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2009年5月10日 - 2009年5月16日

2009年5月16日 (土)

桂城跡(広島県安芸高田市)

城跡は安芸高田市吉田町桂にあって桂氏の居城と伝わる。毛利氏直属の家臣(譜代)として代々重きを成し、中でも桂元澄は家老としてはもちろん、「厳島の戦い」においても最前線にあった桜尾城守将として活躍した事で名を馳せている。

城跡へは中国自動車道「千代田」あるいは「三次」ICが最寄の乗降口、どちらで下りても国道54号より向う事になるが、国道沿いには大きな標識「桂城」が掲げられているので確認さえすれば、直ぐ傍にある登山口には道標も設置されているので容易く山上主郭までは辿り着ける(10分程度)。車はバス停傍の空きスペースに路駐するしかない

現状(四月)城跡は藪化していない事からも見通しも利き、比較的見学し易く見て回りやすい状態にある。形態としては独立した東西に長く連なる低山の両最高所に主郭(西は恐らく出郭としての機能)が配されており、尾根中間到達地点の削平地より長い移動尾根を上り切った堀切より東側が主郭にあたるものと見受けられる。規模は主郭のある東郭群の方が圧倒的に大きく、見応えのある堀切を挟んで主要三郭から形成されているが、縄張り妙味に関しては西郭(出郭)群の方が大型土塁、付随する横堀、縦堀などが備わる様に見所も多く、相当な見応えを感じる事が出来た。案内板縄張り図における全てを踏破した訳ではない(東出郭群は未踏)が、外見から城山を判断するより遥かに起伏に富んだ形態は山城としての醍醐味も感じる事が出来、前述の東西に渡る遺構群と共に充分過ぎるほど堪能させてもらった。未踏箇所を含めなくとも規模の大きさは体感する事が出来たし、個人的には余り期待もせず訪れた事もあって非常に嬉しい誤算となった。登山口からの所要時間、山城としての醍醐味、見学のし易さあるいは状態の良さを考慮すれば、自ずとお薦め出来る城跡と言えるのではないだろうか。

1route_2 登城ルート

2_3_2 現地案内板より

9 登山口付近の標識

3katura 城跡概念図

18_shukaku_2 東主郭

20_naka_horikiri_3 大堀切見所

21_naka_yori_shukaku_heki 中郭より主郭壁

22_naka_yori_kita 北郭群

35_demaru_dorui_2 西出郭土塁見所

42_kita_dorui_karabori_1 出郭北の横堀と大土塁

45_tatebori 縦堀見所

尚、江の川を挟んで直ぐ東側に位置する鈴尾城跡は、毛利氏譜代筆頭家臣の居城でもあり元就誕生伝説地でもある事からも、当然今回の山城巡りの一環としてチョイスしており、その現況リポートは次で掲載の予定

2009年5月15日 (金)

五龍城跡(広島県安芸高田市)

この城跡は安芸高田市甲田町上甲立にあって、先にリポート掲載を終えた祝屋城の本城となる宍戸氏代々の居城であり、娘婿でもある宍戸隆家は元就より毛利両川と同等な扱いを受け、両川と並び称されるほど毛利では重きを成したと伝わっている。城跡へは祝屋城を起点にすれば分かり易いが、同じ国道54号よりそのまま南下しトンネル手前の「高宮分れ」交差点は左折し、ほぼルート図の如く向えば駐車場までは難なく辿り着ける。

個人的には数年前に一度訪れており再訪となったが、前回は全山総郭とも呼べる巨大な規模を誇る吉田郡山城に先に寄ったばかりに肝心の西郭群まで見学する余裕も無く、急いで回った為にこの城跡の素晴らしさを体感するまでに至らず、悔しい思いで城跡を後にした苦い記憶がある。今回はそのリベンジも含めて少し時間に余裕を持たせた訪問でもあり、やっと念願でもあったこの山城の城域のほぼ全て(八割)を把握することが出来た。

