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2009年6月7日 - 2009年6月13日

2009年6月13日 (土)

岩吹城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市但東町木村にあって、既にリポート掲載済でもある「亀ヶ城」の支城でもあり、太田氏一族の居城と伝わっているが、今回は本城から見れば西の抑えとしたこの山城へは年を改めての訪問となった。あの素晴らしい本城から察すれば相当遺構にも縄張り妙味にも期待が持てそうには思われたが、結論から先に述べれば、本城が凄過ぎる為に当然全てに於いて見劣りはするものの、残存遺構としての堀切、連続縦堀、櫓台大土塁、鋭角に削られた郭切岸と縄張り妙味もさることながら、歩き回っても次から次へと目を楽しませてくれる山城であり、藪化は進行中にあるがこの時期(五月)でも存分に歩き回れることが出来る状態でもあり、是非お薦め出来る城跡としてリポート掲載に及んだ。

城跡へは本城でもある亀ヶ城訪問コース(但東町へ京阪神から向うルート)国道426号を経由して「出合」交差点は右折、そのまま国道482号を走れば木村集落手前の道路沿いに目印となる「メモリアルホールおのえ」の看板を確認、後は図に示した様に看板先の墓参道より墓地を経由したルートで、多少踏み跡の残る急斜面を巨大岩壁を右手に見ながら斜行して登れば、10分程度で南側斜面に備わる堀切までは到達可能である。

1route1_2 登城ルート

6 城跡進入口

3i 城跡概念図

現状、城跡はこの時期にしてみれば非常に見学し易い状態にあり、概念図に示した遺構群はほぼ判別確認出来る状態でもある。ただ連続縦堀(畝状に見える)にも見えそうな空堀(三条)は緩い斜面上に設けられている事からも相当埋もれており、じっくり全体像を眺めなければ中々判別は難しそうには思える(当然見学者の判断に委ねられる)。見所としては先に述べた堀切(空堀を含めた)群、西郭の防備として設けられた大土塁、南郭の櫓台大土塁は真っ先に挙げられるが、主郭北斜面を数10mほど下りた辺りに展開される、土塁虎口あるいは切岸処理を伴う広大な郭跡(便宜上北出郭とした)も見逃してはならない遺構群と思えた。この郭跡には古来より神社が建立されていたと聞いたが、見る限り雑木に覆われた地表は荒れ放題でもあり、その面影は全く感じる事が出来ず、恐らく当時の広大な郭跡を後世に神社敷地として転用したものとして解釈しても良いのかもしれない。

12_horikiri 南堀切見所

15_minami_kaku_1 南郭、奥大土塁見所

23_shukaku_1 主郭内

26_nisikaku_daidorui 西郭の大土塁見所

30_demaru_horikiri 西堀切見所

31_daikarabori 西出郭の大空堀見所

32_une_1 連続縦堀見所

35_kitakaku_dorui_koguti 北出郭土塁虎口見所

今回は、山城としての魅力の全てを備えた亀ヶ城が今でも脳裏に焼き付いている事からも、支城としての機能を持つこの山城には出来るだけ先入観を持たずに訪問したが、予想を上回る縄張り妙味、期待した以上の遺構の醍醐味にも触れる事が出来、個人的には充分過ぎるほどの満足感を得る事が出来た。

2009年6月12日 (金)

大河内城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市但東町大河内にあって、山名氏の傘下にあった桑垣氏の居城と伝わるが詳細は不明。この但東町一帯は古くは但馬守護職の地位にあった亀ヶ城城主太田氏の支配の下に置かれていたが、太田氏の没落それによる山名氏の台頭と共にほぼ全ての小領主は山名氏の配下に組み入れられたものと見受けられる。この辺境の山深い奥地にある小規模な「村の城」程度の山城跡も、秀吉による但馬攻略までの激動の戦国期を乗り越えながら、尚且つ、数100年の時を刻み現在に至ったのだと思われるが、他の但東地区に多く現存する山城と同様に非常に規模は小さく、村の城の域は出ず有事の際の詰城あるいは逃げ込み城としての機能しか想像は付かないものでもある。個人的には既に但東地区の山城として沢田城から始まって七城程度を訪問した事になるが、規模の大きさ(城域の広さ)で亀ヶ城と中山城を双璧とすれば、他の山城は相当見劣りがするのが現状でもある。

