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2009年5月17日 - 2009年5月23日

2009年5月23日 (土)

城跡呼称の訂正

結論から先に述べさしてもらえれば、最近頻繁に訪れている但馬地方における山城巡りの中で三月分のブログに掲載しました、豊岡市にある海老手城及び森津城がブログ外での現地(聞き込みネタ)情報を元にしてまとめた結果、呼称を取り違えているか、あるいは本来は別に城跡呼称があるのではないか思われる事が発覚しました。

ただネタ元も「確証は無いが」、、との事なのですが、現地情報によればこの周辺には小規模な山城跡あるいは砦跡なら無数にあるとの事でもあり、城跡呼称誤認の可能性はかなり高そうに思われます。現状では推察に過ぎませんが、この海老手城と紹介した山城の川を隔てた南側に位置する山上が、本来の海老手城の場所ではないかと思われます。とすれば紹介した城跡遺構はその出城(砦跡)あるいは全く別の呼称を持った城跡とも推察されますが、現時点では追跡リサーチ不足のせいもあって明確な判断は下せておりません。森津城の方は縄張り妙味はあるものの余りにも小規模である事から、本来直ぐ近くに存在すると思われる森津城の出城、あるいは逆に海老手城の出城(砦跡)とも考えられますが、これも現時点においては確証を持てるまでには至っておりません1route1

今回(三月時)ブログ掲載した事によって既に訪問された方もおられるかも分かりませんが、現時点では聞き込みネタ情報だけの事でもあり、誤認と確信する材料も不足している事から、近いうちに再び現地を訪れて本来の城跡呼称を再確認すると同時に、間違いがあれば再びこの場を借りて訂正をしたいと思っております。

もしブログ読者の方に、この本来の二城を既に訪れて呼称の確認まで取られた方が居られるのでしたら、曖昧な情報でも一向に構いませんので、コメントとして書き込んで頂ければ非常に助かると共に有難く思います、よろしくお願い致します。

日下津城跡(広島県安芸高田市)

城跡は広島県安芸高田市向原町坂にあって、古くは毛利一族より分かれた側が坂氏を名乗ってこの地に居城、以来毛利氏一族をささえ重きを成したと伝わり、元就の代に及んでは一時期坂広秋が反旗を翻したが、その息子より再び元就に仕え代々重きを成したと歴史は伝えている。

2h 現地城跡説明版より

1route 登城ルート

6 登山口

城跡へは田屋城跡を起点にすれば説明し易く分かり易いが、田屋城跡の真東2km内に位置する山上が城跡にあたり、県道37号から向えば「支所入口」交差点より県道29号へ針路変更、後はルート図の如く右折して三篠川を渡れば道路沿いの案内板までは到達出来る。案内板からは墓地経由の登山道(2ルートあり)が山上まで繋がっているので迷わず辿り着ける筈である。

現状(四月)城跡は史跡としてある程度整備されているので比較的木々も少なく、縄張りにおける遺構標識も設置されている事から初めて訪れる見学者でも遺構が目に留まり易く、非常に見学し易く見て回りやすい状態にはある。ただ一部の郭内には伐採された木々がそのまま放置されていたり、雑木も蔓延っているので視認し辛く歩き難い箇所も少なからずある。現状遺構として目に留まるものは郭跡を除けば郭切岸、主郭周りの堀切(縦堀を含む)群、井戸跡、南出郭の土塁、西物見の段下の分厚い土塁と言ったところで、郭高低差がある事からも山城の醍醐味は充分味わえる、尾根を断つ薬研堀の様な見応えのある遺構に巡りあう事は出来なかった。登山道も設置されており比較的残存状態も良い事から、程近い距離にある田屋城跡とセットで同日訪問となれば充分お薦め出来る山城と言えるのではないだろうか。凄いと声を発するほどの遺構は存在しないが、広島県内に於いては山城を史跡として評価する意識レベルが非常に高いものと見受けられ、近畿圏内ではおよそ見向きもされそうにない田屋城跡やこの城跡クラスの山城でもある程度整備が成されており、登山道あるいは遺構標識まで設置されているのにはただ驚くばかりである。山城ファンにとっても一般見学者にとっても、登山道が設置されているといった事実だけで訪れてみたい気分にもさせられ、状態の良い当時の遺構を見学すれば自ずと史跡保護の意識も高まり、後世幾世代にも渡って史跡を遺して行けるのではないかと個人的には思うのである。

