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2009年5月3日 - 2009年5月9日

2009年5月 9日 (土)

祝屋城跡(広島県安芸高田市)

吉田郡山城を訪問して以来数年ぶりに広島県の安芸地方に訪れる事になったが、個人的にも戦国武将「毛利元就」の生き様に感銘を受ける部分が多く、毛利氏両川(元就の息子である吉川氏、小早川氏)と並んで好きな事、あるいは同氏に関連した多くの山城は険峻な地の利を活かしながら比較的石垣が多く使用された城跡が多く、縄張り妙味及び見応えのある事からも、今回は非常に期待を胸に抱いての安芸地方への山城巡りとなった。

城跡は安芸高田市甲田町深瀬にあって、毛利氏両川(元就の息子である吉川氏、小早川氏)とは対等な扱いを受けた宍戸氏の居城と伝わり、当時五龍城主であった元家は本城でもある五龍城を長子に譲って次男(深瀬氏を名乗る)と此方に拠った模様、尼子氏との戦いに於いては毛利軍の最前線となった城跡でもある。

1route 登城ルート

2a 現地城址案内板より

5 登山口

城跡へは中国自動車道「三次」ICが最寄の乗降口、ICより下りれば国道54号に進入しルート図の如く江の川沿いに車を走らせれば城址案内板の設置された登城口には分かり易く辿り着ける。国道の西側にある狭い道路沿いからは案内板は直ぐ目に留まり、その横から墓地を経由して上る山道は社殿まで到着すれば直ぐに途絶えるが、その先の縦堀に沿って直登すれば10分内で主郭までは到達可能である。(遠回りではあるが踏み跡程度の道はあったのかも知れない、、、)車は小型車であれば付近に路駐スペースは有

現状(四月)城跡は町史とはなっているものの自然任せの藪化進行中にあるが、規模もさほど大きくなく、ほぼ主要二郭で形成されるシンプルにまとまった山城なので、縄張りを掴む事も縄張り内の移動も容易に出来る状態にはある。ただ郭内には相当雑木が蔓延っているので全体像の視認には多少難渋はするが、当時の遺構と思われる郭跡、縦堀、土塁、堀切などは明確に判別する事が可能となっている。特筆すべき見応えのある遺構は目に留まらなかったが、五龍城を本城とした場合の支城であれば充分過ぎるほどの備えであるような気はする。尚、次に訪れる事になった素晴らしすぎる五龍城跡に関してのリポート掲載は少し後の予定(概念図の作成が非常に大変)

3iw 城跡概念図

8_tatebori 縦堀見所

12_shukaku_heki_1 主郭切岸

20_higasi_yori_shukaku 主郭内

13_shukaku_dorui 主郭土塁跡

21_shukaku_heki 東郭切岸

30_nisikaku_2 西郭

32_nisi_gedan 西郭より堀切側

34_horikiri_2 堀切

2009年5月 8日 (金)

船山城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市網野町郷にあって、北近畿タンゴ鉄道と県道17号の交わる踏み切りより川を挟んで西側の丘陵上に位置しているが、城史に関しての詳細は不明

城跡へは目印となる大きな建物や施設も見当たらないので、ルート図と概念図を参考に訪れて頂くしかないが、峰山町から県道17号を利用して北上するのであれば前述の踏み切りを過ぎれば次の道路で左折、更に図の如く道路に任せて進み、城跡の南端に位置する墓地への進入口目指して進行すればよい(車は路駐スペースあり)。車を降りればそこから集合墓地を経由して北に向いて歩けば自ずと城跡には5分もあれば辿り着ける筈である。