城跡へは京阪神から向う場合、国道9号経由で426号を北上、既にリポート掲載済でもある一ノ宮竹石城をかすめながら更に北進する、長い「登尾トンネル」を抜ければ城跡は直ぐ傍の位置にあり、逆進する形で右折、後はルート図の如く旧国道を谷川沿いに進行すれば、終点でもある通行止めとなっている柵までは到達出来る。そこからは図に示した墓参用の山道があるので、それに従えば自ずと墓地を経由して山上主郭までは10分内で辿り着く事が出来る。

1route1 登城ルート

3oo 城跡概念図

9 登城口付近の削平地

11_hasi 北西端の郭跡

13 郭跡転用か?墓地

20_shukaku_dorui 主郭

16_shuakau_dorui_1 主郭土塁見所

23_kirikisi_1 美しい切岸見所

22_koguti_1 枡形地形の虎口見所

現状(五月)城跡は植林地となっている為に、下草も少なく見通しも利き非常に見学し易い状態にある。概念図に示したまでが判別確認可能な遺構と見受けられるもので、深い堀切あるいは縦堀などは備わっておらず、山城ファンに於いては相当味気なく映るかもしれない、しかしこの状態の良さ、城跡北壁側を谷川に向って絶壁とした佇まい主郭の土塁、枡形虎口の様にも見て取れた地形、鋭角に削られた切岸などは見応えはあり、中々目を楽しませてくれるのが現状でもある。尚、主郭に到達するまでは北西尾根上の墓地も通過する事になるが、この一帯はかつての郭跡を敷地として転用としたものの様には見受けられた。

国道から数分の距離でもあり、車で移動中に寄れる手軽さを踏まえれば充分見学に値するする城跡であると自分の目には映った。

2009年6月11日 (木)

河本城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市但東町河本にあって河本氏の居城と伝わるが詳細は不明、城跡へは国道426号の「出合」交差点より南西側に少し移動した信号機付き三叉路より県道56号へ針路変更、後は河本地区を目指し南下すれば写真に示すバス停手前(川を挟んで城跡の位置は確認出来る)より橋を左折して渡ればよい。ルート図の如く民家を通過して奥に向い、朽ちた小社の少し奥にある小橋を渡って墓参道より西尾根先端側に向って直登すれば、5分程度で堀切の備わる主郭までは辿り着く事が出来る。尚、駐車に関しては前述のバス停付近の路側に充分な空きスペースはある

この山城も現状(五月)を見る限りでは村の城の域を出ない小規模な城跡でもあり、確認出来た遺構としては削平地及び堀切のみである。堀切を挟んだ西側に位置するのが主郭と見受けられるが、痩せ尾根上に全長30m前後、幅5~6m規模の削平地が窺われる程度で土塁などの遺構は目に留まらなかった。しかしこの一本の堀切だけは状態も良く、わざわざ遠くから訪ねて来た甲斐があったと無理やり納得するのである。尾根伝いに山上中腹付近まで踏破してみたものの、城跡遺構らしきものはほとんど見当たらず、縄張り妙味も感じられないほぼ単郭構造でもあり、非常に味気ない思いを抱きながら城跡を後にする事になった。収穫と言えば文献に掲載されている山城の場所と、現在の遺構残存状態を把握出来たぐらいで、ほぼ山城の佇まいを味わいに訪れた程度に終わってしまった気はする。ただこの出郭の様相を呈した城跡は、本来この尾根に繋がる遠く山頂328mの地点までは足を延ばしてはいないので分からないが、ひょっとすれば本郭群を誤認している可能性もありそうに思えてくる、しかし但東地区における他の城跡の規模を考えれば過大評価もありえるので、余り深く追求はしない方が良いのかも、、、

訪問リポートは掲載(ブログ運営趣旨によって)したものの、多くの読者の方あるいは山城ファンの方には、ほぼ場所を特定出来ただけに過ぎない山城としてこれから先も忘れ去られ、流石に訪問の対象とは成り得ない城跡の様な気もして来るのである。国道移動ついでに寄って見学する価値があるかどうかの判断は記事を読まれたブログ読者の方々にお任せしたいのが本音でもあり、この山城に以前より興味を持っておられた方、あるいはこれから訪問する準備のあった方にとっては、よりタイムリーな現況報告であったものと思いたい。

1_1 登城ルート

4 目印

6 城跡進入口

13_horikiri_e 削平地より主郭側

14_horikiri_1 14_horikiri_3 堀切一の見所

17_shukaku_hasi 主郭西側

2009年6月10日 (水)