3hige 城跡概念図

16_shukaku 主郭内

21_kita_obi_2 主郭北側帯郭

22_higasi_idoato 東側井戸跡と縦堀見所

30_monomi_demaru_heki 西物見の段切岸

31_monomi_demaru_1 物見の段

33_dorui_kaku_1 物見の段下の土塁見所

2009年5月22日 (金)

田屋城跡(広島県安芸高田市)

城跡は広島県安芸高田市向原町田屋にあって、県道37号より「カタクリの里」を目指し進行、ルート図の如く現地に入れば県道沿いからは里は直ぐ目に留まる、登山口西側にあるカタクリ茶屋(廃業?)まで向えば付近に車の駐車スペースはあるので、現地案内板横から登山道で(左手側方向)城跡を目指す事になる。

登山道に任せて上れば主郭背後の大堀切までは難なく辿り着ける筈であるが、個人的には何時もの様に登山道を避けて一旦城跡南側山上の物見と思われる削平地まで上り、そこから堀切まで下ったので実際の所要時間までは詳しく分からない。登山道中においては麓民家側背後に古びた見応えのある石垣跡が目に留まる段状の敷地(削平地)があったが、当時の遺構と断定は出来ないものの屋敷跡の様にも見受けられたので一応参考までに、、、

現状(四月)城跡は親切に遺構案内標識も設置されており非常に遺構見学がし易く、状態としては自然任せの風化中にあるが見学に差障りのある状態にまでは至っておらず、山城としてみれば比較的良い残存状態の部類に入るとは思われる。ほぼ四郭で形成されたこの城跡には小規模な山上主郭には似つかわしくない、分厚く高さのある立派な櫓台土塁が遺されており、主郭内に部分的に残存する虎口を形成するに使用された石垣、あるいは櫓台背後の大堀切、三郭の石組み井戸と並んで城跡最大の見所となっている。非常に小規模な山城ではあるが凝縮された遺構の数々は見応えもあり、大堀切などは薬研堀の如く高低差を伴うものでもあり、山城としての醍醐味も充分味わえる様に見受けられた。コンパクトにまとまった形態の山城なので縄張り妙味などは求められないが、山上に凝縮された残存度の高い遺構群は一見の価値のあるもの目には映った。見学し易さ(遺構標識がある)からしても充分お薦め出来る城跡の一つと言えよう。

2t 城跡説明版より

3a 城跡概念図

4tozanguti_e_2 登山口

16_tatebori_e_1 大堀切(縦堀)見所

19 主郭

18_shukaku_1 主郭櫓台土塁見所

23_2kaku_koguti 虎口見所

26_2kaku_isi_1 石垣跡見所

32_ido 石組み井戸跡見所

34_4kaku 四郭

35_dorui_1 四郭土塁

2009年5月21日 (木)

竹藤城跡(京都府京丹後市)

この城跡は先にリポート掲載に及んだ盛岡城の麓にある貴船神社より、数10m東側に移動した木橋のある場所が直登進入口にあたり、今回の山城巡りの中の訪問予定には入っていなかったが、盛岡城の城山所有者の方からこの本城の方がもっと大規模でもあり、井戸跡なども残っていると聞いたので迷わず寄って遺構見学する運びとなった。かつては木橋を渡った大手にあたる谷沿いから登山道もあったようだが、現在は踏み跡すら残っておらず直登は余儀なくされる状況下にある。個人的には参考ルートと概念図に示した東側急斜面(崖に近い)最短ルートを10分内で一気に上り切ったのだが、下山ルートでもある二箇所からが一番直登として取り付きやすく、斜面も少しはおだやかである様には感じられた。

