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2009年5月31日 - 2009年6月6日

2009年6月 6日 (土)

上鉢山城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市上鉢山にあって、既にリポート掲載を終えている三開山城から見れば下鉢山城跡を間に挟んで真南側に位置しており、切り通し(堀切道)を挟んで単独で二つ並んだ西側の低山の山上が城跡にあたる。田和豊後守の居城を伝えるが詳細は不明

城跡へは三開山城と同様に国道426号より北上し、加陽城跡の望める「五条大橋東詰」の交差点を右折東進、後はほぼ道任せのルート図通りで城跡進入口となる神社までは難なく辿り着く事が出来る。車は神社に向う手前に公民館があるので、その敷地を借りて停めれば良いのではないかとは思われ、そこから歩いて切り通しに向かい墓参道から墓地を経由して上れば、公民館からは10分もかからず山上東郭までは到達可能である。

現状(五月)城跡は藪化は進行中にあるが、郭移動は容易く、見通しは悪いが遺構の確認に差障る状態までには至っていない、とは言っても特筆に値する見応えのある遺構が存在している訳ではないので、山城としての雰囲気は充分味わう事が出来る範疇にあるとだけ思って頂ければよい。概念図に示した範囲が城跡の縄張りと見受けられるものであるが、郭跡、郭切岸が当時の遺構として確認出来たものである。西出郭に向う移動尾根上にも食い違いの片堀切跡らしきものが窺えたが、判別は非常に難しいのが現状でもある。主郭南側の集合墓地の敷地も本来は縄張りの一部として郭跡に見えなくも無いが、これは見学者の判断に委ねられる。尚、切り通しを挟んで東に位置する社殿のある山上も東出郭として縄張りの一部の様にも窺われたが推察の域は出ないものである。

城跡を評価すれば自分の予想した以上に規模は大きく(主郭の東西は50m以上)、本郭群はほぼ四郭から形成されており、更に西出郭削平地まで城域とすれば、充分砦の域は出ているようには感じられた。田和氏がこの山城でどの様な役を担っていたかは知る術も無いが、後でリポート掲載の予定にある下鉢山城とセットで同日訪問すれば、何とか充実した山城巡りと成り得るのかも知れない。

1route_2 登城ルート

5_1 城跡遠望

3ka 城跡概念図

6tozanguti 進入路

8_kiritoosi 切り通し

12_shukaku_heki 主郭東切岸

14_shukaku_2 主郭内

18_nisi2 西郭

20_horikiri 片堀切か?

2009年6月 5日 (金)

高嶺城跡(山口県山口市)

城跡は山口市上宇野令にあって、山口県庁あるいは山口大神宮の真西側に聳える鴻ノ峰山(標高338m)の山頂に位置している。当時西国に於いては権勢を欲しいままにした大内氏の居城であり、大内氏最後の当主でもある義長が毛利氏の侵攻に備えて築いた規模の大きい山城でもある。当時臨戦中の事でもあり完成までには至らなかったと聞くが、結果的に毛利の前には成す術も無く城を明け渡して西に退去し、やがて大内氏は滅亡の一途を辿る事になる。大内氏「最後の砦」と言った表現がピッタリ当てはまり、悲哀に満ちたロマン漂う山城と言えそうにも思われる。城跡はその後毛利氏によって改修の末に完成されたと伝わっており、おびただしく残る石塁などは大内側からすれば臨戦態勢中でもあり、石垣などは到底築く余裕などは無かったはずとも察せられ、当然毛利氏による普請である様には感じられたが、、、

城跡へは山頂近くの電波施設までは車で上れる(二、三台駐車可)ので、ルート図を参考に木戸神社あるいはメガネの「三城」を目指せば高嶺城登山道でもある車道進入口までは分かり易く到達出来ると思われる。東麓に位置する山口大神宮からも歩きによる登山道はあるらしいが、比高約230mを考えれば城跡見学を目的とするだけなら、当然車で上ったほうが効率は良いだろう。

