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2009年5月24日 - 2009年5月30日

2009年5月30日 (土)

大屋一ノ宮城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市大屋町中にあって、由良城跡側から見れば北東側の突き出た尾根上先端に位置しており一ノ宮神社の丁度南背後にあたる。もちろん限りなく無名に近い城跡なので事前に地元の方に訪ねても色々な異なる情報が耳に入り過ぎて、結果的には最初に自分で描いた想定登山ルートを城跡の目星だけ付けて上る羽目になった。今回はもっと上り易いルートがあったのかも知れないが、取りあえず自分で選択した分かり易いと思われる墓地経由の直登ルートを赤線で図に示した。随分遠回りにはなるが謎の広大な二段の削平地までは山道を利用し、そこを通過しても藪漕ぎもなく20分内で到達出来たので、そんなに時間の無駄にはなっていない様な気はするのだが、、、

現状(四月)城跡はそれなりに見学し易く、小規模な山上郭及び最大見所とも言える二重堀切まで充分確認出来る状態にある。山上主郭は20m程度の規模で出郭か砦の様相でもあり、本音を語れば折角苦労して上った割には味気なさ過ぎて、少々肩透かしを食らってしまった。この様な城跡の形態であれば必ず尾根続きの山上側には山上郭群が存在して当然とも思われたが、山上は切岸処理のされていない削平地のみであり、およそ城跡遺構と断定出来るもの(堀切や土塁)には巡りあう事が出来なかった。ただ東尾根までは踏破していないので、案外城跡もこの限りではないのかも知れないが。

尚、ルート図に示した居館跡の如く広大な規模の削平地は未だに謎なのであるが、近世における寺院跡の様な気がしないでもない、本来なら居館跡と思った方が想像も広がって楽しめそうとも思えるが、やはり城跡遺構ではない様には思われる。

この大屋川沿いにはまだ文献でも紹介されていない数多くの山城あるいは砦跡がある(地元民の情報による)そうなので大変興味はそそられるが、個人的には何分遠距離訪問でもあり、そう何度も訪れる事が出来ないのが非常に残念な処ではある。ちなみに地元の方の情報によれば田和城、高取城、三方城の砦、大杉城の出城などが現存するそうであるので参考までに、、、

1route_2 登城ルート

6 西より遠望

3iti 城跡概念図

10_sakuheti_jyoudan_3 広大な削平地上段

12_horikiri 山上物見南側の堀切地形

16_2jyuuhorikiri 16_2jyuuhorikiri_2 二重堀切見所

18_shukaku_1 主郭

2009年5月29日 (金)

由良城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市大屋町由良にあって、由良集落から望めば南側に単独で聳えるほぼ独立した低山の山上に位置している。この山城も大屋川沿いに数多く存在する山城と同様に詳細は不明であるが、存在および場所の確認は文献あるいは地元の方から事前情報を入手していたので直ぐに探し当てる事は出来た。城跡へは先にリポート掲載した三方城、大杉城、あるいは加保城と同じく県道6号より向えばよいが、目印となる主要な建物も見当たらないのでルート図に示す養鶏場?より谷沿いに歩けば分かり易い、民家の最奥突き当たりには獣避けフェンスが設置されているので、それを開閉して山道に任せて上れば城域南端と見受けられた堀切跡までは、10分もあれば迷わず辿り着く事が出来る。ただ山道も相当荒れ放題と化しており、倒木も多いので何度も迂回を強いられる事にはなるが、、

現状(四月)城跡は藪化もしておらず非常に見学し易く見て回りやすい状態にあるが、山上郭は小規模、見応えのある遺構としては南尾根を分断している二重堀切のみでもあり、概念図に示した通り山上は単郭構造で東側急斜面には数段から形成される小郭群が備わってはいるが、縄張り妙味も余り感じられない事からも非常に味気ない見学となりそうには思われる。当時の状況として麓の谷筋辺りを屋敷群と想定したなら、山上は詰城あるいは物見の機能を担う程度のものであった様にしか見受けられず、山城としての醍醐味は多くは望めない城跡の様には感じられた。ただ今回未踏に終わったが麓から城跡を望んだ時、城跡より東側斜面の木の伐採が行われた辺りが、それとなく平坦地形に見て取れたので、案外この辺りが居館跡の可能性はあるのだが、所詮推察の域は出ないものでもある。