城史に関しては竹藤左京進の居城を伝えるのみでもあるが、地元の方に聞いた話ではこの竹藤氏は一色氏の滅亡後は細川支配による丹後で臣下として活躍し、江戸時代から更に明治時代に至るまでは家名も存続した様であるらしいが、、詳細は不明

現状(四月)城跡は盛岡城に負けず劣らず藪化は深刻化しているが、複雑な縄張り形態でもなく、特に技巧を有した遺構も存在していないので、歩き回れば何とか遺構の判別確認及び城跡の縄張りあるいは規模などを体感する事が可能と言える状態にはある。もちろん枯れ木の密生によって全体の見通しは悪いが、高く切り立つ切岸、堀切(一箇所確認)などは充分見て取れる状況でもある。井戸跡はこの状況下においては探し当てる事が叶わなかったが、自宅に戻って文献を見入っていると、確かに井戸跡あるいは当時の武家屋敷跡地が残存している様には記載されてあった。地元の方から事前に聞いた様に流石に竹藤氏本城とするに相応しい規模、あるいは高い切岸による堅固さも兼ね備えており、見応えもある事から充分満足の行く訪城と言えるものにはなった、ただこの深刻な藪化は非常に残念ではあるが(夏季訪問は禁物!)、、 尚ルート図に示したタチ(館)と現在でも呼ばれている辺りが竹藤氏の居館跡であると地元の方に聞いた情報であり、個人的にはこの城跡が今日を締めくくる最終の山城巡りとなった関係で探索は叶わなかったが、まだ未訪の方の参考までに。

二城併せれば確実にお薦め出来る城跡と言えるのではあるが、ここまで藪化が激しいと興味を持たれた方のみが対象の山城として良いのかも知れない。

1route_2 登城ルート

6 城跡進入口

3ta 城跡概念図

9_higasi_yori_shukaku_heki 主郭切岸

15_shukaku 主郭

17_minami_horikiri 南斜面の堀切

22_gedan2_tate_dorui 西下段2の土塁跡

25_nisi_kaku_gun_1 西郭群の現状

2009年5月20日 (水)

盛岡城跡(京都府京丹後市)

城跡は京都府京丹後市久美浜町竹藤にあって、京都では有名な貴船神社より古くは御霊分けの由緒を持つと言われる、同名の神社北背後の山上尾根に位置している。野村和泉守の居城を伝えるが、この城山の所有者に聞くところによれば川を挟んだ対岸の丘陵上にある竹藤氏本城とは支城あるいは出城の関係であるらしく、この周辺には竹藤氏の居館跡や小さな砦跡がまだ数多く残っているそうである。尚、この竹藤氏に関しては当時の丹後守護職でもあった一色氏の重臣四人衆の中の一人であるとの話でもあった。

城跡へは国道312号より県道20号に入れば、目印となる竹藤集落の道路沿いにある貴船神社は直ぐ見つけることは出来る、車を路駐すれば神社背後から多少の藪漕ぎは必要とされるが、そのまま斜面を直登すれば自ずと南側に備わる堀切までは10分もあれば到達可能である。

現状(四月)城跡は相当藪化も深刻化しているが、冬枯れのせいもあって枯れ枝も多く、山上における残存遺構はほぼ確認出来る状態にはある。全体像の視認には中々難渋するが、城跡最大の見所でもある南北尾根を分断する大堀切、あるいは郭内における土塁跡、切岸、虎口跡は傍まで寄れば明確に判別出来る状態でもある。小規模な城跡の為に縄張り妙味までは求められないが、特にこの二本の堀切は状態も良いもので相当な見応えがあり、この堀切見学がこの山城の全てと言っても過言では無い様にも思われるのである。冬枯れ後でもこの藪であれば状態が良くなると言った改善は全く無理な話で、城山の所有者も高齢である事から、これから先タイムリーな訪問はあり得ない様にも感じられた。小規模ではあるが本格的な城普請により築かれたと見受けられるこの山城に関しては、夏季訪問は絶対に禁物とは思えるが、梅雨時までの訪問であれば充分見学に値する山城である様には目に映った。

