の行くレベルにある山城の様には感じられた。個人的にはこの城跡から西へ数分の距離にある尾崎天王山城とは同日訪問となったが、山城としての醍醐味は断然此方が勝っている様に思われた。

尚、この地区にはルート図1route_2 に示した様に、休憩所から東へ向いて直ぐの距離にタイコ山古墳の墳丘を利用して築かれた和土城があるが、興味のある方は寄っても無駄足にはならないとは思える。ただ発掘作業の結果をリサーチしていないので分からないが、遺構と呼べるものは堀切道(現状集合墓地への参拝道)だけの様にも見受けられた、現状を見る限りでは砦跡としての風情を感じる程度の城跡と思って頂ければ良いのかも、、。

2009年6月16日 (火)

尾崎天王山城跡(兵庫県養父市)

城跡は養父市関宮町尾崎にあって、尾崎集落より真東側の国道9号線に向いて突き出した尾根先端部に位置している。ほぼ無名に近い山城ではあるが石垣が残存しているとの情報だけを頼りに、地形図でおよその目星だけ付けて訪問する運びとなった。藪漕ぎしながら上った結果、ほぼ単郭構造ではあるが国道側の郭壁に石塁を伴った山城に巡りあう事が出来た。当然城史に関しての詳細は不明

城跡へはどの様な道を経由しても、養父市内より国道9号さえ走っておれば容易く尾崎地区には辿り着ける、現地近くまで来れば国道沿いにある「中村自動車整備」を目印としてルート図あるいは概念図の如く進行し、城跡進入口でもある尾崎浄水場施設を目指せばよい。施設付近には駐車スペースは充分あるので、そこから尾根先端に向えば難なく主郭までは辿り着く事は出来る。個人的にはこのルートは下山時に利用したが、国道沿いからの最短距離を選んで直登したお陰で、凄まじいばかりの藪漕ぎを強いられる結果となってしまった。まだ未訪の方には下山時に利用した前者のルートを迷わず選択して赴かれる事をお薦めしたい(それでも時期的に多少の藪漕ぎは仕方が無いが、、)。

現状(6月)城跡は自然任せの風化真っ只中にあり、人の手は入らず荒れ放題と化しており、一部は地表も見えないほどの下草や矢竹、笹に覆われているが、シンプルな構造ともあって縄張りはある程度掴みやすい状態にはある。当時のものと見受けられる石塁は高さは無い(1m程度)が、国道側の外壁をほぼ巡っている形で残存しており、藪漕ぎしながら登って来た甲斐はあったと一人納得をするのである。石垣跡は大小の瓦礫を適当に積み上げたかの様でもあり、お世辞にも素晴らしい見応えのある石積みとは言えないが、往時(突貫工事で築かれたか?)を物語る遺構としては素晴らしいものと目には映った。他では相当埋もれてはいるが空堀跡、あるいは石垣は崩落しているが虎口構造に見えた地形などは当時の残存遺構としてよいのかも知れない。自作概念図に示したまでが現状歩き回れた範囲であり、自分の目に留まった遺構であるが、南東側斜面までは覆い尽くされる矢竹に阻まれてとても探索する気にはなれなかった。当然残存遺構もこの限りではないものとは思われるのだが、この区域は外見からの視認は非常に困難でもあり、推察すら出来ないのが現実なのである。

1route 登城ルート

7 進入口

3te 城跡概念図

12_sekirui 12_sekirui_4 12_sekirui_5 石塁見所

14_karahori_dorui_1 空堀跡見所

16_higasi_isigaki 虎口付近の石垣跡

13_shukaku_1 主郭内

20_koguti_dorui_1 北虎口土塁

この城跡は残存石垣を見たいだけの為に訪れるのであれば、充分納得の行く訪城となる様には思われるが、他の遺構あるいは縄張り妙味などを期待すれば自ずと落胆する事にもなりかねない気がする(大味過ぎる!)。個人的には数100年の歴史を刻んだ石垣がそこにあるだけで充分満足感は得られたが、現状を踏まえれば石垣跡に興味のある方だけに是非お薦め出来る物件と言わざるを得ない。

2009年6月15日 (月)

坂津城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市但東町坂津にあって国道482号を走れば、「日本モンゴル民族博物館」より加悦に抜ける一般道701号へ進路変更、後はルート図の如く目印とした民宿「八平」の看板より右折南進すればよい。車道行き止まりは神社敷地となっており、社殿敷地の背後から直登すれば山上主郭までは5分もあれば辿り着ける。城史に関しての詳細は不明

