« 播磨黒田城跡(兵庫県西脇市) | トップページ | 判明した城跡呼称 2 »

2009年12月11日 (金)

惣村城跡(京都府宮津市)

城跡は宮津市惣にあって、北近畿タンゴ鉄道「宮津駅」からも望める、南東側にある低山の山上に位置しており、城域にある便宜上の北出郭には、現在「城寿神社」が建立されている。当時の城主としては、フルネームで北庄鬚九郎が挙がっているが、本来は丹後守護職にあった一色氏の居城(八幡山城の支城)であった事からも、この人物は推察にはなるが、一色氏家臣あるいはその一色氏の滅んだ後を受けた、細川氏の武将である可能性は高いものの様には思われる。詳細は不明

城跡を目指すには、北近畿タンゴ鉄道「宮津駅」を目印とすれば分かり易いが、ルート図に示した様に、駅から直ぐ車で渡れる踏切が近くにはないので、国道178号を走れば駅に向わず、国道から直接南下した方が良さそうには思えた。ルート図中の赤線を辿れば分かり易いとは思われるが、付近の道路は全て駐禁でもあり、車の駐車には少し難渋するかも知れない。山上主郭に向うには概念図には記したが、民家脇に道標のある「城寿神社」への参拝登山道を利用すれば、迷わず辿り着ける筈である(付近に駐車したとして10分内)。

Soumura 登城ルート

4 進入路

Soumura_4 城跡概念図

現状(11月)城跡は神社の建立された北出郭、あるいは最高所に位置する主郭から北側は比較的見学し易く、段郭群及び直立に近い状態の良い郭切岸などは、非常に目を楽しませてくれているが、便宜上の二の丸側(南側)付近だけは、倒竹などによって移動も出来ず、身動きも取れない状態、更に下草や矢竹が密生しているので、外見からは郭内部の地形を覗ける状況にないのが現実でもある。ただ他は見学に差し支えるまでには至ってはいないので、城跡全体とすれば比較的状態の良い山城と言えるのかもしれない。見る限りでは、土塁あるいは薬研堀などの様に、地形から直ぐ判別し易いインパクトのある遺構は目に留まらなかったが、南端の出郭境には、状態の良い箱堀(幅のある空堀)も見受けられ、多くの郭跡に窺われる状態の良い郭切岸と並んで、見応えは充分感じられた。他では西側斜面に数十段にも刻まれた段郭群、あるいは主郭東側の帯郭群には、下から見上げれば圧倒される事は請け合いとも思えた。ただ西段郭群に関しては、近世における治山事業の一環とも考えられるので、これは見た者が判断を下せばそれでよいのではないだろうか。個人的にはこの城跡の形態(低山ではあるが周囲は非常に急峻な地形である事、切岸の崩落を防ぐ為、あるいは防備の意味で狭く刻まれる必要があった)からも当時のものと思いたいが、、、。

15_kita_demaru_1 北出郭(神社)

20_shukaku_e 北より主郭切岸

25_shukaku 主郭内部

27_obi_yori_shukaku_heki 主郭東切岸見所

30_kitakaku_heki 北郭群切岸見所

46_nisi_dankaku_gun 西段郭群

39_hakobori_1 南出郭の箱堀見所

この山城も、他で見受けられる丹後地方の山城と同様に、風土のせいもあるのかも知れないが、当時を今に再現したかの様にも見受けられるものであり、遺構残存度は非常に高いものと目には映った。更に状態さえ良ければ賞賛に値する城跡である様には感じられたが、現状から見ても充分お薦め出来る城跡である事に変わりはないだろう。

« 播磨黒田城跡(兵庫県西脇市) | トップページ | 判明した城跡呼称 2 »

京都(丹後地方)の山城」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1070646/32196890

この記事へのトラックバック一覧です: 惣村城跡(京都府宮津市):

« 播磨黒田城跡(兵庫県西脇市) | トップページ | 判明した城跡呼称 2 »

無料ブログはココログ