1route 登城ルート

5 直登進入口

3mo 城跡概念図

8_minami_horikiri_5 南堀切見所

13_fuku_kaku 副郭

14_fuku_yori_shukaku_heki_1 主郭切岸

22_shukaku_nisi_heki 帯郭より主郭壁

15_shukaku_2 主郭内の現状

18_kita_horikiri_3 北堀切見所

2009年5月19日 (火)

上狭川城跡(奈良県奈良市)

最初に、この城跡の最大の見所は素晴らしい状態を誇る主郭南側に形成された虎口で、食い違い土塁と枡形を二重に組み合わせた様にも窺え、風化を差し引いても当時に近いと思われる状態及びその形態は他に比類なきものでもあり、この虎口を見学するだけの目的で訪れても充分納得出来うる遺構でもあり、まだ未訪の方には是非訪問をお薦め出来る城跡である。ネット上の他のサイトでも多くの紹介記事が載せられているので多くは語らないが、結果的に未踏に終わった主郭東側別峯、更に南側へ繋がる尾根と縄張りの広がりも予想され、まだ未確認の遺構が残存する可能性も含んだ相当規模が大きいとも受け取れる城跡と自分の目には映った。

城跡は奈良県奈良市狭川東町にあって西狭川町集落より川を挟んで東側低山の山上に位置している。狭川氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡登山口へ向うには国道369号あるいは国道163号と南北のどちらから向っても県道33号へ進入する事が先決である、県道に進入すればルート図の如く写真に示すバス停付近の登山口は容易に見つかるので、そこから山道に従えば15分程度で山上主郭には辿り着ける。

現状(三月)城跡は木々は余り蔓延っておらず見通しも利くので山上における遺構群はほぼ判別確認可能な状態にある、見所は前述の主郭土塁虎口、主郭周囲を巡る土塁、本郭群尾根を分断する土橋を伴う堀切と満載でもあり、山麓の井戸跡及び屋敷群、相当藪化が進行中の南西麓の段郭群を含めれば山城としての醍醐味も見応えも兼ね備え、更に縄張り妙味も尽きない城跡である事が分かる。個人的にも叶えば再訪して付近一帯を踏破して見たいと思わせられる城跡の一つである。

Saga 登城ルート

Tozanguti 登山口

3s2_2 城跡概念図

9_koguti_1 北郭側

15_shukaku_dorui 17_dorui_kakomi 主郭土塁見所

20_minami_masugata 主郭南食い違い土塁見所

21_masugata_dorui 南複合土塁虎口見所

25_masugata_sita_horikiri 南堀切土橋見所

27_dobasi_yori_minamikaku 南郭群

47_nansei_dankaku 南西段郭土塁

2009年5月18日 (月)

沢城跡(奈良県宇陀市)

城跡は奈良県宇陀市榛原区沢にあって沢集落の北側に聳える山の山上に位置しており、伊那佐山から南東側に延びる枝尾根を堀切で分断して築城されたたものであるが、沢氏あるいは一時高山氏の居城とも伝わり宣教師であるフロイスの「日本史」にも記載されている山城がどんなものか体感したくて今回の訪問となった訳である。2z 3zz

1route 登城ルート

城跡登山口までは国道を使用すれば色々なルートが考えられるのでここでは割愛させて頂くが、沢地区に入れば麓からはルート図に示す様に二通りのルートが選択出来、今回は登山客も多く上ると聞いた大貝地区から伊那佐山へ上る登山ルートで城跡を目指した。個人的には城跡北背後尾根まで探索したかったので一旦伊那佐山尾根分岐地点まで上ってそこから尾根沿いに南下する方法を取った。もちろん通常の遺構見学で訪れる方は登山道中の池を通り過ぎて山側に上ればよいのであるが、前者は相当遠回りになるが城跡最北の土橋、二重大堀切あるいは米山城も見学出来る事からもこの方法を選んだ訳である。