1route1 登城ルート

Enbou 東より城跡遠望

3x 現地縄張り図

現状(七月)城跡は訪問時期的には恐らく最悪とも見受けられ、延び放題の下草(夏草)で細部に渡る地形の変化などは読み難く、当然残存遺構の判別確認も多少ではあるが難渋する状態にある。しかしながら山上に於いては特筆するべく技巧を持ち合わせた複雑な遺構も見受けられない為に、現状見学に差障るまでの状況までには至っておらず、木々が少ない事からも見通しは良いので、主郭を取り巻く石塁は全て見学出来る状況にはある。郭を分断する堀切(空堀)などは設けられておらず、見所は山上の地形を生かした縄張りプラン、あるいは前述の主郭壁随所に窺われる広い面積で残存している石垣跡と云った処になるとは思われるが、この石垣跡は高低差を伴うものでもあり相当な見応え感じ取る事が出来る。国指定史跡の山城でもあり当然遺構残存度は高く、山口県内でも有数の規模を誇るものでもあり、推奨に値する城跡である事は確かである。

Ninomaru1 二の丸

Shukaku_koguti2 主郭虎口石段見所

Koguti 虎口側石塁

Shukaku 主郭内

Isigaki1 Shukaku_1 Shukaku_heki_isi Shukaku_isigaki 主郭を取り巻く石塁見所

尚、電波施設の東側にも数段にも渡る郭群が現地縄張り図には記載されてあったが、現状此方側は下草も多く、雑木も密生している為にとても見学出来る状況にはなかった。冬季訪問ともなればこの限りではない様には見受けられるのだが、、、

2009年6月 4日 (木)

茶臼山城跡(山口県柳井市)

城跡は山口県柳井市日積小国にあって、毛利と大内の古戦場として地元には伝わっており、大内氏側である重藤因幡守が拠った事から稲羽(イナバ)城と今日に至るまで伝わったのではないかとも察せられるが推察の域は出ない。主郭に相当する社殿の建つ敷地部分は茶臼山古墳の墳丘を利用して築かれたものである。

城跡へは山陽自動車道「玖珂」ICが最寄の乗降口、周防大島町にある吉井城跡と同じ訪問ルートでもある国道437号より南下して向うが、「小国」地区周辺より一般道151号へ針路変更、三叉路突き当たりまで車を走らせれば正面に望める丘陵が城跡であり、確認すればルート図の如く南下して茶臼山古墳の標柱のある道路へと右折針路変更すれば、後は道に任せた林道で社殿(主郭)下までは車で乗り付ける事が出来る(小型車一台駐車可)。

現状(四月)城跡は事前に地元の方に聞き及んだ様に社殿のある主郭以外はほぼ藪化は進行中でもあり、藪漕ぎ移動はないものの生い茂る雑木で視認にはかなり難渋する状態にある。現状遺構として判断出来たものは郭跡を除けば北側の虎口らしき土塁跡、郭切岸のみでもあり概念図に描いた付近までが当時を伝える比較的判断し易い遺構ではないかと察せられる。北側は鬱蒼とした密生する雑木藪と化しておりどこまでが郭境なのかは見当も付かない状況でもあり、南側の林道沿いには木々が密生している中、相当広大な削平地も窺われたが、当時の遺構かどうかの判別は不可能と思える。地形の上からも北側に縄張りは相当延びている様にも察せられたが、低い丘陵地である事からも堀切などの見応えのある遺構には期待が持てず、当時の古戦場の雰囲気だけを味わいながら城跡を後にした。山城ファンには決してお薦め出来る城跡とは言えないが、古戦場としてあるいは史跡として覗いて見たい方には充分見学する価値はあるのではないかとは感じられた。

5 林道進入路

Tt 城跡概念図

8minami_kaku 主郭南側

10_shukaku 山上主郭

11_rin_kaku 主郭輪郭

14_sita_yori_dorui 虎口らしき土塁

16_shukaku_higasi_heki 主郭東切岸

18_kitagawa_kaku_1 北側の郭跡

2009年6月 3日 (水)