尚、ルート図に示した北東側の突き出した尾根先端には一ノ宮城跡が存在しているが、二城セットとしての同日訪問であれば、何とか有意義な山城巡りが出来るのではないだろうか。此方のリポート掲載は次の予定 

1route 登城ルート

4 東より遠望

3yu 城跡概念図

12_2 南端堀切

13_one_1 南移動尾根

15_2jyuu_horikiri 15_2jyuu_horikiri_1 二重堀切見所

18_shukaku_3 山上主郭

22_higasi_dankaku_gun 東段郭群

2009年5月28日 (木)

周防千葉城跡(山口県熊毛郡)

城跡は山口県熊毛郡上関町室津にあって、当時は竃戸の関(カマドノセキ)と呼ばれた上関(カミノセキ)周辺の海上を監視する宇賀島氏(大内氏傘下の水軍)の城跡あるいは砦跡と伝わっている。この宇賀島氏の本拠は周防大島の北側安芸灘に浮かぶ浮島と伝わっており、大内氏が滅んだ後は当然村上水軍に吸収されたのか、あるいは毛利直属の水軍として動いていたのか、どちらかである様には思われる(推察)。

城跡へは既にリポート掲載済でもある村上水軍の居城、上関城跡を起点にすれば分かり易いが、県道23号で上関に向いて南下した場合、上関大橋は渡らず手前から県道72号より柳井市に向いて海に沿って車は東へ走らせればよい。目指す場所は千葉岬に建立された千葉稲荷神社でありその一帯(山上)が城跡と伝わっている。

現状(一月)城跡は山上に建立された社殿に到達するまでの石段付近に、段状の削平地が随分古びた石垣跡を伴って連なってはいるが、これが当時の遺構かどうかは素人目には到底判断は出来ない。城跡の成立した時代も相当遡ると思われるので当然良い状態のまま残存しているとは思われないが、純粋に当時の遺構と思って見学した方が想像も膨らんで楽しめるようには感じられるが、、、社殿背後には土足禁止の祠に上る石段が設置されているが、本来ここが櫓台と呼べる物見機能を持った土塁であったのかも分からないが、当然推察の域は出ないものでもある。北斜面には石垣跡も見受けられたが築かれた時代背景も見当が付かないので自ずと見学者の判断に委ねられる。

概念図に示したまでが現状確認する事が出来た遺構かもしれない?箇所であるが、岬の東西斜面側あるいは海岸線までも、冬季に拘らず凄まじい雑木藪と化しており踏破する事は不可能な状態となっている。

1 登城ルート

2a 上関案内マップ

3 城跡概念図

4_nisi_yori 西より城跡遠望

9 10 千葉稲荷神社

16_dankaku_isi_2 17_dankaku_isi 古びた石積み

21_yasiro_sita_sokumen_isi 北斜面の石垣跡

23_1

この現況リポートは瀬戸内水軍に興味を持たれている方にとっては多少でも役立つのかもしれないが、現状見る限りでは現地で城跡の雰囲気を味わうのが精一杯とも思え、上関城訪問ついでに軽い気持ちで赴くのならさほど移動距離もないので楽しめるかもしれない。

2009年5月27日 (水)

吉井城跡(山口県大島郡)

城跡は山口県大島郡周防大島町西屋代/吉井にあって、当時水軍としては最強を誇った村上水軍(三島ある能島、来島、因島のいずれか)の城跡と伝わり吉井氏の居城と聞いた。本来大島の西側半分を来島水軍、東側半分を能島水軍と分割統治としていたらしく、西側に位置するこの城跡は来島水軍に属す城跡と言ってよいのかも知れないが、当時は三島水軍を巡る周りの情勢もそのつど変化(一時は敵対関係)しており現状詳細は不明。