しかし北側尾根上において確認出来たのは土橋と二重堀切だけで登山道を外れると一面雑木藪であり米山城が一体どこに存在するのか見当も付かない状況でもあった。結果的には見つける事が出来ずにそのまま山上主郭へ向ったのだが、此方も現状(三月)冬枯れ後であるにも拘らず凄まじい矢竹藪となっており、郭跡に踏み入る事が出来るのは木のベンチのある出郭の一部分と主郭の一部分のみの状態で、外見から郭を覗く事も出来なければ郭内の遺構の確認などはほとんど不可能な状態でもある。結果的には出郭北側の二重堀切と主郭と出郭間の大堀切を確認したのみでほぼ矢竹藪を見学しに山上まで訪れた事になってしまった。もちろん個人所有の城山とも見受けられるので仕方のない事ではあるが、麓に榛原町が設置した案内板や道標まで備わっているのであれば、せめて主郭の一部だけでも整備して欲しかったと思うのは自分のわがままであろうか、、たまたま訪れた時期が悪かったとも考えられるが、現状を見る限りでは恐らく自分と同じ思いで城跡を後にした方が相当居られるような気がするのである。

今回の訪問においては少し期待があっただけに無念さを味わいながらの下山となったが、流石にいつもの城跡の評価はし辛いものがある、、、

15_dai_horikiri 大堀切見所

17_demaru_heki 出郭切岸

18_demaru_nai 出郭内

16_kita_2jyuu_horikiri_1 北側二重堀切見所

25_saihoku_2jyuu_horikiri_1 北端尾根の二重堀切

2009年5月17日 (日)

鈴尾城跡(広島県安芸高田市)

城跡は安芸高田市吉田町福原にあって別名福原城でもあり、代々福原氏の居城と伝わり毛利氏とは古来、祖(大江)を同じくする。福原居館跡に設置された案内板の説明では元就誕生伝説地とある様に、元就の母親の出生地でもある事から元就の生涯を知る上では避けて通れない城跡とは思われる。

城跡へは中国自動車道「千代田」あるいは「三次」ICが最寄の乗降口、どちらから向っても国道54号より現地に向かう事になるが、先にリポート掲載済でもある桂城跡を起点にすれば分かり易い。もちろん二城同日訪問とした前提で記事は書いているが、桂城側から見ればルート図の如く川を挟んで東側1km程度の近距離に位置しており、位置さえ確認出来れば麓の登山口までは難なく辿り着ける筈である。登山口からは遊歩道で福原居館跡を経由して上れば10分もあれば山上本郭までは到達出来る。

現状(四月)城跡は山上本郭のみであれば郭内に木々も無いので小規模な郭群の見通しは利くが、他の段郭群は一部矢竹密生地あるいは雑木も蔓延っているので全ての郭群が状態が良い訳ではない。しかし山城が小規模な事も相俟って縄張りを把握する事は容易でもあり、見学も非常に短時間で終える事は出来る。逆に言えばそれだけ見所も少なく山城ファンからすれば少し物足りないと言う事に繋がるのだが、、 見所は当時の石組み井戸跡(これは状態も良く素晴らしい!)あるいは案内板に記されてあった石垣跡は挙げられるが、この石垣跡は現状を見る限りでは自然岩を郭壁として取り込んだものの様にしか見受けられなかったが、掘り起こせば本来はそれなりの石積みが成されていたのかも知れない。

1route 登城ルート

2_3 現地説明板より

6 登山口

3suzu 城跡概念図

9_yakata_3 居館跡

11_kitakaku_hasi 北郭端

14_ino_dan_2 井戸跡見所

21 山上郭西側

22 本郭群

23 石垣跡

25_yaguradai 櫓台最高所

30_higasikaku_nai 主郭東切岸

このリポートは山城ファンからみた立場で掲載しているが、本来史跡として見学する分には状態も良い事から当時に思いを馳せる事も容易であり、元就生誕地を訪ねる紀行とすれば充分過ぎるほど戦国ロマンに浸る事も出来るので、当然お薦め出来る城跡とは言える。個人的には先に寄った桂城の余韻が冷めず、こちらが相当霞んで見えたのだが二城同日訪問とすれば山城ファンにおいても是非お薦めとも言える城跡であることは確かである。尚、直ぐ近くには福原氏墓所もあるので興味のある方は覗いても無駄にはならないだろう。

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