城跡は社殿の建立されている北東先端尾根に位置する尾崎丸から南西側に位置する足軽の段まで、規模は全長800mには達しそうとも思える大名クラスにも匹敵する非常にスケールの大きい巨大な山城でもある。形態としてはほぼ直線的に郭を並べただけの単純な縄張りではあるが、三ブロックから構成される郭群境には凄い堀切(空堀)を備え、多くの他の山城に見受けられる狭小な段郭などは皆無、全てに渡って規模の大きい郭群で山上は占められている。山上の中心に位置するのが本丸(主郭)であるが、その背後の際高く聳える立派過ぎる櫓台は土塁底部は土留め石となっており圧倒される事請け合いの遺構でもある。便宜上西郭群とした規模の大きい主要四郭で形成される郭壁には、土留め石ではない通常の野面積み石垣跡が随所に窺える事からも、西側は後で縄張りを拡張して行った事が想像出来そうにも思えた。個人的な判断では一ノ塁背後の堀切壁中ほどに石垣跡が窺われた事からも、当時は城中最大郭でもある一ノ塁堀切壁から郭周囲に至るまでの全てが石垣で覆われていた様にも感じられた。

3x 城跡全域の概念図

2_2 現地城跡案内板より

3_1 3_2 城跡概念図

Itiinodan 一位ノ段

25_nisi_koguti 中土塁虎口見所

32_3maru 三の丸

41_honmamru 本丸見所

44 本丸櫓台土塁見所

47_daihorikiri_3 大堀切見所

54_kaku2_isi 二の塁虎口石垣跡

59_shukaku_gaiheki_isi 一の塁背後壁石垣跡見所

60_horikiri 西端の大空堀(縦堀)見所

68_ido 井戸跡

現状(四月)城跡は本丸までは山城としてはこれ以上は望めないほど素晴らしい状態を維持しているが、本丸背後の大堀切から西郭群の一ノ塁までは雑木も蔓延り見通しもかなり悪い状態にある。しかし移動に差障る状態にまでは至ってはいないので、充分遺構見学は出来る状況にはある。既に両川の一つ小早川氏の居城、新旧高山城には訪れているが、個人的にみれば新旧高山城より若干規模で劣るかもしれないが、縄張り妙味に関してはほぼ同レベルにある山城とみた。正しく推奨に値する素晴らしい山城の一つでもあり、言葉で素晴らし過ぎる城跡の醍醐味が伝えられないのがもどかしいほどでもある。

2009年5月14日 (木)

加保城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市大屋町加保にあって、加保集落から見れば大屋川の東側背後の独立した小さな小山に位置している。三方城跡などと同様に県道6号沿いにあるが、路脇には「城山」と掲げられた看板が直ぐ目に留まる位置にあるので非常に分かり易く、道路脇のスペースに車を停めれば直ぐにでも主郭までは到達可能でもある。栃尾氏の居城と伝わるが詳細は不明

現状(四月)城跡は史跡として非常に整備が行き届いており、コンパクトな縄張りと相俟って概念図に示したように数少ない遺構群ではあるが、小山上の郭跡、堀切、あるいは土塁といったところは全て判別確認出来る状態にある。中でも中央を分断する堀切はこれ以上ない素晴らしい状態を誇っており、少ない遺構群にあっては最大の見所と言えるもので、砦規模の城跡にしては分不相応な立派な堀切でもある。最大全長50m足らずの小規模な城跡ではあるが、当時の砦跡の形態を窺うには申し分のない材料でもあり、城跡西側は大屋川を利用した天然の水堀(川面までは急崖)とし、東側は30m近い高低差を誇る急崖で防備されており、地形あるいは立地環境まで縄張りに取り込み、削平された郭跡あるいは切岸処理などからみても、本格的普請によって築かれたものと推察される。

今までの山城巡りの中でも砦跡(出城と思えた)としてここまで整備保存されたものには中々御目にかかった事も無く、道路脇より直ぐにでも到達出来るお手軽さも加味すれば、規模は小さいが正しく推奨に値する城跡と言えよう。全体を見学しても10分足らずで終わってしまう程度の味気ない城跡なのだが、前述の様に築城された周囲の環境あるいは縄張りなどを考えれば、実に奥の深い城跡なのである。

1route_2 登城ルート

5 城跡上り口

3kaho 城跡概念図

10_minami_dankaku 南段郭群

12_fuku_kaku_1 副郭

13_fukukaku_dorui 副郭堀切側の土塁

14_horikiri 堀切見所

15_horikiri_fukukaku_heki_1 堀切壁

20_kitakaku 北郭

21_kitakaku_yori_shukakuheki_1 北郭より主郭切岸

2009年5月13日 (水)