八鹿愛宕山城跡(兵庫県養父市)

城跡は養父市八鹿町八鹿にあって、繁華街南側を見下ろす形で八木川に迫り出した尾根、通称愛宕山の山上に位置している。現在山上主郭には小さな社殿が建立されている事からも、登山参拝道あるいは登山道(道標は無い)からの二通りのルートで上ることが出来る。城史に関しての詳細は不明であるが、この八鹿一帯には無数の城跡(砦跡)が点在する事からも、規模の大きさからすれば砦あるいは出城といった処であるとは思われるが、地理的にも街道監視用の砦とすればまず間違いのない処かも知れない。

城跡へは繁華街の奥に位置する「永源寺」を目印とすれば一番分かり易い、寺院の駐車場からはルート図あるいは概念図を参考にすれば登山口は容易に見つける事が出来、登山道に従えば難なく金毘羅社経由で山上主郭までは辿り着ける筈である(登山口より5分程)。

現状(6月)城跡は社殿の建つ山上主郭以外は下草は蔓延り荒れ放題でもあるが、小規模な上にさして縄張り妙味のある山城でもないので、見学に支障を来たすまでには至ってはいない。ただ登山道まで夏草が伸びており、歩き難い現状から察すれば当然山上郭群に対しての期待感は薄れるのも現実である。城跡の形態としては登山道中における金毘羅社の敷地も当時の郭跡の転用とも見受けられるが、南側斜面まで郭の展開が成されている様には見受けられず、ほぼ山上三郭と中腹に位置する金毘羅郭で形成される小規模な山城と見てよいものと思われる。城跡唯一の防備施設としては東尾根を断つ空堀が目に留まった程度でもあり、斜面上に縦堀が数本備わる様な縄張りを持ち合わせた山城の様にはとても見受けられなかった。

1 登城ルート

6 登山口

2_3at 城跡概念図

7_2 金毘羅社郭転用地か

9koguti_dorui 土塁虎口か

15_shukaku_heki 主郭壁西側

19_shukaku_nai_1 主郭内

21_shukaku_heki 空堀より主郭側

見応えのある山城とはとても言えないが、遺構残存度は比較的高い様にも見受けられるものであり、この八鹿一帯の山城巡りの一環とすれば登山口からは5分程度で上れるお手軽さもあって、城跡訪問としての数をこなされる方にとっては打って付けの城跡と言えるのかも知れない。

福住城跡(奈良県天理市)

城跡は奈良県天理市福住町中定にあって西名阪道「福住」ICからは北側に位置する丘陵上にある、ICを降りれば国道25号よりルート図の如く進行、福住郵便局を過ぎれば派出所手前の細い道路へ右折針路変更、其の後は道沿いにある五大力明王社を目指せば分かり易いが、駐車場からは概念図の如く畦道から進入すれば後は社殿までの遊歩道に合流出来るので5分もあれば主郭まで辿り着く事が出来る。城跡は福住氏の居城と伝わっており現地を見る限りでは居館跡の様相を呈しているものである。

現状(10月)城跡は相当藪化が進行しており下草や低い笹で地表の見えない箇所が多く、広い主郭に至っては東側の一部を除けばほぼ密生する雑木に覆われており、外見から郭跡全体の形状まで把握する事は非常に困難であり、西側の地表も見えない箇所における細部に渡る遺構などの確認も不可能、更に切岸まですっかり覆われた笹によって踏み入るにも困難を来たす状況となっている。それでも城跡自身がコンパクトである為に外見からでもおよその縄張りは把握出来、見所でもある大手虎口への大土塁を伴う空堀道、虎口の大土塁あるいは主郭北背後に深く掘削された堀切などの見応えのある遺構は全て確認する事が出来た。特に主郭虎口周辺における縄張りは絶妙とも言えるもので横矢構造にも見受けられ、更に狭く絞られた虎口は外敵が直接郭を目指しても中々進入出来ない味のある構造となっているのが見て取れる。この虎口は正に一見の価値のあるものと自分の眼には映った。主郭周囲もかつては土塁が巡っていたと見受けられ僅かではあるが高低差を窺う事も出来た。