田矢伊予守城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市阿山町川合にあって引接寺の直ぐ西背後の低山山上に位置している、城跡への道順としては西名阪道「壬生野」ICが最寄の乗降口、ICを降りればルート図の如く県道49号を経由して引接寺を目指せばよい。後は概念図に示される山道から城跡に向いて上れば直ぐ主郭には到達出来るが、現状倒竹などで行く手は遮られるのでいきなり竹薮から直登した方が早いとは思われる。2x_1 田矢氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡は個人的には夏季(7月)、冬季(2月)における二回の訪問となったが、いずれも生い茂る雑木あるいは密生する竹林の為に移動も困難、更に視認にも支障を来たす状態となっており、挙句の果てには昼間でも薄暗い中での遺構撮影はほとんどピンボケ状態に終わってしまった。縄張り図を所有していないのでどこまで踏破したものか見当も付かないが、自作概念図に示される城跡遺構は二度に渡る訪問の結果自身の目で踏破確認する事が出来たものである。ほぼ南北に渡り踏破したものとも思えるが、西側は移動にも困難を来たす状況でもあり今回もまた踏破を断念する結果に終わってしまった。二度の訪城で感じられたのは本郭(二郭)の規模も大きいが、堀切を挟んだ北側及び南側に連なる出郭が存在する事からも相当城域の広い山城(案内板には南北に350mと記載)であると言う事である。

見所は主郭を形成する分厚い大土塁と言う事になるが土塁内壁が大石垣で覆われた様は中々見応えが感じられる、一部虎口付近に大石垣が露出しているだけではあるが恐らく当時土塁内壁は全て石垣で覆われていたとも推察される。現状主郭及び副郭共に竹林地である為に堆積物及び長年の風化によって相当荒れ放題と化してはいるが、ある程度広さは体感する事が出来る状態にあるのでこの薄暗い条件下を考えれば良しとしなければいけないだろう。尚、主郭北にある大堀切を挟んだ北側には状態の良い土塁で形成された出郭が存在するので決して見逃してはならない、南出郭に関しては小規模な段郭群で形成されているので、現状の冬季においても凄まじい藪を考えれば敢えて見学には及ばないものとは思われる。

個人所有の城山とも見受けられるこの城跡はこれから先良いほうに状態が改善されるとはとても思えず、個人的にも三度目の訪問は無さそうにも思えてくるのである。

1route_1 登城ルート

Nawa 城跡概念図

13_tozanguti 進入口

13_dorui12_minamikaku_1 南出郭

18_shukakunai_ooisi_3 18_shukakunai_ooisi_4 主郭土塁内壁の石垣跡見所

21_daihorikiri 北大堀切見所

25_demaru_dorui_2 北出郭土塁見所

2009年6月 9日 (火)

細見城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市出石町細見にあって現在須義神社の建立された山上が主郭にあたり、八幡宮山古墳として町史にも指定されているようである。城史などの詳細は全く不明であるが、古墳を利用して築かれた城跡としてまず間違いのない処ではあろう。

城跡へは先にリポート掲載を終えた浅間城を起点にすれば分かり易いが、同じ県道2号を利用してそのまま出石に向いて車を走らせれば、ほぼルート図通りで神社までは迷わず辿り着く事が出来る。神社参拝石段前に車は一台駐車可能となっている

現状(五月)城跡は社殿の建つ事からほぼ二郭で形成された山上主郭は整備されており、古墳の墳丘をそのまま削り出したと見受けられる切岸などは、ある程度当時のままの状態を見学出来るようには感じられた。南側尾根続きに下りた付近には自然地形状態の堀切が備わり、更に出郭と見受けられる二段の削平地を挟んで幅のある空堀(自然地形とは思われなかった)が設けられている。縄張り変化にも富んでおらず、お世辞にも見応えがあるとは言えないが、街道監視用砦あるいは出城程度としての機能であるならば、当時でも充分な規模の城跡であった様には窺われた。墳丘をそのまま利用している事からも技巧さまでは要求出来ず、更に神社敷地として後世に於いてどれだけ地形改変があったのかは想像も出来ず、見学者には多少物足りないかも知れないが、参拝道を利用すれば5分とかからず到達出来るお手軽さを考えた上で、「町史跡」として見学する分にはそれなりに臨場感も味わえ、何とか楽しめるのではないだろうか。城跡見学として数をこなす方にとっては打って付けの城跡と言えよう。

3h 登城ルート

4 進入路より遠望

5_2 登城口

9_shukaku_heki_1 主郭切岸

10_shukaku 主郭

8_gedan 主郭南下段郭

11_sizen_horikiri_1 南自然地形堀切

15_kaku 南下段2郭

2009年6月 8日 (月)