付近に居を構えられる町史に詳しい方でも詳細を掴めないほど無名に近い城跡なので、現地で聞き込んだ以上の情報はこれから先も得られないかも分からないが、石垣が郭壁(畑地)に残存している事と当時の郭跡が畑地あるいは蜜柑畑として転用されて現在にまで至っているが、現状はほとんど藪に近い状態との情報だけは事前に得る事が出来た。尚、未訪に終わったが西屋代には龍心寺と言う曹洞宗の寺院があり、ここは能島水軍大将村上武吉の嫡流にあたる元吉から元武あるいはその子孫の菩提寺になっており、一族の墓所になっているとも聞いた。

城跡へは山陽自動車道「玖珂」ICが最寄の乗降口、ここから国道437号に進入し道路に任せて進行すれば、既にリポート掲載済でもある塩宇城跡へ向う時に利用した大島大橋は自ずと渡れる計算にはなる。橋を渡れば県道4号へ直ぐに右折、後はルート図の如く西屋代集落にある小字吉井、あるいは吉兼集落を目指して屋代川沿いに進行すればよい。現地に入れば川沿いにある学校、JA、郵便局が目印となり、ルート図に示す赤線ルートのいずれかで城跡までは到達出来る筈である。この地より川を隔てた東側丘陵上には吉兼城跡もあるが、一帯は集合墓地、畑地あるいは藪地と化しており城跡と明確に判別出来る遺構は見る限り現存していないように見受けられた。

1route_2 登城ルート

5_2 進入口

Oosima_4 郭切岸

Oosima_15 Oosima_17当時の遺構と断定は出来ないが石垣跡

Oosima_12 堀切より北側の郭跡地

Oosima_13 郭跡

Oosima_9 堀切道

Yosikanejyou 吉兼城跡遠望

現状(四月)城跡は事前に聞き込んだ通り、小さな蜜柑畑の一部を除いてはほぼ密生する矢竹雑木藪と化しており、堀切(南北を断つ唯一の堀切道)、段郭状になった郭跡及びその切岸はある程度確認出来ても郭内に踏み入る事はほとんど不可能な状態でもあり、縄張りを把握する事はほぼ不可能、これが当時の遺構と断定出来そうなものは郭切岸、郭跡の転用と見受けられた畑地あるいは堀切道、近世の石垣跡も混在している様には窺われたが、一番古そうに感じられた二段の石垣跡(この石垣が当時のものと断定できる確証は無い)などで、これらが城跡を物語る唯一の遺構とも見受けられた。遺構残存度も低く状態も良いとは言えない城跡ではあるが、個人的には訪問後に村上水軍に関して興味を持つ事にも繋がり、更に知識を吸収し直すきっかけともなったので充分納得の出来る訪城となったのは確かである。

2009年5月26日 (火)

三開山城跡(兵庫県豊岡市)

城跡は豊岡市大篠岡木内にあって「瑞峰寺」南東側の三開山山頂(標高202m)に山上郭、中腹にかけては広大な規模を持つ当時の屋敷跡が展開されている。古くから成立している山城である為に幾度も城主は交代している様だが、特に山名氏の居城として有名。当然秀吉による但馬攻略の際には落城したと思われるが、その後秀吉側によって改修が施されたのかあるいは廃城となったのかは詳細は不明。

城跡へは国道426号で北上し「丸山大橋」手前で一般道703号へ右折針路変更すれば既に右前方に望める形の整った山がそれであり、ルート図の如く六万川を渡り直ぐ右折すれば山口となる「瑞峰寺」には容易に到達出来る。現在ハイキングコースとして四ルートが四方の麓から山上まで繋がっているが、今回は最短(南下すれば「駄坂」から最短ルートはある)ではないが、遠距離訪問者に一番分かり易く駐車場も設置されている寺院からの登山ルートを選択した。ここからは遊歩道任せで古墳を経由して途中から西郭群へ直登すれば、30程度で山上主郭までは到達可能である。ただ直登すれば南郭群を通過する事は出来ないが、、、分岐地点の道標からは「千畳敷き」と称される屋敷跡にも向かえるが、時間に余裕のある方はほぼ遊歩道任せで南郭群から山上郭群を見学して、下山時にじっくり屋敷跡などを見学した方が効率もよく、より納得出来る見学が出来そうには感じられる。それだけ見所も多く見応えのある遺構も多い城跡なのである。