城跡は恐らく年に一度は伐採が行われているとは思われるが、余りにも訪れるタイミングが悪かったせいか蔓延る雑木や下草のお陰でとても満足のいく見学は出来なかった。しかし残存する遺構群はほぼ当時の状態のまま年月を積み重ねて来たとも見受けられ、土塁壁には土中から石垣痕も窺う事が出来、充分当時に思いを馳せる事も容易であり更に戦国期を物語る史跡としての価値も相当なものとみた。

1_1z 登城ルート

3na 城跡概念図

9 郭へ

28_oote_1 大手より主郭

24_shukaku_yori_ootedou_dorui 25_shukaku_yori_ootedou_dorui_1 主郭より大手道土塁見所

21_shukaku_dorui_higasi_1 主郭より虎口側

20_shukaku_nai 主郭内

17_koguti 虎口見所

17_koguti_dorui_isi 虎口土塁の石垣跡

2009年6月 2日 (火)

長見山城跡(広島県安芸高田市)

城跡は安芸高田市甲田町下小原/内長見にあって、城主渡辺氏は毛利氏の重臣として代々仕え、元就の代に異母弟を擁立して反旗を翻した事により一時的には滅んだ形となったが、渡辺通の代に復帰し以来毛利氏に忠誠を尽くした事が史実となっている。

城跡へは先にリポート掲載を終えた五龍城を起点にすれば分かり易いが、国道54号から県道37号へ針路変更し5km程度南下、JR「吉田口駅」付近でルート図の如く右折すれば、ほぼ赤線で示したルートで登山口標柱までは到達出来る。そこからは山道任せで5分程度で山上主郭には辿り着く事が出来る。

城跡の形態としては東西に長く延びる丘陵上に郭を展開したものであり、主郭に相当し最高所に位置する本郭群は西側に位置している。登山口より最初に到達した尾根上には東に向いて相当広い範囲で削平地が繋がっており、西側には数段の段郭群を挟んで主郭に繋がっているが、更に主郭より南西側に下りると堀切を挟んで出郭と呼べる規模の大きい郭が堀切側に土塁を付して築かれている。ここからは更に南斜面に沿って四段程度の小郭が付随しているのが見て取れる。現状(四月)城跡は主郭以外は相当下草や雑木が蔓延っているので郭跡全体像の視認はまず困難、歩き回って城跡の規模は体感する事が出来るが、細部に渡る地形の変化や遺構の確認には相当困難を来たすのが現状でもある。大雑把ではあるが概念図に示したものが自分で歩き回って確認出来た範囲の遺構であり、密生する雑木藪の為に見逃してしまった遺構も少なからず存在する様には思われる。東に延びる削平地も縄張りとして取り込めばそれなりに規模の大きい城跡と言えるのではあろうが、見る限り尾根を断つ堀切も一箇所あるに過ぎず、特筆すべき見応えのある遺構も存在しない事から考えれば、是非お薦めの城跡とまで行かないのが本音でもある。

1route_2 登城ルート

6_2 城跡進入口

3naga 城跡概念図

11_koguti_1 段郭群虎口

14shukaku 山上主郭

15_shukaku_heki_1 主郭切岸

17_nisi_horikiri 出郭堀切

19_nisi_demaru 出郭内の現状

20_nisi_dankaku 四段郭

19_sakuheiti_1 東へ連続する削平地

2009年6月 1日 (月)

壬生城跡(広島県山県郡)

城跡は広島県山県郡北広島町壬生にあって、別名高峰城とも呼ばれ壬生氏の居城と伝わり毛利氏によってやがては滅ぼされたと聞く。

城跡へは中国自動車道「千代田」ICが最寄の乗降口、ICからは県道5号よりルート図の如く壬生神社を目指せば分かり易く到達出来、社殿の山手側にある集合墓地奥からは遊歩道が山上主郭までは通じているので迷わず辿り着ける。

