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2009年12月12日 (土)

判明した城跡呼称 2

今まで踏破した山城の中で、情報が少ない為に所在地と城跡呼称が結びつかず、取り合えず仮名としたものが、今回の追跡リサーチによってやっと呼称が判明しました。と同時に、城跡名を取り違えていた山城も一城判明しましたので、ここでお知らせしたいと思います。尚、この城跡呼称に関しては公的(府あるいは市)資料から情報を得たものであり、地元あるいは現地の郷土史などでは、過去の経験からも別の呼称で呼ばれている可能性も充分考えられますので、その辺は柔軟に対応して頂きたいと思います。

まず呼称の判明した城跡

1、京都府綾部市高倉町にあって、仮)高倉山城としたものは高倉城1_1

2、兵庫県篠山市熊谷にあって、仮)熊谷城山としたものは熊谷城1

3、前回の呼称判明の中に後で追記として載せましたが、まだ拝見しておられない方の為に再び載せたもので、三重県伊賀市島ヶ原にあって、仮)恒矢南城としたものは高瀬城 尚、隣接する恒矢城は、本来の「恒」「垣」と間違えて表示しておりましたので、既に誤字を訂正した事もお知らせしたいと思います。

4、これも追記した分で、京都府南丹市八木町北広瀬にあって、仮)広瀬城としたものは北広瀬城

5、興味のあった方には長い間お待たせしましたが、個人的に城跡遺構として確認した但馬、東河城塞群の中で、一部の城跡の呼称が判明しましたので、ここでお知らせしたいと思います。

兵庫県朝来市和田山町宮地区にあって、仮)黒田東出城あるいは黒田東砦とした二城は、フタタ城、白井城と呼ばれる事が判明しました(概念図及び地図を参考に)。3 3_2

と同時に、仮)黒田西城あるいは地元で所在地は確認したものの、砦規模である為に今ひとつ納得の行かなかった、黒田城として掲載に及んだ城跡は、黒田城(山上郭あるいは本城)の出城あるいは支城である事も、地元の方との共闘作戦(追跡リサーチ)のお陰で、ある程度まで判明しました。ある程度としたのは、自身が現地で直接城跡遺構を確認していない為でもありますが、本来の黒田城(山上郭)は、ほぼ地図に示した場所と断定して良いものと思われます。よって前回掲載しました黒田城は、自ずと出城と言う事にもなりそうですが、城跡呼称の候補としては小川城あるいは寺木城が挙げられます、どちらも隣接しているので、所在地などから判明に至らすことは出来ず、現状からの判断では、前回リポート掲載に及んだ(仮)黒田西城、黒田城の二城は、この小川城、寺木城のどちらかであるとまでは分かりました。Photo1_2

ここではまだ個人的な推察に留めておきたいのですが、(仮)黒田西城としたものは小川城、黒田城としたものは寺木城と考えられます。この二城は付近にお住まいの方に訪ねても、明確に所在地が判明しなかった城跡でもあり、これから多くの情報は望めそうにないのが現実でもありますが、次回に本来の黒田城(山上郭)を訪れる際には、是非判明させたいとは思っています。尚、現在の乏しい資料あるいは文献の中では、様々な呼称が飛び交っているので、東河七城がどれにあたるものかは専門家でも相当判断は難しいと思えます。黒田山上郭から末端尾根にかけては、まだ未踏の砦跡もあると考えられますが、城跡呼称は個々にあっても、黒田城の本質は前回触れた様に、丹波八上城などと同様に、山上郭を頂点とした黒田城塞群と考えても良さそうには思われます。更に新たな情報が入ればお知らせしますが、取り敢えずは、黒田本城を先に訪問する事が先決と思えますので、今年中には無理かも分かりませんが、機会があり次第再訪の予定です。個人的にも踏破して城跡遺構と判断したものの、確信にまで至る事が叶わず、ずっとやきもきしておりましたが、現地の方のご尽力もあり、やっと城跡遺構の確定までは漕ぎ着けれました、まだ(仮)東和田城も含めて、呼称の確定という宿題は残っておりますが、取り合えず満足感には満たされている状態です。(ほとんど諦めていたので、、)。

城跡呼称を取り違えているものは京都府福知山市篠尾にあって、石井城(篠尾城)として掲載に及んだ城跡で、城跡呼称は福知山市史の中にある篠尾向段城が正解です。3sasaodan 本来石井城と呼ばれる城跡は、この城跡の直ぐ真南に隣接しており、篠尾向段城と同様に、丘陵上にあるとの情報は既に掴んでおりますが、まだ未訪でもあり詳しい現況報告が出来ないのが少し残念な処ではあります。本来の石井城は訪問次第リポート掲載の予定ですが、来年になるものと思われますので、興味のある方はそれまで少し待って頂きたいと思います。

福知山市内にあっても、この地域には既にリポート掲載を終えた羽合城、半田城、新庄城と、まだ低丘陵上の至る場所に城跡遺構は存在していそうでもあり、今回の様に一つ尾根を間違えると別の城跡名になったりで、呼称の確定には随分泣かされてはおりますが(山城ファンなら分かって頂ける、、)、この地域の未訪の城跡も含めて、これから何とか所在地の確定、あるいはそれを踏破した現況をこつこつとリポートして行きたいと、更に意欲を燃やしている今日です。

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