ウスギ城跡(兵庫県養父市)

城跡は養父市建屋(タキノヤ)にあって、建屋集落より川を挟んだ西側に位置する山塊のほぼ三方に渡る尾根上に郭は展開されている。当時は太田垣氏の居城と伝わり、この地を本拠として竹田城を築き但馬守護代に上り詰めたと思われるが、本城を移動した際は竹田城の支城として家臣でもある建屋氏が城代となった模様、詳細は不明

この城跡は訪問した結果、東側の遠く山上尾根も含めた三方尾根上に郭は削平地として点在しており、相当城域の広い山城と見受けられた。遺構見学としての本命は北尾根先端に位置する本郭群であり、二本の見応えのある大堀切によって南北尾根は分断され、城中最大規模を誇る南郭には形のある程度整った土塁が高低差のある郭切岸と並んで非常に眼を楽しませてくれている。もちろんこれらが城跡最大の見所と呼べるものでもあるが、直登ルートから本郭群に向う尾根上、更に東側尾根上にも郭跡(切岸処理のない削平地)は眼に留まり、城跡をより巨大なものに感じさせてくれている。個人的にはルート図に示した東側まで踏破したが尾根上には連続する削平地が幾つも点在しているのを確認する事が出来た。現状(三月)本郭群だけを見れば木々も少なく全体的に見通しも利くので前述の遺構群は全て判別確認出来る状態にあり、城跡の醍醐味あるいは素晴らしさに更に拍車をかけている。比高は100m程度なのだが主郭周囲は急崖でもあり、簡単には人を寄せ付けない凄みを感じられた。全ての枝尾根上までは踏破することは出来なかったが、歩き回る事によって充分過ぎるほど山城の規模、あるいは魅力を体感する事は出来た。個人的にも是非お薦めしたい山城の一つには数えられる。

1route_4 登城ルート

5_tozanguti_2 直登進入口

3u 城跡概念図

11_horikiri_1 南堀切見所

12_minamikaku_dorui_3 南郭の土塁見所

15_dorui_gawa_1 南郭

18_shukaku_horikiri_e 南より主郭切岸

21_horikiri_2 北堀切見所

24_kitakaku_1 北郭

22_shukaku_2 主郭内

25_shukaku_kita_heki_3 主郭北切岸

城跡へは国道312号より北上した場合は交差点「立野」で県道70号へ左折針路変更、線路を越えれば更に左折してそのまま八鹿に向いて10km程度直進すれば建屋地区に辿り着く事は出来る。集落からはルート図の如く直登山口となる金毘羅社を目印として進行すればよいが、最短ルートでの直登なら道路沿いからV字谷に向いて取り付けばそのまま主郭南背後に到達出来るものと思われる(金網フェンス有無の確認をしていないので確証は無い)。個人的には最短ルートとして北側にある集落センター付近からの直登を想定したが厳重な金網フェンスが張り巡らされているので開閉も出来ず諦めた経緯があるが、そこから更に西側へ向えば山道があったのかも知れない。個人的には西側の別峯も探索の対象としていたので、敢えてルート図に示した金毘羅神社から上ったが、時間を要しても良いのであれば随分遠回りにはなるが、フェンスも藪漕ぎもなしで確実にルート図通りで到達出来る赤線ルートをお薦めしたい。

2009年5月12日 (火)

三方城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市大屋町宮垣にあって、国道9号を経由して大屋川沿いに県道6号を走り、トンネルを潜り終えればほぼ左手(南側)に望める低山ではあるが険峻な山容の山上尾根先端に位置している。この山城に向うまでにはルート図に示す県道沿いに男坂神社が目に留まるが、此方にも男坂城なる砦跡が社殿敷地を主郭として二段の郭跡、切岸、及び背後の堀切は近年の石段増設工事によって消失してはいるが縦堀は僅かに痕跡が残っており、寄って見学しても決して無駄にはならないとは思われる。