2route 登城ルート

2a 現地案内説明板より

3m 城跡概念図

現状(五月)山上郭群は下草は多く蔓延っているが、周囲を遮る木々も少なく整備されているので非常に見学し易く見て廻り易い状態にある。山上に佇めば素晴らしいロケーションでもあり、素晴らしい遺構群を前にすれば長く感じられた距離も時間も全て過去のものとなってしまうほどである。山上郭群は中腹における居館跡からすれば詰城とも見受けられるもので、凄い規模を誇るものでもなく縄張り変化にも富んでいる訳ではないが、多く備わる空堀、堀切群(畝状縦堀は埋もれて判別し難い)は比較的状態もよく(主郭東側の縦堀まで繋がる堀切は凄い!)非常に目を楽しませてくれる。現地縄張り図における全ての縦堀を覗いた訳ではないが、相当数の縦堀が備わっている様である。畝状縦堀群より下りた辺りの千畳敷き(居館跡)及び井戸跡の窺われる屋敷跡は、相当荒れ放題と化しており非常に歩き辛いが、見通しは利くので全体像を伺う事も出来、素晴らしい臨場感を味わう事も出来る。未だに郭壁には当時の遺構として石垣跡も窺う事が出来、容易に当時に思いを馳せる事にも繋がっている。結果的には南郭群までは覗けなかったが、居館跡と一体となったこの山城は状態も良く、正に推奨に値する是非お薦め出来る城跡の一つと言えよう。

21_nisikaku4_tatebori 西郭4の縦堀見所

21_unebori_2 畝状縦堀群見所

30_shukaku 主郭

32_nisikaku_gawa 西段郭群

37_shukaku_heki_1 東郭

39_tatebori_e 40_1東側堀切1見所

43_higasi_horikiri2_1 東堀切2見所

50_1 千畳敷き見所

53 石垣跡見所

2009年5月25日 (月)

浅間小城跡(兵庫県養父市)

この城跡は先にリポート掲載に及んだ浅間城(本城とみた)からみれば支城あるいは出城機能を担ったものかも分からないが、お互いに隣接する事からも佐々木氏の持ち城としてまずは間違いのない処か、、、ただ秀吉の但馬攻略軍の軍門に下った歴史から考えれば、畝状縦堀群の設けられた此方は改修が施されていない様に見受けられたが、浅間城の方が分厚い櫓台土塁、深い堀切(空堀)、武者隠しなどが備わる事からも、多少秀吉側における改修があったものと推察して良いのかも知れない、もちろん個人的推察の域は出ないが、、、

城跡防備としての主郭東西に於ける斜面に掘削された畝状縦堀群は、山名氏関連の城跡(鶴城、三開山城など他の但馬地方の山城でも多々見受けられる)ではさほど珍しくはないが、小規模ではあるが優れた縄張りプランを想像させるものでもあり、現状(五月)相当な風化あるいは付近の土砂の流失などによって、肝心の縦堀の深さは失われているが判別確認は充分可能となっている。既にリポート掲載に及んだ同じ町内にある「大江堀城跡」とも畝状縦堀群で相通じるものはあるが、規模あるいは残存度、残存状態で此方が若干劣っている様には感じられた。現状城跡の状態も悪くない事からも、概念図に示した少ない遺構群(縦堀の本数はおよそ)はほぼ判別確認出来る状態でもあり、浅間城でも触れた様に、二城同日訪問によって形態の違い、縄張りに施された工夫あるいは技巧を推察しながら楽しんで頂きたいと思うのが本音でもある。