この山城も他の但東地区の山城(後城、河本城、大河内城など)と同様に非常に規模は小さく、村の城あるいは物見(狼煙台)程度のほぼ単郭で形成された城跡と見てよいものである。その中にあって明確に判別可能な堀切とそれに付随する土塁は唯一の見所でもあり、城山全体が藪化進行中にありながらも比較的良い状態にはある。ただ狼煙台程度の規模でもある主郭は相当雑木に覆われ、更に風化中にある為に数段の狭小郭までの判別は難しい状況にある。尾根沿いに少し上れば痩せ尾根を削平したと見受けられる郭跡も窺う事が出来るが推察の域は出ず、自然地形の可能性も充分考えられるものである。どちらにしても他に枝尾根も見当たらないので、縄張りもほぼ尾根上のみに限定されるものと思われる。

この城跡も先にリポート掲載を終えた河本城と同様に、「但東町の山城を訪ねる」と言った見学コンセプトでも掲げれば、充分見学に値する城跡だと思われるのだが、遺構あるいは縄張り妙味などの見応えを求められれば、返答に困ってしまうのが現実でもある。個人的には但東町に現存する山城の全てとは言わないものの、踏破探索してみたい欲望から訪問する気になったのだが、やはり城跡の佇まいであり縄張りプランなどは現地をこつこつと歩き回らなくては感じられない部分でもあり、特にこのような形態(村の城、逃げ込み城)の山城は築城による立地環境から始まって、見学者を想像に掻き立ててくれる部分も多く、ある意味余計ロマンに浸れるとも言えそうである。ただこの様に小規模な山城は、集落の防備として周りの地形そのものを取り込み築かれたケースも他で見受けられる事から、集落の入り口付近には小さな砦跡が点在していた可能性は充分あるものと察せられる。

1_1 登城ルート

5 城跡進入路

3sa 城跡概念図

8_minami_yorishukaku 南小郭より主郭

11_horikiri_211_horikiri 堀切土塁見所

13_sanjyou 尾根上削平地

個人的に城跡を評価すれば、但東地区一帯に点在する山城巡りの一環と考えれば、充分楽しめる山城の様な気はするのである。

2009年6月14日 (日)

仏清城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市但東町畑山にあって亀ヶ城を居城とした太田氏一族の一人でもある羽尻左馬助の居城と伝わっており、亀ヶ城の東を抑える東出城(支城)と呼べるものでもある。

城跡へは西に位置する岩吹城あるいは亀ヶ城を起点すれば分かり易く、そこから更に東進し国道482号沿いにある「下畑山」バス停を目印として向かう。バス停手前の橋を左折して渡れば直ぐ右手にプレハブ作業小屋が数棟見えてくるが、その間から今回直登山口とする稲荷神社に向けては参拝登山道が通じているので、迷わず社殿までは到達出来る。社殿手前からはどこからでも取り付きやすい場所を探して、東に向いて緩い斜面を直登すれば山上郭群には難なく辿り着く事が出来る。(橋付近からの所要時間は20分程度)

現状(五月)城跡は全域にかけて植林地となっている為に見通しも良く、ある程度全体像が視認出来るので縄張りなどは把握し易いが、地表はほぼ低い熊笹で覆われている為に、細部における地形の変化(土塁)までは視認し辛い状態にある。ただ城跡最大の見所でもある凄い高低差を誇る大堀切は非常に状態が良いもので、幅もあり相当な見応え感じる事が出来る。城跡の形態としては東西200~300mに渡る山上に、ほぼ三郭で形成されたものであるが、主郭の規模の大きさからしても支城として充分相応しいものと言えそうである。縄張り変化には富んでおらず、見る分には非常に大味な気がしないでもないが、他の但東地区にある小規模な山城からすれば随分醍醐味は感じられた。

1route 登城ルート

3a 亀ヶ城パンフより抜粋記事

3bu 城跡概念図

12 直登口

17_2maru 二の丸

19_karabori_kaku 空堀状の小郭

22_shukaku 主郭内

25_shukaku_kita_1 主郭北側

27_horikiri 29_horikiri_heki_1 大堀切見所

概念図に示した部分が遺構として現状確認出来たものであり、一面を覆う熊笹の為に土塁あるいは埋もれた空堀などの様に、細部における地形変化から遺構の判別確認は非常に難しいのが現実でもある。尚、南北斜面上も笹に覆われている事から踏破はしておらず、残存遺構(空堀など)はこの限りではないのかもしれないが、、、。個人的には本城あるいは岩吹城とセットで同日訪問とすれば、充分充実した山城巡りが出来るのではないかとは思えた。

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