男坂神社からは三方城跡の位置は直ぐ確認出来るので、南側の橋を渡り概念図に示す登城スタート口でもある「いぼ地蔵」まで向えばよい。この付近に路駐スペースはあるので車を停めれば、どちらを選んでも崖状急斜面を上ることに変わりはないが、概念図に示した二通りの直登ルートで尾根上の主郭までは到達する事が出来る。ただ武家屋敷跡も見学するのであれば自ずと愛宕社経由の最短直登ルート選択にはなるとは思われるが、、どちらにしてもこの城跡への登山は斜面も相当きつく滑りやすいのでスニーカーは危険!主郭までは15分程度)

現状(四月)城跡は植林地となっている為に下草はほとんど無く、郭全体像の見通しも利く為に残存する遺構群である郭切岸、石積み、堀切、櫓台土塁跡などは全て判別確認可能であり、自然任せの風化中にはあるが見学し易い素晴らしい状態が保持されている。山上には事前に地元の方に聞いたとおりに僅かな石積み跡も残存しており、遺構群の中では凄い高低差を伴う堀切が最大の見所である様には感じられた。郭内では川原石が多く目に留まった箇所が見受けられたが、地元の人の話によれば城跡に侵入して来る敵にぶつける為の「つぶて石」との見解でもあった。(個人的には数100年経た現在に至るまでの堆積物を考えれば、それは無いだろうと思うのではあるが、、、)

1route 1z登城ルート

9_2  愛宕社経由の直登進入口

3mi 城跡概念図

15_buke_yasiki_1 武家屋敷跡

23_kita_3dankaku_gunn 北三段郭

22_isigaki_ato 石積み跡見所

25_fuku_yori_shukaku_1 副郭より主郭

31_shukaku_yagura_2 主郭櫓台土塁見所

33_horikiri_1

南大堀切見所

36_horikiri_minamikaku_heki 堀切と南出郭

城跡を個人的に評価したなら、男坂城を含めた同日訪問であれば二城で集落入り口を固めた構造、あるいは二城の形態から機能の違いにまで目を向ける事が出来るので、自ずと当時の状態にまで思いを馳せる事が容易であり、状態の良さも加味すれば当然お薦め出来る城跡という事にはなる。尚、この城跡の東側山道沿いには当時の城主でもあった三方氏の墓地跡が墓碑と共に残っていたので参考までに、(近年において子孫の方が建立したものとも思われる)

3 2 8_mikatajyou_yori 男坂城跡

2009年5月11日 (月)

敷山城跡(山口県防府市)

城跡は山口県防府市牟礼にあって登山客も多く訪れる矢筈ヶ岳(標高460m)の八合目付近に位置している。城跡へは既にリポート掲載済でもある右田ヶ岳城と同様に山陽自動車道「防府東」ICが最寄の乗降口、ICを下りれば色々なルートが考えられるのでここでは割愛させて頂くが、取りあえずルート図に示した赤線を辿れば駐車場の設置された登山口までは到達出来る。ただし新幹線の高架下を潜るのに車高1.6m以上の車は通行不可となっているので、高架のない場所までは少し大回りが必要となる。登山口からは休まず歩いて20分程度で辿り着く事が出来る。

城跡は一応「国指定史跡」になっているが南北朝の戦いにおいて南軍が験観寺と言う寺院を急遽城跡として使用しただけでもあり、現在遺構として確認出来るのは寺院敷地の礎石程度であり、尾根上数箇所には削平地も窺われたが、規模も小さいものであり山城の醍醐味を感じるまでには至れないのが現実でもある。石垣なども当然近世における積み直し、あるいは新たに築かれたものである様に見受けられた。