安良城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市出石町安良にあって既にリポート掲載を終えた福居城跡からみれば川を挟んだ北東側の八幡山山上に位置している。安良十郎左衛門の居城と伝わるが、古くは鎌倉時代より成立していた城跡でもあり、同氏がどの時代における城主なのかはリサーチするまでに至っていないのが現状でもある。山名氏の本城となる比隅山城が直ぐ近くに位置している事からも、この周辺の山城と同様に山名氏傘下にあったか、その家臣の城跡であったとみてほぼ間違いのない処かも知れないが、、、

城跡へは福居城跡を起点にすれば分かり易いと思えるが、国道426号からはほぼルート図の如く向えば八幡神社参拝登山口までは容易に辿り着く事が出来る。(車は周辺に空きスペースあり)

現状(五月)城跡は神社敷地となっている主郭転用地はある程度整備されており、南北における郭群も比較的見学し易い状態にはある、、とは言っても縄張り妙味がありそうな山城には見受けられず、山上本郭群の規模も大きくはない(北尾根上から東西枝尾根上全てを踏破した訳ではない)ので、ほぼ神社の参拝に訪れた程度の山城巡りに終わってしまった。個人的に残存遺構として判別確認出来たものは郭跡、虎口跡(あるいは縦堀かも、、)、切岸程度でもあったが、見る限りに於いては近世に神社敷地として大きな地形改変があったようには見受けられず、山城の風情は多く遺しているものでもあり、この古い形態の山城を思えば充分納得の行く訪城と言えるのかも知れない。城跡に過度な期待を持って赴かなければそれなりに楽しめる山城とは言えるが、遺構の見応えであり醍醐味を求めるのであれば、まず落胆する事にも繋がるので最初から多くの期待を寄せない事が肝心であると感じられた。ただ北側に延びる尾根上に展開されると推察される縄張りの全てを踏破した訳ではないので、当然城跡もこの限りでは無いかも分からないが、、、ほぼ隣接する福居城跡に訪れたついでに寄る程度であれば、充分納得の行く山城巡りが出来るのではないだろうか。

1route 登城ルート

5 進入口

A_3 南郭

A_2 虎口あるいは縦堀?

A_1 主郭切岸

A_5 山上主郭

A_12 北郭1

A_8 北郭虎口跡

2009年6月 7日 (日)

下鉢山城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市下鉢山にあって、先にリポート掲載済でもある上鉢山城からみれば真北側に単独で聳える低山の山上に位置している。現在山上には熊野神社が建立されており、神社への参拝道が西側の住宅地から通じているので、ルート図の如く進入口(鳥居が見える路地)さえ確認すれば迷わず山上までは辿り着く事が出来る。この城跡の真北側には三開山城、あるいは真南側に上鉢山城がある事からも、それらの支城あるいは出城とも見受けられるが、推察の域は出ず城史に関しても詳細は不明。

城跡の形態としては主郭と見受けられる社殿敷地から、南側には幅の狭い小郭を交えた南段郭群、北側は主郭帯郭下より規模の大きい郭跡(便宜上、中郭とする)、更にその北側には高低差を以って北郭櫓台とも呼べそうな土塁郭が見て取れる。

現状(五月)中郭から更に北側も密生する雑木竹薮地と化しており、その堆積物などによって地形の変化や細部における遺構の判別は非常に困難を極める状況にあり、概念図における様に北郭より以北及び以西の縄張り、あるいは郭形状などは全体像を視認する事も出来ず、推察を交えたものに終わってしまった。そのお陰で更に北側の尾根上も、西側における郭推定地も未踏に終わってしまったのが、今回の山城巡りの中では非常に残念な結果でもあり、唯一心残りともなってしまった。もちろん冬季訪問としても竹薮が冬枯れするとは思えず、伐採されるとも到底思われないので、南北尾根上の納得の行く探索縦断はこれから先もほぼ無理な話である様には感じられる。縄張りにおいても見応えのある遺構(堀切など)も見当たらず、城跡を確認し体感した程度で終わってしまったが、未踏地も含めれば山上尾根は起伏に富んではいないが、郭群で覆い尽くされている様にも窺われたので、決して砦規模では終わっていない城跡の様には感じられた。

個人的にはお薦めとまでは行かなくとも、ほぼ隣接する三開山城の訪問ついで、あるいは上鉢山城との同日訪問とすれば、何とか充実した山城巡りが可能なのではないだろうか。 

1route 登城ルート 

3si 

城跡概念図

5 南側より城跡遠望

7 参拝道進入口

9_minamikaku1 南郭群

20_minami_dankaku_gun_3 南段郭群の切岸

10_shukaku 主郭内

15_naka_kaku_1 中郭の現状

16_kitakaku_heki 北郭切岸

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