現状(四月)城跡は「つつじ祭り」の最中でもあり、山上主郭を除けば郭跡全てがつつじの花や葉で満遍なく覆われており郭形状は掴み難く全体像も拝める状態にはない。もちろん城跡全体が公園化されているので本来の郭跡ですらどれだけ原形を留めているのかは想像も付かない状態にある。主要な郭転用地には休憩用デッキが備わっている事からも、当然造成整地の上で改変があったものと見受けられ、現状から当時の状態に思いを馳せる事は非常に困難でもある。山上郭群は小規模でもあり、現状見る限りにおいて明確に判断出来る遺構は郭跡だけだと言ってよいかもしれない、堀切らしい箇所、あるいはの丸においての土塁などは当時のものかも分からないが、素人目の遺構判断は非常に難しいのが現実でもある。

公園化されているので山上からの眺望も利き、当時の風情を味わう程度の史跡見学として赴くならば充分納得の行く見学は出来るものと思われるが、遺構の醍醐味あるいは縄張り妙味などを求める山城ファンに於いては、決して期待をもって臨まない事が肝心と思わる城跡の様に感じられた。

2_3a

2_3 現地案内板より

3mi2 城跡概念図

8_naka 山上中郭

15_3amru_gedan 三の丸下段

17_2maru 二の丸内

17_2maru_1 多聞寺

20_shukaku_2 20_shukaku 山上主郭

2009年5月31日 (日)

大杉城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市大屋町大杉にあって、大杉地区にあっては地元の誰もが御存知でもある大福寺、あるいは古来より由緒のある二ノ宮神社の西背後の山上尾根に位置しており、県道6号から県道48号へと乗り継ぎ、前述の二ノ宮神社を目指せば登山口までは難なく辿り着く事が出来る。もちろん登山口(登城口)がある訳ではないので、神社と大福寺が共存する敷地内からの直登は余儀なくされるが、概念図に示す大福寺本堂奥のフェンスを開閉すれば、そのまま左側急斜面に取り付いて山上尾根を目指せば、自ずと山上主郭までは辿り着く事が出来る(10分程度)。尚、最上段のお堂には「大杉城登山道」と掲げられた木の表札があったが、それには決して惑わされ無いように(登山道は無い!)

この城跡も他の大屋町の山城と同様に、個人的には乏しい資料の中で存在だけを確認して場所の目星だけ付けて訪れたのだが、途中で地元の方に場所を確認したら偶然にもこの大屋町の山城をある程度知っておられた方であったので、幸いにも神社背後に現存している城跡に苦労せず辿り着く事が出来た。自分の様な遠距離訪問者にとっては時間の関係もあって、支所などに寄って城跡の資料を取り寄せる事も中々難しい状況でもあり、城史に関しての詳細は現状では不明である。

現状(四月)城跡は多少の藪化程度で見通しもある程度利く状態でもあり、山上郭群に遺された三本の堀切、土塁跡、郭切岸などが判別確認出来る遺構となっている。ほぼ主要二郭で形成された山上郭は規模も小さく、山城としての醍醐味あるいは縄張り妙味にも少し欠ける様には感じられるが、この見応えのある三本の堀切だけが城跡最大の見所とも思われ、この堀切見学だけで訪れても充分満足感は得られるような気はするのである。ただ他に特筆すべき遺構が目に留まらなかったので、是非お薦めと言う訳には行かないかもしれないが、他の大屋町内に存在する由良城、一ノ宮城、加保城などを含めた山城巡りの一環とすれば、充分見学に値する山城の様には見受けられたが、、、

1route1 登城ルート

8 城跡進入口

3oo 城跡概念図

20_hiroi_obi 東帯郭

22_fuku_kaku_1 副郭

18_kita_heki 山上郭切岸

27_shukaku_dorui_ato 主郭内

23_horikiri_4 東堀切見所

28shukaku_sita_horikiri1 32_horikiri2_nisigawa 二重堀切見所

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