1route_3 登城ルート

4_1 城跡遠望

6_2 登山口

3 現地案内板より

16 梵字岩

17 削平地

22_jyouseki_2 験観寺跡

21_2 説明板

28 平巨石

44_2 山頂東側大岩

山城の醍醐味、あるいは遺構などを期待して訪問される方にとっては、後で相当がっかりする事にも繋がるので、遺構などの期待は最初に抱かない事が肝心だとは思われる。当然個人的にも矢筈ヶ岳登山を楽しむ事が大前提であり、登山道中における史跡もついでに見学する程度の事で上っているので、流石にがっかりする事はなかったが、、 しかし折角この城跡にまで上って来られた方には、ここから更に15分程度も上れば山頂手前の巨石群からは素晴らしい景色が望まれる事をお伝えしたい。この地が当時の物見として利用されていたかどうかまでは知る術も無いが、想像しただけでロマンに包まれる事は請け合いでもあり、最初から史跡見学で赴かれた方には是非この巨石群までは足を延ばして頂きたい思う。巨石(信じられないほど平坦な巨石)に座り込んで味わう熱いコーヒーと前面に限りなく広がる素晴らしい景色(右田ヶ岳城も望まれる)は何とも言えず心が癒され、格別な雰囲気が味わえるのである。もちろんもう少し上れば山頂に佇む事が出来る位置でもあり、ここまで上れば当然山頂も極め無ければ意味はないが(山頂東側には眺望の利く巨大大岩がある)、、

登山を楽しむ事を前提とするのであれば右田ヶ岳城跡には叶わないまでも、ついでに城跡見学が出来るメリットも考えれば、山登りも楽しめる貴重な城跡と言うことになろうか。

2009年5月10日 (日)

岩城山神籠石(山口県光市)

この遺跡は山陽路における神籠石の存在する古代山城としては岡山県にある「鬼ヶ城」と並んで称されても決しておかしくない古代城跡の一つと見受けられる。九州には多くの遺構が現存していると聞くが、個人的に訪問したのはここを除けばまだ鬼ヶ城とたつの市にある城山城だけでもある。郷里からもそう遠くない事から岩城山は既に数回訪れているが、戦国期山城とは形態も石積み方法も素人でも分かるほど明らかに異なるものであり、残存露見している神籠石あるいは水門石垣の素晴らしさは特筆に値し、鬼ヶ城と同様に一見の価値のあるものでもある。まだ未訪の方で古代山城に興味をもたれている方には、既にリポート掲載を終えた琴石山城、鞍掛山城あるいは三丘嶽城からもそう遠くないので、山城巡りの一環として非訪問をお薦めしたいと思う。

目指す岩城山は山口県光市塩田にあって山陽自動車道「玖珂」あるいは「熊毛」ICが最寄の乗降口、ここでは説明しやすい「熊毛」ICからのルートになるが、県道8号を経由して63号に進入すればほぼ道任せに田布施町に向けて車を走らせればよい、田布施町に入ればルート図の如く道標を確認して一般道162号へ左折針路変更すれば、自ずと終点地でもある山頂駐車場までは辿り着くことが出来る。

1zz ルート図

2a 3_2 現地案内板より

7_4 岩城山より

この古代山城は見学する上では当然神籠石(列石)を含めた石垣跡(水門)が全て言っても過言ではないが、神籠石と呼ばれる石列が全ての斜面に露見している訳ではないので、遊歩道に任せて歩けば効率よく見学することが出来ると思われる。お薦めしたいコースは岩城神社より騎兵隊本陣跡を抜けて西水門へと向うコースである、ここからは西門を通過して北周りに最終東門に至るまでの石垣跡と神籠石は全て見学堪能出来る筈である。道中東水門手前には「人枡」と呼ばれる土塁の付随した大空堀も目に留まるが、この遺構は山城ファンにとっては非常に目を楽しませてくれる様には思われる。この付近には版築によって築かれた土塁が数100mに渡って存在すると案内板にはあったが、素人目には判別は難し過ぎる様には思われた。南水門は石垣が少し覗く程度の発掘状態なので特に覗いてみる必要はないようには感じられる。

11 13_nisi_suimon_1 西水門

18_kita_suimon_5 北水門

24_kitamon 北門

27_kitamon_kutuisi 北門沓石

30_hito_masu 人枡

31 神籠石

33

東水門手前の石垣

35_higasi_suimon_3 東水門

岩城山を全て覆い尽くすかの様な規模を持つこの古代山城は非常に鬼ヶ城の形態とも酷似しており、鬼ヶ城の凄い高さの残存石垣跡を考えれば、見応えでは多少劣るかもしれないが千年以上経た今日、まだ発掘されていない土中に眠る部分も加味すれば、想像する楽しさも含めて古代ロマンに浸れる事請け合いの山城と言えよう。

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