現状(四月)城跡は相当藪化も進行しているが、遺構として明確に判別確認出来るのは郭跡を除けば、主郭と見受けられる小規模な郭跡に備わる二連の方形土塁壇(機能不明)、更に東郭へ繋がる郭境にある空堀と櫓台に見える方形土塁北郭及び西郭の切岸などであり、特筆すべき技巧を有した遺構は眼に留まらなかった。縄張りも現在集合墓地となっている尾根上数100mに渡って郭の展開は予想されるが、ここまで墓地として造成整地されておれば中々当時の縄張りの形態を想像するのは難しい状況でもある。現状城跡のほぼ半分以上は冬枯れしているとは言え雑木竹林地と化しており、中々満足の行く見学は出来ない状態にあるが、これから先も決して良いほうに改善されるとは予想し辛く、個人的には非常に評価し難いが、但馬地方から丹後地方にかけての多くの丘城に共通して見受けられる、櫓台にも見て取れる対面する方形土塁壇が備わっている事からも、充分見学する価値はある様には思われたのだが、、、まだ未訪で興味を持たれた方のみが訪問の対象となる城跡と言う事になるのかもしれない、、

1route_5 登城ルート

5 進入口

3fu 城跡概念図

10_shukaku_dorui_dan_1 主郭土塁壇

11_higasi_karabori 12_karabori_dorui 東側空堀と方形土塁見所

13_higasi_monomi_gawa 東削平地

8_higasikaku_heki 西郭切岸

19_kitakaku_gawa 北郭

尚、ルート図には砦跡と記したが明らかに城跡遺構と判断出来る(独自の判断)二本の堀切の備わる小規模な郭跡が西側の別尾根先端で確認出来たので、ついでに現況報告させて頂いた。

2009年5月 7日 (木)

下岡城跡(京都府京丹後市)

この山城は町史跡と認定されながらも現状相当藪化進行中にあり、状態は良いとは言えないが細部にまで眼を配れば、残存している遺構の判別確認はほぼ出来る状態にはある。遺構としての堀切、縦堀などは多少技巧的でもあり、井戸跡あるいは郭切岸なども未だ健在でもある事から、縄張り妙味を含めた山城を体感する上では当時に思いを馳せる事も容易であり、風化中である遺構を含めても遺構残存度は極めて高く、藪城ではあるが是非訪問をお薦めしたい山城として現況をリポートする運びとなった。

城跡は京都府京丹後市網野町下岡にあって、北近畿タンゴ鉄道「網野駅」からは北西側の低山山上に位置しており、当時では高屋氏の居城を伝えるが詳細は不明。現在城跡見学としての山道も見当たらず直登を余儀なくされたが、直登進入口は画像を掲載した道路沿いに「高天山登山口」と道標のある場所からで、ルート図の如く尾崎神社の背後を回り込んで尾根沿いに上るか、あるいは下山ルートとした赤線ルートで谷沿いに上っても城跡には20分内で到達する事が出来る。案外民家脇から谷沿いに上る方が分かり易い(最短ルート)かも知れないが、、、ただ前者のルートの場合、まともに登山道に向えばそのまま高天山に上ってしまうので決して道に任せては進まない事!

現状(四月)城跡は前述の様に相当藪化は進行(特に本郭群)しているが、個人的にも遺された遺構群である特に堀切(縦堀を含めた)は決して期待はずれに終わる事は無いにも思えるので、多少の藪でも我慢出来る方には是非お薦めしたいと思う。今日における地方財政(史跡維持費)から考えても、これから更に城跡が良いほうに改善されるとはまず思われ難く、夏季訪問(梅雨以降)さえ避ければまだ充分見学出来る状況にあるのではないかとも予想される、、、

1z 登城ルート

6_tozanguti 登山口目印

3si 城跡概念図

13_dai_horikiri 西堀切見所

36_dai_tatebori 大縦堀見所

20_shukaku_noboridorui_2 主郭上り土塁見所

15_shukaku_heki_1 主郭切岸

28_kita_gedan2_1 北郭群

23_nantou_horikiri_1 南東堀切見所

30_ido_ato_1 井戸跡見所

34_horikiri_dorui 北空堀土塁見所

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