明智東ノ古城跡(京都府福知山市)
城跡は福知山市三和町友渕にあって、既にリポート掲載を終えた西ノ古城からみれば友渕川を挟んで真東側に位置しており、こちらは西ノ古城が山城であるに対して低丘陵上の先端部にあるが、当時は西ノ古城同様に臨戦時における陣城と伝わっている。よって非常に安普請とも見受けられるものであり、残存遺構の見応えだけを取り上げれば、数多い明智の携わった城跡(金山城、周山城、法貴山城など、、)の中でも低位にランクされるものと感じられた。当然陣城としての機能だけの城跡なので、明智の城として期待をして赴くと落胆し兼ねないとも思われる事からも、まだ未訪の方には西ノ古城と併せた訪問をお薦めしたい。
城跡へは国道9号「菟原」交差点から県道97号へ針路変更、後はルート図を参考にすれば迷わず辿り着けるものと思われるが、車は概念図に示した付近に広い空き地があるのでその場所を借りて停めれば良さそうに思えた。そこからは既に左手東側前方に望める丘陵がそれであり、歩いて住宅地の横にある開閉フェンスまで向えばよい。後は図に示した直登ルートでフェンス沿いに上れば、主郭までは5分程度で到達出来るだろう(車を駐車した場所からは10分程度)。
現状(十月)城跡は予想通りに藪化は進行し、地表も自然任せの荒れ放題と化してはいるが、縄張り形態もシンプルなものであり特別技巧を凝らした複雑な遺構が見当たらない事からも、概念図に示したまでの遺構は全て判別可能となっている。先に触れた様に急造された陣城なので縄張りも非常に大味なものとなっており、防備機能としては土塁及びその背後に堀切が備わる程度でもあり、東側に向いてだらだらと数百mに渡って連続する削平地が妙に印象に残った。西側斜面の狭い段郭群より少し下りれば便宜上西郭とした広い規模の郭跡を眼にする事が出来るが、内部に凹状の窪地を確認する事は出来た。郭跡だけを見れば居住空間とも考えられるが、これがどの様な機能を持ったものなのかは想像も付き難く、長い年月の堆積物あるいは地形変化を考えれば自然の成せる業かも知れない、当然見学者の判断に委ねた方が良さそうには思えた。
個人的には岐阜県を所在地とする明智城も含めて、明智関連の城跡(改修も含めて)はほぼ訪問した計算にはなったが、陣城を除いた城跡としては何れも縄張り妙味に富んだ山城が多く、非常に見応えも醍醐味も感じられたものが多い。後世において随分改修されたと見受けられる亀岡城、福知山城などは、現在でも石垣が残っている事からも別な意味で見応えは感じられるが、それよりも更に築城年代が遡り、人の手の余り入っていない明智の山城の方にずっと魅力を感じるのである。今となっては湖底に沈む坂本城(滋賀県)の雄姿は想像する事も出来ないが、その当時フロイスをも唸らせた信長に続く城跡は、水城(石垣城)としての縄張りも素晴らしく、豪壮でさぞ凄いものであった様には思われる、、、。
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