1route 登城ルート

6 進入口

3a 城跡概念図

11 北郭群より主郭側

14_karabori_dorui 空堀と方形土塁郭

16nisigawa_une_1 西側畝状縦堀見所

24_higasigawa_une 東側畝状縦堀見所

23_gedan_yori_shukaku 主郭

22_kita_gedan_1 主郭北下段

19_minami_horikiri_1 南堀切見所

城跡へは浅間城と同様に、浅間地区に入ればルート図に示す付近にあるオレンジ色の屋根が目印となる「浄化センター」を目指せば分かり易く、付近の空きスペースには路駐も可能である。そこから川を挟んで東側に見える北に突き出た尾根先端が城跡でもあり、位置を確認すればルート図に示す墓地を目指して川沿いの農道を歩き、橋を渡れば直ぐ墓地脇の獣避けフェンスまでは到達出来る。フェンスを開閉すれば、どこから取り付いても直登5分程度で山上主郭には到達出来るが、山上主郭には朽ちた祠がある様に、祠南背後の堀切跡からも山道が参拝道として東側に繋がっていたのかも分からない、、、

2009年5月24日 (日)

浅間城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市八鹿町浅間にあって佐々木近江守の居城を伝え、当時は他の豊岡周辺の武将と同様に山名氏の傘下にあったか、あるいはその家臣であった可能性は非常に高いと見受けられるが、秀吉の但馬攻略の際にはその軍門に下った模様である。詳細は不明

訪問結果から先に述べれば、この山城は主要三郭で形成されたもので、小規模ではあるが山上郭群の南北斜面と西斜面には二重堀切を含めた合計5本の堀切が備わり、主郭には櫓台の機能を持つと見受けられる分厚い土塁、あるいは南側斜面には武者隠しとも想像出来そうな空堀土塁、わざと段を違えて形成された小郭など細部に渡って創意と工夫が施されており、縄張りプランにおいても非常に技巧さに富んだ城跡と目には映った。現状(五月)藪化は進行中ではあるが郭移動に難渋するまでには至っておらず、遺構残存度も高いことからも全ての遺構は判別確認が容易に出来る状態でもあり、今回西側へ隣接する浅間小城と並んで、是非お勧めしたい山城として現況をリポートしたものである。浅間小城(リポートは次で掲載予定)側からすれば此方が本城と言う事になるのかも分からないので、個人的には先に寄った小城のリポートは後回しにした、、

城跡へは京阪神から向う場合、国道9号より養父市内に入れば国道312号へ針路変更、そのまま北上し「下小田」の交差点で出石に向いて県道2号へ右折すればよい。浅間地区に入れば「上浅間」バス停向の道から城山は確認出来るので、ルート図の如く川を越えて向えばよいが、山道に備わる獣避けフェンスを開閉すれば直ぐ左手側の害獣捕獲オリ側から谷沿いを通過してに向うか、そのまま山道から小さな池傍を通り過ぎて向うかの、二通りのルートの何れかで凄い縦堀(堀切)の備わる西斜面には到達する事が出来る。どちらにしても方向さえ間違えなければバス停付近からは15分前後の所要時間で容易に辿り着ける筈である。尚、この城跡付近には路駐の容易に出来る場所が見当たらず、先に小城を訪れた場合は地区の「浄化センター」付近の空きスペースに車を停めて、小城を見学した後に多少距離はあっても、そこから歩いて向かわれる事をお薦めしたい。

3_2a 城跡概念図

5 登山進入口

9_tatebori 北側縦堀見所

9_tatebori_2 北堀切見所

15_kita_2_1 北郭2

18_shukaku 主郭土塁

16_yagura_dorui 主郭櫓台土塁見所

21_minami_karabori_dorui_2 武者隠しか?見所

24_horikiri1_2 南二重堀切1見所

25_2jyuu_hori_2 二重堀切土塁見所

32_2jyuu_horikiri_1 西二重堀切1見所

浅間小城と同日訪問する事によって、山城ファンに於いては遺構見学における醍醐味も満足感も間違いなく味わえると思われ、どちらも小規模ではあるが縦堀を含めた堀切遺構あるいは縄張りプランはかなりの見応えがあり、一流の縄張りが施された正に推奨に値する山城(二城併せて)として非常に印象付けられる事になった。

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